本当に、見れば見るほど乃蒼にそっくりだ。かといって、このまま無邪気に信じてしまって良いものか。そこでいくつか質問をしてみることに。
書店に併設されているコーヒーショップの店内に、今僕たちはいる。
「名前は?」
「哘乃蒼だよ」
「年齢は?」
「十九歳」
「え……?」
乃蒼の誕生日は四月二十日で、今は五月なのだから二十歳になっていなければおかしい。もしかして、あの日から彼女は成長していないのか?
「身長は?」「百四十九センチ」「体重は?」「ちょ……どうしてそんなこと言わなくちゃならないの?」「いいから答えて」「もう……納得いかないなあ……。四十二キロ」「合ってる……」「だから、どうしてそんなことまで知ってるの!?」「趣味は?」「小説を書くこと、かな」「好きな花は?」「コスモス」ズキン、と心が痛んだ。「コスモスの花言葉は?」「乙女の純真、調和、謙虚」「全部合ってる」
やっぱり乃蒼なのか。でも、本当にどうして?
「でも、でもさ。乃蒼は死んだんだ。去年の十一月に。それなのに、どうして君はここにいるんだろう」
答えを求めて、対面にいる彼女の手を握る。ちゃんと触れるし体温だってある。
「幽霊じゃないよ。ちゃんと私生きているよ」
「いや、それはそうなんだけどさ。うーん」
思考がこんがらがってきてしまった。あまりにも非現実的なことが起きていて、情報をうまく処理できない。
「まあ、いいじゃないそんなこと。立夏に会えたんだし、細かいことは気にしない気にしない」
彼女は軽やかに笑ってコーヒーをすする。
「大雑把だなあ……」と僕は苦笑する。
乃蒼は、繊細なようで大雑把な性格だった。計画段階では細部にこだわるが、実行段階に移ると大枠を重視し、些細な問題は後回しにする。その大胆さに、時々ドキッとさせられた。
彼女の反応は、確かにどこか乃蒼っぽい。
「ん、ということはさ、立夏は二十歳になったんだ?」
「ああ、そうだよ」
僕の誕生日は五月なので、乃蒼のほうが少しだけ先輩なのを悔しく思った日もあった。今思うとくだらない。
「やだ。泣かないでよ」
「泣いてないよ」
嘘だった。鼻をすすって答える。
「本当に幽霊じゃないんだね?」
「うん。だって、私はここにいるよ。……あっ、さっきの話だけどさ、私は本当に去年の十一月に死んでいるの?」
「そうだよ。ええとね」
言葉を選びながら、彼女が死んだ経緯について説明をしていく。昨年の十一月、福岡県にあるコスモス畑を見に行こうよと約束をして、僕と一緒にバスで向かったこと。その道中、高速道路上で事故による渋滞が発生していて、バスが急減速をしたところ、後方から迫っていたワンボックスカーに激しく追突されたこと。衝撃の強さからバスは横転し、その事故で乃蒼が死んでしまったこと。
僕のせいで死んだとは言えなかった。なんとなく後ろめたくて。
「そうか……。私、やっぱり死んじゃっているんだ」
「やっぱり?」
「うん」
彼女いわく、バスに乗っていたのと、バスが急ブレーキをかけたとき、激しい衝撃があったことまでは覚えているのだそうだ。そこで視界が暗転し、気が付いたら街中で一人ぽつんと佇んでいたのだと。
「家に連絡はしてみなかったのか?」
「したよ。でも、私が娘だと何度お母さんに説明をしても信じてもらえなくて。私は死んでいる、性質の悪いイタズラはやめてください、と一方的に電話を切られちゃったんだ。しかも、どういうわけかスマホ持っていなくてさ、このときも公衆電話からかけたの。公衆電話だよ? 今どきだよ?」
公衆電話からの着信だったから、余計に信じてもらえなかった……という可能性もあるが、たぶんそれだけじゃないのだろう。
着の身着のままで、乃蒼は財布しか持っていなかったらしい。
「何がなんだかわからなくて、次に自分のアパートに行ってみたの。そしたら、解約されたあとみたいで部屋には入れないし」
そりゃあそうだろうな。元の住人が亡くなってしまったのだから、部屋をそのままにしておく道理はない。
「ひょっとしたら、夢を見ているんじゃないかと思ってあちこちつねってみたけど普通に痛いし。途方に暮れてしまって、とりあえず賃貸を探さなきゃダメだな、と書店に入ったところで立夏と会ったの。最初に会えた知り合いが立夏で本当に良かった」
