三階のギャラリーは入り口の受付に眠たそうなおじいさんが一人いるだけで人の気配はなく、私たちの貸し切り状態だ。

 夏の思い出がテーマということで、季節外れの夏の風景が描かれた絵がたくさん飾られている部屋をゆっくりと歩く。黒田君はただ絵をぼんやりと眺めるだけで、特に何も話さない。表情一つ動かさず、感動も興味も抱いていないように見える。

「黒田君って……」

「ん?」

 自分からギャラリーに来たのに面白くなさそうに絵を見てるけど、好きじゃないの? 

 駄目だ、もう少し棘のない言い方にしないと。私は言葉を飲み込んで、一度深呼吸をした。

「絵、好きなの?」

「よく分かんない」

「じゃあ、なんで、ギャラリーに?」

 無表情で小学生が描いたまさしく田舎の原風景と言った感じの緑にあふれた絵を見ていた黒田君は、視線を私に向ける。黒縁眼鏡の奥の瞳は優しさ以外にもどこか悲しげな感情を思わせる。

「一色さんは謝らなくていいって言ってくれたけど、いきなりしゃべんなくなっちゃったのはやっぱり気になって。おわびっていうわけではないんだけどさ、一色さんは絵を描くのが好きみたいだから、見るのも好きかなって思って。ここに来たら元気を取り戻してくれるかなって思ったんだ」

「そっか……余計な気を遣わせちゃったね、ごめん。でも謝らなくていいのはほんと。しゃべらなくなったのは余計なことを言いたくなかったからだよ。私、それのせいで友達いないから」

「俺は何を言われても気にしないのに」

「だからだよ。黒田君は私がこういう人間だっていうことを知っていながら誘いに乗ってくれて、優しく勉強を教えてくれて、それ以外にもくだらない話にも付き合ってくれた。私の嫌なところを見せたくなかったんだ」

 返答に困ったのか、黒田君は「うん」と小さく呟いたきり何も話さず、並んだ絵を一瞥するのみでギャラリーを素通りして行く。小学生の絵が展示されているスペースを抜け、中学生の作品のスペースにたどり着くと、一番目立つ位置に飾られた作品の隣に飾られた花火の絵の前に立った。

「この絵、一色さんが描いたんだよね」

 私が描いた絵を見ながら黒田君が尋ねる。言葉を終えたあとに振り返った黒田君の表情は、とても優しかった。

 自宅マンションのベランダで打ち上げ花火を写真に収めようとする私を後ろからお母さんが撮った写真を見て描いた私の数少ない受賞作。

 花火を見上げる浴衣の少女の後ろ姿と漆黒の空、そして色鮮やかな大きな花火。浴衣を着ていたのは少しでも色を使うための捏造だし、そもそも少女は必要以上に小さくして花火ばかりを描いているけれど、私の一番の自信作だ。

「知ってたの?」

「うん。自習室に貼ってあったポスター、学校にもあったから。それにこの絵自体も十月の文化祭の時に美術室に展示してたでしょ?」

「う、うん。誰も来てないと思ってたけど、見てくれた人いたんだ……私の絵しか飾ってなかったのに」

「うん。あの時、一色さんの絵が見たくて友達と一緒に美術室に行ったんだ」

「どうして?」

「俺、一色さんに憧れてたんだ。男女関係なく誰にでも臆せずに話しかけられるところとか、思ったことを素直に言えるところとか、すごいなって思ってた。俺はそういうの苦手だから。美術室で一人で絵を描いているってことは噂で知ってたから、そんな一色さんがどんな絵を描くのか見たかった」

「そ、そうなんだ」

 憧れてた、なんてことを恥ずかしげもなく言い放つ黒田君にさすがの私も面食らう。他人に好意的な感情を向けられたのが久しぶり過ぎてどんな顔をしたらいいか分からない。

「えっと、黒田君は、この絵、どう思う?」

 今まで絵の評価なんて気にしたことはない。好きなものを好きなように描いていた。コンクールに出すのは、締め切りがないと色んな絵に手を出してしまいがちだし、せっかく描いたのだからたくさんの人に見てもらいたいという気持ちはあったから。

