僕の父親は中学三年生の頃に他界していた。
肺に悪性のガンを患い、一年の闘病生活を得て安らかに息を引き取ったのだ。
母親はしばらく食事も喉を通らないくらいの深い悲しみに暮れていたが、さすがにもう三年も経った。
悲しみは寂しさに変わり、再び男の支えと温もりがほしくなったのだろう。

もともと、二十代の頃からスナックを経営していたために、母親はいつも小綺麗で、品があって、それこそ男が放っておかないような魅惑的な女の代表例であった。
そういう意味で母親は母親というよりも女であり、四年前の今くらいの時期になると、小洒落た衣服をまとい、夜な夜な外出するようになった。
しばらくの後に男ができたことを告白された。
夕飯が普段より豪華な時は男が来るサインだった。
僕はそれを割と平然に受け入れた。
一時の誘惑に呑まれ、僕のことなども忘れて毎晩のようにこの家で愛し合う二人の声を耳にして、男女の関係とはそういうものなのだ、と悟った。

高校三年生だったし、自分の母親だって女であるのだということも当時から理解していた僕だったから、二十二歳になった今でも特になにも感じていなかったけれど――いっそ、その関係が続いてくれていればよかったのに、とただそれだけこぼしそうにはなった。



「夏目(なつめ)くん、東京の大学行ったんだっけ?」

夜になると、地元の飲み屋でちいさな同窓会が開催された。
クラスのメンバーは四年前とぜんぜん変わっていなかった。
この町の象徴の大海原のように終始穏やかで、都会人のように時間に捕らわれることがなく、まるで凪のようにゆうゆうとしていた。

ビールジョッキが並ぶテーブルの中で僕はウーロン茶を飲む。帰りも車だからだ。
なぜか隣に座ってきた…確か佐藤(さとう)さんに「飲もうよぉ」としつこく誘われたけれど、飲酒運転で事故って警察に捕まる、だなんてことは絶対に避けたかったから丁重にお断りした。

「はい緑茶ハイ。雪菜(ゆきな)のだよね?」

その傍らで陽気な声が聞こえてくる。
――本当をいうと少し酔いたかったのかもしれない。

「東京だよ」
「すっごーい! 就職も東京?」
「うん、もう決まった」
「やばい、夏目くんかっこいいし絶対営業向き! 売れるよ!」
「…そうかな? 僕喋るの苦手だし」
「そんなことないよ! 聞き上手じゃん! それって相当な武器じゃない?」

テーブルの端から聞こえてくる声を無意識にシャットアウトして、視線を上げた。
正面に座っているのは高橋(たかはし)さんだ。

「しっかし海斗お前、四年見ないあいだに随分凛々しくなったじゃねえかよ」

その右隣からグイッと割って入ってきたのは、高校時代に一緒につるんでいた直紀(なおき)。
かなり飲んだのか、舌がよく回っていない。派手なネックレスをジャラジャラと揺らしていた。

「高三の時はなんつーか、なよっちいイケメンだったのに、今は精悍で硬派なイケメンって例えんのがしっくりくる」
「そうか?」
「ほら、それに海斗って年並みの男子とは違う独特なオーラ持っててさ、女子に超人気だったよなあ! 大学でもモテるんだろ?」
「そんなことないって」
「嘘だ! 夏目くん絶対モテる! お洒落だし!」
「さっきから僕のこと持ち上げすぎじゃない?」

確かに高校時代には何回か告白をされたこともあったけど、とりわけそれがモテているのかと言われたらそれは微妙だった。
大学に入って三人彼女ができたが、高校生の時は一回もそういう相手ができることはなかった。

僕の雰囲気が他の男子とは違うというのなら、それはきっと女らしい母親の人生を見てきたからだろう。
それが当たり前だったから、夜な夜な情熱的にまぐわる物音を耳にしたとしても、特段僕もそういう行為をしようと思うまでは至らなかった。

――ただ一度だけを、除けば。