「あ、主役の水川(みずかわ)が来た! お疲れ〜!」
「お疲れ様! 久々だね〜」

 ガヤガヤと騒がしいいつもの居酒屋の一室。個室を予約しておいてくれたのは地元の友達で、今日は久しぶりに帰省した私とみんなで会う、所謂同窓会的なものがここで開催されることになっていた。
 仲の良い男女合わせて六人のグループである。みんな同じ高校出身で、卒業を機にそれぞれの道に進んだけれど、大学卒業を控えた今でも何かときっかけがあれば誰かしらが言い出して集まっている。今回は私の内定祝いを理由に集まる事になり、今居る三人と私の他にあと二人、少し遅れて合流する予定だった。

「水川は何飲む?」
「あ、まずは生で」
「相変わらずビール好きだねぇ」
「太ってきた自覚はあるんだけどやめらんないんだよ……サラダも食べとく」
「だな。一人暮らしの奴らはちゃんとビタミン摂らないと」

 注文用のタブレットから一番近い席に座った人間が取り仕切るのは、この同窓会の暗黙のルールである。今日の私はその責任から一番遠い席なのであとのことは全ておまかせでいると、お願いしなくても馴染みのある料理ばかりが続々と届いてくる。お互いの好みも大体わかり合っているこの会は落ち着くなと、ひしひしと感じる瞬間だった。

「グラスは揃ったな? では、水川内定おめでとーう! かんぱーい!」
「ありがとー!」

 遅れる二人を置いてまずは四人でグラスを合わせると、ビールを一口。幸せな苦味が脳に沁みて自然と笑みがこぼれる。すっかり一口目のビールの虜である。

沙奈(さな)ちゃん良かったね、内定決まって」
「本当! この中で私だけ決まってなかったからね。これでようやくゆっくり眠れるよ……」
「完全に追い詰められた顔してたもんな。あんな水川初めて見たわ」
「ね。沙奈って言ったらなんでも出来るタイプだったし。いっつも明るくて元気で余裕があって」
「俺は水川に悩みを打ち明けた夜もあった」
「私も沙奈ちゃんの隣で泣いて慰めてもらってた」
「え、私もなんだけど!」
「いや、いやいやいや、そんなこと……まぁ、よくあったかな」

 あははは!とみんなで笑いあいながら、今でもくっきりと鮮やかに脳裏に浮かぶあの頃を思い出す。
 みんなと過ごした高校時代、私の思い出のほとんどが笑顔で溢れていた。もちろん毎日が楽しかったというのもあるけれど、それ以上に明るくいたいという気持ちが強かったように思う。みんなで楽しくありたいから私が支えなきゃ、なんていう謎の責任感と、あとは弱い自分を見せることへの抵抗感というか……なんというか、元気で明るい私しか見せたくない、格好つけたがりな私だった訳だ。
 なぜならみんなで楽しめることが、誰かを支えられることが、ありがとうと言われることが、私にとって大事なアイデンティティだったからだ。

「あの頃の私、今より格好つけたがりだったからね……でもさ、今回内定取れない期間に弱音吐いてみっともない所見せちゃったけど、それをみんなに受け入れて慰めてもらって、なんか一つ大人になれた気がする。弱くて格好悪い私を外に出すことをようやく自分でも受け入れられたというか……本当にありがとう」
「沙奈ちゃん……! じゃあもしかして高校の時は無理してたってこと……?」

 心配そうなその声色と表情に、やってしまったと気がついた。感謝を述べるつもりだったのに……思い出に泥を塗るような余計なことを言ってしまったのだ。

「あ、いや、無理してたってほどでは……えっとほら、あの時はこの集まるメンバーの他に皆本(みなもと)も居たし」
「! そう皆本君! 沙奈ちゃん仲良かったよね」
「居ないと思うとこっそり二人で話してんだよな、全然違うタイプなのに」
「それね。何話してたか詳しく教えてくれないし、沙奈と皆本って割と謎の組み合わせだった」

