夢の中で良いから会いたい

心の中で呪文のように唱えた願いを、今は濡らさない枕に想いを託して入眠する。
形に残る思い出は捨てた、全部。
なのに、形の残らない思い出は消えない、切り取られた一部が繋ぎ合わせる都合の良いメモリーだけが螺旋のようにぐるぐると回る。

未練と言えば未練なのか。
別れた理由だけがポッカリと空洞で、恋に焦がれたあの頃だけが鮮明で、それは美化なのか妄想だったのか。
関係性は戻れない。
それならばせめてあの時の時間だけを夢で見させて。
幸福感に包まれた、甘くて優しい時間だけを夢で良いから見させて。

透明になりかけている感情とは裏腹に、あの頃の時間をもう一度味わいたいのは矛盾なのか。


──叶えてあげようか?


瞼が閉じているのに何処かで聞いたことのある声が頭に響き、心の中で返答する。

──何を?
──あの頃の場所に連れて行ってあげる。
──どうやって?
──夢の中で。その代わり、もう二度、彼の夢は見られないよ。それでもいい?
──構わない。もう一度だけ彼に会えるなら。


──本当に馬鹿な女。


聞こえなくなる最後の声は、私を蔑む言葉。
どうしてそんな言葉を浴びせたの?答えはもう聞こえない。聞こえない代わりに、瞼を閉じた暗闇の視界から見覚えのある風景。
でもわかる。瞼はどうやら閉じている。

夢を見ているんだ。
懐かしくも愛しいこの部屋は、彼が借りてるワンルーム。
彼のベッド、彼の枕で横になっている。
鏡を見ていないのに何となくわかる、あの頃の自分の容姿、体型、年齢。
大好きだった匂いは流石に夢の中では感じ取れないが、オレンジ色の間接照明があの頃と同じで思い出しては胸が切なくなる。

「起きたの?早く寝るなんて珍しいね。」

ベッドの下に座り込み、見覚えのある頭部に勢い良く起き上がる。

「……たくちゃん?」
「……どうした?変な夢でも見た?」

振り向くその顔は、夢でも良いから会いたくて会いたくて堪らなかった彼の姿。当時の彼の姿のまま。
懐かしい顔に、そして私を心配する優しい声。
夢にしてはあまりにも情景がハッキリしている。夢では無く、本当は現実なんじゃないかと錯覚するが、宙に浮かぶシャボン玉がパチンと弾けた瞬間、たくちゃんがベッドに乗り込むシーンはカットされ、気付けば彼の腕枕の中。

「まこ、大好きだよ。」

会話にならない会話で、やっぱり夢なんだと分かっているのに何度も言ってくれた大好きの言葉。
会えた時、会えない時、メールでも電話でも二言目にはこの言葉。

「一生俺から離れないでね。」

甘くてとろける彼の言葉と私の手を握る感触。
だけど私はもうたくちゃんの手の形は覚えていないのか、夢の中では適当に作られたたくちゃんの指を絡める。だけどその交差している指の圧は、とてもリアルだった。

一生なんて想像もつかない月日なのに、軽々しくも永遠に続くと信じて疑わなかった、指を絡めて過ごすたくちゃんとの日々。

パチン
またしても先ほど見たシャボン玉が弾けたと思ったら、ベッドに二人、横になっていたのに今度は不機嫌そうに壁にもたれてテレビを観ているたくちゃんが、私に不満をぶつける。

「俺が居ない時にやっぱり翔也、家に上げない。絶対無いと思うけど心配になるじゃん。」

あぁ、覚えてる。この時の記憶。
たくちゃんの友達翔也君が、たくちゃんのゲームを借りたくて、私しか居ないのに家に上がった時のこと。
翔也君は結婚していて子供もいる妻子持ちなのに、有るわけ無い状況を心配してヤキモチを妬いている時だ。
そもそも今は私しか居ないけど良いよと許可をしたのはたくちゃんなのに、室内に二人で過ごしただけでヤキモチを妬いたこの時。

