幽霊を信じるか信じないか。見えるか見えないか。
確かめようもない無意味な質問なのに、なくならないのは何故だろう。多分、信じる人と見える人がいるからだ。
そして信じない人と見えない人は、彼らをどんな目で見るのだろうか。
嫌悪? 憧れ? 果たしてどちらが強いのか。それを確かめることなんて……。
***
「なぁ、高梨って幽霊、見えるよな」
部活が終わって、さて帰るかという時だった。
友達やクラスメイトに話しかけられることなんて、よくあること。別々の部活でも、帰りが重なれば一緒に帰ろう、と自然になるものだ。
これも、そんなやり取りをする時間帯のことだった。
「……えっと、誰?」
廊下を歩いていると、見知らぬ男子に声をかけられた。しかも私の名前を知っている。同じ学年の人かな。
けれど私が通う高校は、一から八まで教室があるため、学年が同じであっても知らない人物の方が多かった。
せめて覚えていられるのは、クラスメイトくらいだ。または同じ部活か、一年生の時、同じクラスだったか、のどちらかしかない。
それなのに、目の前に立っている人物に見覚えはなかった。
「隣のクラスの小保木怜」
え? この人が?
一年生の時から話題にこと欠かさない人物が、何で私の名前を知っているの?
いやいや、その後の発言も聞き捨てならなかった。そう、小保木は「幽霊」と言ったのだ。それも「見えるよな」と。
「高梨綾香、さんでいいんだよな」
「そう、だけど……何で?」
「名前のこと? 幽霊のこと?」
質問を質問で返すのは失礼なことだけど、この場合は私の聞き方が悪かった。
「両方だけど、先に名前のことを聞きたい。初対面じゃないの? 私たち」
それなのに下の名前まで……。私は小保木ほど有名でもなんでもない。ただの女子高校生だ。誰の目にも止まらない、地味で平凡な。
全く違う場所にいる私たちの間に、接点などあるはずがない。
「高梨からしたら、な。実は去年の文化祭で色々と手伝ってもらったんだけど、お礼が言えなくて。いつか言おうと思って覚えていたんだ」
「去年の文化祭?」
二年生の時って、何をしていたっけ。バタバタしていたから覚えていない。
「美術部でもないのに、体育館の飾り付けが間に合わないからって手伝ってくれたり、いっぱい買い過ぎたからって隣のクラスにまで差し入れをくれたり。気がつくと誰かしらの頼まれごとを引き受けて、忙しく動き回っているのを見たから、一体どんな奴なのか聞いたんだ。そしたら、テニス部の高梨綾香だって」
「あぁ、そんなこともあったね。一年生の時、実行委員だったから、色々と目についちゃって。でも、そんなことを気にするなんて、小保木も凄いね。皆、気になんて止めないのに」
「俺も去年、実行委員だったんだ。だから、本当に助かったよ。ありがとう」
そっか。やった年度は違うけれど、同じ実行委員だったから、間接的な接点ができたのか。それも私のお節介が招いた結果の接点だったなんて……。変な人だと疑ってごめんなさい。
「お礼なんていいんだよ、好きでやったことだから」
「そういうわけにはいかない」
「だったら、もう一つの質問に答えて。幽霊が見えるって言った根拠は?」
それを裏付ける態度をしてしまったのなら、改めたい。
私は分からない振りをして言葉を続けた。
「高校生、それも三年生にもなって幽霊とか意味が分からないよ」
相手は知らない者などいないほどの人気者だ。運良く話に乗ってくれることを期待したのだけれど、そこは人気者。そう易々と事を上手く運んではくれなかった。
「う〜ん。そうかな。別に高校生とか三年生とか関係ないよ。ほら、心霊スポットに行ってはしゃいでいる動画とかあるだろう? いい大人がさ。まぁ、アレこそ意味分かんないけど……。だから、つまり……何が言いたいのかって言うと、全然おかしくないってことだよ」
「小保木の言いたいことは分かる、けど。SNSとリアルは違うよ」
人と違うことをやって注目を浴びることを善とする世界と、自分たちとは違う者を排除する世界。
端末の中と外では、こんなにも認識が違うというのに、どうして一緒にするの? できるの?
それはやっぱり、同じリアルでも別の世界に生きているから?
