朝が動く音で、目を覚ました。
 朝は必ず訪れる。夜も必ず訪れる。世界は持ちつ持たれつの関係が延々と続いている。
 朝陽を浴びるのと同時に、闇の住人は静かに身を隠し、眠っていたものは蠢きだす。
 今日も、世界は廻っている。
 世界は絶え間ない流れに乗っている。
 時の流れは無常だ。偉大な先人でさえ、時の流れには抗えない。時は残酷であると同時に、生への渇望も与えてくれる。
 一日が始まるとき、僕は決まって不安になる。過去と同じ筆致で、絵を描けるかどうかわからなくなるからだ。
 偉大な先人達も、果たしてそうだったのだろうか。朝起きて朝食を取る間も惜しんで、創作に打ち込む。そして、寝る間さえも惜しんで、命を賭して作品に魂を刻み込む。そのように作品を生み出しても、次にまた同じように作品を生み出せる保証などどこにもない。創作とは誰もいない暗闇の中、手探りで何かを探す感覚に似ている。創作と対峙した者にしかわからない畏怖。常に何かに追われているような不安。その中を、一つ一つこじ開けていくしかない。作品が出来上がるまでは、イメージは出来ても、光が灯ることはない。完成して初めて光を浴びるのだ。
 今日は創作しよう思い、キャンバスの前に立ってはみたが、なかなか筆が進まず考えてばかりだった。紗希の言った自分と向き合うとは、どうすればいいのだろう。自分なりに考えて描いてきたつもりだし、魂も込めて描いているつもりだ。でも、紗希は全てを見透かしたように真理もとも取れる言葉をくれた。僕はただ、真摯にその言葉と向き合いたかった。
 向き合うとは、本来相手がいて初めて成立するもの。では、自分自身ですら本当は他人なのだろうか。そもそも心と体は別々のモノが支配しているのではないか。そんな考えが頭の中の宇宙を漂っては衝突しあい、また生まれては駆け巡っていた。どうしても考えがまとまらず、紗希に電話したのは太陽の照り返しが眩しい午後だった。