
──子供の頃は良かった。だって子供だから。
私は仕事から家までの帰り道、星空をぼんやり眺めながら疲れた足で歩いていく。
子供だったときは、学校へ行って給食を食べて、放課後は星が見えるまで友達と遊ぶ。それが子供だった私の仕事と呼ばれるモノだった。
私が子供のころ、一番好きだった遊びは春の田んぼに咲く蓮華草で花冠を作ること。春風に吹かれながら蜜蜂が蜜を吸って飛び立ったのを見て一輪摘む。そしてまた一輪と繰り返す。
友達と今はもう思い出せない、たわいないことを話して笑いながら、どんどん蓮華草を摘んで摘み終われば、土手のへりに座って花冠を作る。
小さな手で一生懸命作った花冠はまるで絵本の中のお姫様の王冠みたいで、とてもキラキラして見えたことを覚えている。
それと同時にどんなに綺麗でも、少し経つとしおれて枯れてしまうことが悲しかったことも覚えている。
今思えば、子供ながらに私が『いつまでも』なんてモノはないことを知った瞬間だった。
ようは永遠も一生もずっと、もない。どれも曖昧なモノばかり。
そしてどれも私が欲しいものばかり。
永遠に一緒。
一生そばにいる。
ずっと変わらない。
カタチあるものさえも変化していくのだから、カタチのないものに変化を求めないのは酷なことだし、ただ単に私の身勝手な欲求なんだとも思う。
でもそれでも、そんなモノがこの世に一欠片でもあればいいなと思う。
蓮華草の王冠みたいにずっと綺麗じゃなくてもいい。枯れて朽ちて誰も見向きもしなくても、心の片隅に残しておいたって罰は当たらない。
──蓮華草の花言葉は『あなたと一緒なら苦しみが和らぐ』
どうしようもない私と、どうしようもないキミだけど、一緒なら前を向ける。
綺麗事ばかりじゃ片付けられない日々も涙が枯れ果てた夜も無駄じゃない。
自宅のアパートに辿り着けば窓から明かりが漏れている。
たぶんキミと一緒なら明日も生きていける。
いつか一緒なら幸せにだってなれる。
私の独りよがりじゃなかったらね。
2025.4.13