心の中の呟きを聞かれたのか、小保木はこれが答えだと言わんばかりに近づいてきた。
「でも、見えるんだよな。さっき窓の外を見て、驚いていたのを見たんだ。校庭には誰もいないし、鳥も……いなかったと思う。そしたら幽――……」
「ま、待って!」
グイグイ来る小保木の指摘に、私は叫んだ。そこまで指摘されたら逃げ道がなくなる。ううん。あえて小保木はそういう言い方をしたのだろう。
分かっている。視界の端に見えたアレが見間違いではなかったことを。そして、小保木も同じものを見た、ということも。
けれど頭が否定したがっていた。認めたくない。幽霊が見えるだなんて、変なレッテルを貼られたくはなかったのだ。
隣のクラスとはいえ、小保木なら容易く私を追い込むことができるだろう。
どうしよう、どうしよう。変に答えれば、それはそれで反感を買うし、だからといって無視するのも同じことのような気がした。
……怖い。
私は震えそうになる手をギュッと握りしめ、目の前を見据えた。すると、何故か眉を八の字にした小保木の姿が目に入った。
どうしてそんな顔をしているの?
そう思ったら、自然と問いかけていた。さっきの心情など、まるで嘘だったかのように。そっと手を差し伸べるようにして質問をした。
「……小保木には、どう見えたの?」
「え?」
「同じものが見えていたんだよね。だから私に……が見えるかどうか聞いたんでしょう?」
私と答えが一緒じゃなかったら、小保木のハッタリになる。開きかけた心の扉を、私はそっと閉めた。
完全に開けるのはまだ怖い。だから、そうじゃないことを証明してほしい。もしもそうでなかったら、その意図するところは一つしかないからだ。
そう、これをネタに面白おかしく言い触らすか、または変人というレッテルを貼る、かのどちらかだろう。いや、両方という可能性も否定できなかった。
しかし、目の前で困ったような表情をしている小保木を見ると、少しだけ心が痛んだ。
疑いたくはない、と心の何処かで訴えかけている私がいる。けれど、もう一人の私がそれを否定する。
だって仕方がない。否定するだけの材料を持ち合わせてはいないのだ。それだけ私は小保木怜という人物を知らなかった。
幸いにも、今は高校三年生の二学期。仮に言い触らされたとしても、受験シーズン真っただ中だから、疲れて変なものを見た、と言い逃れができるかもしれない。
小保木が口を開いた瞬間、私は唇をきつく結んだ。
「さっきは校庭って言ったけど、あの体育館の上に、小さな女の子が見えたんだ。ランドセルを背負った女の子。明らかに不自然だから、アレは……」
「うん。そうだね。どう見ても幽霊……」
今度は私が口に出して言った。小保木を疑った詫びとして。私が見たのも全く一緒だったと、肯定するために。
だけど小保木は首を横に振った。
「それはちょっと違うかな。高梨が見えたのはそれだけ?」
「えっと……どういうこと?」
私たちの答えは合っていたじゃない。嫌がらせ目的でも、罰ゲームか何かでもなかったことも。
私に幽霊が見えることも証明されたのに、今更……その質問に、何の意味があるというの?
それに私は幽霊が見えるだけであって、実はよく知らないのだ。
何故なら、見る頻度が低いからだった。前回見たのだって、いつだったか思い出せないほどなのだから、比較のしようがない。
けれど小保木の質問が気になった。“それだけ”とは、どういうことなのだろうか。
「幽霊っていうのは、無色なんだよ。でもあそこにいたのは――……」
「ピンク色をしていた」
「そう! そうなんだよ。だから、最初は判別できなかったんだ。だけどいくらなんでも体育館の上はあり得ない。それも屋上とは言えないような場所だったから、絶対に人ではないと思ったんだ」
「うん。幽霊しかあり得ないよね」
それしか答えはない、とばかりに私は頷いた。けれど小保木はまだ、首を縦には振らなかった。
「高梨の言う通り、幽霊は幽霊なんだけど、アレは生き霊だ。死者じゃないから、幽霊と一括りにするのはちょっと……」
「えっ? そうなの?」
「うん」
こ、ここで頷かれても困るよ。
「でも、そうだね。生きているんだもの。勝手に死者扱いするのも変だよね。だけど何で?」
「……何が?」
今度は私の質問が悪かった。それなのに小保木は意図を汲み取ろうとしてくれた。が、結局は分からないとばかりに、首を傾げた。
だから再度、足りなかった言葉も合わせて私は尋ねた。
「私に幽霊が見えるのかって聞いてきた理由」
「あぁ、そっち」
「……何だと思ったの?」
「えーっと……」
「言いたくないなら、別にいいけど」
何となく聞いただけだし。この手の話題は、小保木も言い辛いでしょう?
