僕はマグカップが好き。
口、いっこしかないのないのにね。

お気に入りのマグカップで飲むと、なんだかなんてことない麦茶やコーヒーが美味しくなるし、なんか疲れた心が贅沢な気持ちになって、ほんわかする。

アンティークの小さな戸棚を開くと、真新しいものもあればちょっと奮発したのもあるし、湯呑みもあれば、百均のもある。

でも全部お気に入り。何年経ってもどれも好き。

10年くらい前、1人暮らしを始めた時に初めて買った小鉢やトーストプレートは端っこカケてるのもあるけど今も使ってる。

なんか僕と一緒に歳を重ねてくれてる気がして捨てられない。
それにカケてるの見るとなんか、不器用で不恰好で僕みたいだなって思うの。

生きてればさ、心の端っこ欠けたり凹んだり、尖ったり溶けちゃったり、なくしちゃったり、カタチは変わってく。

良きもわるきも。
望んでも望まなくても。
求めても求めてなくても。


あとさ、未完成って割と好き。完璧なんてないし、完璧なんて無理だけど、それなりに歳を重ねてそれなりに人間(大人)やってるよねって気持ちにもなる。

我が家のカケたお皿やマグカップたちは、ブランドのものたちと比べたらキラキラはないけれど、でもどこか懐かしくて優しい気持ちにさせてくれます。

大丈夫。ずっと見てるよ、っていってくれてる気がして。

僕は1人がキライだから。
1人を楽しめなくて、なんだか寂しくなっちゃうことも多い。
だから1人の食事はキライで食べないことも多い。

けど食器やマグカップたちはいつも僕と一緒なんだよね、よく考えたらね。

明日はどの子と一緒にご飯食べようかな。
どのマグカップと美味しい時間を過ごそうかな。

どんな気持ちが心に降ってくるのかな。

外は雪景色。

忘れられない記憶の端を辿りながら、お気に入りの一杯を楽しみたい。

2024.12.3