「…おっと」
「危ない」

トイレから戻ろうとした時、店の中で女の子とぶつかった。
その時に香った甘いコットンは、僕を簡単に四年前に引きずり戻す。
艶のある長い黒髪が僕を誘うようにさらりと揺れた。
二重の大きな目がこちらを見上げてきた時、気づきたくもないなにかが、ふたをしていたなにかが、ちいさく、けれどそれは大きく震えた。

「ウミ」

――その呼び方を耳にする日はもう来ないと思っていたのに。

「ごめん、ありがとう」
「ああ、うん」

ふらついて倒れそうになった彼女を咄嗟に支えた腕を離す。
真っ白なノースリーブワンピースから覗く華奢な肩。思いもよらずに触れてしまったそこに一瞬だけ意識が奪われた。

「へへ、ちょっと飲み過ぎた…」
「…」
「ウミ?」

血色のいい薄い唇が、空気中を漂うわたげのようにふわふわと動いた。
あざとく、それでいて透明。四年前の彼女もそうだった。

「久しぶりだね、……ゆ、雪菜」
「久しぶり。でもなにその呼び方。前みたいに呼んでよ、なんかやりづらいじゃない」
「…ユキ」
「うん。そっちの方がしっくりくる」

清らかで柔らかい花のようなユキは両腕を後ろのまとめて僕を見上げてくる。
あらわになっている右耳にはピアスが一つ輝いていた。

「ねえ、久しぶりだしちょっとあっちで話そうよ」

正直、僕は戸惑った。
ちょんちょん、と指をさす場所は飲み屋の入口。順番待ちをする客が座るソファーを示すユキは、本当に純粋無垢な顔で僕に接してくる。
――彼女は高校三年次のクラスメートだ。
大海原と、山々と、そして国道が走る赤い鉄橋が渓谷にかかる、どこにでもあるような田舎町で育った同級生。

眉間にイボがある“大仏ばーちゃん”が営む駄菓子屋や、潰れかけのボウリング場、昭和を感じさせるこの町唯一の映画館。それらの話をなんの無理もなくできるほどの、いわば旧友に値するのだろう。
同じ校舎で、同じ教室で、同じ空気を吸う。

でも、それだけじゃない。
僕と彼女は、ただの友達では――ない。