第四章「二人の乃蒼」
「確認終わったとよ」
朝香が差し出してきた原稿の束を受け取った。
「ありがとう。確認してみるよ」
原稿を上からパラパラとめくっていく。相変わらず仕事が丁寧で早い、と舌を巻いた。
あの日、朝香は家に突然押しかけてくると、僕たちにこう言ったのだ。「執筆作業を手伝わせてほしい」と。
素人にやれることなどないぞ、と僕は門前払いしようとしたのだが、朝香が即興で書いてみせた短編小説を見て考えを改めた。
どう見ても、素人が書く文章と構成ではなかった。それから、原稿の校正と校閲の作業を朝香にやってもらっている。
校正とは、誤字脱字や表記のミスを修正する作業のことで、校閲は、内容のミスを修正する作業のことだ。文章をただ読むのではなく、一文字ずつ点検するという意識が必要で、小説を書くのとはまた別の能力が要求される。
校正・校閲は要するにチェック作業なので、何重にやっても無駄にはならない。とはいえ限度はある。時間をかければいいというものではない。朝香はとにかく作業が早く、二度ほど原稿に目を通すだけで修正すべき箇所を完璧に指摘してくれる。
言葉の意味を僕以上に知っているし、何より見落としがない。フリーランスの校正者として金を取れるレベルだと正直思う。
「それにしても驚いたよ。まさか朝香が高校時代文芸部所属だったなんて。そんなイメージまったくなかったからさ」
乃蒼が笑うと朝香が苦笑いで返した。
「テニサー所属だから、体育会系でオツムのほうはいまいちやと色眼鏡で見よーんやろ。ちっちっち。そういうの良うなかねー」
壁際に置いてある机の上で、乃蒼が原稿の執筆に専念。部屋の真ん中にあるテーブルの上で、僕と朝香ができ上がった原稿の確認。ここ最近は、このように役割分担ができていた。
本当に意外な話なのだが、高校時代朝香は文芸部に所属していて、公募に小説を応募したこともあるらしい。二次選考で落選しちゃったけれどね、と朝香は謙遜していたが、文庫本一冊分の物語を書き上げるだけでも稀有なスキルなのに、一次までとはいえ選考を通過しているのだから普通にすごい。謙遜する必要はない。
文芸部にいたとき、部員の作品を校正する機会があったらしく、「ママ」「トルツメ」などといった校正記号を説明せずとも知っていたのはありがたかった。
こんな人材が身近にいたなんて、まさに灯台下暗しである。朝香が参戦してから、執筆作業の効率は飛躍的に上がっていた。
「こことここ。引越しと引っ越しで表記ゆれがあるっちゃけど、どっちで統一する? 一応、送り仮名の付け方としては引っ越しが正しかことになっとーばってん、個人的には統一されとればどっちでも? と思うんだけれどもね」
「そうだなあ。無難に引っ越しで統一しておこうか。それで修正しておいてくれる?」
「了解」
乃蒼に出版歴があることはもちろん朝香も知っていただろうし、二人が仲良くなったのはそれが理由だったのだろうか、とすら思う。
「ここの表現どげんね? 主人公の存在が、周囲の人から忘れられていくことに不安ば覚える、ちゅう場面にしては、心理描写に緊迫感がなかというか」
「どれどれ」
朝香の指摘箇所に目を通していく。数ページ遡って読み返してみて、言われてみると確かに、と納得する。
「一応、改稿指示と案ば欄外に記しといたけん、参考にしてみて」
「ありがとう、朝香」と乃蒼が答えた。
朝香が担当しているのは校正と校閲だが、このように、時々編集である僕の仕事まで一部カバーしてくれる。ある意味僕の立つ瀬がないが、本当に助かる。
「ん、どういたしまして」
朝香はニッコリと微笑んだ。天使みたいな乃蒼の微笑みとは違い、どこか小悪魔的だ。
「それで、進捗はどう?」
僕が訊ねると、乃蒼はノートパソコンをパタンと閉じ、顔を上げた。その表情にはやや披露の色が浮かんでいるが、それでもどこか清々しさを含んでいるものだった。
