>>湊人(みなと)! 今日の夜空いてる?

 幼馴染の榎谷(えのたに)咲耶(さや)からそんなメッセージが届いたのは、夏の気配が色濃くなり始めた七月の夕方のことだった。
 大学の課題で出ていたレポートが終わり、のんびりとソファに寝転がって動画を観ていたところへ、唐突にスマホが振動したのだ。

「なんで、咲耶から?」

 画面の通知欄に映った文言に、俺は首を傾げた。確か今日は、彼氏である淳也(じゅんや)とデートだったはずだが……。
 そこで、またスマホがぶるりと震えた。前のメッセージから一分と経たないうちに表示された文字に、俺は思わず目を見張った。

 >>淳也とケンカした。結構大きめの。だから、話聞いてほしい!


 *


「湊人〜! こっちこっち〜!」

 休日らしく混み合った駅前広場。幼馴染からの連絡を受けて急いで向かうと、遠目にひらひらと手を振る咲耶の姿が見えた。

「わりい、遅くなって。待ったか?」

「んーん! ぜんぜん! 私もついさっき来たとこだし!」

 そう言うと、咲耶は朗らかな笑みを浮かべた。その拍子に、肩口からカールした彼女の長い茶髪が滑り落ちる。
 純粋に、可愛いなと思った。
 肩口をのぞかせた白のブラウスに、涼やかな薄水色のフレアスカートはじつに彼女に似合っていた。普段、たまに俺と会う時に来ているなんちゃって面白Tシャツコーデとは雲泥の差だった。

「確か、山手にある動物園行ってたんだっけ?」

「うん、そうなの。歩きながら話そ! とりあえずお腹減ったからなんか食べたいです!」

 そう。これがもし、俺に見せるために選んでくれたものなのだとしたら、どれほど嬉しかっただろう。可愛いだけじゃなくて、喜びや幸福感も同時に湧き上がってきたに違いない。

「オッケー。じゃあ、駅の裏にあるレストランにでも行くかー」

「うん! そうしよー!」

 でも現実は、そんなはずもなくて。
 大好きな恋人に見せるために、俺の親友である遠藤淳也に喜んでもらうために着てきたものだ。

 マジで俺、なにやってんだろ。

 咲耶の笑顔を見るたびに込み上げてくる苦しさに、俺はそっとため息をついた。

「……んで? いったい全体なにがあったんだよ?」

 けれど、相談相手のほうがあれこれ悩んでいても仕方ない。レストランまでの道すがら、俺は気持ちを切り替え平静を装って訊いた。すると咲耶は、弾かれたような勢いでこちらにぐるんと視線を向ける。

「よくぞ訊いてくれました! もうね、淳也ってば酷いんだよ! 今日も動物園デートだっていうのに私の話には生返事でスマホばっかりいじっててさ、しかも――」

 まるでマシンガンのように、咲耶は今日あった出来事や不満を話し始めた。
 なんでも今日一日、というよりここ最近、淳也は咲耶にぜんぜん構ってくれないらしい。一緒にいる時もスマホばかりで話を聞いてくれないばかりか、どうも隠し事をしているみたいとのことだった。そしてそのことを遠回しに訊いたら不機嫌そうな態度をとられたので、逆に苛立って責めてしまったのが今日の喧嘩のようだった。

「そりゃ確かに私も言い過ぎたけどさ、元はと言えば淳也が構ってくれないのが悪いんだよ! 付き合ってるんだから、一緒にいる時間くらい構ってほしいのに!」

「まあ、それは確かにな。寂しいもんな」

「そう! そうなの! お互い課題とかバイトも忙しいから、会える時間もそんなにないのに! 来年には就活も本格化するのに! なんで淳也は……あーもうっ!」

「どうどう、落ち着け」

 空腹と不満で暴れ回りそうな幼馴染を俺は手で制する。咲耶はいつもこうだ。自分の感情に素直で、思ったことはしっかりと口にするタイプ。その先天的なわかりやすさは成長しても変わることはなく、大学生になった今でもこの通り健在だ。