「有るわけ無いじゃん。私、たくちゃんしか見えないよ。」
「だってまこ、可愛いから。心配になるに決まってるじゃん。」

壁にもたれるたくちゃんに近づき、あの時と同じ会話。あの時と……同じ。

「もっと心配してよ。」
「心配し過ぎて俺の中に閉じ込めたいくらいなのに。」

唇を重ねながらも会話を続ける。
そう、何度も何度も唇を交わしていたね私達。
どのキスの時が一番好きなんて決められない筈なのに、何故かこの時のキスシーンが一番記憶に残っているのは何故なのか。

寝る前に思い出すこの時のキスだけが、何度も何度も繰り返して頭から離れなかった。
それが今、ようやくリアルに体験出来てるよ。
たくちゃんのワックスを付けた髪の毛も、抱き締める力の入れ方も忘れない。忘れられない。
だけど夢だから、彼の髪の匂いも体温も感じられない。

パチン
シャボン玉が、また一つ弾ける。

『3.2.1.……カシャッ』
機械の声がカウントダウンする狭い空間内。たくちゃんと私が抱き合いながらカメラに向かってポーズする。
友達とするより控えめな変顔。舌を出してふざけるたくちゃんは何をしてもどんな顔もカッコ良くて。
そしてこの狭い所で何度もキスをしては、その姿をプリクラに残されていく。
二人でペイントする時間も寄り添いながら、名前と大好きのスタンプでカラフルな仕上がり。

私の化粧もあの時のまま。
そして今はボブヘアなのに、この時はエクステをつけて背中の半分まである長いロングヘア。
懐かしい。
楽しく過ごしている筈なのに、現在の自分も頭の中にいるのがわかる。
そう、この後バッタリ彼の友達と会って。
覚えてる、そして皆とまたプリクラを撮ったことも覚えてる。
狭い空間に、背の高いたくちゃんと体格の良いたくちゃんの友達。
ヤキモチ妬きのたくちゃんは、絶対私と友達の隣にさせていなかった。
友達の前でも堂々と抱き合う私達に、その姿を馬鹿にした友達の顔。
楽しかった、
本当に楽しかった。
この友達はたくちゃんと喧嘩をしてもう連絡はしていないと言っていた。
この情報は、たくちゃんではなく……。この時一緒にプリクラを撮った友達から。

二人で乗っている車内。
この時流行っていたJ-POPの音楽を、今聞いてもフラッシュバックしては切なさに溺れた。
二人で食べたご飯屋さん。
お箸が苦手な私を優しく笑いながら口に運んでくれた食べ物。
あのお店は今はもう閉店したね。
私が作る料理は美味しいよといつも完食してくれて、食後の珈琲を用意するのも全く苦では無かったよ。
就寝して、寝返りで背中を向けるとふて腐れ、わざとに背中を向ける事も数え切れない。
休みが合わない為、仕事に行くたくちゃんの背中を見送るのは何度あったかな。

不思議な感覚。私だけど私じゃない。だけど会話の内容、次に起こる出来事を知ってるのはやはり【今】の私で、あれだけ夢の中だけでも会いたかったたくちゃんの姿を、今はもう、懐かしいという感情になっていることに気付いていた。

そう、だって。

鍵をかけた思い出の扉。
その鍵は捨てても捨てても、気付けばポケットの中に溢れる程大量に入ってる。
恐る恐る鍵穴に差し込むと、封印していた記憶の走馬灯がよみがえる。
一緒にいる時にかかってくる電話を出る度に席を立たれ、メール一つ、ある差出人から届いただけでよそよそしくなる態度。
会えない日が増えていく。
電話をする時間を指定されていく。

まこ、大好きだよ
その言葉を信じて疑わなかったたくちゃんとの関係。

まこ、大好きだよ
いつもいつも、この言葉を聞いては満たされた魔法の言葉。

まこ、大好きだよ
肌と肌で触れ合い、その唇から吐息と一緒に混ざる情愛の囁き。



一生俺から離れないでね

たくちゃん、私信じていた。
その口約束、私本気で信じていた。胸に刻み、未来に向けての私とたくちゃんとの幸せな切符。
その切符を持っていたのは私だけ。たくちゃんは、その切符を捨てていたんだ。

パチン
まるで風船が割れるくらい大きなシャボン玉が消える音。