「あともう少しで脱稿できるかな。改稿指示がわかりやすいから、大変だけど楽しく書けているよ」
「そっか」
素っ気ない返事をしたが、内心ではホッとしていた。
「乃蒼、ちょっとよかかい」
「ん、なに?」
「ここなんやけどさ」
朝香が原稿を持っていって指差した箇所を乃蒼が覗き込む。二人の距離が思いの外近くて僕はドキっとした。朝香の吐息すら感じられそうな距離だ。
「ああ、ここはね……」
乃蒼が説明を始めると、今度は朝香が乃蒼に顔を近づける。その横顔は真剣そのもので、さっきまでの笑顔はなりをひそめていた。
「ちゅうわけで、ここはこうしたほうがよかと思うっちゃけど」
「なるほど……。うん、確かにそのほうが伝わりやすいかも」
二人の距離がまた近づく。僕はそれとなく視線をそらした。別に覗き見をしていたわけでもないのだが、なんだか見てはいけないものを見ているような気がしてしまったからだ。
「じゃあ、それで書いてみるね」
「うん。頑張って」
朝香が、突然僕たちの創作を手伝う気になったわけについて、この間それとなく訊いてみた。
「ねえ、どうして朝香は僕らの手伝いをしようと思ったんだ」と。「なに、気になる?」と朝香は悪戯っぽく笑って目を細めた。
乃蒼とは元々友だちだったから。二人がどんなものを書き、世に送り出そうとしているのか興味があったから。そして、「やっぱり、乃蒼に抜け駆けしたみたいで、申し訳なくてね」と苦笑した。
朝香の、捨て身の覚悟で挑んだ告白劇は、僕にかわされ失敗に終わった。玉砕したあとに残されたのは、乃蒼への罪悪感のみだ。あの過ちの一夜のことを、かといって乃蒼には言えず、後悔は胸の内で燻るばかり。そこで、罪滅ぼしのために僕たちの執筆の手伝いをしようと思ったのだと。
それはきっと、朝香なりのけじめなのだろう。
「乃蒼はさ、たぶん立夏のことが好きだから」
朝香はそうも言った。
本当だろうか。
ただの思い違いじゃないのか。
「でも、疲れちゃったから一時間だけ眠ってもいいかな?」
乃蒼がうつ伏せでベットに倒れ込んだ。
「そうやね。……ばってん、その前にお昼にしようよ。うち、パスタ買うてきたけん茹でるばい」
荷物が入っている袋から材料を取り出して、朝香がキッチンに立つ。いつもならすぐ手伝うはずの乃蒼が今日は動かなかった。よほど疲れているのだろう。
「乃蒼、疲れているのか」
「うん……。ちょっとね」
顔だけをこちらに向けた乃蒼が力のない笑みを向けてくる。それは最近よく見せる疲れた表情で。ボタンを一つ掛け違えているような、微妙で、漠然とした不安を覚える。公募の締め切りは近いが、かといって無理はさせられない。
ピンポーン。
突然の音に、飛び上がりそうに僕は驚いてしまう。寝息を立て始めていた乃蒼が目を開けた。嫌な気配を察したような顔をしていた。お湯を沸かしていた朝香が、ドアのほうを見た。
それは、ドアチャイムの音だった。
僕の部屋に来客はほとんどない。そもそも友だちは多くないし、徒歩圏内に住んでいるのは朝香くらいのものだから。
玄関に行き、ドアスコープを覗くとスーツ姿の長髪女性が立っていた。誰だ? 初めて見る顔だ。年齢は三十代から四十代といったところか。
無視するわけにもいかずドアを開けた。
「はい。何か?」
「日曜の昼からすみません。わたし、こういう者ですが――」
その女性が名刺を差し出してくる。目つきは鋭い。不思議と知っている眼差しに見えた。
特殊情報処理研究室、木田妙子と名刺には書いてある。特殊情報処理研究室? 聞いたことがない組織の名前だ。
「この少女の顔に、見覚えはありませんか?」
女性が一枚の写真を差し出してくる。それを見て悪寒が走った。震えてくず折れそうになって踏ん張った。
写っていたのは乃蒼だ。高校時代の写真でもなければ、大学に入ってからの写真でもない。他人の空似と思いたいが、それもない。写真の中の乃蒼は、朝香から借りた服を着ていたから。