「いや、そういうんじゃなくて、生き霊なんだから幽霊とは違う……とか?」
「何それ。こんなデリケートな話をしているのに、言葉遊びなんかしないよ。魂だけって意味なら、一緒でしょう。あっ、これも失礼なのかな」
「どうだろう。俺が生き霊だったら、ちょっと嫌かなって思っただけだから」
確かに、死者と同じにされるのは……嫌かも。自分の体に戻りさえすれば、まだ間に合うんだから、勝手に決めつけるのは筋違いだ。
「あと、先に声かけた俺が言うのもおかしいんだけど、高梨がちゃんと聞いてくれるとは思わなかったから、ビックリしたんだよ」
「あぁ、そうだね。確かに普通はスルーするか、知らない振りをすると思うから」
でも何であの時、私は小保木に聞いたんだろう。「小保木にはどう見えたの?」って。
「多分、幽霊……じゃなかった、生き霊を見た直後だったからかも。ビックリして、これを誰かに言いたくなったんだと思う」
凄い胸がドキドキしたから。この衝撃を誰かに伝えたい、とかじゃなくて。この衝動を早く収めたかったんだ。自分ではどうしようもできないから。
そしてその時、運よく小保木が私に話しかけてくれたのだ。
「高梨のその気持ち、分かるかも。上手く消化しきれないんだよな。向こうはいきなり現れるから」
「予告されても困るけどね」
「今から出ますよ~って言われたら、それはそれで怖いだろう」
「ううん。現れるだけでも十分、怖いって」
思わず二人して吹き出した。
幽霊の話題で不謹慎な、と思われるかもしれない。けれどお互い、これまでに何度も幽霊を見てきたから、分かり合える心境だと思った。
気兼ねなく話しても大丈夫。それだけで心が軽くなったような気がした。
***
だからといって、私たちは常に幽霊の話をするわけじゃない。常に見えるわけではないからだ。
そうなれば自然と小保木との距離も、再び遠くなる。クラスも別々だし。隣と言っても隣町ほど遠かった。下手したら他県。いや、海外か。
いやいや、そもそも友達だったわけでもないのだから、気にする必要はない。いっとき同じ話題で語らい、同じ話題で共感し、同じ話題で笑い合った。それだけの間柄。
「綾香。どうしたの? ボーッとして」
「え?」
目の前でお弁当を食べる楓が、不思議そうに私を見つめる。まるで私の心を代弁しているかのような顔だった。
「何でもないよ」
ちょっと昨日のことを考えていた、とは言えず、そのまま言葉を濁した。楓はどう思うだろうか。学年の人気者である小保木と話した、なんて言ったら。
臆病な私は、それすら聞くのが怖かった。
小保木は人気者だから、当然の如くモテる。
一つの壁を隔てていても、その向こう側で小保木は男女関係なく、クラスメイトに囲まれて過ごしているのだろう。そんな光景が、容易に想像できた。
きっとその中には、小保木のことが好きな女子が混じっているのだろう。私は幽霊と同じくらい、色恋沙汰の話題が苦手だった。
一応、好きとか嫌いだとか。その手の話はするけれど、私は深入りしたくない。デリケートな話題というのもあるけれど、中学生の時、嫌な思いをしたからだ。
人はモノじゃないのに、取った取られた……とか。「先に好きになったのは私なのに」とか……そんなの知らないよ。
恋をした順番に優劣なんてあるの? その人の感情だって、モノじゃないのに。
私は幸いにも当事者ではなかったけれど……いや、なかったからこそ、うんざりする話題だった。彼女たちの心情など、理解できなかったからだ。
けれど一つだけ分かることがある。それは愚痴りたい、ということだ。昨日はうっかり、小保木と幽霊の話をしてしまったのも、それが理由だったんだと思う。
