──『いつでも俺呼んで』


赤い髪した背の高い智樹(ともき)の口癖。寂しがりやで泣き虫な私をいつもそうやって甘やかすコーラみたいな男の子。

──『冴香(さえか)ってなんか葡萄パンみたいだな』

甘いだけじゃなくて甘酸っぱいからクセになる。

私たちはまるで葡萄パンとコーラ。

そんな絶対合わない組み合わせが、私の初めての恋の味だった。


──これは私が高校三年生の夏のお話。


『智樹、迎えにきて』

私が学校とバイト終わりに必ずスマホに入力する文言だ。もう何百回送っただろう。

いっそこの言葉が書かれた可愛いスタンプがあればいいのに、何て馬鹿なことまで浮かんでくる。

「さてと……」


不況のあおりなのか半年前閉店したメガネ屋の前で私はパンツが見えないように制服のスカートで、くるんと隠して座る。この場所が私と智樹の待ち合わせ場所になってからもう半年。
共通の友人の紹介で知り合って交際が始まってからもうすぐ一年だ。

(はやくこないかなぁ)

スマホをいじりながら智樹を待つこと十五分。 

明らかな校則違反の赤色の短髪を逆立てて、左耳にフープピアスを光らせながら智樹が自転車を押しながらやって来る。

「ごめん」

「もう智樹遅いよー」

そう言って私が立ち上がると智樹がにんまり笑った。

「ブルー」

「は?」

冴香(さえか)のパンツ」

智樹がニヤリと笑う。
 
「えぇっ!!」

「丸見えだった」

「嘘っ!……」

私は咄嗟にスカートの後ろを両手で押さえながら、目の前の智樹の意地悪な顔にハッとする。


「もう。ブルーって……それ昨日じゃん」

「正解!」

智樹はそう言うと、揶揄われたことに口を尖らせた私の唇にさっとストローを差し込んだ。

「ンンッ」

「どう?」

「ケホッ……まずいよー」

ストローを吸い込めばやや炭酸の抜けたコーラが口内に纏わりついた。私は炭酸が苦手だ。サイダーもコーラもキライ。炭酸が抜けたコーラはもっとキライだ。

「でも冴香この間、お祭りのサイダーのんでたじゃん」

「それは……」

たしかに私はこの間、智樹と一緒に行ったお祭りで売ってた瓶入りサイダーは我慢して飲んだ。飲み終わった後に手に入る、透明の淡いブルーのビー玉が光る泡みたいで好きだから。