明らかに、ここ最近撮られたと思しき一枚だった。
なぜ、と自問する。乃蒼は、僕と朝香を始めごく一部の人にしか姿が見えない、はず。それなのになぜ写真に写る? まさか。
もしかしたら僕は、一つ大きな思い違いをしていたのかもしれない。
乃蒼の姿は見えていないんじゃない。
認識されていないだけなんじゃないかと。
「いいえ、見たことありませんが」
頭の中を満たしている「なぜ」と「どうして」を脇に寄せ、咄嗟にそう答えた。今、乃蒼のことを知られてはまずいという予感があった。
「本当ですか? おかしいなあ……?」
女性が頭をがしがしとかきむしった。
「写真、もっとよく見てくれませんか? これは、この辺りで最近撮影された写真で間違いないはずなんですけれどもね?」
「いえ、知らないものは知らないんです。……この子がどうかしたんですか?」
「いえね。この子に少し訊ねたいことがあるんですよ。この子の名前は哘乃蒼。昨年の十一月に、バス事故に遭って亡くなっているんです。それは知っていますよね?」
「立夏」
ただならぬ気配を感じたのか、隣に朝香がやってくる。
朝香と目配せをする。さすがにこの質問はごまかせないと感じた。
「ええ、知っています。ですが、乃蒼は昨年死んだんです。最近撮影された写真だなんて、そんなはずはないんですよ」
「そうですね。普通であればそうなります。ですが、もし彼女が生きていたとしたらどうでしょう? その話をするために、今日わたしはここに来ています。わたしのバックにいるのは、警察でも自衛隊でもありません。政府です」
政府。仰々しいその単語に息を呑んだ。
それに、今彼女はなんて言った? 乃蒼が生きている?
「拒否権は、ないんですよ。知っていることを、話していただけますね?」
これ以上の言い逃れはできそうになかった。
*
「確認終わったとよ」
朝香が差し出してきた原稿の束を受け取った。
「ありがとう。確認してみるよ」
原稿を上からパラパラとめくっていく。相変わらず仕事が丁寧で早い、と舌を巻いた。
あの日、朝香は家に突然押しかけてくると、僕たちにこう言ったのだ。「執筆作業を手伝わせてほしい」と。
素人にやれることなどないぞ、と僕は門前払いしようとしたのだが、朝香が即興で書いてみせた短編小説を見て考えを改めた。
どう見ても、素人が書く文章と構成ではなかった。それから、原稿の校正と校閲の作業を朝香にやってもらっている。
校正とは、誤字脱字や表記のミスを修正する作業のことで、校閲は、内容のミスを修正する作業のことだ。文章をただ読むのではなく、一文字ずつ点検するという意識が必要で、小説を書くのとはまた別の能力が要求される。
校正・校閲は要するにチェック作業なので、何重にやっても無駄にはならない。とはいえ限度はある。時間をかければいいというものではない。朝香はとにかく作業が早く、二度ほど原稿に目を通すだけで修正すべき箇所を完璧に指摘してくれる。
言葉の意味を僕以上に知っているし、何より見落としがない。フリーランスの校正者として金を取れるレベルだと正直思う。
「それにしても驚いたよ。まさか朝香が高校時代文芸部所属だったなんて。そんなイメージまったくなかったからさ」
乃蒼が笑うと朝香が苦笑いで返した。
「テニサー所属だから、体育会系でオツムのほうはいまいちやと色眼鏡で見よーんやろ。ちっちっち。そういうの良うなかねー」
壁際に置いてある机の上で、乃蒼が原稿の執筆に専念。部屋の真ん中にあるテーブルの上で、僕と朝香ができ上がった原稿の確認。ここ最近は、このように役割分担ができていた。
本当に意外な話なのだが、高校時代朝香は文芸部に所属していて、公募に小説を応募したこともあるらしい。二次選考で落選しちゃったけれどね、と朝香は謙遜していたが、文庫本一冊分の物語を書き上げるだけでも稀有なスキルなのに、一次までとはいえ選考を通過しているのだから普通にすごい。謙遜する必要はない。