「よーし! 今日はもうやけ食いします! 胃袋は任されたから、湊人にはお財布を任せる!」

「いやなんでだよ」

 そしてこのふざけたやりとりも、ツッコまれて満足げに頷く得意そうな笑顔も、そのあとに楽しそうに俺の前を歩いていく後ろ姿も、本当に変わらない。
 変わったのは……俺の幼馴染と、親友の関係性だけだ。


 *


 幼馴染の榎谷咲耶と親友の遠藤淳也が付き合い始めたのは、高校三年生の時だった。
 
「私ね、遠藤と付き合うことになったんだ」

 ホームルーム前の教室。いつものように朝の眠気と戦いながらやり残した宿題をしている時に、登校してきた咲耶に唐突に言われた。
 目の前が真っ白になって、真っ暗になった。
 いやもう、そこに色なんてなかった。
 俺は(はりつけ)にされたみたいに硬直し、反応できないでいた。「驚きすぎでしょ!」と笑う彼女の声で我に返り、「いやー心臓止まってたわ」とふざけた返事をするので精一杯だった。その日は一日中なにも考えられず、授業はおろか友達の話も頭に入ってこなかった。
 ……いや、ひとつだけ。

「湊人。もう聞いたかもしれないけど、俺榎谷に告白して付き合うことになった」

 淳也からもされた報告だけは、一字一句脳に焼きついていた。

「俺さ、湊人と仲良くなってから、榎谷とも仲良くなったじゃん。じつは、一目惚れしてたんだよ」

 聞いたことないぞ、おい。

「湊人と榎谷って幼馴染じゃんか。最初は悪いかもなって思ってたんだけど、付き合い長すぎて今さらそんな目で見れないって二人とも言ってたし、思い切って榎谷にアプローチしてたんだよ」

 聞いてねー。確かに恋愛対象じゃないとは言ったけど、それは照れ隠しのつもりだったんだけどな。

「最初はあんまり手応えなかったんだけど、少しずつ心開いてくれて……その、もっと好きになったんだ。素直なところとか、たまにドジなところとか、間違ってたら怒ってくれるところとか、くしゃって笑った表情とか、なんつーか……俺、榎谷の全部が好きなんだ」

 言葉が、出てこなかった。
 顔を赤くしてしどろもどろになりながら、淳也は咲耶に対する想いを吐露していた。
 ほんとに好きなんだな、と思った。
 と同時に、俺じゃ敵わないなとも思った。
 淳也のそれは、本当に恋をしている人そのものだった。
 表情も、声色も、手の落ち着きのなさも。
 そのすべてが、恋の病に冒されていた。
 じゃあ、俺は……?
 幼馴染というもっとも近い位置にいながら、その地位に甘えて行動を起こさなかった。
 昔からずっと一緒にいるから。今さらそんな気になれないから。関係を壊したくないから。
 いろいろなことを言い訳にして、俺は自分の気持ちを伝えることから逃げていた。むしろ幼馴染だからこそ、相手を意識させないといけなかったのに。
 それなのに、俺は「まだ大丈夫だろう」とたかを括って、結果淳也に出し抜かれている。とんだざまだ。

「……そっか。おめでとう、淳也。良かったな!」

 けれどもう、ここまできたら祝福するしかない。
 淳也はちょっと不器用なところがあるけど、根はいいやつで優しいし、身長も高ければ勉強もスポーツも申し分ない。それに、この前も他クラスの女子から告白されていたほどモテるやつだ。きっとそっち方面も、俺なんかよりわかっているんだろう。
 そしてなにより、咲耶が淳也からの告白を受けたということは、少なからず良く思っていたということだ。どうやら咲耶にとって、俺は本当に「幼馴染」だったらしい。

「ほんとに良かった! なんだよ、ちくしょー。それなら俺にもっと相談してくれても良かったのによー!」

「いや、悪い。なんかそれはずるいような気がしてさ。それに、榎谷のことはまず榎谷自身から聞いて知りたかったというか、なんというか」

「それで成功してんだもんな。マジですげえよ」

 完敗だった。
 こんなに真っ直ぐに咲耶のことを想っているやつに、勝てるはずもなかった。
 この日、俺は綺麗さっぱり自分の初恋を白く塗り潰して諦めた。
 その、はずだった。

