ーーー 2人、並び見下ろす街並みは、どれも変わっていない。変わったといえば、僕らの間に小さく生まれた距離かもしれない。

「よし! まずは、恒例の」

銀色の缶ビールのタブを起こす。ああ、そうか。ここにも変わった事がひとつ。

「乾杯!」「乾杯!」

2人の声が重なり、缶ビールをぶつけ合う。少し苦みのある甘いサイダーとは違い、甘みを全て抜いた、苦みの強いビールを喉に流し込む。

なんとも不思議な感覚だ。

夜風の気持ちいい高台で、同じ思い出を抱え、同じビールを傾ける。そんな情緒的な時間。

それでも、僕にはまだ、言っていなかった言葉がある。言わなくてはいけない言葉がある。

「そうだ。改めて言わないとだよね。かなちゃん。結婚、おめでとう!」

まだ回らないアルコール任せに、精一杯に明るく努める。

「うん………ありがとう………」

そんな僕の声色とは一転して、伏し目がちに、薄い唇を小さく歪ます。

「かなちゃん? どうかした?」

そのもの悲しげな横顔に、問わずにはいられない。

「ううん。大したことじゃないの。とてもいい人だし、経済的にも、全く問題ないし、気持ちもちゃんとある。でも、うまく言えないけど、ちょっと不安でね」

所謂、マリッジブルーと言うものだろうか?

無論、結婚とは無縁な僕には、そんな、かなちゃんの気持ちを慮る事はできない。

「そう。なんだね。でも、ずっと思っていたよ。内緒にしていたけど、かなちゃんはさ、きっと、素敵なお嫁さんになるんだろうなって。勿論、それは今も変わらずね」

「うん。ありがとう」

僕の精一杯の慰めも、全くかなちゃんには届いていないようだ。

そうなってしまえば、僕にかける言葉はもう残っていない。

これ以上、口を開けば、言わなくてもいい事まで言ってしまいそうだから。

まだ、残る気持ちに正直になり、あの頃言えなかった言葉を、伝えてしまいそうになるから。

「私………どうして欲しいんだろうね………ズルいよね。やっぱり、壮くんの隣は落ち着くから、甘えてしまうの。ねぇ、壮くん………」

言葉に迷う僕に、そうやって上目遣いで、か細く声を震わすかなちゃん。

その瞳に吸い込まれそうなほど、視界は奪われる。

今なら、もしかしたら。

そんな邪が、自己嫌悪と共にじわじわと沸き上がってくる。

「かなちゃん………」

真っ直ぐに僕を見上げるその瞳を、僕は誤魔化すことはせずに、真っ直ぐに見つめ返す。

言うべき言葉は、もう決まっている。

「今は、不安かもしれない。でも、きっと、かなちゃんなら、かなちゃんが選んだ人なら、素敵な家庭を築けると思うんだ。それが、かなちゃんの夢だったでしょ?」

そうだ。きっと、マリッジブルーだか、エンゲージブルーだか、ブライダルブルーだか知らない。でも、その色に今は、染まってしまっているだけだろう。

きっと、そこに、僕の入り込む余地はないと思う。それが、僕の出した答えだった。

きっとあの頃の僕ならば、迷わずに気持ちを伝えていただろう。

いや、違う。あの青い季節の夜に、僕は選べなかった。その未来が今だ。

全ては、たった1度の、2度と戻れないあの夜に残してきてしまった。

同じような夜は何度も越えてきたけれど、同じ夜は1度として訪れない。

あの夜の後悔を、1度きりのこの夜に、繰り返すわけにはいかない。

根は変わっていない。それが、そんな臆病風に吹かれた僕の出した答え。

「壮くん………。うん。そうだよね。ありがとう。そうやって、言葉で、壮くんの声で伝えて貰えて、やっと、不安が少しずつだけど、消えていきそうな気がする。やっぱりズルいよね? きっと壮くんなら、そう言ってくれるだろうと思って、こんな事を言い出して………」

そう言ったかなちゃんの表情からは、固さが消えていくように見えた。

僕はそこで、やっと長い間抱えた気持ちに、終わりを告げられるような気がした。

「覚えてるよね? 高校3年の時にさ、ここで、お互いの夢を語り合った事があったでしょ?」

「うん。勿論覚えてるよ」

「かなちゃんの夢は、きっとこの先、描いたもの以上に広がっていくと思う。でも、僕の夢はまだまだ、ぼんやりとした形のまま。まぁ、そもそも、ぼんやりとした夢なんだけどね。だから、今度は僕の番だ。僕も、かなちゃんに負けずに、自分の夢を実現させる。僕の思う、幸せに出会ってみせる。だから」

自然と頬が緩む。僕の心が、僕自身を許してくれたように、作り笑いの形に慣れ始めてた笑顔に、本物を取り戻していく。そんな感覚。

「だから。かなちゃん。幸せになってね(・・・・・・)

きっとこれが、最後の夜。幼馴染以上を望んだ僕と別つ夜。

きっとこれが、最初の夜。幼馴染として、かなちゃんの未来に祝福を願う、始まりの夜。

人生でたった1度だけのちょっぴりブルーな夜。