今もまだ、話し足りないと心がウズウズしている。だけど小保木は隣のクラス。休み時間に突撃する勇気はない。
だからすぐさま、膨れ上がった気持ちが再び縮んでいくのを感じた。
もしも同じクラスだったら、どうなっていたことだろう。
いや、それでも机の上のお弁当をそっとしまったかもしれない。私の心は臆病なままだから。
楓に悟られたくなくて、私は笑顔を貼り付ける。けれどそれもお見通しだったかのように眉を顰められた。
「綾香がそう言うのならいいけどさ。元気なさそうに見えたから、何かあったのかなって思ったんだ」
「楓……」
なんて優しいんだろう。いつもぶっきらぼうな口調の楓。それでも伝わってくる声音に、私もその気持ちに応えたい、と思ってしまう。でも……やっぱり、が強かった。
話せばきっと、「何で?」「どうして?」と聞かれるに違いない。楓であっても。
私はそれが苦痛で仕方がないのだ。
気を紛らわせようと、お弁当箱の中からご飯を掬い、口に入れる。ゆかりのふりかけが乗っているお陰で、ちょっと酸っぱかった。
「実はさ、気になる噂を聞いたから、余計に心配になったんだよね」
「噂?」
なんだろう。
「昨日の帰り道、隣のクラスの小保木と歩いていたって」
「へ? 歩いてないよ」
「そうなの?」
「あっ、もしかして昇降口まで一緒だったから、勘違いされたのかな」
伝言ゲームあるあるだ。正直、これは正確に伝わってほしかった。
「……それでも何で? 小保木は隣のクラスだし、綾香と一緒になることなんてあるの?」
「えっと、その、たまたま廊下で話しかけられて、そのまま……。でも、別々に帰ったんだよ」
言葉は濁したけれど、最後は本当のことだった。ううん。濁しただけで、嘘は言っていない。
「本当だよ」
「嘘だなんて、言ってもいないし、思ってもいない。私は綾香がからかわれたり、騙されたりしてないか心配になったんだよ」
騙されたり、か。確かに、そういう可能性もあるんだ。からかわれたり、晒し者にされたりする可能性ばかり気にしていたけど……。
「綾香?」
「ううん。何でもない」
幽霊なんて……ネットで探せば、いくらだってネタはあるもんね。それにこういうネタは、よく詐欺にも使われるし……。
楓の言う通り、騙されていたのかもしれなかった。
確かめようもない無意味な質問なのに、なくならないのは何故だろう。多分、信じる人と見える人がいるからだ。
そして信じない人と見えない人は、彼らをどんな目で見るのだろうか。
嫌悪? 憧れ? 果たしてどちらが強いのか。それを確かめることなんて……。
***
「なぁ、高梨って幽霊、見えるよな」
部活が終わって、さて帰るかという時だった。
友達やクラスメイトに話しかけられることなんて、よくあること。別々の部活でも、帰りが重なれば一緒に帰ろう、と自然になるものだ。
これも、そんなやり取りをする時間帯のことだった。
「……えっと、誰?」
廊下を歩いていると、見知らぬ男子に声をかけられた。しかも私の名前を知っている。同じ学年の人かな。
けれど私が通う高校は、一から八まで教室があるため、学年が同じであっても知らない人物の方が多かった。
せめて覚えていられるのは、クラスメイトくらいだ。または同じ部活か、一年生の時、同じクラスだったか、のどちらかしかない。
それなのに、目の前に立っている人物に見覚えはなかった。
「隣のクラスの小保木怜」
え? この人が?
一年生の時から話題にこと欠かさない人物が、何で私の名前を知っているの?