「――それでね、付き合って二年ともなればやっぱ結構慣れてくるというか、ドキドキも落ち着いてくるの! だからかもしれないけど、最初の頃より遠慮がなくなって、気遣いもお互い忘れてきてこんな喧嘩にもなるのかなって……」

「なるほどなあ」

 けれど今、咲耶は淳也と喧嘩している。それも途中でデートを切り上げてくるという、過去に類を見ない大きさだ。
 テーブルを挟んだ真向かいで、ぶつくさ愚痴を言いつつも美味しそうにポテトを頬張る咲耶を見やる。胸のあたりは、やっぱりまだ苦しい。

「わり、ちょっとトイレ行ってくるわ」

「はいはーい。ごゆっくり〜」

 ひらひらと手を振りスマホに目を向ける咲耶を横目に、俺は店の奥にあるトイレに向かい……途中で足先を変えて店の外へ出た。

「とりあえず、あいつにも訊かねーとな」

 心の奥底。白く塗り潰したはずの初恋から、黒い感情が顔をのぞかせていた。それを振り払うためにも、俺はポケットからスマホを取り出して電話をかけた。

『もしもし? 湊人か?』

「よー淳也。今、大丈夫か?」

 このままだと俺は、咲耶に想いを伝えてしまいそうだから。


 *


 咲耶とレストランを出たころには、すっかり辺りは暗くなっていた。

「あーすっきりしたー! ごめんね、長い間話聞いてもらっちゃって」

「いや、いいよ。幼馴染なんだしな。それに胃袋だけじゃなくお財布も担当してくれたし」

「そりゃさすがに奢るよ! あれは冗談に決まってるでしょ!」

「いやー咲耶のことだからてっきり」

「ほらーそうやって湊人はまた〜」

 二時間前より人通りの減った駅前広場を抜ける。咲耶と二人並んで、家のある方角に向けて歩いていく。その足取りはゆっくりとしていて、いつもの倍は遅く感じられた。

「でも今日は久しぶりに湊人と話せて良かったなー。最近はさっぱりだったし」

「そりゃまあ、お互いなかなか都合合わなかったしな」

 言ってから、内心で俺は謝った。都合が合わなかったのは、俺が少しずつ距離をとろうとしていたからだ。

「課題とかバイトとか忙しいもんね。でもさ、また今度ご飯とか遊びに行こうね!」

 そんな俺の気持ちなんて露知らず、少し前を歩く咲耶は笑いながら振り向いた。
 その何気ない仕草が懐かしかった。
 彼女はよく、こうやって振り返っては笑顔を振り撒いていた。
 いつの間にか俺は、この笑顔に惹かれるようになっていた。

「咲耶。ほんとに、淳也のとこに行かなくていいのか?」

 たまらずに、俺は尋ねた。これ以上、その笑顔を見るのは危険だった。
 けれど咲耶は、俺の願いに反して首を横に振った。

「うん、今日はいい。連絡も来たけど、今は会いたくないって送った。今会ったらまた喧嘩になっちゃいそうだし、もう少し頭冷やしたいから」

 彼女の言葉に、先ほどした淳也との通話が脳裏に浮かぶ。

『俺、もう少し頭冷やしたくて。ほんとわりーけど、しばらく咲耶についててくれないか。湊人なら安心だしさ』

 ひと通りの顛末を話したあと、波音をバックに随分と沈んだ声で彼はそう言っていた。
 大喧嘩したあとでも恋人のことを心配しているのはさすがだけど、いくらなんでも俺を信頼しすぎじゃないだろうか。
 俺に横取りされるとか、思ってないんだろうか。
 しかしもちろんそんなことは訊けず、俺はただ「わかったよ」と返した。我ながら、とんだお人好しだ。

「ね、もうちょっとだけ散歩でもしない? 私の話ばっかり聞いてもらっちゃって悪いし、今度は湊人の話聞かせてよ! それか次はお酒でも飲みに行く?」

 もう一名。俺のことを信頼しすぎな幼馴染は大好きな笑顔とともにそんな提案をしてきた。
 お酒なんて飲めるわけないだろ、と思った。なんとか理性が、俺の黒い気持ちを押しとどめてくれているというのに。
 胸の高鳴りよりも、胸の苦しさが勝っていた。
 見ていたいのに、見たくなかった。

