見上げた空には暗闇の中に大輪の花を咲かせていた。
ひゅるるるるる、どどん、ひゅるるるるる、どどん。
舞い散る火花が世界を彩っていて、僕はただ空を見上げていた。病院のベッドの上で。
儚い夢のように広がっては消えていく、遠い空の上で広がる花火は、僕にはまぶしすぎて見上げている事しか出来なかった。
今日は街の花火大会。
変わらない日々。変わっていく僕の体調。
少しずつ少しずつ病魔は僕の体をむしばんでいく。
いっそ花火のように散ってしまえば楽なのかもしれないのに。
僕は誰もいない暗い部屋の中で、ただ窓の外を見上げていた。
十三歳。先日迎えた僕の誕生日。病院の中でお祝いした。次の誕生日はもう迎えられるかわからなかったけれど。
僕は生まれつき心臓が悪い。それでも何とかこの歳までは平穏に過ごしてきた。
僕のこの弱っちい体じゃ、体育は出来なかったし、遠足にも行けなかった。それでも僕は学校で友達と共に過ごす時間が楽しかった。
だけどとうとう僕の体は悲鳴を上げて、病院に担ぎ込まれた。
今は薬の効果もあって、なんとか体調は落ち着いているけれど、またいつ僕の体は悲鳴を上げるのかわからない。恐ろしくて、苦しくて、そのことを思うだけど僕は言葉を失ってしまう。
花火のように散ってしまいたい。
そう願う僕は、いちどぎゅっと目をつむる。
『花火になりたいの?』
同時にその声は響いた。
僕は慌てて目を見開く。
窓の縁に腰掛けているお姉さんの姿が見えた。
「だ、誰!?」
思わず僕は声をあげる。
少なくとも僕よりもずっと年上なのがわかる。高校生か大学生くらいだろうか。腰まである長い黒髪が、風に舞って揺れていた。真っ黒のドレスのような服が、彼女を夜空の中に吸い込まれていくかのように思わせた。
そして何よりもその手にした巨大な鎌。物語でよく見たそれは異様な光を放っていて、非現実な姿が僕の目を釘付けにしていた。
「死神……なの? 僕を連れにきたの?」
僕は彼女に問いかける。
目の前に広がってる非現実的な光景が、僕の意識をどこか遠くに連れて行ってしまう。
ひゅるるるる、どどん。ひゅるるるるる、どどん。どどん。
彼女の背中ごしに花火の音が鳴り響く。
はは、なんだよ。僕はとうとう体だけでなくて、頭までおかしくなってしまったのか。思わず自虐的に笑う。
だけどとても綺麗で、こんな素敵なお姉さんが迎えにきてくれるなら悪くないなとも思う。
『そうね。おおむね違ってはいないかな。君はこの後死ぬの。だから私が迎えにきた』
その声は僕以外の誰にも聞こえていないのか、それとも個室の中だから気がつかれていないのか。花火の音がかき消してしまっているのか。僕にはわからない。
「そうなんだ」
僕はぼそりと呟くように答える。
とうとう壊れてしまった僕の頭は、僕が望んだ形を見せているのだろう。
『驚かないのね。まぁ君は病気の事も理解しているみたいだから、覚悟は出来ていたってことかしら』
死神のお姉さんは窓の縁から飛び降りると、僕のそばに歩み寄ってくる。
「終わりならもうそれでいいよ。連れて行くなら連れて行って欲しい」
僕は投げやりに声を漏らすと、それから再び空を眺める。
まだ花火は終わっていない。何度も何度も空を彩っている。
ひゅるるるる、どどんどどんどどん。
何度も何度も花を開いて、空を染めるように白や赤や黄や緑の光が大きく大きく彩っていく。
だけどその光はすぐに消えて、まるで僕のこの先を示しているかのように思えた。
『それが願いならそうしてあげる。でもね。私は君の魂を刈り取る前に役割を果たさなければならないの。だからもういちど訊く。君は花火になりたいの?』
お姉さんは僕を問い詰めるかのように詰め寄ってくる。