いやいや、その後の発言も聞き捨てならなかった。そう、小保木は「幽霊」と言ったのだ。それも「見えるよな」と。
「高梨綾香、さんでいいんだよな」
「そう、だけど……何で?」
「名前のこと? 幽霊のこと?」
質問を質問で返すのは失礼なことだけど、この場合は私の聞き方が悪かった。
「両方だけど、先に名前のことを聞きたい。初対面じゃないの? 私たち」
それなのに下の名前まで……。私は小保木ほど有名でもなんでもない。ただの女子高校生だ。誰の目にも止まらない、地味で平凡な。
全く違う場所にいる私たちの間に、接点などあるはずがない。
「高梨からしたら、な。実は去年の文化祭で色々と手伝ってもらったんだけど、お礼が言えなくて。いつか言おうと思って覚えていたんだ」
「去年の文化祭?」
二年生の時って、何をしていたっけ。バタバタしていたから覚えていない。
「美術部でもないのに、体育館の飾り付けが間に合わないからって手伝ってくれたり、いっぱい買い過ぎたからって隣のクラスにまで差し入れをくれたり。気がつくと誰かしらの頼まれごとを引き受けて、忙しく動き回っているのを見たから、一体どんな奴なのか聞いたんだ。そしたら、テニス部の高梨綾香だって」
「あぁ、そんなこともあったね。一年生の時、実行委員だったから、色々と目についちゃって。でも、そんなことを気にするなんて、小保木も凄いね。皆、気になんて止めないのに」
「俺も去年、実行委員だったんだ。だから、本当に助かったよ。ありがとう」
そっか。やった年度は違うけれど、同じ実行委員だったから、間接的な接点ができたのか。それも私のお節介が招いた結果の接点だったなんて……。変な人だと疑ってごめんなさい。
「お礼なんていいんだよ、好きでやったことだから」
「そういうわけにはいかない」
「だったら、もう一つの質問に答えて。幽霊が見えるって言った根拠は?」
それを裏付ける態度をしてしまったのなら、改めたい。
私は分からない振りをして言葉を続けた。
「高校生、それも三年生にもなって幽霊とか意味が分からないよ」
相手は知らない者などいないほどの人気者だ。運良く話に乗ってくれることを期待したのだけれど、そこは人気者。そう易々と事を上手く運んではくれなかった。
「う〜ん。そうかな。別に高校生とか三年生とか関係ないよ。ほら、心霊スポットに行ってはしゃいでいる動画とかあるだろう? いい大人がさ。まぁ、アレこそ意味分かんないけど……。だから、つまり……何が言いたいのかって言うと、全然おかしくないってことだよ」
「小保木の言いたいことは分かる、けど。SNSとリアルは違うよ」
人と違うことをやって注目を浴びることを善とする世界と、自分たちとは違う者を排除する世界。
端末の中と外では、こんなにも認識が違うというのに、どうして一緒にするの? できるの?
それはやっぱり、同じリアルでも別の世界に生きているから?
心の中の呟きを聞かれたのか、小保木はこれが答えだと言わんばかりに近づいてきた。
「でも、見えるんだよな。さっき窓の外を見て、驚いていたのを見たんだ。校庭には誰もいないし、鳥も……いなかったと思う。そしたら幽――……」
「ま、待って!」
グイグイ来る小保木の指摘に、私は叫んだ。そこまで指摘されたら逃げ道がなくなる。ううん。あえて小保木はそういう言い方をしたのだろう。
分かっている。視界の端に見えたアレが見間違いではなかったことを。そして、小保木も同じものを見た、ということも。
けれど頭が否定したがっていた。認めたくない。幽霊が見えるだなんて、変なレッテルを貼られたくはなかったのだ。
隣のクラスとはいえ、小保木なら容易く私を追い込むことができるだろう。
どうしよう、どうしよう。変に答えれば、それはそれで反感を買うし、だからといって無視するのも同じことのような気がした。
……怖い。
私は震えそうになる手をギュッと握りしめ、目の前を見据えた。すると、何故か眉を八の字にした小保木の姿が目に入った。
どうしてそんな顔をしているの?
そう思ったら、自然と問いかけていた。さっきの心情など、まるで嘘だったかのように。そっと手を差し伸べるようにして質問をした。
「……小保木には、どう見えたの?」
「え?」
「同じものが見えていたんだよね。だから私に……が見えるかどうか聞いたんでしょう?」
私と答えが一緒じゃなかったら、小保木のハッタリになる。開きかけた心の扉を、私はそっと閉めた。
完全に開けるのはまだ怖い。だから、そうじゃないことを証明してほしい。もしもそうでなかったら、その意図するところは一つしかないからだ。
そう、これをネタに面白おかしく言い触らすか、または変人というレッテルを貼る、かのどちらかだろう。いや、両方という可能性も否定できなかった。
しかし、目の前で困ったような表情をしている小保木を見ると、少しだけ心が痛んだ。
疑いたくはない、と心の何処かで訴えかけている私がいる。けれど、もう一人の私がそれを否定する。
だって仕方がない。否定するだけの材料を持ち合わせてはいないのだ。それだけ私は小保木怜という人物を知らなかった。
幸いにも、今は高校三年生の二学期。仮に言い触らされたとしても、受験シーズン真っただ中だから、疲れて変なものを見た、と言い逃れができるかもしれない。
小保木が口を開いた瞬間、私は唇をきつく結んだ。
「さっきは校庭って言ったけど、あの体育館の上に、小さな女の子が見えたんだ。ランドセルを背負った女の子。明らかに不自然だから、アレは……」
「うん。そうだね。どう見ても幽霊……」
今度は私が口に出して言った。小保木を疑った詫びとして。私が見たのも全く一緒だったと、肯定するために。
だけど小保木は首を横に振った。
「それはちょっと違うかな。高梨が見えたのはそれだけ?」
「えっと……どういうこと?」
私たちの答えは合っていたじゃない。嫌がらせ目的でも、罰ゲームか何かでもなかったことも。
私に幽霊が見えることも証明されたのに、今更……その質問に、何の意味があるというの?
