『——ここが水川の家?』
『……うん』
『……涙、とまった?』
『……うん』

 ここじゃ危ないからと、大泣きする私に戸惑いながらも皆本は私を家まで送ってくれた。幼稚園からの知り合いとはいえ私の家の場所を知らない皆本は、『次は曲がる?』、『信号を渡る?』と、一つ一つ丁寧に確認しながら私の様子を見てゆっくり歩いてくれた。その気遣いが優しくて、皆本と歩いている間に心の冷たくなった部分がすこしずつ温まっていき、家の前についた今では、『ありがとう。ごめんね、送ってもらって』と、声を掛けられるくらいまでは心に余裕が生まれていた。

『それじゃ、また……学校で』

 そう彼に告げて背中を向けた、その時だった。
 
『……水川が泣く所、初めて見た』

 ぽつりと呟くように落とされたその言葉に、足を止めて振り返る。すると真剣な顔をして私を見つめる皆本と視線がぴたりと合い、ハッと息を呑んだ。

『水川って、泣かないんだと思ってた』
『……そんな訳ないじゃん』
『そう、だね。そうだよね』

 そして、『そうなんだ……』と、まるで何かの確認でもするように何度も呟く皆本が今何を思っているのかさっぱりわからなくて、『それがどうしたの?』と訊ねてみると、じっと考え込んだ皆本は意を決したように口を開く。

『俺、水川のことヒーローみたいな人だと思ってたから』
『へ?』
『なんでも出来て明るくて、いつも人の先頭に居る人だなって』
『…………』
『鬼ごっこをけいどろに変えた時、覚えてる? あの時からずっと水川のことヒーローだなって……きっと辛いことがあっても泣いたりしないんだろうなって』
『……なんだそれ』

 そんなこと、初めて言われた。皆本が私のことそんな風に思っていたなんて。

『私は、そんな格好良い人じゃないよ。あの時だって自分のやりたいようにやっただけだし、自分勝手にでしゃばってるだけ……きっと私のことウザがってる人いっぱいいるし』
『…………』

 眉間に皺を寄せて何も言えない皆本の反応に、あ、そうなんだと理解する。やっぱり私がわかってなかっただけで私のこと嫌ってる人が他にも居るんだなと。

『……それに今日、やっと気付いてさ。本当、ずっとみんなに迷惑かけてたのに何にも気づかないで、馬鹿でしょ私。偉そうでうるさくてお節介で、こんな弱音言って泣いてる自分だって本当最悪、』
『でもさ!』

 張り上げたその声に驚いて言葉を止める。すると力の漲った瞳をした皆本が、私に向かって一歩前に出た。

『俺は、俺はずっとそんな水川に憧れてたよ。勇気もらってた。だから水川が悪く言われるの違うと思ってるし、でもそこで水川みたいに違うって俺には言い出せなくて』
『…………』
『しかもそんなことで水川は傷ついたりしないんだろうなって、勝手に思い込んでた。だけど水川だって悲しいに決まってるよね。なのに俺……俺、水川が悲しんでるの、悲しい』

『悔しい』そう言った皆本の瞳から涙が込み上げてきて、それが地面にぽたり、ぽたりと落ちていく。その様子に私はびっくりして、慌ててハンカチを取り出すと皆本の目元を拭った。

『ごめん、なんか、ごめんね、皆本』
『水川は悪くないよ、俺がいけない』
『皆本だって悪くないよ。皆本がそう思ってくれてたなんて知らなかった』

 今までの私のこと。みんながウザイと思ってる私のことを、皆本はヒーローみたいだと言ってくれた。その一言がなんだか一瞬にして、全てを否定された私の今までを明るく照らし出してくれたように感じたのだ。救われたのだ、その言葉に。
 だったら私は、明日からも頑張れる。

『じゃあ私はまた、皆本のヒーローになれるように頑張るね』
『! 水川はヒーローだよ。そうじゃなくてその、ヒーローにも負けちゃう時はあると思うんだ。だからそれがわかりたいというか……俺は水川だって悲しむことがわかったよっていう……』
『? つまり何?』
『……つまり、水川の辛い時は、俺でよければ力になるよって思います。水川と一緒に警察側やったあの時みたいに、水川と力を合わせたいなって』
『…………』
『……あの時のこと、すごく良い思い出になってて……変かな』

 自信が無さそうに私から目を逸らして、どこか恥ずかしそうに皆本は言うと、私の答えを待つようにじっと黙る。そんな皆本を私はじっと見つめていた。
 ——同じだ。皆本も同じで、あの日のことをずっと心の中で大事に思っていてくれたのだ。あれは紛れもなく皆本と私の心が通じ合った瞬間で、私にとっても今の私という人間が作られる大事なきっかけとなった出来事で。

『変じゃない! 私もそうだから嬉しい!』

 皆本は全部わかってくれる。皆本は私の全てを受け入れて、支えて、応援してくれる。そう確信したのが、この時、この瞬間であった。


「——それからは何かと皆本に相談に乗ってもらってたな。みんなが楽しく仲良く過ごせるようにって悪口言われてからは思い改めてさ、そしたら人の為の自分しか見せられなくなって、楽しかったけどこう、我慢が溜まった時っていうのかな。そんな時はいつも皆本に愚痴ってた」
「私達だって聞いたのに!」
「うん、きっと言ったら聞いてくれたし受け入れてくれたんだろうなと今は思うんだけど、中学高校ずっと皆本と一緒だったのもいけないね。あとは私が格好つけたがりだったのも」
「小学生の皆本がヒーローって水川を表したの納得するもんな。まじでそんな感じだった。欠点がないのが欠点みたいな」
「わかる。でもそんなに仲良かったのに二人って、付き合うとかそういう感じじゃなかったよね?」
「うん。やっぱ幼稚園から知ってると異性として見るよりこう、なんていうか、相棒? 家族?みたいな感覚で」
「あー、皆本だしね」
「そう。頼りにはしてるけど、私が守ってあげなきゃみたいな気持ちもあったし、彼氏の相談とかも普通にしてた」
「あの卒業間際に別れたやつか! あったね!」
「結構長かったのに別れたあともさらっとしてたよね」
「それも皆本に支えてもらったと」
「……そういうことです」
「もう皆本無しに生きていけないじゃん沙奈ちゃん!」
「あはは! でも高校卒業と共に皆本からも卒業したからね、私」

『もう頼らないようにするね』そう言ったのは私の方から。だけどその時の皆本の表情がずっと頭から離れないでいる。
 ——どうしてあんな顔で笑ったの?
 それが聞けないまま、今日この時まで過ごしてきた。あの時の笑顔の理由が知りたいけれど、知るのが怖い。会ったら何かが変わってしまうことがわかっていたから、ずっと連絡出来ないでいた。その内に皆本からの連絡があるだろうと思っていたけれど、結局何もないままだった。