勇は上恵須取《かみえすとる》という小さな町で、鈴江と姑、義姉とその息子を養っていた。ある日樺太庁から通達が届いた。『港から北海道に向かう疎開船が出ているので、婦女子は一刻も早く避難し疎開船に乗るように』と。成人男性は避難を禁じられ、国民義勇隊として戦闘に参加せよとされていたが、知った事では無い。

 今の今まで、樺太は日本で最も安全な場所だった。アメリカ軍の攻撃は北の僻地には届かない。ソ連は日本と中立条約を結んでいるので攻撃してこない。ところが急にソ連が敵に回ったという。

 勇達は珍恵道路《ちんけいどうろ》を通って久春内《くしゅんない》に出て、列車で真岡という港町を目指すことにした。

 女達には危機感が欠落していた。鈴江と義姉は「勿体ない」と晴れ着を着て行こうとするし、姑は布団を背負った。「死にたいのか」と罵り、必要最低限の物だけを持たせた。鈴江がリュックの底に包丁を入れたのは黙認した。いざという時の自決用だと思うが、武器になる。

 珍恵道路は人で溢れていた。勇はもっと早く歩きたかった。しかし女達の足は遅い。殊更姑と甥が足手纏いだった。深夜遅くまで歩き、造成飯場を見付けて休むことにした。皆一塊になって、配られたお握りを囓った。鈴江は勇に付いて来ていたが、他の者達は随分遅れた。義姉は子供と姑の手を引いて歩いていたらしい。

 弱い者を気遣う余裕は翌日には尽きた。最初に姑が座り込み「先に行け」と言った。義姉はもう回復を待たなかった。泣きじゃくる息子の手を離したのは、八月の太陽が真上からじりじりと照りつけていた頃だ。「待って、待って」と泣きじゃくる甥は人の波に飲まれて見えなくなった。義姉は亡霊のような顔でのろのろと歩いていた。義姉だけでは無い。皆、似たような顔をしていた。道端には持て余した荷物が捨てられていた。布団、着替え、食料品。重たくて無駄なものから捨てられていく。そこに、老人、赤子、子供が交じるようになった。歩けなくなった老人は手を伸ばす。しかし誰もその手を引こうとしなかった。赤子の傍には必ず哺乳瓶が置かれていた。誰もその口に哺乳瓶を咥えさせてやらなかった。親とはぐれた子供が泣きながら歩いている。誰もその子に声を掛けはしなかった。自分の身体を前に運ぶだけで、皆精一杯だった。

 突然、頭上に黒い影が覆い被さってきた。咄嗟に鈴江の手を取って脇の茂みに逃げた。ソ連の国旗を羽根に描いた飛行機が三機現われ、機銃掃射を見舞った。そこにいるのは女か子供か老人だ。なのに容赦なく銃弾は降り注いだ。義姉は大粒の雨に気付いたように呆然と空を見上げていた。逃げる事を諦めた身体に無数の銃弾が打ち込まれ、義姉は崩れるように地面に伏した。

 集団から離れた方が安全だと、勇は判断した。道に沿うように森を行く。森のことは杣人が一番よく知っている。列車に乗るのもやめた。汽車が標的にならないはずが無い。ひたすら森を抜け、真岡に辿り着く。そう決めた。鈴江は足が遅く、邪魔だった。しかし、この状況下でも本能は女体を欲した。鈴江は黙って相手をし、足底のマメに手ぬぐいを巻き、付いてくる。欲望の為だけに、勇は鈴江を付き従えていた。