 評価なんていらないけれど私の作品が存在することは知って欲しいという、傲慢な思いだ。

 だからこうやって絵の評価を黒田君に聞いているのは私自身にとっても衝撃的なことで、口から零れ出た言葉に期待と困惑、両方が込められている。

 黒田君は私に背を向けて再び、私の絵を見た。大きな背中は何を思っているのか、緊張してしまい冬の空調も相まって口の中が乾く。

「俺、絵のことは詳しくないから技術的にどうとかは分からない。一色さんの絵は優秀賞だけど、隣の最優秀賞と比べて何が劣っているのか、他の入賞作品と比べて何が優れているのか、全然分からない。でも、文化祭の時に美術室で見た絵の中で、このギャラリーの中で見た絵の中で、一番好きなんだ。カラフルで綺麗だから」

 黒田君は私の絵を大切なもののように思ってくれている。それは表情の見えない背中越しでも感じ取ることができた。優しさの中にずっしりと重い気持ちが乗っかっているような、そんな声色だった。まっすぐに私の心に届いて、体中に痛みを伴わない衝撃が走る。

 衝撃が消え去ったあとには爽やかな心地良さが残った。

「カラフルで綺麗、か。それは一番うれしい褒め言葉かも。私さ、昔から絵を描くのが好きで物心ついた時から描いてて、小さい頃はクレヨンでもクーピーでも色鉛筆でも絵の具でも、用意されていた色は全部使いたくなっちゃう癖があったんだ。何でも虹色に塗りたくなったり、リンゴの絵を描く時は赤いリンゴだけじゃなくて青リンゴも一緒に描いたし、何なら木も空も描いたり、実の断面も描いて、蜜の部分は色を濃くしたりして、細かい描写がしたいんじゃなくて色を使いたかったの。そのうち実際には見えない色まで使いだしたりして、周りからの評価は絵が上手い子から変な色の絵を描く子に変わっていった。今はその頃よりはましになったけど色をたくさん使うのがやっぱり好きで、私にしかできない色づかいをしたいって思ってるんだ。賞を取ることよりも、自分の理想の色の使い方をできた方が嬉しいの。でも、いつも周りには変な目で見られて、嫌な気持ちにさせたこともさせられたこともあったから、優秀賞なんてもらえたことは嬉しいよりも嘘みたいだと思ってる。それに、面と向かって褒められたのは初めてだから嬉しい……ごめん、何してるんだろうね、私。急に自分語りなんかして」

 黒田君なら聞いてくれる、友達がおらず自分の想いをさらけ出すことができなかった私は勝手にそう思ってしまっていたのかもしれない。

「構わないよ。この絵を描いてくれた一色さんの話だったら、俺は何でも聞きたい。一色さんは恩人でもあるから」

「恩人?」

「せっかくだから俺も少しだけ自分語りしていいかな? 立ちっぱなしもあれだからどこかに座ろうか」

 黒田君に促されてギャラリーを出る。いくつかの会議室が並ぶ廊下を見渡すとおあつらえ向きに横長の椅子が設置してあり、私たちはそこに腰を下ろすことにした。椅子は座るとちょうど正面に掲示板が見える位置にあり、そこに貼られた緑や赤をふんだんに使ったポスターが一週間後にこの三階のフロアを使ってクリスマスイベントが行われることを知らせてくれている。

「一色さん、あのポスターって何色に見える? クリスマスだから想像つくんだけどさ」

 黒田君がクリスマスイベントの告知ポスターを指差しながら言った。

「緑と赤だけど……」

 何を当たり前のことを言っているのだろう。私はついそう思ってしまった。そう思った瞬間思い出した。これでも色についてはその辺の人よりは多少は知識や興味があるつもりで、ほんの少しだが聞きかじったことがあった。

 特定の色そのものだったり、特定の色の組み合わせになると見え方が変わってしまう人がまれにいる、と。

「俺には、黒、とまではいかないけど暗い茶色みたいに見えるんだ」

 その代表的な色が赤と緑。黒田君は、私と違う色の見方をしているのだ。赤から感じる情熱、怒り、暑さ、緑から感じる優しさ、爽やかさ、真面目さ。それをうまく感じることができない。

「細かく分類すると色々あるんだけど、大雑把に言うと色覚異常ってやつ。まあ、俺のはそんなに重度なものじゃないから、赤だけ、緑だけとかなら多分ある程度は普通に見える」

