「おれは顔を知らないが、どうやら子供の頃のおれの姿というのは、亡くなった師匠の伴侶にそっくりだったらしい。雲嵐殿や政府の役人たち、師匠の伴侶を知る者たちにもこぞって言われていた。元の世界でも母親似だと言われていたが、まさかここでは師匠の伴侶に似ていると言われるとは思いもしなかった」

 蛍流が懐かしむように笑みを浮かべる。
 今でこそ男性らしい凛々しくも綺麗な顔立ちをしているが、子供の頃は少女と見紛うばかりの愛らしい顔だったのかもしれない。
 男の子は母親似が多いという話を聞くので、蛍流もそうだったのだろう。

「それまでは師匠と伴侶の間に生まれたもう一人の子供として勘違いされるのがずっと嫌だったが、この頃にはそう言われるのも悪くないと思えるようになった。師匠と師匠の伴侶、その二人の間に生まれた師匠そっくりの茅晶、そして余所から来たはずなのに何故か師匠の伴侶と見目が似通っているという蛍流(おれ)。この世界には誰とも繋がりが無いと思っていたはずが、思わぬところで繋がりが生まれてしまった。師匠の伴侶に似ていると言われている時だけは、師匠たち家族の本当に一員になれたような錯覚が出来るからな」
「似ていなかったとしても、蛍流さんはもう十分師匠さんたち家族の一員ですよ。しっかり家族の固い絆で結ばれていますから」
「そうなら良いことだ。だが全てそう上手くはいかなかった。結局のところ、おれがこの世界に来たことが原因で、師匠たち家族の絆を断ち切ってしまったのだからな」
「どういうことですか?」
「ここで重ねた歳月の分だけ、次代の青龍だったおれの神気は目まぐるしく成長したが、対して当代の青龍だった師匠の神気は衰えていった。神気の減少に伴い、身体の自由が利かなくなり、とうとう布団から起き上がることさえ困難になった。そうなった原因を師匠は年齢と言っていたが、師匠の死後、それはおれを傷つけないための嘘だったと知ってしまった」
「嘘……だった……?」

 深く息を吐き出してゆっくりと語られた蛍流の言葉に、海音は瞠目してしまう。蛍流と師匠、そして茅晶の三人で楽しい時間を過ごせしたわけではなかったのか。続く蛍流の言葉に固唾を呑んで、耳をそばだてる。

「一つの土地に七龍の形代は一人しか存在できない。先代の形代の力が衰え始めた時、七龍は次代の七龍となる形代を選定する。そして師匠の後継者となる新たな形代が選ばれたということは、それは師匠の形代としての役目が終わることを意味する」
「役目が終わったら、自由になれるってことですよね。この山を降りて、好きなところに行って、好きなことを出来るってことじゃ……」
「そうではない。青龍の形代に選ばれた以上、おれたちの命は青龍と繋がり、一蓮托生の関係となる。七龍は形代の命が消える前に、次代の形代を定めて自分の力を分け与える。そうすることで、七龍はこの国に流れる龍脈と国の安寧を保ってきたのだ。つまりおれが選ばれたということは、それは師匠に残された時間が残りわずかであることを意味する」

 蛍流は目を伏せて、後悔と切なさがない交ぜになった寂しげな微笑みを浮かべる。鼻梁の整った蛍流が形作る陰りを帯びたその笑みに、海音の胸がひどく掻き乱されたのだった。

「次代の青龍の形代であるおれがこの世界に来た時点で、師匠の死は決まったも同然だったのだ……」

 七龍と一心同体の形代といえども不死では無く、やがて肉体に限界が訪れる。本人が気付かない内に、身体からは徐々に七龍に与えられた神気が流れ落ちていき、落ちた力は自分の跡を引き継ぐ次代の形代に流れていく。次代の形代の神気が高まるのと比例するように先代の形代からは神気が消え失せ、やがて神気の抜けた先代の身体には、形代となってから止まっていた人としての時間が急速に流れ出す。形代に選ばれてから止まってしまった老化を始め、これまでは七龍の加護によって無縁となっていた病や怪我、そして神気に長時間当たっていたことによる心身への変調。それらが負荷となって先代の形代の身体を蝕み、耐えきれなくなった身体は死を迎える。
 神気の膨張によって次代の形代が活性化されていくのに対して、神気の収縮によって弱体化していく先代の形代の関係性というのは、長い板の中心を支点として上下運動を繰り返す公園遊具のシーソーと似通っていた。

「古来より七龍の形代の代替わりというのは、諍いが耐えないものだった。先代の形代からしたら、自分の後継者が現れるということは、自分の死期が迫っていると教えられているのも当然だからな。地獄の使者なんて揶揄して、軋轢が生じるのもおかしくない。そんな形代たちの姿に流石の七龍たちも辟易したのか、今は七龍と伴侶の子供から次代の形代を選ぶことが一般的になった。青龍の場合、本来であれば師匠の実子である茅晶が選ばれるはずだった。それなのに次代の形代に指名されたのは、異なる世界に住んでいたおれだった」
「清水さまはどうして茅晶さんではなく、蛍流さんを選んだのでしょうか?」
「それは清水にしか分からない。これまで幾度となく尋ねたが、頑として答えてくれなかった。師匠なら知っていたかもしれないが、今となっては尋ねようも無い」
「珍しいことなんですか。蛍流さんのように、形代と伴侶の子供以外の人が後継者に選ばれることって」
「現在の七龍の形代の中で、前任者の血縁者以外が形代に選ばれたのは、青龍のおれともう一体だけ。あっちは大変だったらしい。何せ守護する土地に影響を及ぼすほどの騒動に発展したと聞く。今後の話など到底出来るはずがなく、とうとう喧嘩別れのようになったそうだ」

 深く息を吐いた蛍流は「それに対して」と話し出す。

「おれと師匠の代替わりというのは、かなり最良の関係だったらしい。師匠はおれが現れたことによる不満や恨み、迫りくる死への恐れを一切口にしなかった。その代わり、形代として青龍とこの青の地について教え、父として今後一人で生きて行くのに必要な知識や技術を覚えさせようとした。最後まで自らの役割を全うしたのだ」

 蛍流がこの世界に来た時点で自分の身に何が起こるのか師匠は察していたはずだが、それを子供たちの前ではおくびにも出さなかった。
 その代わりに、蛍流と茅晶、二人の息子を愛おしみ、日々の成長を楽しみとしていた。一つしか持たない玩具を取り合う二人のために同じ玩具を手製して、成長に合わせて浴衣や甚平を手縫いし、二人の希望を交互に聞いては好きな料理や食べたい菓子を作ってくれたという。