本当に、見れば見るほど乃蒼にそっくりで。かといって、このまま無邪気に信じてしまって良いものか。そこでいくつか質問をしてみることにした。
書店に併設されているコーヒーショップの店内に今僕たちはいる。
「名前は?」
「哘乃蒼だよ」
「年齢は?」
「十九歳」
「え……?」
乃蒼の誕生日は四月二十日で、今は五月なのだから二十歳になっていなければならない。もしかして、あの日から彼女は成長していないのか?
「身長は?」「百四十九センチ」「体重は?」「ちょ……どうしてそんなこと言わなくちゃならないの?」「いいから答えて」「もう……納得いかないなあ……。四十二キロ」「合ってる……」「だから、どうしてそんなことまで知ってるの!?」「趣味は?」「小説を書くこと、かな」「好きな花は?」「コスモス」ズキン、と心が痛んだ。「コスモスの花言葉は?」「乙女の純真、調和、謙虚」「全部合ってる」
やっぱり乃蒼なのか。でも、本当にどうして?
「でも、でもさ。乃蒼は死んだんだ。去年の十一月に。それなのに、どうして君はここにいるんだろう」
答えを求めて、対面にいる彼女の手を握る。ちゃんと触れたしちゃんと体温があった。
「幽霊じゃないよ。ちゃんと私生きているよ」
「いや、それはそうなんだけどさ。うーん」
頭の回転が鈍くてうまく働かない。あまりにも非現実的で、情報をうまく処理できない。
「ん、ということはさ、立夏は二十歳になったんだ?」
「ああ、そうだよ」
僕の誕生日は五月なので、乃蒼のほうが少しだけ先輩なのを悔しく思った日もあった。今思うとくだらない。
「やだ。泣かないでよ」
「泣いてないよ」
嘘だった。鼻をすすって答える。
「本当に幽霊じゃないんだね?」
「うん。だって、私はここにいるよ。あっ、でもさ、私は本当に去年の十一月に死んでいるの?」
「そうだよ。ええとね」
ここで僕は時系列にそって彼女が死んだ経緯を説明していく。昨年の十一月、福岡県にあるコスモス畑を見に行こうよと、約束をして僕とバスに乗って向かったこと。その途中の高速道路上で事故による渋滞が発生していて、バスが急減速しながら車線変更したところに、ワンボックスカーがバスの斜め後方から激しく追突した。衝撃の強さからバスは横転。その事故で乃蒼が死んでしまったこと。
僕のせいで死んだとは言えなかった。なんとなく後ろめたくて。
「そうか……。私やっぱり死んじゃっているんだ」
「やっぱり?」
「うん」
彼女いわく、バスに乗っていたのと、バスが急ブレーキをかけたことでワンボックスカーに追突されたところまでは覚えているんだそうだ。そこで視界が暗転して、気がついたら東京の街中で一人ぽつんと佇んでいたと。
「家に、連絡はしてみなかったのか?」
「したよ。でもさあ、何度お母さんに私が娘だと名乗っても信じてもらえなくて。私は死んでいるのだと、性質の悪いイタズラはやめてくださいと電話を切られちゃったんだ。しかもどういうわけかスマホを持っていなくてさ、公衆電話から電話をする羽目になったし。公衆電話だよ? 今どきだよ?」
発信先が公衆電話だったから、余計に信じてもらえなかった……だけではないのかもしれないが。
着の身着のままで、財布しか持っていなかったのだという。
「それで困ってしまって、次に自分のアパートに帰ってみたんだけど、解約されたあとみたいで部屋には入れないし」
そりゃあそうだろうな、と思う。元の住人が亡くなってしまったのだから部屋をそのままにしておく道理はない。
状況がわからず途方に暮れてしまって、とりあえず賃貸を探さなくちゃダメだなと書店に入ったところで僕と出会ったと。そういう話だった。
あまりにも荒唐無稽だ。それでも今はこれを信じるしかないのだろう。
「それってつまり……。去年の十一月にバス事故に遭ったはずの乃蒼が、なんらかの理由で半年後の世界に来たってこと?」