それに私は幽霊が見えるだけであって、実はよく知らないのだ。
何故なら、見る頻度が低いからだった。前回見たのだって、いつだったか思い出せないほどなのだから、比較のしようがない。
けれど小保木の質問が気になった。“それだけ”とは、どういうことなのだろうか。
「幽霊っていうのは、無色なんだよ。でもあそこにいたのは――……」
「ピンク色をしていた」
「そう! そうなんだよ。だから、最初は判別できなかったんだ。だけどいくらなんでも体育館の上はあり得ない。それも屋上とは言えないような場所だったから、絶対に人ではないと思ったんだ」
「うん。幽霊しかあり得ないよね」
それしか答えはない、とばかりに私は頷いた。けれど小保木はまだ、首を縦には振らなかった。
「高梨の言う通り、幽霊は幽霊なんだけど、アレは生き霊だ。死者じゃないから、幽霊と一括りにするのはちょっと……」
「えっ? そうなの?」
「うん」
こ、ここで頷かれても困るよ。
「でも、そうだね。生きているんだもの。勝手に死者扱いするのも変だよね。だけど何で?」
「……何が?」
今度は私の質問が悪かった。それなのに小保木は意図を汲み取ろうとしてくれた。が、結局は分からないとばかりに、首を傾げた。
だから再度、足りなかった言葉も合わせて私は尋ねた。
「私に幽霊が見えるのかって聞いてきた理由」
「あぁ、そっち」
「……何だと思ったの?」
「えーっと……」
「言いたくないなら、別にいいけど」
何となく聞いただけだし。この手の話題は、小保木も言い辛いでしょう?
「いや、そういうんじゃなくて、生き霊なんだから幽霊とは違う……とか?」
「何それ。こんなデリケートな話をしているのに、言葉遊びなんかしないよ。魂だけって意味なら、一緒でしょう。あっ、これも失礼なのかな」
「どうだろう。俺が生き霊だったら、ちょっと嫌かなって思っただけだから」
確かに、死者と同じにされるのは……嫌かも。自分の体に戻りさえすれば、まだ間に合うんだから、勝手に決めつけるのは筋違いだ。
「あと、先に声かけた俺が言うのもおかしいんだけど、高梨がちゃんと聞いてくれるとは思わなかったから、ビックリしたんだよ」
「あぁ、そうだね。確かに普通はスルーするか、知らない振りをすると思うから」
でも何であの時、私は小保木に聞いたんだろう。「小保木にはどう見えたの?」って。
「多分、幽霊……じゃなかった、生き霊を見た直後だったからかも。ビックリして、これを誰かに言いたくなったんだと思う」
凄い胸がドキドキしたから。この衝撃を誰かに伝えたい、とかじゃなくて。この衝動を早く収めたかったんだ。自分ではどうしようもできないから。
そしてその時、運よく小保木が私に話しかけてくれたのだ。
「高梨のその気持ち、分かるかも。上手く消化しきれないんだよな。向こうはいきなり現れるから」
「予告されても困るけどね」
「今から出ますよ~って言われたら、それはそれで怖いだろう」
「ううん。現れるだけでも十分、怖いって」
思わず二人して吹き出した。
幽霊の話題で不謹慎な、と思われるかもしれない。けれどお互い、これまでに何度も幽霊を見てきたから、分かり合える心境だと思った。
気兼ねなく話しても大丈夫。それだけで心が軽くなったような気がした。
***
だからといって、私たちは常に幽霊の話をするわけじゃない。常に見えるわけではないからだ。
そうなれば自然と小保木との距離も、再び遠くなる。クラスも別々だし。隣と言っても隣町ほど遠かった。下手したら他県。いや、海外か。
いやいや、そもそも友達だったわけでもないのだから、気にする必要はない。いっとき同じ話題で語らい、同じ話題で共感し、同じ話題で笑い合った。それだけの間柄。
「綾香。どうしたの? ボーッとして」