良かった、という発言と緩んだ彼女の頬に、勘違いしそうになる。
あまりにも荒唐無稽だ。それでも、この話を信じるしかないのだろう。
「それってつまり……。今の乃蒼は事故に遭ったばかりで、なんらかの理由で半年後の世界であるこの街に来たってこと?」
「そう……なるのかな。ややこしいけど状況がわかってひとまず良かった。……いや、死んでいるんだから全然良くないな。うーん、いまひとつ実感がわかない」
困惑と悔恨が混じり合った呟きが、耳から忍び込んでくる。
「とりあえず、行くところないんでしょ?」
「うん」
「あの……じゃあさ、うち来る?」
声が裏返る。勢いで言ってしまってから、とんでもない提案をしているなと思う。
え、いいの? と乃蒼の表情がパッと輝く。
「あっ、でもそうだね。立夏の部屋を掃除してあげないとダメそうだしね。お邪魔させてもらおうかな。どうせ部屋散らかっているんでしょ?」
「なんでそうだと決めつけるんだよ」
「否定しないってことは、こりゃやっぱり散らかっているな……」
悔しいけれどもそこは図星です。
「だって、髪はボサボサだし、うっすら無精ひげまで生えているんだもの」
「うっ……否定はできない」
「それじゃせっかくのイケメンが台無しだよ」
イケメンではないと思うが……。
うろたえている僕を尻目にあっさりと乃蒼は承諾した。
彼女を殺したのは僕だと、罪悪感に押しつぶされて、抜け殻のようになっていた僕の止まっていた時計の針が、この日再び動き始めた。
とはいえ、死んだはずの人間が蘇ってくるなんてこのありえない状況を、僕はどう受け止めたらいいのだろう。
*
僕と乃蒼が出会ったのは、高校一年生のときだった。
大ベストセラー作家の息子という恵まれた星の下に生まれた僕は、この頃天狗になっていた。
小説家になるための道はさまざまあるが、多様性が出てきたのがこの頃だろうか。文学賞で受賞する。小説投稿サイトで評価を集めることによってスカウトされる。小説投稿サイトで開催されているコンテストで受賞する、などだ。
時代が変わったものだな、と父が口にしていたのをよく覚えている。
父がそうだったからというのもあるが、僕は文学賞で大賞を取ってデビューすることにこだわっていた。自分が紡ぐ物語の面白さと文章力に絶対の自信を持っていて、違うルートでデビューしていく人たちを邪道であると見なす面があった。
あいつらは、人気だけの作家だと。その点僕は違う。大ベストセラー作家の息子なんだぞと。
現役高校生作家というステータスが、当たり前に手に入るものだと信じて疑わなかった。実に鼻持ちならない人間だったと思う。
慢心していた僕の鼻をへし折ったのが乃蒼だった。
高校に進学すると、当然のように僕は文芸部に入った。一年の部員は、僕と乃蒼しかいなかった。
哘って変な苗字だと思った。
乃蒼って名前が、お高くとまっていそうでいけ好かないなと思った。
顔はちょっと可愛いけれど、背が低くてちんちくりんで、ガキみたいだと思った。
どうせこいつも、稚拙な文章を書くんだろうと思った。
ある日乃蒼がこう言った。
原稿を交換して、読みあいをしようよと。
ああ、いいぜ。僕の小説を読んで腰を抜かすなよ?
僕は腰を抜かした。
乃蒼が紡ぐ文章は、これまで読んだことがないものだった。
冒頭から、グッと世界観に引き込まれた。
複雑な設定を使っているのに、それを無理なく読み手に理解させる平易な文章。それでいて、時々出てくるのは目を瞠るような比喩表現。
何もかもが独創的すぎたせいか、乃蒼は公募ではしばらくの間最終選考の壁に阻まれることになって、なかなか結果を出せずに苦しむことになるのだが。それでも、彼女は紛れもなく天才だった。
この日から、哘乃蒼という少女は僕の憧れになった。憧れが恋心に変わるまで、それほど時間は要さなかったのだ。
そう、僕は彼女に恋をしていた。
*
書店に併設されているコーヒーショップの店内に、今僕たちはいる。
「名前は?」
「哘乃蒼だよ」
「年齢は?」
「十九歳」
「え……?」
乃蒼の誕生日は四月二十日で、今は五月なのだから二十歳になっていなければおかしい。もしかして、あの日から彼女は成長していないのか?