 うんうんと頷く三人が続きを促す瞳で見つめてくる。……そうだよなぁ。皆本と私について、みんなに詳しく話したことは今まで一度もなかった気がする。
 ついにその時が来たのかと、小さく息を吐くと決心した。私は今、心の奥底にしまっていた古びた宝箱を開く。

「あのね、実は私と皆本、幼馴染なんだよね——」


 ——初めて皆本に会ったのは、私がまだ幼稚園生の頃。
 その頃から人見知りもなく元気に走り回っていた私は、じっと花や虫を眺めている皆本とはあまり遊んだ記憶が無い。けれど今でも鮮明に思い出せるのが、珍しく仲間に入ってくれた皆本とクラスのみんなで鬼ごっこをした時のもの。
 それまで逃げていた皆本がタッチされて鬼になると、そこからなかなか捕まえられず、ずっと一人で皆本が鬼をしている状況になってしまったのである。私はもう見ていられなくて、勝手にルールを今からけいどろに変更することを声高々に宣言し、私と皆本の二人で警察側になると、私が泥棒を追い、皆本が牢屋周辺を守る形で泥棒側を全滅させることに成功したのだ。
「やったー!」と二人で喜び合ったその時が初めて皆本と通じ合えたと感じた瞬間で、汗びっしょりの皆本の笑顔が今でも心に焼きついている。それで味を占めた私はいつの間にかクラスの仕切り屋というか、よく言えばリーダーの様なものを引き受けるお節介な女になり、いつの間にかプライドの高いでしゃばりで面倒臭い人間になっていったのだった。


『水川さんってさ、ウザイよね』

 小学校も高学年になると人間関係が複雑になってくる。ただ自分のやりたいようにやっている人間は大体嫌われて悪口を言われるものだ。もちろん私もその内の一人で、先生からは評価されても、クラス内、特に女子からはあまり良く思われていなかった。

『空気読めないし』
『良い子ぶってるよね』
『やりたくないのに声掛けてくる』
『勝手にクラスのリーダーだとでも思ってんでしょ?』

 放課後に忘れ物を取りに戻った教室内から聞こえてきたその言葉の数々は、全てに心当たりがあった。私の行動は他人から見るとそうなるんだと初めて気付いた瞬間でもあって、普段の何も知らなかった私なら、“そういうの良くないよ!”と、入っていけたものの、さすがに今この状態でそんなことが出来る訳も無く、忘れ物はそのままに、音を立てないようそっとその場を離れることしか出来なかった。
 まるでトンカチで頭をガツンと殴られたように思考が働かなくて、それからどうやって歩いてきたのか記憶にない。『水川?』という声が聞こえてハッとすると、そこに塾の帰りの皆本が居てようやく我に帰ったのだ。
 
『どうしたの? ぼうっとして』

 高学年になって久しぶりに同じクラスになった皆本とはいつの間にか苗字で呼び合うようになり、必要があれば挨拶を交わすだけで世間話をするようなことも、当たり前だけど一緒に鬼ごっこをするようなことも無い普通のクラスメイトになっていた。変わらないことといえば私はでしゃばりで、皆本は存在感がないことくらい。
 だから声を掛けられてびっくりした。あの皆本が?と思ったくらいだ。何も言えずに固まる私を、『危ないよ』と、皆本は道の端っこに寄せてくれる。

『ぼうっと道の真ん中を歩いてたよ。轢かれちゃうから気をつけて』
『…………』
『水川?』

 何も言わない私を不安気に覗き込む皆本と目が合った。どうしたのだろうと素直に首を傾げる彼は昔のまま穏やかで、するとなんだか堪らなく懐かしくて、悲しくて、温かくて、虚しくて、情けなくて、無様に安心した気持ちが胸いっぱいに込み上げる。

『! えっ、水川』
『うぅっ、う〜っ』

 そんな複雑な感情の行き先がわからなくて、唐突に涙があふれでて止まらなかった。目いっぱい慌てふためく皆本をよそに、私は我慢なんてこれっぽっちもしないで泣きじゃくる。心の中がぐしゃぐしゃだった。