「え?」
目の前でお弁当を食べる楓が、不思議そうに私を見つめる。まるで私の心を代弁しているかのような顔だった。
「何でもないよ」
ちょっと昨日のことを考えていた、とは言えず、そのまま言葉を濁した。楓はどう思うだろうか。学年の人気者である小保木と話した、なんて言ったら。
臆病な私は、それすら聞くのが怖かった。
小保木は人気者だから、当然の如くモテる。
一つの壁を隔てていても、その向こう側で小保木は男女関係なく、クラスメイトに囲まれて過ごしているのだろう。そんな光景が、容易に想像できた。
きっとその中には、小保木のことが好きな女子が混じっているのだろう。私は幽霊と同じくらい、色恋沙汰の話題が苦手だった。
一応、好きとか嫌いだとか。その手の話はするけれど、私は深入りしたくない。デリケートな話題というのもあるけれど、中学生の時、嫌な思いをしたからだ。
人はモノじゃないのに、取った取られた……とか。「先に好きになったのは私なのに」とか……そんなの知らないよ。
恋をした順番に優劣なんてあるの? その人の感情だって、モノじゃないのに。
私は幸いにも当事者ではなかったけれど……いや、なかったからこそ、うんざりする話題だった。彼女たちの心情など、理解できなかったからだ。
けれど一つだけ分かることがある。それは愚痴りたい、ということだ。昨日はうっかり、小保木と幽霊の話をしてしまったのも、それが理由だったんだと思う。
今もまだ、話し足りないと心がウズウズしている。だけど小保木は隣のクラス。休み時間に突撃する勇気はない。
だからすぐさま、膨れ上がった気持ちが再び縮んでいくのを感じた。
もしも同じクラスだったら、どうなっていたことだろう。
いや、それでも机の上のお弁当をそっとしまったかもしれない。私の心は臆病なままだから。
楓に悟られたくなくて、私は笑顔を貼り付ける。けれどそれもお見通しだったかのように眉を顰められた。
「綾香がそう言うのならいいけどさ。元気なさそうに見えたから、何かあったのかなって思ったんだ」
「楓……」
なんて優しいんだろう。いつもぶっきらぼうな口調の楓。それでも伝わってくる声音に、私もその気持ちに応えたい、と思ってしまう。でも……やっぱり、が強かった。
話せばきっと、「何で?」「どうして?」と聞かれるに違いない。楓であっても。
私はそれが苦痛で仕方がないのだ。
気を紛らわせようと、お弁当箱の中からご飯を掬い、口に入れる。ゆかりのふりかけが乗っているお陰で、ちょっと酸っぱかった。
「実はさ、気になる噂を聞いたから、余計に心配になったんだよね」
「噂?」
なんだろう。
「昨日の帰り道、隣のクラスの小保木と歩いていたって」
「へ? 歩いてないよ」
「そうなの?」
「あっ、もしかして昇降口まで一緒だったから、勘違いされたのかな」
伝言ゲームあるあるだ。正直、これは正確に伝わってほしかった。
「……それでも何で? 小保木は隣のクラスだし、綾香と一緒になることなんてあるの?」
「えっと、その、たまたま廊下で話しかけられて、そのまま……。でも、別々に帰ったんだよ」
言葉は濁したけれど、最後は本当のことだった。ううん。濁しただけで、嘘は言っていない。
「本当だよ」
「嘘だなんて、言ってもいないし、思ってもいない。私は綾香がからかわれたり、騙されたりしてないか心配になったんだよ」
騙されたり、か。確かに、そういう可能性もあるんだ。からかわれたり、晒し者にされたりする可能性ばかり気にしていたけど……。
「綾香?」
「ううん。何でもない」
幽霊なんて……ネットで探せば、いくらだってネタはあるもんね。それにこういうネタは、よく詐欺にも使われるし……。
楓の言う通り、騙されていたのかもしれなかった。