「身長は?」「百四十九センチ」「体重は?」「ちょ……どうしてそんなこと言わなくちゃならないの?」「いいから答えて」「もう……納得いかないなあ……。四十二キロ」「合ってる……」「だから、どうしてそんなことまで知ってるの!?」「趣味は?」「小説を書くこと、かな」「好きな花は?」「コスモス」ズキン、と心が痛んだ。「コスモスの花言葉は?」「乙女の純真、調和、謙虚」「全部合ってる」
やっぱり乃蒼なのか。でも、本当にどうして?
「でも、でもさ。乃蒼は死んだんだ。去年の十一月に。それなのに、どうして君はここにいるんだろう」
答えを求めて、対面にいる彼女の手を握る。ちゃんと触れるし体温だってある。
「幽霊じゃないよ。ちゃんと私生きているよ」
「いや、それはそうなんだけどさ。うーん」
思考がこんがらがってきてしまった。あまりにも非現実的なことが起きていて、情報をうまく処理できない。
「まあ、いいじゃないそんなこと。立夏に会えたんだし、細かいことは気にしない気にしない」
彼女は軽やかに笑ってコーヒーをすする。
「大雑把だなあ……」と僕は苦笑する。
乃蒼は、繊細なようで大雑把な性格だった。計画段階では細部にこだわるが、実行段階に移ると大枠を重視し、些細な問題は後回しにする。その大胆さに、時々ドキッとさせられた。
彼女の反応は、確かにどこか乃蒼っぽい。
「ん、ということはさ、立夏は二十歳になったんだ?」
「ああ、そうだよ」
僕の誕生日は五月なので、乃蒼のほうが少しだけ先輩なのを悔しく思った日もあった。今思うとくだらない。
「やだ。泣かないでよ」
「泣いてないよ」
嘘だった。鼻をすすって答える。
「本当に幽霊じゃないんだね?」
「うん。だって、私はここにいるよ。……あっ、さっきの話だけどさ、私は本当に去年の十一月に死んでいるの?」
「そうだよ。ええとね」
言葉を選びながら、彼女が死んだ経緯について説明をしていく。昨年の十一月、福岡県にあるコスモス畑を見に行こうよと約束をして、僕と一緒にバスで向かったこと。その道中、高速道路上で事故による渋滞が発生していて、バスが急減速をしたところ、後方から迫っていたワンボックスカーに激しく追突されたこと。衝撃の強さからバスは横転し、その事故で乃蒼が死んでしまったこと。
僕のせいで死んだとは言えなかった。なんとなく後ろめたくて。
「そうか……。私、やっぱり死んじゃっているんだ」
「やっぱり?」
「うん」
彼女いわく、バスに乗っていたのと、バスが急ブレーキをかけたとき、激しい衝撃があったことまでは覚えているのだそうだ。そこで視界が暗転し、気が付いたら街中で一人ぽつんと佇んでいたのだと。
「家に連絡はしてみなかったのか?」
「したよ。でも、私が娘だと何度お母さんに説明をしても信じてもらえなくて。私は死んでいる、性質の悪いイタズラはやめてください、と一方的に電話を切られちゃったんだ。しかも、どういうわけかスマホ持っていなくてさ、このときも公衆電話からかけたの。公衆電話だよ? 今どきだよ?」
公衆電話からの着信だったから、余計に信じてもらえなかった……という可能性もあるが、たぶんそれだけじゃないのだろう。
着の身着のままで、乃蒼は財布しか持っていなかったらしい。
「何がなんだかわからなくて、次に自分のアパートに行ってみたの。そしたら、解約されたあとみたいで部屋には入れないし」
そりゃあそうだろうな。元の住人が亡くなってしまったのだから、部屋をそのままにしておく道理はない。
「ひょっとしたら、夢を見ているんじゃないかと思ってあちこちつねってみたけど普通に痛いし。途方に暮れてしまって、とりあえず賃貸を探さなきゃダメだな、と書店に入ったところで立夏と会ったの。最初に会えた知り合いが立夏で本当に良かった」
良かった、という発言と緩んだ彼女の頬に、勘違いしそうになる。