それに智樹との高校最後の夏祭りの思い出に何でもいいからカタチがあって記念になるようなモノが欲しかったから。

「ふぅん、コーラ炭酸抜けててもダメ?」

智樹が首を傾げながら不思議そうに訊ねてくる。

「当たり前でしょ、余計マズイ!」

「あっそ。俺は多少抜けてて、ぬるくなっても好きだけどね」

智樹が飲み終わったコーラをぽいとゴミ箱に入れると智樹は自転車に跨り私の鞄を取り上げてカゴに放り込んだ。


「はい、どーぞ」

「ありがと」

こうやって智樹が学校帰りに駅まで迎えにきてくれて自転車で一緒に帰る。ただそれだけの放課後が私にとっては何よりもキラキラしてて幸せを感じる時間だ。



「本日もご乗車誠にありがとうございます〜」

「あはは、こちらこそいつもありがとうございます。安全運転でお願いしまーす」

「ノリいいな」

智樹のケラケラ笑う笑顔に見惚れながら私は
いつものように智樹の自転車の後ろに跨る。パンツが見えないように細心の注意を払ってから、智樹の背中側から両腕を回す。

智樹の心臓の音と体温が手のひらから伝わってなんだか安心する。

「落ちんなよ」

「うん」

智樹が顔だけ振り返って真顔で私に確認してからゆっくり漕ぎ出した。  

智樹はラーメン屋の角を右に曲がるとバス停をあっという間に通り過ぎる。

「……智樹」

「ん?」

「あの。なんかごめんね」

さっきのバス停でバスに乗れば私の家までは十分ほどで到着する。でも自転車だと家までは三十分ほどかかるから。

「別に。暇だし」

「でも……智樹の学校からさっきの駅まですでに三十分かかってるじゃん」

「いまさら? なに今日はどした?」

「それは……」

理由はいつだって智樹に会いたいから。いつだって智樹と一緒に少しでも長く居たいから。でも天邪鬼な私は心の中に浮かんだ言葉を素直に智樹に吐き出せない。

「なんとなく……」

「なんだそれ。別にいいけど、いつでも俺呼んで」

すっごく好きなの。いつだって大好きなの。

だから会いたくて呼んじゃうんだよって素直に言えればいいのにな。

たわいない言葉はスラスラ出てくるのにどんなに智樹のこと好きなのかは何で上手に言えないんだろう。


私は智樹の背中に顔を寄せて両手にぎゅっと力を込めた。智樹は何にも言わない。

自転車の規則的な揺れに合わせて体温の高い智樹の熱が私の頬と手のひらからじんわり伝染していく。

私はシャボン玉みたいな匂いのする智樹の背中も大好きだ。
 
「ね。智樹」

「何?」 

「こっち向いて」

「は?」

「智樹の顔どんなだったかなって」

智樹の背中も好きだけど、やっぱり智樹の顔もすぐに見たくなる。顔も背中も一緒に見れたらいいのに。
 
「ばーか、いま漕いでんだろ」

顔は見えないけど、智樹の笑い声が風に乗って耳をくすぐる。

なんだかさっきよりもっと智樹のことが愛おしく感じて私の頬は熱い。触れてはいないがきっと熱をもっている。

(好きだよ。これからもずっと一緒にいようね)

夏が終われば智樹と過ごす二回目の秋がくる。

黄色いハート型にみえるイチョウが絨毯みたいに敷き詰められた秋も、粉雪がふわりと舞い落ちる凍えそうな冬も、淡い薄紅色の桜が春の訪れを告げる日も。

今日みたいな夏の終わりのちょっぴりセンチメンタルになる夕焼けも、いつも智樹の背中と一緒に自転車に揺られながら私は想いと一緒に抱きしめる。

離れたくない。ただずっとこのまま一緒にいたい。

※※

「着いた」

「すっかり寄り道のお決まりだね」

「だな」

気づけば今日もあっという間に私の家の近くの小さな公園にたどり着いてしまった。この三角型の公園が私たちのお決まりの寄り道コースなのだ。

この公園には小さな楕円の砂場と色の剥げたカバとパンダの遊具が置いてある。あとは二人しか座れないちっちゃいスチールのベンチしかない。

「日が暮れるの早くなってきたな」

「本当だね」

空を見上げればオレンジ色の夕陽はあっという間に藍の空にバトンタッチしていた。 

「よっこらしょっと」

いつものようにスチールベンチに座った智樹が学ランのズボンのポケットから葡萄パンを取り出した。

「好きだね」 

「はい、冴香もどーぞ」

「え?」

「たまにはお裾分け」

「う、うん……」

智樹は私にも葡萄パンを半分こにして渡してくれる。そして智樹は大きな口でぱくんと葡萄パンに齧り付く。

「うま。やっぱ好きだな」

「ええっと……どのあたりが?」

「まあ、冴香も食べてみればわかる」

(??)

私も智樹の真似をしながら葡萄パンを大きな口で頬張ってみる。

智樹にはハッキリと言ったことないが私は葡萄パンが好きじゃない。

ふわふわの甘いパンだけでいい。
中の甘酸っぱいレーズンはなくていい。

「どう? 美味いだろ?」

「うーん……」

「特にレーズン」

「え!」

目をまんまるにした私をみて智樹が声を出して笑った。 

「冴香、顔に出すぎ」

そして私の食べかけの葡萄パンは智樹に取り上げられて、あっという間に智樹のお腹に消えていった。

「智樹って葡萄パン好きだよね」

「パンとレーズンの組み合わせが最強」

「そうかな……」

「あ、あと俺が葡萄パン好きな理由、もう一個教えよっか?」

「何?」

私は唇を持ち上げた智樹を見上げながら首を傾げた。

「冴香に似てる」

(ん?)