どうしてそんな事を訊くんだろうと思うものの、その質問の答えはおおむね決まっていた。
「そうですね。花火みたいにぱーっと花開いて散ってしまいたい、かな」
『ふうん。ま、残念ながら私に叶えられる願いはちっぽけなものだから、君の思う通りになるかはわからないけど、少しだけ叶えてあげる』
お姉さんはそう告げると僕の手をとっていた。
『じゃあいこう』
お姉さんは僕の手をひっぱると、僕はまるで浮き上がるかのように空へと向かっていく。
僕の体がベッドの上で倒れているのがわかった。
いつの間にか僕とお姉さんは死神の鎌の柄の上に腰掛けていた。
そしてそのまま空高く飛んでいく。
ひゅるるるるる。どどん。
花火の音が聞こえる。
『残念ながら花火にはしてあげられないけど、もっと近くで見せてあげる。君の最後の願いが少しでも叶えられるようにね』
空高くでみる花火は本当に大きくて。僕の目前を全て花火で埋め尽くされていた。
それは本当に綺麗で儚くて。
だけどとても悲しかった。
涙が僕の頬を伝う。これで終わりなんだと、僕は寂しく思う。
ああ。もっともっとしたいこともあったのに。僕はどうしてこんな体に生まれてきてしまったのだろう。願いが叶うなら、もっと強い体で生まれたかった。
『残念だけど、その願いは叶える事ができないの。寿命に関わるような願いを叶える事は私には許されていないから』
「お姉さんは僕の願いを叶えてくれるの?」
『そうね。死に行く人の最後の願いを叶えてから魂を狩るのが私の役目だから。まぁ、でも花火になりたいなんて願いはちょっと難しかったわね。残念ながら貴方という存在を変える事は出来ないの』
お姉さんはさほど残念そうでもなく、僕の隣で空を飛んでいた。
ひゅるるるるる。どどん。どどん。
花火が大きな音を立てた。僕とお姉さんの二人を光が照らしていた。
綺麗だなと思う。そしてふと願う。
『……それが願いなの?』
お姉さんには僕の心は全て見えてしまっているのだろう。願ったことはすべて伝わってしまったのだ。少し恥ずかしく思う。
「そうかもしれない。僕は普通の事が出来なかったから」
僕の言葉にお姉さんは少し考えていたようだったけれど、僕の方をじっと見つめる。
『願いを叶えるのが私の役割だからね』
お姉さんはいいながら空に浮かぶ大きな鎌の上で僕と二人並んでいた。
それからお姉さんは僕のあごに手をやって、そしてゆっくりと僕の顔に自分の顔を近づけてくる。
軽く触れた唇。
とても微かに柔らかく思えた。
それに僕は満足したのかもしれない。少しずつ体の重さが消えていく。
最後に贅沢な願いをしてしまったかもしれない。
恋をしてみたいだなんて。
そして隣にいたお姉さんがとても綺麗だったから、お姉さんと恋をしてみたかった。
空に浮かぶ花火を恋人と一緒にみるなんて僕には絶対に叶わない願いだったから。
少しずつ意識が消えていく。
ああ、願いが叶ったという事だろうか。
ひゅるるるるる。どどんどどんどどん。ひゅるるるる。どどん。
口笛のような音と大きく弾けるような音が交互にあがっては消えていく。
だけど僕にはもう届かない。
ああ、満ち足りた。ほんの一瞬かもしれないけれど、僕の願いが叶った。
花火のように大きく満ち開いて、そして消えていく。
ああ。そうだ。僕は花火になったんだ。
静かに音も消えていく。
広がる世界に何もかもが消えていく。
こんな最後も悪くないと少しだけ思った。
ひゅるるるるる。どどんどどんどどん。ひゅるるるる。どどんどどんどどん。
花火のフィナーレの音は僕にはもう聞こえなかった。
僕の願いは確かに叶った。僕はもう満ち足りたんだ。
『さよなら、私の小さな恋人さん』
