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 嵐の予兆を知らされ、俺はばあちゃん、ピナレラちゃんと一緒に服の着替えと、まだまだ残っていた備蓄用の食料や米をカートに載せて男爵の家に向かった。

 備蓄は非常用持ち出し袋に入れて既に男爵の屋敷に預けた分以外の、非常食だ。
 水やお湯を入れるだけで食えるアルファ化米のパックを段ボールに詰めた。もなか村はスーパーも雑貨屋も無くなってしまったから、これだけはばあちゃんにペットボトルの水と一緒に備蓄してけろって念押ししてたやつだ。
 あとはお約束の缶入り乾パンや携帯食など。非常食用は三年から五年保存が可能で、これも必ず一定量を確保しとけって言ってあった。

 朝飯を済ませて八時頃になると、外の風が少しやんだ。その隙に三人でピャーッと、いや、ばあちゃんとピナレラちゃんはカートに荷物と一緒に乗ってもらって俺がひたすら押しまくった。
 農業用のゴムタイヤ付きリヤカーだから砂利道も走れるのは良かったよな。カゴタイプだから人が乗っても安定するとこもいい。
 何せ空はもう黒い雲が覆ってたし、ぽつぽつと雨もパラついていたので、八十すぎのばあちゃんや四歳児ピナレラちゃんの足に合わせてたら男爵の屋敷に着く前に本降りになるかもしれない。

 カートの耐荷重量は200キロ。アルミ製だからスチール製の半分以下だが、ばあちゃんは50キロちょっと、ピナレラちゃんも15キロほどだろう。荷物は米入れて40キロぐらい。
 合計は……考えないことにして俺は頑張ってカートを押して男爵の屋敷を目指した。

 屋敷に着くと案の定、一気に空は乱れて雨が降り始めた。
 さあて、ピナレラちゃんに「御米田家の子にならんか?」ってお話を……と思ったらピナレラちゃんは屋敷の手伝いに行ってしまった。うう、働き者の良い子だああ……
 後で男爵にも話を通しておかねえと。

 ばあちゃんは持参したもなか村の米で、男爵家の料理人とおにぎりを作ることにしたようだ。おにぎりは温めなくても食えるから、夜の分もまとめて大量に握るらしい。

「来だか。ユウキ」
「勉さん、ポーションはどうなって」

 男爵の屋敷で出迎えてくれた勉さんは、見た感じ、まだ杖を持ってるし足は治ってないようだ。
 だが勉さんはニヤリと笑って、分厚いレンズの黒縁眼鏡を外した。

「どんだ? なかなかええ男じゃろ」
「あー! 勉三さん、顔! 顔治ってるー!?」

 まだちょっと眉の辺りが歪んでるが……うっわ、さすが遠縁。痩せすぎなのと顎の形が違うのを除くと、うちの親父によく似てる。眼光が鋭くて睨まれるとチビりそうになる威圧感とかそっくり。
 子供の頃は、目の周りが陥没した顔に従兄弟はビビッてたし、俺もちょっと怖かった。この人、口調もかなりきついしな。
 だがこの人はばあちゃんちのご近所さんでもあって、俺も従兄弟もよく勉強や遊びで世話になったものだ。
 特にものすごく頭がいい。今でこそ障害者年金と生活保護で生きているが、本当なら東京の大学に進学してエリート街道を邁進していたはずの人だ。

 だがこの人が足を悪くして、デカい眼鏡のフレームと分厚いレンズで目元を隠さなきゃいけないほど酷い顔になった理由がある。
 勉三さんは例の、もなか村の山の一つを外資に売り払った地主の息子と友人だった。もうその頃にはゴルフ場もできて村の湧水汚染は深刻だったそうだが……特に芝の除草剤だ。せめて環境汚染を軽減する薬剤に変えろと忠告するも友人やその親の地主は聞かず。
 最終的に物理、友人やその取り巻きたちと殴り合いの喧嘩に発展し、片足がバキバキに折られて顔も目の周りが潰れて視力もガタ落ちした。
「一対一ならおらぁ怪我なんぞしながっだ!」が勉さんの口癖だが、相手は六人だったそうなので単純で数で負けたわけだ。
 ――いや負けてない、勝ったんだ。結果的に相手全員を病院送りにして、地主親子はもなか村にも、隣のもなか町にもいられなくなってどこかへ引っ越していった。

 しかし喧嘩には勝ったが、合格していた東京の大学の入学式までに治らず、東京に行けなかった。
 目も両目揃って、あのぶ厚いレンズの眼鏡でギリギリ物がぼんやり見えるぐらいの視力低下。足も骨はくっついたけど杖なしでは歩けない。
 一年二年で回復するほど甘い怪我ではなかった。……泣く泣く、休学ではなく入学辞退した。それが顛末だ。
 当時はまだご両親がいたそうだし、何とか家の中でできる仕事で生計を立てていたが、亡くなった後は村長の勧めで大人しく生活保護を申請して現在に至る。

「あとは毎日ポーション塗っで、飲めば治るとさ。足もな」
「よかったなあ、勉さん。眼鏡はまだ必要なのけ?」
「んだ。レンズはもちょっと度の低いのに変えるべさ。隣のど田舎町まで行けば眼鏡屋もあるそうだで」

 こんなに嬉しそうにはしゃいでいる勉さんを初めて見る。何十年も不自由だった目や足が治るんだ、そりゃ浮かれもするよな。

「あ。この匂い」

 厨房のほうから漂う生姜とニンニク、醤油の香ばしい匂い。これは――唐揚げだ!

 浮き浮きした足取りで食堂にばあちゃんたちの手伝いに向かう俺を見送りながら、村長と勉さんがこんな話をしてたらしい。

「ユキちゃんにいつ話す?」
「まあ、いつでもよかんべ」

 後から振り返れば、まだまだ異世界体験がイージーモードのうちに、ちゃんとチュートリアル(せつめい)は済ませておいてほしかったっぺ!