「アメリア様!」
 子どもを生んだあと、私は意識を失ってしまったらしい。私が目を覚ますと、ジルは目を潤ませた。

「よかった。私、本当に、本当に心配したんですからね……!」
「心配かけてごめんね」

 わんわん泣くジルの頭を撫でていると、そーっと扉を開けて彼が部屋の中に入ってきた。私の、『弟』が。

「姉ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫。ジルが心配性なだけ」
「心配して当たり前じゃないですか! アメリア様は、私がどれだけアメリア様のこといっつも心配してるか全然わかってないんだから!」
 拳を作って、私の手をジルがポコポコ叩く。正直、全く痛くはなかった。
 
 私の子どもが生まれたことで、まだ子どものない兄様の地位を確かなものにするためか、父様は位を退いて兄様に譲ることになった。
 ただそれは、兄様を思ってというよりは、私や私の子どもを押す人間たちの牽制に近かった。
 そんな中でも、姉様は私のことを愛してくれた。

「おめでとう。リア」
「……姉様」
「名前はもう決めたの?」
「はい」

 子供の名前は、ローゼンティッヒ。
 愛称はローズだ。彼が、私に最初に贈ってくれた赤い薔薇の指輪から、私はその名前をつけることにした。

「素敵な名前ね」
 姉様は優しく微笑む。

「私もね、子どもが生まれたらつけたい名前があるの」
「なんという名前ですが?」

「――『リヒト』」
 
 姉様は、嬉しそうに言った。

「光、という意味よ。良い名前だとは思わない?」
 姉様は私の手をとった。

「私はね、リア。もし私とあの人に子どもが生まれたら、貴方みたいに優しい子に育ってくれると嬉しいなって、そう思うの」
「姉様……」

 兄様と姉様の子どもの名付けの理由が私という存在なんて、私には、これ以上の名誉はないように思えた。

「これからもまた、貴方に私の治療を頼めるかしら?」
「はい! 勿論!」
 
 優しい姉様と会って、私は改めて思った。
 私のことを信じてくれる、大好きな姉様のためにも。

「私が、未来を変えなくちゃ」



「姉ちゃん、しかめっ面してどうしたの?」

 しかし未来を変えるというのは、そう簡単なことではなかった。
 いい考えが浮かばず、私は『弟』に聞いてみることにした。

「えっ? 未来を変える方法……?」

 唐突な私の問いに、『弟』はうーんと腕組して首を傾げた。

「……よくわかんないけど、ゲームみたいに、こう、なんか自分で動いてみるとか?」
「自分で動く?」
「だってさ、何もしなきゃ、変えるなんて無理じゃね?」

 元の世界で、将来は『ゲーム』を作る人間になりたかったという『弟』は、この世界に来てカードや本、サイコロなどを使った『ゲーム』を作っていた。

 『選択によって、未来が変わる』――たしか以前そう聞いたことはあったけれど、私はその言葉の意味を、理解してはいなかった。
 
「そうだ。姉ちゃん、俺と一緒にゲームしようよ。新しく作ったやつ、感想も聞きたいし。そうしたらきっと、俺が言いたいことも分かると思う」

 ジルと私は、彼が作った『ゲーム』を一緒に『プレイ』することになった。

「じゃあ、姉ちゃん。成功か失敗かを決めるために、そのサイコロを振ってくれる?」

 そのゲームには『分岐地点』のようなものがあり、私は言われるがままにサイコロを投げた。
 サイコロの数字を見て、『弟』は私に言った。

「おめでとう! 成功だよ。じゃあ、次に進もう」
「成功ですって! やりましたね。アメリア様!」

 ジルが嬉しそうな声を上げた。
 私は笑う二人をよそに、サイコロを見た。
 
 なるほど、と思った。
 つまり私が、サイコロを振ればいいのだ。
 


 未来を変えるために、行動する。サイコロを振る。
 ただこの仕組みは分かっても、何をすれば良いということは、私には分からなかった。
 だってその『未来』の世界に見た兄様たちは、随分と年をとっていたから。 
 そうして未来の私も――いや、これは、見なかったことにしようと思う。