「似てるって……」 

私はすぐに理解ができなくて、智樹の言葉を頭に二度浮かべてみる。

「え? まさか」

「そ。葡萄パン」

「嘘でしょ!!」

私は思ってもみない智樹の言葉におもわず声が突いて出た。そんな私を見ながら智樹が白い歯を見せながら切長の目を優しく細める。赤髪の毛先が夜風に笑ったみたいに揺れて私の鼓動はとくんと跳ねた。

私は智樹の笑った顔が大好きだ。

「ん? なに? どした?」

「な、なんでもない」

私が智樹に見惚れたことを誤魔化すように智樹視線を外すと、私の頭に智樹がポンと手のひらで触れた。そして智樹は私の目を真っ直ぐに見つめた。

「どしたの?」

「冴香に大事な話ある」

智樹が唇を湿らせるのを見て私の心臓が急に嫌な音を立てる。急に智樹の目の前にいるのが怖くなる。

「……智樹?」

「うん」

自分の掠れた声に智樹の返事が重なって鼓動が限界の早さまで駆けていく。

「俺──学校やめることにした」

(え?)

私は言葉が出てこない。

どうして?
じゃあもう会えないってこと?
私たち別れるってこと?

そんな言葉ばかりが一瞬で頭を駆け巡って、自分のことしか考えていない自分に嫌気がさす。

「……そっか……」

色んな言葉も想いも浮かんだけれど、結局私にはその三文字しか出てこなかった。

「うん、びっくりさせたな。ごめん」

それだけ言って智樹は学校を辞める理由を言わなかった。でも私自身、特に理由はないけれど学校が好きになれなかったから何となくだけど智樹の学校を辞める理由がわかる気がした。

私は唇を結んだまま小さく首を振った。
口を開いたら何だか智樹に会えなくなる気がして怖かった。そんな私に気づいたんだろう。黙りこくっている私を困ったように見ながら、智樹が先に口を開いた。