「そう……なるのかな。そうか、私、死んじゃっているんだ。でも、状況がわかってひとまず良かった。……いや、全然良くないな。うーん、いまひとつ実感がわかない」
困惑と悔恨が混じり合った呟きが、耳から忍び込んでくる。
「でも、この世界に来て、一番最初に出会った知り合いが立夏で良かった」
「うん。あの……じゃあさ、うち来る? どこにも行くとこないんでしょ?」
声が裏返る。勢いで言ってしまってから、とんでもない提案をしているなと思う。
え、いいの? と乃蒼の表情がパッと輝く。
「あっ、でもそうだね。立夏の部屋を掃除してあげないとダメそうだしね。お邪魔させてもらおうかな。どうせ部屋散らかっているんでしょ?」
「なんでそうだと決めつけるんだよ」
「否定しない時点で、こりゃやっぱり散らかっているな……」
悔しいけれどもそこは図星です。
「だって、髪はボサボサだし、うっすら無精ひげまで生やしているんだもの」
「うっ……否定はできない」
「それじゃせっかくのイケメンが台無しだよ」
イケメンではないと思うが。
うろたえている僕を尻目にあっさりと乃蒼は承諾した。
彼女がいなくなってから、罪悪感に押しつぶされそうになって、抜け殻のようになっていた僕の止まっていた時計の針が、この日再び動き出した。
とはいえ、死んだはずの人間が蘇ってくるなんてこのありえない奇跡を、僕はどう受け止めたらいいのだろう。
*
僕と乃蒼が出会ったのは、高校一年生のときだった。
大ベストセラー作家の息子という恵まれた星の下に生まれた僕は、この頃天狗になっていた。
小説家になるための道は、このときすでにいろいろあった。文学賞に作品を応募して受賞する。小説投稿サイトに作品を出して、そこで人気になってスカウトされる。小説投稿サイトで開催されているコンテストで受賞する、などだ。
時代が変わったものだな、と父が口にしていたのをよく覚えている。
父がそうだったからというのもあるが、僕は文学賞で大賞を取ってデビューすることにこだわっていた。自分が紡ぐ物語の面白さにも文章力にも絶対の自信を持っていて、違うルートでデビューしていく人たちを、邪道であると見なすところがあった。
あいつらは人気だけの作家だと。
その点僕は違うと。大ベストセラー作家の息子なんだぞと。
現役高校生作家というステータスが、当たり前に手に入るものだと信じて疑わなかった。実に鼻持ちならない人間だったと思う。
慢心していた僕の鼻をへし折ったのが乃蒼だった。
高校に入学して文芸部に入ったとき、一年生の部員は僕と乃蒼しかいなかった。
哘って変な苗字だと思った。
乃蒼って名前が、どこかお高くとまっていそうでいけ好かないなと思った。
顔はちょっと可愛いけれど、背が低くてちんちくりんで、ガキみたいだと思った。
どうせこいつも、稚拙な文章を書くんだろうと思った。
ある日乃蒼がこう言った。
「原稿を交換して、読みあいをしようよと」
ああ、いいぜ。僕の小説を読んで腰を抜かすなよ?
僕は腰を抜かした。
乃蒼が紡ぐ文章は、これまで読んだことがないものだった。
冒頭から、グッと世界観に引き込まれた。
複雑な設定。しかし、それを難なく読み手に理解させる無駄のない研ぎ澄まされた文章。それでいて、時折出てくる目を瞠るような比喩表現。
何もかもが独創的すぎたせいか、乃蒼は公募ではしばらくの間最終選考の壁に阻まれることになって、なかなか結果を出せずに苦しむことになるのだが。それでも彼女は紛れもなく天才だった。
この日から、哘乃蒼という少女は僕の憧れになった。憧れが恋心に変わるまで、それほど時間は要さなかったのだ。
そう、僕は彼女に恋をしていた。
*
書店に併設されているコーヒーショップの店内に今僕たちはいる。
「名前は?」
「哘乃蒼だよ」
「年齢は?」
「十九歳」
「え……?」
乃蒼の誕生日は四月二十日で、今は五月なのだから二十歳になっていなければならない。もしかして、あの日から彼女は成長していないのか?