 そんなある日のことだった。
 私はジルが、少し怪しい動きをしていることに気が付いた。

「何してるの?」
「えっ? あっ。アメリア様! こ。これは……っ!」

 ジルは、とっさに何かを背に隠した。私は、彼女の背から『それ』を取った。
 
「『公爵と囚われの乙女の恋物語』……?」

 それは本だった。
 ジルは、膝を床につけて謝罪した。

「あ、アメリア様! どうか、どうかお許しください!」

 神殿に持ち込める本には制限がある。
 規則からすると、彼女の今回の持ち込みは罰則ものだった。
 
 ジルから回収した本の内容は、不思議な力を持って生まれたが故に悪い魔女に捕まり塔に幽閉され利用されていた少女が、ある日森を訪れた公爵と偶然出会い恋に落ち、最後は魔女を倒して幸せになるというラブロマンスだった。
 
「妹の誕生日にと買ったものなんです。でも、家に置いておいたら、妹が見つけてしまうかも知れないから――」

 ジルには、彼女によく似た顔の可愛い妹がいる。

「今、こういうのが流行ってるの?」
「え? そうですね。はい」
「貴方もそういうのが好きなの?」
「……」

 ジルは顔を赤く染め、私から視線を逸らした。

「好き……です」
「……」
「だって、まるで登場人物《ヒロイン》になったような気持ちになれるから。それに本当に、その世界が存在しているみたいで……ヒロインがした行動を、つい自分もなぞってみたりなんかして――」
「『行動をなぞる』?」

 私は、ジルに尋ねた。

「はい。同じ飲み物を飲んでみたり、同じ食べ物を食べてみたり。手紙を書いてみたり。お話の中に出てくる場所を、私も訪れてみたり。お話の中に出てくるヒロインの台詞を、私も呟いてみたり。……勿論、私が物語の主人公になれるわけではないけれど、そうしていたらいつか私も、素敵な恋が出来る気がして」

「じゃあ、これを読んでくれる?」
 頬を染めて話すジルに、私は昔書いた小説を差し出した。
 ジルは一気に読み終えて、興奮を抑えられないのか手を震わせた。

「凄いです! アメリア様、こんな才能をお持ちだったなんて!」
「才能と言うほどでは……」
 
 巫女として育てられ、誰かを愛されることを禁じられた私が、慰めに書いたものをジルが評価してくれたことは、私は純粋に嬉しかった。

「でも、アメリア様。この人、少し神官長様に……」
「あっ」

 私は、ジルに見せた昔書いた小説のヒーローが銀髪紫眼だったことを思い出し、ジルから小説を取り上げた。
 代わりに、最近書いた茶髪ヒーローのものを渡す。

「たまたまだから! こっちは全然違うから!」
 
 そもそも、最初に渡した小説は『彼』に会う前に書いたものだ。
 昔は身近にいた男が、兄様かあの憎たらしい被虐趣味の男くらいだったせいで多少影響はあったかもしれないけれど、今ならちゃんと違う種類のヒーローだって、私は書くことは出来るんだから!
 
「あれ? こっちは違うんですね」
 ジルはその小説を読み終えた後、私にこんな提案をしてきた。

「アメリア様。アメリア様のこの小説、売りましょう」

 ジルの従姉妹は、女性でありながら男顔負けの商才を持つと評される傑物だ。
 『光の巫女』である私が、表立って恋愛小説を出版することは難しかった。
 彼女は私の小説の中に、彼女の事業に関わるものを登場させることを条件に、私の活動を支援してくれることを約束してくれた。

 それは私にとっても、好都合な提案だった。
 自分の物語がどれだけ他人に影響を及ぼすことが出来るのか――それをはかることが出来るから。

 結果として、この実験は成功だった。
 本は売れたし、作中に出てきたお菓子も売れた。沈みかけていた事業は、継続されることが決まった。
 のちのちこの件はバレることになり、誰もが知る事実になってからは、本には私の名前が記載されるようになった。

 この件で、私は確信した。
 人の心は、物語で動かすことが可能だ。そして、人の心が変わることで――きっと、『未来』は変わる。


「――見つけた。『未来』の変え方」