「多分って、どういうこと?」

「……自信がないんだ。赤と緑が合わさった時の色の感じ方は確実に違うから、普通に見えているはずの色も俺に見えているのは他の人と違う色なんじゃないかって思ってしまう」

「か――」

 かわいそう。それが正しい感情なのか判断する前に私は本能的に口を閉じた。

 言いかけてから思う。黒田君は同情して欲しくて話したわけではないはずだ。

 黒田君は私が言葉を飲み込んだのを見て、話を続ける。

「文化祭の時、一緒に一色さんの絵を見た友達は書道部なのに絵がものすごく好きで、よく美術館とかに付き合わされていたんだ。『この絵は色の使い方がいい』とか『なんでこの色で塗ったのか疑問だ』とか色にこだわりがある人だった。クラスが違ったけど、一色さんと知り合っていたら仲良くなれたかもね」

「そ、それならテスト終わったあとにでも紹介して欲しい……」

 黒田君は首を横に振る。その目はどこか遠くを見つめているようで、黒く、悲しみと寂しさに溢れている。

「文化祭が終わったあと、転校しちゃったんだ。ほんとは夏休み明けに転校するはずだったんだけど、どうしても文化祭で書道部のパフォーマンスがしたいって親に無理言ってうちの学校に留まったんだ」

 私たちの間に沈黙が生まれる。その表情で、声色で、黒田君がその人のことをどれだけ大切な友人と思っていたのか、さすがの私にも理解できて、何も言えなかった。

「俺は美術館の絵を見てもうまく感想を言葉で表現できなかったんだ。色覚異常があることは誰にも言っていなかったから、下手なことを言ってばれたくなかった。でも、同じ絵を見ているのに、相手が言う感想に俺は相槌を打つだけだったのがたまらなくつらかった。そんな嫌な思いを最後に取り払ってくれたのが一色さんの絵だったんだ」

「私の絵が?」

「美術室で一緒に一色さんのあの絵を見た。あの時も俺はカラフルで綺麗だっていう感想を抱いたんだ。本当に綺麗でつい言葉に出ていて、その友達も同じタイミングで同じ言葉を呟いていた。もしかしたら俺に見えていた色と友達に見えていた色は違ったかもしれないけど、同じ感想を持てたことが嬉しくて、もともとそれなりに仲は良かったつもりだったけどその時初めて心と心が通じ合った気がしたんだ。お別れする前に最高の思い出ができた」

「だから、私のことを恩人って言ったの?」

「うん。一色さんがあの絵を描いていなかったら俺はずっともやもやした気持ちのままだったと思う。ありがとう」

 黒田君はぎこちない笑顔を私に向ける。彼としっかりと話をしたのは今日で二回目だが、笑顔が得意でないことはとっくに分かっていて、この笑顔が黒田君が最大限の感謝を伝えるために精一杯作ってくれたものだということは当たり前に理解できる。

 きっと、転校してしまった大切な友人にもこんな笑顔を向けていたのだと想像すると、不思議なことに胸が痛んだ。

 だからそれを隠すために、頑張っていつも通りの私を演じることにする。

「ふっふっふ。そっかそっか。もう私に足を向けて寝られないね」

 黒田君は「ふっ」と鼻なのか口なのか分からない方から息を漏らして小さく笑ったあと、優しく微笑んだ。

「良かった、一色さんらしさが戻ってきたね」

「私らしさって?」

「調子が良くて、おかしいところ」

「ユーモアがあるって言って欲しいな」

「まあ、物は言いようだよね」

「黒田君って意外と辛辣だよね。私ほどじゃないかもだけど、思ったことずばずば言うし。それで友達いるとかずるい」

「そんなに友達多くはないけどね。まあ、言う相手は選んでるから。誰にも彼にもは言わないよ、俺は」

「ど―せ私は誰にでも余計なことを言って避けられてますよーっだ」

「でもそういうところは本当にすごいと思ってる。今も憧れてるよ」

「へぇ、じゃあもっと褒めて」

「ほんとに調子が良いよね、一色さんは」

 いつもの私を演じていたつもりだった。でも黒田君と話しているうちにそんな気はしなくなっていった。今私の目の前にいる黒田君の黒い瞳を見ていると、余計なことを考えずにただただ自然体でいられた。会話が途切れた沈黙すらも心地良い。