「んーお酒はいいかな。コンビニに寄って、飲み物でも買い出してから少し散歩するか」

「うん!」

 なんとか返事を絞り出してから、俺たちはすぐ近くにあるコンビニに入った。
 こんなに苦しいのに、辛いのに、それでももう少しだけ一緒にいたいと思ってしまう。
 もう少しだけ、あと少しだけ話していたいと思うのは、俺のわがままなんだろうか。
 コンビニで飲み物を買っている間も、咲耶の提案で幼い頃によく二人で遊んだ公園に向かっている道中も、俺は咲耶の話に相槌を打ちながらずっと考えていた。けれど思考は堂々巡りで、決着はつかない。
 そうこうしているうちに、俺たちは公園に辿り着いた。

「わあー懐かしい! 全然変わってないね!」

 公園に入ると、咲耶はあの頃と同じようにブランコのほうへ走っていく。その様子はまるで幼い頃のようで、何も変わっていないような錯覚すら覚えた。

「いきなり走るなよ。転ぶぞ」

 俺もあの頃と同じように、小走りで彼女の後ろ姿を追いかける。本当に懐かしくて、苦しかった。

「大丈夫ー!」

 変わらない、変わってほしくなかった光景。
 あの頃と同じように、咲耶は弾けた笑顔を振り向きざまに向けてくる。何も知らない彼女が憎らしくて、ずるいと思った。
 その刹那だった。
 唐突に、ぐらりと彼女の身体が傾いた。

「きゃっ!?」

「咲耶っ!」

 いやに、スローモーションに見えた。
 あの頃とは違って、咲耶はヒールを履いていたことに気づかずに。
 あの頃とは違って、俺は複雑な想いを抱いていることに気づきながら。
 俺は転倒しそうになった咲耶を、すんでで抱き止めた。

「あ、あはは……っ。そうだ、ヒール履いてきたんだった」

「ったく、だから言っただろ。怪我はないか?」

「うん、ありがとう……」

 咲耶の顔が、すぐそばにあった。手のひらひとつ分ほどの距離の先で、彼女は苦笑いを浮かべていた。
 綺麗で、可愛いと思った。
 大きな瞳も、細くて真っ直ぐな鼻筋も、柔らかそうな頬も、幼い頃と全然変わっていない。それなのに、今は緊張と高揚でおかしくなりそうだった。

「……」

「……」

 沈黙が降りる。
 俺たちは、身じろぎひとつできずに固まっていた。
 脳内になにかがじんわりと広がっていって、思考があやふやになる。
 これは、まずい。
 反射的にそう思った。これ以上は、後戻りができなくなる。
 その時、右腕をギュッと掴まれた。
 咲耶の手だった。抱き止める時に思わず掴んだんだろうか。

「どう……したの? 湊人?」

 咲耶が眉をひそめて訊いてくる。
 不安か、恐怖か、戸惑いか。
 いつもならすぐにわかる彼女の感情が、まったく読めない。
 俺は何も答えなかった。代わりに、抱き止めている手に少し力を入れた。
 心音が早くなる。どんどんと加速していき、血流の速さに酔ってしまったみたいに視界が回る。
 距離が縮まる。いや、俺が近づいていた。
 ほとんど無意識に、彼女の瞳に吸い寄せられるように、彼女の香りに誘われるように。
 ごめん、淳也。
 心の中で親友に謝り、俺は無抵抗な彼女を免罪符にそのまま唇を重ね――

 ――俺、榎谷の全部が好きなんだ。

 その直前、脳裏にいつかの声が響いた。
 親友の、淳也の声だった。

 ――私ね、遠藤と付き合うことになったんだ。

 続けて、咲耶の声も聞こえてきた。
 微かに頬を赤らめて恥ずかしそうに、けれど幸せそうに、彼女は言っていた。

「……っ」

 俺は素早く、咲耶から顔を離した。
 そしてすぐに彼女を立たせてから、その手を握る。

「おい、行くぞ」

「え? どこに?」

 それとわかるほどに戸惑う彼女の手を引きながら、俺はぴしゃりと答えた。

「淳也のとこに、決まってんだろ」


 *


 海岸沿いの夜道を、俺たちはやや足早に歩いていた。タクシーを拾って来たとはいえ、通話してから随分と時間が経っている。
 やや不安になりながらも、懸命に足を動かした。

