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「よくも私と一緒にいられましたね!姉に申し訳ないとは思わなかったのですか!」
「悪いが全く思わない。……だってわたしが君を見つけたのだから」
「見つけた?」
「わたしは君の、婚約者なんだよ。花子」
「な、なんですって?」
「実はもうすでに花子のご両親にはもう話はつけてある。君が家に帰らなくなっても誰も咎めなかったのは、わたしが、君の、婚約者だからだ」
わざと強調するように区切って物を言う正幸に、腹立たしさが倍増していく。
けれど、何よりも『婚約者』という単語に花子の目の前が真っ白になった。
「(……婚約者?何が起こっていると言うの?)」
確かに、正幸との暮らしは花子が望んでいたそのものだった。
真摯に女性の権利を訴え行動している人たちだってきっと、こんなにも自由を謳歌してはいないだろうと思うほど、花子は充実した毎日を送っていた。
けれど、かつて姉が好きだった人と一緒になんていられない。
それでなくてもあの大人しく内気な姉が初めて自らの意思で恋に落ち、胸の内まで伝えた人と私が結婚などしてしまえば、姉は一生報われないに決まっている。姉に申し訳なく思う気持ちが拭えないのだ。
「そんな、ひどいわ……っ」
今思い返せばすべて繋がる。
たまたま拾った日記を、わざわざ自分の元へ届けにくること自体おかしかったのだ。
だいたいあの森は誰もが入れる場所ではない。よほどのことがない限り好んで出入りするような場所ではないからだ。
ときどき家に持ち帰っては試食をしていた洋菓子も、会社の新しい企画商品なのだろう。
そして両親が自分を探しに来なかったのは、正幸の家で花子を預かっているということになっていたからだ。
花子は事実に近しい推測をし、正幸を心の底から睨みつけた。
こんな横暴な計画がすべて滞りなく進んだのも、全ては彼は松浦 正幸という人物だからだ。
「君の自由を求めるその眼差しに、その姿勢に惹かれた……と言えば少しは怒らないでもらえるだろうか」
「……」
「君があの森林へ入った日、わたしは君が死ぬのではないかと心配したんだ。あんなにも焦って心を揺さぶったのは数年ぶりだ。だから強引な手ではあったが、君をわたしの婚約者としてどうか、という旨の話をご両親にさせてもらったんだ」
「……無理よ。姉が好きだった人となど一緒になれません」
「言っておくがわたしは君を逃す気は毛頭ない。第一、わたしは君の自由を追い求める姿に惹かれた、そして君はわたしが持っている自由を手に入れられる。利害は一致しているはずだが?」
「でも……っ」
「とにかく、続きは家で話そう。ここでは落ち着かないだろう」
正幸によって優しく繋がれた手を、花子は力尽くで払い退けた。
「ハハッ、君はそういう子だったね」
花子は正幸のことが嫌いではなかった。
彼という存在自体が真新しく、新鮮そのもののように感じていた。
今の時代のルールに囚われない姿も、『自分の好きなことをしなさい』と一言述べるだけで、彼の西洋の家にいたときは一切口出しされることも、干渉されることもなかった。
あの家の中には、花子と正幸の二人だけだった。そこにはどんな些細なルールでさえありはしなかった。
けれど町子が絡んできたとなれば、話は別だ。
町子は唯一の姉妹であり、大切な家族だからだ。父や母に嫌われるよりも、姉に嫌われることが何よりも恐ろしいと花子は思っている。
唯一、あの窮屈で仕方なかった実家で味方になってくれていた姉と、正幸が与えてくれる自由を天秤にかけたとき、その傾きがどうなるのか、花子は自分の中でも答えが出せないでいるのだ。