「なぁ。葡萄パンとコーラってさ、俺らみたいだと思わない?」

「え? 何……急に」

「どう思う?」 

私は智樹からの質問に溢れ落ちそうだった涙を何とか引っ込める。

「……うーん。えっと……智樹がコーラって言うのはわかるかも」

「あはは、冴香が言ってんの俺の見た目じゃね? コーラとおんなじ色じゃん」

「あ、たしかに」

智樹が私の黒髪をクシャッと触れながら、唇の端を持ち上げた。智樹の笑った顔がやっぱり好きだ。私にだけ向ける優しさと笑顔に心の中が色んなイロに染められていく。

「ねぇ……でも智樹ってやっぱりコーラかも。炭酸の抜けたコーラみたい」

「は? 炭酸抜けてんの?」

私の言葉に今度は智樹が切長の目を見開いた。

「見た目は炭酸みたいにツンと尖ってるのに、本当は甘くて優しいでしょ」

「なんだそれ」 

「智樹、言葉遣いも悪いしはっきり言って尖ってるし、でも私には智樹は炭酸抜けたコーラみたいに甘いから」

「ちょ……待って」

智樹が珍しく頬を染めると手のひらで口元を覆ってそっぽを向いた。私はさっきの智樹の言葉を思い出しながら率直な疑問を口にする。

「あと……何で私が葡萄パンなの?」

智樹がコーラなのはわかる。でも私が葡萄パンに例えられるのがなぜなのかちっともわからない。

智樹が一瞬夜空を見上げてから、ふっと笑った。

「葡萄パンってさ甘いだけじゃない。ときおりやってくるレーズンの甘酸っぱさがクセになる」

「ん? それって私と似てる?」

答えを聞いたらますますわからない。
神妙な顔をして唇を尖らせている私のおでこを智樹が指先でツンと弾いた。


「──ようは好きだってこと」

「……な、何それ……」


そうだ。忘れてた。智樹はいつだってズルい。こうやってドキドキして胸がいっぱいになるのはいつだって私の方だから。

私の顔は火が出たように熱くて、私は智樹に見られないようにそっぽを向いた。

そのあとは二人でただ黙って夜空の星を見上げてた。時折、私は智樹に視線を移したが智樹は左耳のピアスを夜風に揺らしたまま、じっと星を眺めていた。

どのくらいそうしていただろうか。智樹が呼吸をひとつ吐き出してから私の方に座ったまま身体を向けた。


「俺さ。夏が終わったら冴香を迎えに来られない。働くことにしたから」


私はこの時どんな顔をしてただろう。

「今までみたいに学校帰りに会えなくなるし、俺は呼ばれてもすぐに行けない。他のヤツらみたいな付き合い方ができない」
 
すぐに私の両目から一粒涙が転がった。

「……ごめ……っ……すぐ泣き止むから」

泣いたら智樹を困らせてしまう。きっといっぱい考えて今、一生懸命、私に話をしてくれているのに。

「あんまこすんな。目腫れる」

智樹がそう言うとすぐに指先で私の涙をそっと拭ってくれる。

「……どうする?」

「なに、が……?」

本当に可愛くない。別れたくないって言えばいいのに。智樹と会えなくなるなんて、考えただけでももうちゃんと呼吸(いき)できないのに。

「俺ら……別れる?」 

「…………」

「俺は……冴香に寂しい思いさせたくないから。冴香には笑ってて欲しいさ……今みたいに……俺のせいで泣いたりとか……会えなくなる分増えるかもじゃん」

智樹がいるから笑えるんだよ。智樹が好きだから泣きたくなるんだよ。

「ごめんな。どんなに冴香が俺に会いたくても寂しくても一緒に居てほしいって思っても、俺は直ぐに行けない。今までみたいに俺を呼んでって言えないから……」

「無理」

「……だよな。じゃあ俺たち」

「智樹がいないとか無理なのっ」

「え?」

「そんなこと……言わない……で。智樹と毎日……ひっく……会えなくてもいい。だから……別れるなんて言わないで……」

目の前の智樹は涙でぼやけてうまく見えない。
溢れた思いが丸い小さな粒になって両目から重力に沿って落ちていく。


「……私が……会いに、いくから」

「冴香?」

「智樹が……呼んでくれたら、私が……会いに行く……急いで行くから」 

やっぱり上手に伝えられない。伝えたい想いも言葉も一欠片しか口にだせなくて、涙だけが溢れていく。

「いつから泣き虫になったんだよ」

智樹が困ったようにそう言うと智樹の両腕が私をそっと包みこんだ。私も智樹の背中に両手をまわす。智樹からはいつもの石鹸とお日様の混ざった匂いがして心地いい。

「……なぁ、葡萄パンとコーラって最強の組み合わせなのかもな」
 
「何それ。絶対合わないよ」

「そうか? 俺はめちゃくちゃ合うとおもうよ。俺と冴香みたいに。これからもよろしく」
 
さっきまでの別れ話が嘘のように、智樹がいつもの口調でそう言うと智樹が私の唇にキスをひとつ落とした。

そしてすぐに唇を離すと智樹がコツンとおでこを寄せた。

「職場、冴香ん家から近いとこにしたから」

「えっ?!」

「じゃないと会えないじゃん。俺、毎日会いたい派」

「何それ」

可愛くない返事をしながらも智樹がちゃんと私のことを考えていてくれたことが嬉しくて堪らない。

「冴香が好きだよ」

私はうれし涙を智樹にまた親指で拭ってもらう。

そして私は智樹の頬にそっと触れた。

「大好き。ずっとそばにいてね」

こうして智樹にちゃんと言葉にしたのは初めてかもしれない。

智樹の顔が近づいてきて私はそっと目を閉じた。

甘いだけじゃない。
甘いだけじゃやっぱり物足りない。
きっと甘酸っぱいのが恋の味。

葡萄パンみたいなこの恋を、コーラみたいな貴方と一緒に私はもっともっと味わってみたい。

そして貴方とずっとずっと一緒に居たい。

私は智樹と唇を重ねながら、ふいに炭酸の抜けたコーラが恋しくなった。