かむくらの社は神職たちの要の地、それだけあってその場所は何十もの結界が張り巡らされている。社へたどり着くためには、結界の役割を果たしている鳥居を外側からひとつずつ通っていくしか方法がない。

かといって千本鳥居のように一本道で繋がっている訳ではなく、あちこちに散らばった鳥居をひとつも間違うことなく通っていかなければたどり着くことは出来ない。

コツさえ掴めば1時間くらいで行けるぞ、と禄輪さんは笑っていたけれど間違いなく私一人なら一ヶ月はかかるだろう。


かむくらの社に来たのは今回で二度目だ。一度目はちょうど一年前、妖に襲われた私を助け出した後禄輪さんが連れてきてくれた。

大寒波の直撃で雪が降っていて、積もった雪に社頭に咲いた梅の赤が映えてとても綺麗だったのを覚えている。


かむくらの社への入り方は、全国各地の神職を統括する日本神社本庁に所属するほんの一部の役員しか知らない。

その役員ですら一年に一度の参拝しか認められておらず、地方の神職に至っては宮司になった時のみその報告に一度だけ参拝を許される。つまり普通の神職なら一生お目にかかれない場所だ。


そんな場所に今日で二度目の参拝。

前回は何も知らなかったので呑気に寝泊まりできたけれど、ここがどういう場所なのかを知った今では話は変わってくる。


かむくらの社が創建された年は記録にないけれど、次いで古いのが(くゆる)先生の実家であるわくたかむの社で創建は奈良時代だ。

ということは少なくとも奈良時代に建てられた建物ということになる。歩く床も柱もなんならトイレの壁も、あの場所にあるもの全部が歴史的に価値のある重要文化財という訳だ。


絶対に何も触らないでおこう、と色褪せた木の鳥居を見上げて胸に誓う。