昭和17年初冬。本土は米英を倒さんと飛んで火にいる虫の如く修羅の道を歩んでいる。本土から離れたここ、月館島にも軍のニュースが定期的に飛び込んで、時々島民を熱くさせている。
 朝、私は自室の布団の中でゆっくりしていると、部屋の戸を開ける音が聞えた。

「おはようございます、千恵子さん。朝食が出来ました」

 私……川上千恵子を起こしにやってきたのは、水色の着物に割烹着姿の若い女性。この人は沼霧さんと言って、要はお手伝いさんで、1階の空いた部屋に居候して住み込みで働いている。

「はい、今行く」
「ゆっくりでいいですからね」
「はい」

 眩暈を起こさないように慎重に布団から起き上がって、布団を畳むと階段を降りて1階の居間に向かう。そこには小さな海坊主3匹とに沼霧さん、そして母親が食卓に向かって座っている。

「おはよう」
「千恵子おはよう。よく眠れた?」
「うん、少しは寝られたかな」
 
 今日の朝ごはんは、豆腐とわかめの味噌汁と麦ごはん、それに納豆とたくあん。わかめは沼霧さんが海で取ってきたものだ。
 私は納豆には必ずからしを辛くなり過ぎない程度にかけて食べる。からしは身体を温める効果があると、沼霧さんが教えてくれたからだ。
 私は昔っからの冷え性だが、からしの効果は流石と言えるだろう。

「わかめはとれたて新鮮ですよ」
「うん、美味しい!」

 小さな海坊主もわかめをかじりながら、跳ねて喜んでいる。その様子を母親と沼霧さんは笑って見ている。
 ここで我が家の説明をしよう。私達の家・川上家は財閥の家で、私はその娘だ。私は幼い頃から喘息持ちでよく発作を出していた。女学校も何とか卒業はしたものの、喘息のせいか縁談には恵まれずにいた。

「千恵子さんは、空気の澄んだところでゆっくりした方がいいかもしれませんねえ」

 という医者からの言葉が転機となり、母親で華族かつ代々続く名家出身のヨシと共にこの島に別荘を建ててもらいやってきた。

「千恵子、別に縁談にはこだわらなくていいぞ。お前が結婚せずとも暮らしていけるようにはする」
 
 という川上家の当主である父親の言葉も救いだし、弟が2人いるので、跡取りも気にしなくていいのもそうかもしれない。
 そしてこの別荘には、「あやかし」が住み着くようになった。最初は驚いていたが今はもう慣れている。
 
 そんな沼霧さんも実はあやかしである。濡れ女…要は人魚のあやかしだ。いつもは人間の女性の姿をしているが海に入ると下半身が元の姿に戻る。沼霧さんはよく魚や海藻を取って料理してくれるのだが、それがまた美味しい。しかも沼霧さんは、薬膳や漢方にも詳しい。
 こうして家族とあやかし達に囲まれて、私は静かに暮らしている。

「千恵子、今日のお昼は何にする?」
「うーん……」

 母親に聞かれて、私は何にしようかと悩む。

「おにぎりと、あと何か……」
「千恵子さん、カキもありますよ」

 沼霧さんはそう言って、桶に入ったカキを見せる。カキの貝殻がごろっとしているのが見える。

「沼霧さん。それ、煮つけにしよっか」

 こうしてお昼ごはんが決まった。おにぎりは焼きおにぎりにしてそれと、カキの煮つけ。昼食が決まると私は箸を動かす速度を上げた。
 納豆は島の島民から貰ったもので、醤油をかけて頂くととても美味しい。わかめもつるっとしていて美味しいし味噌汁のだしもしっかり効いている。

「ごちそうさまでした」

 食器を流しに片付けると、私と沼霧さんは魚を持ってある場所に向かう。

「いるかな、光さん。昨日いなかったけど」
「あっさっきいましたよ。海でカキ一緒に取ったので」

 家を出てすぐ目の前にある桟橋。そこに彼はいた。黒い二等辺三角形型の背びれが海面に現れている。

「光さん!」
「おっ、来たかあ」

 彼は光さん。オスのシャチで、この海に居着いている。なぜか人語が話せてあやかしとも仲が良い。言葉はややぶっきらぼうだけど親切でよく沼霧さんと一緒に海産物を取ってきてくれる。

「光さん、朝ごはんの魚あげる」
「おっ千恵子助かるわ。ちょうど腹が減ってたとこだったのよ」

 光さんに沼霧さんが取ってきたアジを一束分放り投げる。光さんは丸のみにしたのだった。

「千恵子、今日も1日頑張れよ」
「うん、頑張る」

 今日も良い日になりますように。