文芸部にいたとき、部員の作品を校正する機会があったらしく、「ママ」「トルツメ」などといった校正記号を説明せずとも知っていたのはありがたかった。
こんな人材が身近にいたなんて、まさに灯台下暗しである。朝香が参戦してから、執筆作業の効率は飛躍的に上がっていた。
「こことここ。引越しと引っ越しで表記ゆれがあるっちゃけど、どっちで統一する? 一応、送り仮名の付け方としては引っ越しが正しかことになっとーばってん、個人的には統一されとればどっちでも? と思うんだけれどもね」
「そうだなあ。無難に引っ越しで統一しておこうか。それで修正しておいてくれる?」
「了解」
乃蒼に出版歴があることはもちろん朝香も知っていただろうし、二人が仲良くなったのはそれが理由だったのだろうか、とすら思う。
「ここの表現どげんね? 主人公の存在が、周囲の人から忘れられていくことに不安ば覚える、ちゅう場面にしては、心理描写に緊迫感がなかというか」
「どれどれ」
朝香の指摘箇所に目を通していく。数ページ遡って読み返してみて、言われてみると確かに、と納得する。
「一応、改稿指示と案ば欄外に記しといたけん、参考にしてみて」
「ありがとう、朝香」と乃蒼が答えた。
朝香が担当しているのは校正と校閲だが、このように、時々編集である僕の仕事まで一部カバーしてくれる。ある意味僕の立つ瀬がないが、本当に助かる。
「ん、どういたしまして」
朝香はニッコリと微笑んだ。天使みたいな乃蒼の微笑みとは違い、どこか小悪魔的だ。
「それで、進捗はどう?」
僕が訊ねると、乃蒼はノートパソコンをパタンと閉じ、顔を上げた。その表情にはやや披露の色が浮かんでいるが、それでもどこか清々しさを含んでいるものだった。
「あともう少しで脱稿できるかな。改稿指示がわかりやすいから、大変だけど楽しく書けているよ」
「そっか」
素っ気ない返事をしたが、内心ではホッとしていた。
「乃蒼、ちょっとよかかい」
「ん、なに?」
「ここなんやけどさ」
朝香が原稿を持っていって指差した箇所を乃蒼が覗き込む。二人の距離が思いの外近くて僕はドキっとした。朝香の吐息すら感じられそうな距離だ。
「ああ、ここはね……」
乃蒼が説明を始めると、今度は朝香が乃蒼に顔を近づける。その横顔は真剣そのもので、さっきまでの笑顔はなりをひそめていた。
「ちゅうわけで、ここはこうしたほうがよかと思うっちゃけど」
「なるほど……。うん、確かにそのほうが伝わりやすいかも」
二人の距離がまた近づく。僕はそれとなく視線をそらした。別に覗き見をしていたわけでもないのだが、なんだか見てはいけないものを見ているような気がしてしまったからだ。
「じゃあ、それで書いてみるね」
「うん。頑張って」
朝香が、突然僕たちの創作を手伝う気になったわけについて、この間それとなく訊いてみた。
「ねえ、どうして朝香は僕らの手伝いをしようと思ったんだ」と。「なに、気になる?」と朝香は悪戯っぽく笑って目を細めた。
乃蒼とは元々友だちだったから。二人がどんなものを書き、世に送り出そうとしているのか興味があったから。そして、「やっぱり、乃蒼に抜け駆けしたみたいで、申し訳なくてね」と苦笑した。
朝香の、捨て身の覚悟で挑んだ告白劇は、僕にかわされ失敗に終わった。玉砕したあとに残されたのは、乃蒼への罪悪感のみだ。あの過ちの一夜のことを、かといって乃蒼には言えず、後悔は胸の内で燻るばかり。そこで、罪滅ぼしのために僕たちの執筆の手伝いをしようと思ったのだと。
それはきっと、朝香なりのけじめなのだろう。
「乃蒼はさ、たぶん立夏のことが好きだから」
朝香はそうも言った。
本当だろうか。
ただの思い違いじゃないのか。
「でも、疲れちゃったから一時間だけ眠ってもいいかな?」