「身長は?」「百四十九センチ」「体重は?」「ちょ……どうしてそんなこと言わなくちゃならないの?」「いいから答えて」「もう……納得いかないなあ……。四十二キロ」「合ってる……」「だから、どうしてそんなことまで知ってるの!?」「趣味は?」「小説を書くこと、かな」「好きな花は?」「コスモス」ズキン、と心が痛んだ。「コスモスの花言葉は?」「乙女の純真、調和、謙虚」「全部合ってる」
やっぱり乃蒼なのか。でも、本当にどうして?
「でも、でもさ。乃蒼は死んだんだ。去年の十一月に。それなのに、どうして君はここにいるんだろう」
答えを求めて、対面にいる彼女の手を握る。ちゃんと触れたしちゃんと体温があった。
「幽霊じゃないよ。ちゃんと私生きているよ」
「いや、それはそうなんだけどさ。うーん」
頭の回転が鈍くてうまく働かない。あまりにも非現実的で、情報をうまく処理できない。
「ん、ということはさ、立夏は二十歳になったんだ?」
「ああ、そうだよ」
僕の誕生日は五月なので、乃蒼のほうが少しだけ先輩なのを悔しく思った日もあった。今思うとくだらない。
「やだ。泣かないでよ」
「泣いてないよ」
嘘だった。鼻をすすって答える。
「本当に幽霊じゃないんだね?」
「うん。だって、私はここにいるよ。あっ、でもさ、私は本当に去年の十一月に死んでいるの?」
「そうだよ。ええとね」
ここで僕は時系列にそって彼女が死んだ経緯を説明していく。昨年の十一月、福岡県にあるコスモス畑を見に行こうよと、約束をして僕とバスに乗って向かったこと。その途中の高速道路上で事故による渋滞が発生していて、バスが急減速しながら車線変更したところに、ワンボックスカーがバスの斜め後方から激しく追突した。衝撃の強さからバスは横転。その事故で乃蒼が死んでしまったこと。
僕のせいで死んだとは言えなかった。なんとなく後ろめたくて。
「そうか……。私やっぱり死んじゃっているんだ」
「やっぱり?」
「うん」
彼女いわく、バスに乗っていたのと、バスが急ブレーキをかけたことでワンボックスカーに追突されたところまでは覚えているんだそうだ。そこで視界が暗転して、気がついたら東京の街中で一人ぽつんと佇んでいたと。
「家に、連絡はしてみなかったのか?」
「したよ。でもさあ、何度お母さんに私が娘だと名乗っても信じてもらえなくて。私は死んでいるのだと、性質の悪いイタズラはやめてくださいと電話を切られちゃったんだ。しかもどういうわけかスマホを持っていなくてさ、公衆電話から電話をする羽目になったし。公衆電話だよ? 今どきだよ?」
発信先が公衆電話だったから、余計に信じてもらえなかった……だけではないのかもしれないが。
着の身着のままで、財布しか持っていなかったのだという。
「それで困ってしまって、次に自分のアパートに帰ってみたんだけど、解約されたあとみたいで部屋には入れないし」
そりゃあそうだろうな、と思う。元の住人が亡くなってしまったのだから部屋をそのままにしておく道理はない。
状況がわからず途方に暮れてしまって、とりあえず賃貸を探さなくちゃダメだなと書店に入ったところで僕と出会ったと。そういう話だった。
あまりにも荒唐無稽だ。それでも今はこれを信じるしかないのだろう。
「それってつまり……。去年の十一月にバス事故に遭ったはずの乃蒼が、なんらかの理由で半年後の世界に来たってこと?」
「そう……なるのかな。そうか、私、死んじゃっているんだ。でも、状況がわかってひとまず良かった。……いや、全然良くないな。うーん、いまひとつ実感がわかない」
