お弁当の残りに手が出ないまま数分が過ぎた。手は動いていないが口は止まることなく動いている。
 僕とジレッタとニャル。3人で顔を突き合わせて話す内容は魔王の遺産についてだった。

「魔王の遺産。それは文字通り魔王が残した遺産です。世界を滅ぼす魔道具だとか、知識を記した書物だとか、単純に金品とも言われていますが見つけられた人はいません」

 そんな大まかな説明から始まった話だが、噂が噂を呼ぶというか、憶測の域から出ない話ばかりだった。
 憶測に憶測を乗算させていくような話はいつしか『こうだったらいいな』という話に変わり、其処からどういう話の流れだったかは覚えていない。だがいつの間にか酒を取り出したジレッタの所為だというのははっきりと覚えている。
 気付けば僕の過去の話で盛り上がっていた。

「つまり職場の倉庫で黄金の魔法陣に包まれて気付けばホワイトヴェインの謁見の間に居た、と」
「そういうこと。もう意味が分かんなくてさ……あっちの世界では魔法ってのはおとぎ話でしかなかったから」
「ふぅむ……おとぎ話ねぇ。モンスターの存在しない世界か」
「未確認生物、なんて仰々しい名前で取り沙汰されることはたま~~~にあるけどね。そのどれもが正体不明だけれど」

 こんな感じで一つの話題が持続しない。お弁当がおつまみに変わってからはずっとこんな感じだ。もはや何を話して、何を話してないか覚えていない。

「てかもう寝なきゃ。それでニャルはどうするんだ? 結局のところ」
「行く当てもないですし、お供しますよ」
「じゃあ仲間ってことだね。だったらその敬語もどうにかしてよ。むず痒くて仕方ない!」

 ジレッタが瓶から直接酒を飲んで良いことを言ってくれた。ニャルの敬語もそろそろ聞き慣れたがこれから先やってくのであればもっと砕けてくれた方がこっちとしても接しやすい。
 しかしニャルは嫌そうな顔をした。

「それは勘弁してくださいよ……別にいいじゃないですか。会話出来てるんですし」
「そうは言うがね。やはりこれから共にやっていくのであれば壁というのは少ない方が良い」
「確かにジレッタの言う通りだ。それとも何か理由があるのか? 方言とかなら教えてくれれば学ぶぞ」

 なんて言ってもニャルはどんどん顔をしかめていく。
 そしてそれが限界に達した時、ニャルはジレッタの酒瓶を奪い取った。

「あ! 私の!」
「んっ……ゴクッ、ゴクッ……ぷはぁ!」
「おいおい、大丈夫か……?」

 ジレッタの残り酒を飲み干し、口元を拭ったニャルは座った目でジロリと僕を睨んだ。

「侘助……」
「えっ、呼び捨てぇ?」
「敬語じゃなかったら……こうにゃってしまって(はにゃ)し辛いんにゃや! 子供みたいで恥ずかしいんにゃや!」
「お、おぅ……」

 けふ、と小さな咳をして僕の近くに置いてた酒瓶も奪い取って飲み始めた。
 何となく分かった気がする。恐らくワーキャットの子供はこういう喋り方になってしまうんだろう。
 それとイントネーションが何処となく関西弁っぽかった。語尾もそんな感じがする。ファンタジー猫獣人×関西弁とはなかなか個性が強い。
 恥ずかしくて酒の力がないと出せない素というのもなんというか、奥ゆかしい。だからこそのギャップがとても可愛らしかった。

「まぁまぁ、僕たちは全然気にしないというか、新鮮で良いねって感じだし、大丈夫だよ」
「ニャルは気にしとるんにゃ……敬語やったらましににゃるからいいんにゃけどにゃ……」

 普段のダウナーっぽさは消え、感情剥き出しのニャルは拗ねた目で僕を見ていたが、だんだんと瞼が落ちていき、やがて寝息が聞こえ始める。
 この激しいニャルのテンションの落差の間、ジレッタは一言も発しなかった。お前が敬語やめろって言ったのにと視線をやるとしょんぼりした顔でテーブルの上を眺めていた。

「どした……?」
「私のお酒……」
「……」

 呆れてものも言えないとはまさにこのことだった。


             □   □   □   □


 翌朝、職場に一番に着いた僕は親方の出勤を待っていた。掃除もしたし道具の準備もばっちりやった。あとは待つだけだ。

「おはようー。早いな」
「あ、おはようございます」

 しかし来るのは兄弟子たちばかりでなかなか親方が来ない。なんだかそわそわしてきた。
 そろそろ探しに行こうかとさえ思い始めたとき、母屋側の扉が開いて親方が入ってきた。

「おはよう」
「おはようございます!」

 皆が親方に向かって挨拶をする。僕もそれに混じって挨拶をキメる。ジレッタは皆の挨拶が終わってから指を鳴らして全ての炉に同時に火入れをした。
 いつもの光景だ。この光景を壊してしまうことになるのがとても心苦しい。だが僕にもやるべきことがあるのだ。
 この世界に拉致され、封印されたジレッタを解放し、そしてお互いの目的が魔王サイソン……災厄の渡界者(エクステンダー)ニシムラへと繋がった。