お姉さんの声だけが最後に聞こえたような気がする――
ひゅるるるるる、どどん、ひゅるるるるる、どどん。
舞い散る火花が世界を彩っていて、僕はただ空を見上げていた。病院のベッドの上で。
儚い夢のように広がっては消えていく、遠い空の上で広がる花火は、僕にはまぶしすぎて見上げている事しか出来なかった。
今日は街の花火大会。
変わらない日々。変わっていく僕の体調。
少しずつ少しずつ病魔は僕の体をむしばんでいく。
いっそ花火のように散ってしまえば楽なのかもしれないのに。
僕は誰もいない暗い部屋の中で、ただ窓の外を見上げていた。
十三歳。先日迎えた僕の誕生日。病院の中でお祝いした。次の誕生日はもう迎えられるかわからなかったけれど。
僕は生まれつき心臓が悪い。それでも何とかこの歳までは平穏に過ごしてきた。
僕のこの弱っちい体じゃ、体育は出来なかったし、遠足にも行けなかった。それでも僕は学校で友達と共に過ごす時間が楽しかった。
だけどとうとう僕の体は悲鳴を上げて、病院に担ぎ込まれた。
今は薬の効果もあって、なんとか体調は落ち着いているけれど、またいつ僕の体は悲鳴を上げるのかわからない。恐ろしくて、苦しくて、そのことを思うだけど僕は言葉を失ってしまう。
花火のように散ってしまいたい。
そう願う僕は、いちどぎゅっと目をつむる。
『花火になりたいの?』
同時にその声は響いた。
僕は慌てて目を見開く。
窓の縁に腰掛けているお姉さんの姿が見えた。
「だ、誰!?」
思わず僕は声をあげる。
少なくとも僕よりもずっと年上なのがわかる。高校生か大学生くらいだろうか。腰まである長い黒髪が、風に舞って揺れていた。真っ黒のドレスのような服が、彼女を夜空の中に吸い込まれていくかのように思わせた。
そして何よりもその手にした巨大な鎌。物語でよく見たそれは異様な光を放っていて、非現実な姿が僕の目を釘付けにしていた。
「死神……なの? 僕を連れにきたの?」
僕は彼女に問いかける。
目の前に広がってる非現実的な光景が、僕の意識をどこか遠くに連れて行ってしまう。
ひゅるるるる、どどん。ひゅるるるるる、どどん。どどん。
彼女の背中ごしに花火の音が鳴り響く。
はは、なんだよ。僕はとうとう体だけでなくて、頭までおかしくなってしまったのか。思わず自虐的に笑う。
だけどとても綺麗で、こんな素敵なお姉さんが迎えにきてくれるなら悪くないなとも思う。
『そうね。おおむね違ってはいないかな。君はこの後死ぬの。だから私が迎えにきた』
その声は僕以外の誰にも聞こえていないのか、それとも個室の中だから気がつかれていないのか。花火の音がかき消してしまっているのか。僕にはわからない。
「そうなんだ」
僕はぼそりと呟くように答える。
とうとう壊れてしまった僕の頭は、僕が望んだ形を見せているのだろう。
『驚かないのね。まぁ君は病気の事も理解しているみたいだから、覚悟は出来ていたってことかしら』
死神のお姉さんは窓の縁から飛び降りると、僕のそばに歩み寄ってくる。
「終わりならもうそれでいいよ。連れて行くなら連れて行って欲しい」
僕は投げやりに声を漏らすと、それから再び空を眺める。
まだ花火は終わっていない。何度も何度も空を彩っている。
ひゅるるるる、どどんどどんどどん。
何度も何度も花を開いて、空を染めるように白や赤や黄や緑の光が大きく大きく彩っていく。
だけどその光はすぐに消えて、まるで僕のこの先を示しているかのように思えた。
『それが願いならそうしてあげる。でもね。私は君の魂を刈り取る前に役割を果たさなければならないの。だからもういちど訊く。君は花火になりたいの?』
お姉さんは僕を問い詰めるかのように詰め寄ってくる。