乃蒼がうつ伏せでベットに倒れ込んだ。
「そうやね。……ばってん、その前にお昼にしようよ。うち、パスタ買うてきたけん茹でるばい」
荷物が入っている袋から材料を取り出して、朝香がキッチンに立つ。いつもならすぐ手伝うはずの乃蒼が今日は動かなかった。よほど疲れているのだろう。
「乃蒼、疲れているのか」
「うん……。ちょっとね」
顔だけをこちらに向けた乃蒼が力のない笑みを向けてくる。それは最近よく見せる疲れた表情で。ボタンを一つ掛け違えているような、微妙で、漠然とした不安を覚える。公募の締め切りは近いが、かといって無理はさせられない。
ピンポーン。
突然の音に、飛び上がりそうに僕は驚いてしまう。寝息を立て始めていた乃蒼が目を開けた。嫌な気配を察したような顔をしていた。お湯を沸かしていた朝香が、ドアのほうを見た。
それは、ドアチャイムの音だった。
僕の部屋に来客はほとんどない。そもそも友だちは多くないし、徒歩圏内に住んでいるのは朝香くらいのものだから。
玄関に行き、ドアスコープを覗くとスーツ姿の長髪女性が立っていた。誰だ? 初めて見る顔だ。年齢は三十代から四十代といったところか。
無視するわけにもいかずドアを開けた。
「はい。何か?」
「日曜の昼からすみません。わたし、こういう者ですが――」
その女性が名刺を差し出してくる。目つきは鋭い。不思議と知っている眼差しに見えた。
特殊情報処理研究室、木田妙子と名刺には書いてある。特殊情報処理研究室? 聞いたことがない組織の名前だ。
「この少女の顔に、見覚えはありませんか?」
女性が一枚の写真を差し出してくる。それを見て悪寒が走った。震えてくず折れそうになって踏ん張った。
写っていたのは乃蒼だ。高校時代の写真でもなければ、大学に入ってからの写真でもない。他人の空似と思いたいが、それもない。写真の中の乃蒼は、朝香から借りた服を着ていたから。
明らかに、ここ最近撮られたと思しき一枚だった。
なぜ、と自問する。乃蒼は、僕と朝香を始めごく一部の人にしか姿が見えない、はず。それなのになぜ写真に写る? まさか。
もしかしたら僕は、一つ大きな思い違いをしていたのかもしれない。
乃蒼の姿は見えていないんじゃない。
認識されていないだけなんじゃないかと。
「いいえ、見たことありませんが」
頭の中を満たしている「なぜ」と「どうして」を脇に寄せ、咄嗟にそう答えた。今、乃蒼のことを知られてはまずいという予感があった。
「本当ですか? おかしいなあ……?」
女性が頭をがしがしとかきむしった。
「写真、もっとよく見てくれませんか? これは、この辺りで最近撮影された写真で間違いないはずなんですけれどもね?」
「いえ、知らないものは知らないんです。……この子がどうかしたんですか?」
「いえね。この子に少し訊ねたいことがあるんですよ。この子の名前は哘乃蒼。昨年の十一月に、バス事故に遭って亡くなっているんです。それは知っていますよね?」
「立夏」
ただならぬ気配を感じたのか、隣に朝香がやってくる。
朝香と目配せをする。さすがにこの質問はごまかせないと感じた。
「ええ、知っています。ですが、乃蒼は昨年死んだんです。最近撮影された写真だなんて、そんなはずはないんですよ」
「そうですね。普通であればそうなります。ですが、もし彼女が生きていたとしたらどうでしょう? その話をするために、今日わたしはここに来ています。わたしのバックにいるのは、警察でも自衛隊でもありません。政府です」
政府。仰々しいその単語に息を呑んだ。
それに、今彼女はなんて言った? 乃蒼が生きている?
「拒否権は、ないんですよ。知っていることを、話していただけますね?」
これ以上の言い逃れはできそうになかった。
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