 数学のノートの落書きをきっかけに、作戦と偶然が重なりあってこんな気持ちになれた。不本意だけど青島先生の頑固で厳しいところに感謝しなければならない。そんなことを考えたら、昨日見た黒田君の数学のノートを思い出した。

「あ、数学のノート、赤い部分だけ書いていなかったのって……」

「ん? うん、黒板って言っても実際は緑だからね。赤で書かれたらよく見えない。まあ、目を凝らせば赤に見えないだけでぎりぎりどんな字が書いてあるかは分かるから、何も書けないってことはないんだけど」

「じゃあ何で書かなかったの? 見えづらい文字が赤だって思えば書けたんじゃない? 青島先生は厳しいって知っていたはずなのにどうして? ていうか学校にも教えてないの?」

 黒田君は「さすがは一色さん。鋭いことを聞いてくるね」と言いながら少し照れくさそうに頭をかいた。私よりも随分と大きな手をしているんだな、とふと思う。

「小学校の時は教えてたんだ。クラスの皆も知っていて色々配慮してもらってた。それ自体はありがたかったんだけど、かわいそうって思われているのが嫌だった。人間として何か欠けているって思われているみたいで。わがままだよね。で、中学では誰にも教えないまま過ごそうって決めていて、小学校の先生にも中学校に伝えないようにお願いしていたんだ」

 言葉を飲み込めたことを今以上に嬉しく思ったことはない。あのまま言ってしまっていたら、黒田君は私から離れて行ってしまっていたかもしれない。冷や汗を流しながら胸をなでおろした。

「でも、こうやって一色さんに打ち明けたのは知って欲しかったからなんだ」

「え? どういうこと? 知られたくなかったんじゃ……」

「俺のわがままで傲慢な部分。同情なんていらないけど、俺がそういう性質だっていうことは知っていて欲しいんだ。知って何かして欲しいわけでもない。ただ、そうなんだって理解だけして欲しい。自己満足だよ。だから青島先生はもしかしたら気がついてくれるかなって思って、赤い文字だけ書かなかったんだ」

「そういうことだったんだ。意外といい性格してるね」

「お褒めに預かり光栄だよ」

「でも少し分かるかも。何か意見や行動を求めるわけじゃないけど、知っておいて欲しいことって私にもあるから」

 私の場合は絵のコンクールだ。黒田君が抱えているものとはまるで重要度は違うが、ただ見てもらいたい、知ってもらいたいという気持ちは同じだ。何かが変わることは期待せず、自分の気持ちが満たされるためだけにコンクールに出している。

 そして、黒田君の自己満足の相手に選ばれたことを嬉しく思う。私で例えれば、描いた絵を見せに行きたい人と同義だ。そんな人、今まではいなかったけれど。

「私以外には教えた人はいるの?」

 いないよ、という答えを期待した。なんとなく黒田君にとって特別な存在でありたかった。転校した大切な友人にさえ言っていないのならその可能性はある。

「教えたことはないよ。でも、赤坂(あかさか)先生には気づかれた」

「侑里ちゃん先生に?」

「うん。一学期の終わり頃、青島先生が俺がノートに赤で書いた部分を書いていないことを赤坂先生に言ったらしくて、それでもしかしたらそうなの? って聞かれて、さすがに誤魔化せなかったよ」

「なるほど。それで侑里ちゃん先生は白と黄色のチョークしか使わないんだ。あれ? でも気づいたのは一学期の終わりだとして、最初から白と黄色しか使ってないような……?」

「大学生の時に習ったらしいよ。俺みたいな生徒は二十人に一人くらいの割合でいるから赤チョークを使う時は気をつけるようにって。そういうことも勉強するのかって感心しちゃって、学校の先生を目指すきっかけの一つになったかもしれない」

「他の先生には言わないようにお願いしたんだよね?」

「うん。赤チョークの字が見づらい以外は学校生活にほとんど支障はないしね。多くの先生に知られて他の生徒に知られるリスクが上がる方が嫌なんだ」

「私も誰にも言わないからね」

「一色さんならそう言ってくれるって思ったから打ち明けたんだよ」

 そう言って私の目を見つめる黒田君の瞳は真剣そのもので、私を信じて疑わない決心が見えた。嬉しいことだったが、どうしてそこまで私を信用するのか。

「私ってそんなにできた人間に見える? なんでもぽろっと口に出しちゃうような人間だよ?」

「確かに、不思議だ。どうしてそう思ったんだろう」

 黒田君は腕を組んでうつむき考え込んでしまった。そこはそんなことないよって言ってくれるところでしょ、というツッコミは実際に口に出ていた。ツッコミを受けてもなお考え続ける黒田君は、落ち着いた大人な黒が似合う。