どうしてそんな事を訊くんだろうと思うものの、その質問の答えはおおむね決まっていた。
「そうですね。花火みたいにぱーっと花開いて散ってしまいたい、かな」
『ふうん。ま、残念ながら私に叶えられる願いはちっぽけなものだから、君の思う通りになるかはわからないけど、少しだけ叶えてあげる』
お姉さんはそう告げると僕の手をとっていた。
『じゃあいこう』
お姉さんは僕の手をひっぱると、僕はまるで浮き上がるかのように空へと向かっていく。
僕の体がベッドの上で倒れているのがわかった。
いつの間にか僕とお姉さんは死神の鎌の柄の上に腰掛けていた。
そしてそのまま空高く飛んでいく。
ひゅるるるるる。どどん。
花火の音が聞こえる。
『残念ながら花火にはしてあげられないけど、もっと近くで見せてあげる。君の最後の願いが少しでも叶えられるようにね』
空高くでみる花火は本当に大きくて。僕の目前を全て花火で埋め尽くされていた。
それは本当に綺麗で儚くて。
だけどとても悲しかった。
涙が僕の頬を伝う。これで終わりなんだと、僕は寂しく思う。
ああ。もっともっとしたいこともあったのに。僕はどうしてこんな体に生まれてきてしまったのだろう。願いが叶うなら、もっと強い体で生まれたかった。
『残念だけど、その願いは叶える事ができないの。寿命に関わるような願いを叶える事は私には許されていないから』
「お姉さんは僕の願いを叶えてくれるの?」
『そうね。死に行く人の最後の願いを叶えてから魂を狩るのが私の役目だから。まぁ、でも花火になりたいなんて願いはちょっと難しかったわね。残念ながら貴方という存在を変える事は出来ないの』
お姉さんはさほど残念そうでもなく、僕の隣で空を飛んでいた。
ひゅるるるるる。どどん。どどん。
花火が大きな音を立てた。僕とお姉さんの二人を光が照らしていた。
綺麗だなと思う。そしてふと願う。
『……それが願いなの?』
お姉さんには僕の心は全て見えてしまっているのだろう。願ったことはすべて伝わってしまったのだ。少し恥ずかしく思う。
「そうかもしれない。僕は普通の事が出来なかったから」
僕の言葉にお姉さんは少し考えていたようだったけれど、僕の方をじっと見つめる。
『願いを叶えるのが私の役割だからね』
お姉さんはいいながら空に浮かぶ大きな鎌の上で僕と二人並んでいた。
それからお姉さんは僕のあごに手をやって、そしてゆっくりと僕の顔に自分の顔を近づけてくる。
軽く触れた唇。
とても微かに柔らかく思えた。
それに僕は満足したのかもしれない。少しずつ体の重さが消えていく。
最後に贅沢な願いをしてしまったかもしれない。
恋をしてみたいだなんて。
そして隣にいたお姉さんがとても綺麗だったから、お姉さんと恋をしてみたかった。
空に浮かぶ花火を恋人と一緒にみるなんて僕には絶対に叶わない願いだったから。
少しずつ意識が消えていく。
ああ、願いが叶ったという事だろうか。
ひゅるるるるる。どどんどどんどどん。ひゅるるるる。どどん。
口笛のような音と大きく弾けるような音が交互にあがっては消えていく。
だけど僕にはもう届かない。
ああ、満ち足りた。ほんの一瞬かもしれないけれど、僕の願いが叶った。
花火のように大きく満ち開いて、そして消えていく。
ああ。そうだ。僕は花火になったんだ。
静かに音も消えていく。
広がる世界に何もかもが消えていく。
こんな最後も悪くないと少しだけ思った。
ひゅるるるるる。どどんどどんどどん。ひゅるるるる。どどんどどんどどん。
花火のフィナーレの音は僕にはもう聞こえなかった。
僕の願いは確かに叶った。僕はもう満ち足りたんだ。
『さよなら、私の小さな恋人さん』
お姉さんの声だけが最後に聞こえたような気がする――