困惑と悔恨が混じり合った呟きが、耳から忍び込んでくる。
「でも、この世界に来て、一番最初に出会った知り合いが立夏で良かった」
「うん。あの……じゃあさ、うち来る? どこにも行くとこないんでしょ?」
声が裏返る。勢いで言ってしまってから、とんでもない提案をしているなと思う。
え、いいの? と乃蒼の表情がパッと輝く。
「あっ、でもそうだね。立夏の部屋を掃除してあげないとダメそうだしね。お邪魔させてもらおうかな。どうせ部屋散らかっているんでしょ?」
「なんでそうだと決めつけるんだよ」
「否定しない時点で、こりゃやっぱり散らかっているな……」
悔しいけれどもそこは図星です。
「だって、髪はボサボサだし、うっすら無精ひげまで生やしているんだもの」
「うっ……否定はできない」
「それじゃせっかくのイケメンが台無しだよ」
イケメンではないと思うが。
うろたえている僕を尻目にあっさりと乃蒼は承諾した。
彼女がいなくなってから、罪悪感に押しつぶされそうになって、抜け殻のようになっていた僕の止まっていた時計の針が、この日再び動き出した。
とはいえ、死んだはずの人間が蘇ってくるなんてこのありえない奇跡を、僕はどう受け止めたらいいのだろう。
*
僕と乃蒼が出会ったのは、高校一年生のときだった。
大ベストセラー作家の息子という恵まれた星の下に生まれた僕は、この頃天狗になっていた。
小説家になるための道は、このときすでにいろいろあった。文学賞に作品を応募して受賞する。小説投稿サイトに作品を出して、そこで人気になってスカウトされる。小説投稿サイトで開催されているコンテストで受賞する、などだ。
時代が変わったものだな、と父が口にしていたのをよく覚えている。
父がそうだったからというのもあるが、僕は文学賞で大賞を取ってデビューすることにこだわっていた。自分が紡ぐ物語の面白さにも文章力にも絶対の自信を持っていて、違うルートでデビューしていく人たちを、邪道であると見なすところがあった。
あいつらは人気だけの作家だと。
その点僕は違うと。大ベストセラー作家の息子なんだぞと。
現役高校生作家というステータスが、当たり前に手に入るものだと信じて疑わなかった。実に鼻持ちならない人間だったと思う。
慢心していた僕の鼻をへし折ったのが乃蒼だった。
高校に入学して文芸部に入ったとき、一年生の部員は僕と乃蒼しかいなかった。
哘って変な苗字だと思った。
乃蒼って名前が、どこかお高くとまっていそうでいけ好かないなと思った。
顔はちょっと可愛いけれど、背が低くてちんちくりんで、ガキみたいだと思った。
どうせこいつも、稚拙な文章を書くんだろうと思った。
ある日乃蒼がこう言った。
「原稿を交換して、読みあいをしようよと」
ああ、いいぜ。僕の小説を読んで腰を抜かすなよ?
僕は腰を抜かした。
乃蒼が紡ぐ文章は、これまで読んだことがないものだった。
冒頭から、グッと世界観に引き込まれた。
複雑な設定。しかし、それを難なく読み手に理解させる無駄のない研ぎ澄まされた文章。それでいて、時折出てくる目を瞠るような比喩表現。
何もかもが独創的すぎたせいか、乃蒼は公募ではしばらくの間最終選考の壁に阻まれることになって、なかなか結果を出せずに苦しむことになるのだが。それでも彼女は紛れもなく天才だった。
この日から、哘乃蒼という少女は僕の憧れになった。憧れが恋心に変わるまで、それほど時間は要さなかったのだ。
そう、僕は彼女に恋をしていた。
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