 しばらくして顔を上げた黒田君の表情は苦笑いだ。

「理由なんて分からないや。でも、今日こうやってたくさん話をした一色さんのことは信用できるって感じ取ったんだと思う」

「裏切らないように頑張るよ」

「うん、よろしく……さて、そろそろ帰ろうか。結構話し込んで閉館時間も近いし、一色さんの復習の時間もたっぷり残さないとね」

 時刻は午後六時を回ったところ。閉館時間は六時半なので確かにそろそろ帰らないといけない。私は帰ることに了承しながらも、きびきびと前を歩く黒田君の大きな背中をのろのろと追いかけた。

 待ち合わせをした一階のロビーに戻ってくると、待ち合わせの時に黒田君が眺めていたモニターの脇に午前中にはなかった一メートルほどの高さのクリスマスツリーが置かれていることに気がついた。せっかく電飾までついているのに今は灯っておらずもったいない気がする。

「クリスマス、一色さんは何か欲しいものはあるの?」

「プレゼントくれるの?」

「いや、聞いただけ」

「……ほんといい性格してるよね。もっと真面目な人かと思ってた」

「俺は一色さんのこともっとふざけた人だと思ってたけど意外と真面目な人だと思ったよ」

 そういうところだぞ。私の心をざわつかせるのは。

 ちょっとだけ意地悪をしてやりたくなる。

「友達が欲しい」

 市民プラザを出たところで黒田君の背中に投げかけた。黒い空の下、周りの建物の明かりに照らされて黒く輝く黒田君が振り返る。明かりがあると言っても薄暗く、表情は見えづらい。

 一呼吸おいて、優しい声がした。

「応援するよ。一色さんなら今のままでもきっと大丈夫」

 黒田君が私の期待通りにならないことなんて今に始まったことじゃない。だから最大限嫌味っぽく言い返してやった。

「そこは俺が友達になるって言うべきじゃないの? 察しが悪い男はモテないよ」

 黒田君の表情ははっきりとは見えないが、黒い中に小さく白いものが見えた。歯だろうか。笑っているようだ。

「友達ってなるって言ってなるものじゃないでしょ。自然にそうなってるようなもので、だからもし一色さんが俺のことを友達だと思っているならすでに俺たちは友達だし、思っていないなら俺が友達になるって言っても友達じゃない」

「そういうものかな……そうかも」

 ならば友達と思うことにしよう。

 私たちは八ヶ月という空白期間を置いて、昨日出会った。そして今日友達になった。私の中で何かが変わったような、でも何も変わらないような、むず痒くて、ドキドキして、ワクワクするような、不思議な感覚がする。決して悪い気はしなかった。

「一色さん」

 私の二歩前を歩く黒田君が私を呼ぶ。

「何?」

「今って何か絵を描いてるの? 落書きとかじゃなくてコンクールとかに出すような作品」

「うん、一応は。でもどうして?」

「見たいなって思ってさ、一色さんが描くカラフルで綺麗な絵。今日見て思ったんだ。恩人とか関係なしに好きなんだ、一色さんの絵」

「いいよ。年明けにはとっておきの絵を見せてあげる。感動で腰を抜かして泣いちゃっても知らないからね。あ、でも条件がある」

「条件? 何?」

「黒田君の作品も見せてよ。書道の作品。冬休みだと何か書くんじゃないの?」

「そうだね。じゃあ年明け、お互いに見せ合おうか」

「黒田君らしい黒くて綺麗な字を期待してるよ」

「まかせて」

 私は美術部で黒田君は書道部だけど、文化祭の日に侑里ちゃん先生が言っていたことが少しだけ分かった気がした。

 黒田君は私の家まで送ってくれた。その間、私たちは前後に二歩分離れた距離を維持しながら、お互いの芸術に対する思いや勉強のこと、友達ができたらしたいこと、くだらないことなどを話し続けた。