 僕だって離れたくないが、離れなければ出来ないこともあった。だから僕は親方へと声を掛けた。

「親方、少しいいですか?」
「ん? どうした?」
「ちょっとお話が」

 ニャルの噂を聞いた倉庫前までやってきた。いつの間にかジレッタも僕の後ろに立っていて、それが心強かった。

「どした、二人揃って。結婚か!?」
「違いますよ! えっと……あー……んんっ……仕事を……仕事を辞めさせてください!」

 バッと頭を下げる。親方は一歩も動かず、何も言わなかった。
 数秒だったと思う。しかし僕には数十分にも感じた沈黙の後、親方が静かに声を掛けてくれた。

「侘助」
「……はい」
「仕事に不満があったか?」

 予想外の言葉に思わず顔を上げた。いや、考えれば分かることだった。
 いきなり仕事を辞めたいなんて言われれば、そう考えてしまう。そう感じてしまう。配慮が足りなかった。

「不満は一つもありません! できれば僕も、辞めたくないんですが……どうしても此処を離れて旅に出る必要が出てきてしまって」
「なんだ……ならそう言えばいいだろう! ビックリしたぞ!」
「ごめんなさい……」

 親方の顔に笑顔が戻る。声も明るくなる。親方は僕の肩に手を置いてジッと目を合わせてくれる。その表情はこの世界で見た誰よりも優しかった。

「侘助。前も言ったが、お前が此処を出るというのなら止めはしない。世界は広いんだ。それを見てくるのも良い修行になるからな。だが決して、お前のことを何も考えてないから引き止めない訳じゃない。これでも心配してるんだからな」
「親方……ありがとうございます!」

 頭が膝に付くくらい腰を折り曲げて礼をしている僕の後ろでジレッタがふふん、と笑う。

「まぁ心配はいらないよ。私がついてるからな」
「ジレッタがいるならそうだな、心配無用か! それで侘助、いつ出るつもりなんだ?」

 頭を上げた僕は昨日、準備を全てしていたことを話した。気が早いなと笑われてしまって、確かに自分でも勇み足だったことを思い出して恥ずかしかった。
 諸々の話をし終え、親方から今日はもう帰っていいと言われた。

「お前が住んでるのはニホン通りだったろ。出るなら王城に一言連絡入れないと」
「そうですね。明日にでもと思ってましたが今日言えば出発を早められそうです」
「あぁ。それが終わったら母屋の方に来てくれ。休職届とか書いてもらうからな。あと送別会もしなきゃな」

 親方の言葉に首を傾げた。休職じゃなくて退職の方向で話していたつもりだったから。だって帰ってくる時期も分からないし、生きて帰ってこられるかさえ分からない。

「えっ? 退職じゃなくて休職ですか? でもいつ帰ってこられるか……」
「いつになったっていい。お前はこの工房の一員なんだからな。戻ってこられたら、その時はまた一緒に鍛冶をやろうじゃないか」
「親方……」

 流石に涙腺が緩む。こんなに優しくしてもらえるとは思っていなかった。僕は何処まで行ってもよそ者だ。ジレッタなんて素性すら話せていない。
 そんな僕たちに此処まで優しくしてくれる人がいるなんて、思いもしなかった。

 親方は僕とジレッタをさっさと工房から追い出してしまった。片付けもしてないのに。
 通りに放り出された僕たちは言われるがまま、王城ホワイトヴェインへと足を向けた。
 まだ朝が早いからか、通りを行き交う人は何処か忙しない。そんな中、ゆっくりと歩くのは何だか悪いことをしているような気分になる。平日に有給を取ってダラダラ散策しているような気分だった。

「良い人間だったね」

 ぽつりとジレッタがこぼす。彼女は彼女で負い目があったのかもしれない。だから普段言わないような、そんな感想が出てきたのだろう。

「戻ったらネタばらししないとな」
「ふふ、ナーシェなんかはひっくり返るだろうね」
「先に兜を作って渡してあげないとだな」

 そんな馬鹿話が出来るくらいには心は落ち着いていた。
 暫くして道は上り坂になる。ぐねぐねとしたカーブの多い道はわざとそう作っているのだろう。攻め込まれた時に対処できるように。
 なんて考えながら歩いていると、意外にも早く王城前へと到着した。この門を見上げるのは宗人と別れて以来だ。そう思うと存外懐かしい気分になれた。

 門前までやってくると門番が槍を手に僕たちの前に立った。

「御用でしょうか」
「三千院侘助です。異世界職業安定所の吉田宗人に繋いでもらえますか?」
「か、畏まりました!」

 風貌は知らなかったのだろう。だが名前は知っていたようで、持ち場を離れる時に上司に『魔竜の鍛冶師が帰還した』と報告しているのがうっすら聞こえた。
 帰還も何も、別に所属している訳じゃないんだがな……なんて思っているとすぐに見慣れた懐かしい男が走って来るのが見えた。右手を上げて迎えてやると息を切らした宗人が両手で膝を抑えながら僕を睨むように見上げた。

「よ、久しぶり」
「いくら、なんでもっ……急過ぎるわ!!!」
「もっと急な話なんだが、国を出ることにした。家の退去とか手続き頼むわ」
「……あーもう!」

 宗人の声だけが辺りに響く。こんなやりとりが、今の僕には楽しく、そして淋しかった。