「ねぇ、湊人。私、今は淳也に会いたくないって言ったんだけど」

 ここに来るまで終始黙っていた咲耶が、はじめて不満をこぼした。その意味するところを察してから、俺は答える。

「知ってる、聞いたよ。でも、仲直りしたいとも思ってんだろ」

「なんで」

「咲耶、俺がトイレとかでいない時、必ず寂しそうにスマホ見つめてただろうが」

 俺の言葉に、咲耶は目を見開いた。

「仲直りするならその日のうちだ。俺たちは幼馴染だけど、咲耶と淳也は幼馴染じゃない。恋人だろ。時間が経つとぜってー謝りにくくなるし、気まずくなる。その前に、面と向かって話しとかないといけないんだよ」

 小さく震える手を強く握ってから、俺たちは臨海公園の入り口をくぐった。
 そしてその視界の先、少し離れたところにあるベンチに、ひとりの人影が見えた。

「やっぱりな」

 思ったとおり、淳也は臨海公園にいた。通話をしていた時に後ろから波音が聞こえてたし、ここは淳也が落ち込んだ時によく来ると言っていた公園だから。

「淳也……」

「ほら、咲耶」

 一瞬だけ彼女の手を引いてから、俺はその手を離した。咲耶は驚いたように、俺のほうへ視線を向ける。

「でも……もし淳也が私のこと嫌いになってたら……」

「バッカ、大丈夫だ。淳也の親友である俺が保証する。あいつは咲耶のこと今も好きだから。それにもしダメだったらその時は……」

「その時は?」

「……骨は拾ってやるから安心しろ」

 言いかけた言葉を飲み込んで、俺はニカッと笑う。すると彼女は、小さく吹き出した。

「もう、なんでそうなるの。ほんと湊人は湊人だね」

「そりゃ幼馴染だからな」

「そうだよね。幼馴染だもんね」

 それだけ言って、俺は再度「ほら」と彼女を促した。咲耶は小さく頷いてから、小走りに淳也の元へ駆けていく。
 すると、淳也のほうも咲耶に気づいたようで、思いっきり腰を曲げて謝っているシルエットが見えた。

「……ほんと、世話が焼けるな」

 スマホばっかり見ているとか隠し事とか言っていたが、きっと淳也のことだからサプライズかなにかの段取りを整えていたんだろう。あいつは心配性だから何度も確認していて、それが裏目に出たのがオチってところか。

「さて、帰るか……」

 咲耶が淳也に駆け寄ったシルエットまで見届けたところで、俺は踵を返した。これ以上は、本当に見てられないから。

 ほんとに、俺は何をしているんだろうと思った。

 最大のチャンスを逃した。きっともう、こんな機会は巡ってこないだろう。

 さっきまで咲耶と繋いでいた手を、ギュッと握り締める。まだ少しだけ、あの柔らかな感触が残っていた。

「はあーあ。やってらんねー」

 並んで歩いていた海沿いの道を、今度はひとりで歩いていく。さっきも早足だったけど、今はさらに早い。
 でもきっと、これで良かった。
 もし淳也との友達関係を終わらせて、咲耶を横取りなんてしようものなら、きっと俺たちは真っ当に付き合うことはできなかったから。
 幸せなんて、感じられるはずもなかっただろうから。

「はあーあ……。マージで、やってらんねーなあー」

 どうか、と願う。
 どうせなら、と願う。
 咲耶が幸せそうに笑ってくれるなら、俺はそれでいい。それで、いいんだ。

 立ち止まって、夜の海を眺める。
 真っ暗な視界の奥で、小さな月が横たわっていた。
 再度握り締めた手には、ほとんど感触は残っていない。
 ただ、それでも。

「咲耶ー! 俺はー! 大好きだったんだぞーーっ!」

 誰もいないことを確認してから、ひと息に吠えた。二十歳にもなって、何をしてるんだろうと思った。

 でもこれで、俺はようやく前に進める気がした。

 もう一度だけ咲耶の笑顔を思い浮かべてから、俺は走り出す。

 いつの日かの咲耶の幸せが、俺の初恋を上塗りしてくれることを願いながら。