あまりにも荒唐無稽だ。それでも、この話を信じるしかないのだろう。
「それってつまり……。今の乃蒼は事故に遭ったばかりで、なんらかの理由で半年後の世界であるこの街に来たってこと?」
「そう……なるのかな。ややこしいけど状況がわかってひとまず良かった。……いや、死んでいるんだから全然良くないな。うーん、いまひとつ実感がわかない」
困惑と悔恨が混じり合った呟きが、耳から忍び込んでくる。
「とりあえず、行くところないんでしょ?」
「うん」
「あの……じゃあさ、うち来る?」
声が裏返る。勢いで言ってしまってから、とんでもない提案をしているなと思う。
え、いいの? と乃蒼の表情がパッと輝く。
「あっ、でもそうだね。立夏の部屋を掃除してあげないとダメそうだしね。お邪魔させてもらおうかな。どうせ部屋散らかっているんでしょ?」
「なんでそうだと決めつけるんだよ」
「否定しないってことは、こりゃやっぱり散らかっているな……」
悔しいけれどもそこは図星です。
「だって、髪はボサボサだし、うっすら無精ひげまで生えているんだもの」
「うっ……否定はできない」
「それじゃせっかくのイケメンが台無しだよ」
イケメンではないと思うが……。
うろたえている僕を尻目にあっさりと乃蒼は承諾した。
彼女を殺したのは僕だと、罪悪感に押しつぶされて、抜け殻のようになっていた僕の止まっていた時計の針が、この日再び動き始めた。
とはいえ、死んだはずの人間が蘇ってくるなんてこのありえない状況を、僕はどう受け止めたらいいのだろう。
*
僕と乃蒼が出会ったのは、高校一年生のときだった。
大ベストセラー作家の息子という恵まれた星の下に生まれた僕は、この頃天狗になっていた。
小説家になるための道はさまざまあるが、多様性が出てきたのがこの頃だろうか。文学賞で受賞する。小説投稿サイトで評価を集めることによってスカウトされる。小説投稿サイトで開催されているコンテストで受賞する、などだ。
時代が変わったものだな、と父が口にしていたのをよく覚えている。
父がそうだったからというのもあるが、僕は文学賞で大賞を取ってデビューすることにこだわっていた。自分が紡ぐ物語の面白さと文章力に絶対の自信を持っていて、違うルートでデビューしていく人たちを邪道であると見なす面があった。
あいつらは、人気だけの作家だと。その点僕は違う。大ベストセラー作家の息子なんだぞと。
現役高校生作家というステータスが、当たり前に手に入るものだと信じて疑わなかった。実に鼻持ちならない人間だったと思う。
慢心していた僕の鼻をへし折ったのが乃蒼だった。
高校に進学すると、当然のように僕は文芸部に入った。一年の部員は、僕と乃蒼しかいなかった。
哘って変な苗字だと思った。
乃蒼って名前が、お高くとまっていそうでいけ好かないなと思った。
顔はちょっと可愛いけれど、背が低くてちんちくりんで、ガキみたいだと思った。
どうせこいつも、稚拙な文章を書くんだろうと思った。
ある日乃蒼がこう言った。
原稿を交換して、読みあいをしようよと。
ああ、いいぜ。僕の小説を読んで腰を抜かすなよ?
僕は腰を抜かした。
乃蒼が紡ぐ文章は、これまで読んだことがないものだった。
冒頭から、グッと世界観に引き込まれた。
複雑な設定を使っているのに、それを無理なく読み手に理解させる平易な文章。それでいて、時々出てくるのは目を瞠るような比喩表現。
何もかもが独創的すぎたせいか、乃蒼は公募ではしばらくの間最終選考の壁に阻まれることになって、なかなか結果を出せずに苦しむことになるのだが。それでも、彼女は紛れもなく天才だった。
この日から、哘乃蒼という少女は僕の憧れになった。憧れが恋心に変わるまで、それほど時間は要さなかったのだ。
そう、僕は彼女に恋をしていた。
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