昼を少し過ぎた頃、深月は月に数回予定されている訓練稽古を視察するため、本邸に併設された訓練場に赴いていた。

 これも契約花嫁の深月がやるべきことのひとつだ。

 暁の花嫁となる以上、彼を公私ともに支えるため、その隊を十分に理解しておく必要がある。あくまでこれも見せかけの義務ではあるけれど、毎回稽古に打ち込む隊員たちの姿を見るたび、深月は敬意を抱いていた。

 そして、稀血として身体が覚醒した影響により、ある話し声が頻繁に聞こえるようになっていた。

 『オラア、刀の錆にしてやんよ!』

 『ふん、小生意気な。生まれて二百やそこらの若造がいい気になるな!』

 『下手な振りばっかり。もっとうまく使ってよね』

 『おい人間! へばるのが早すぎるぞ!』

 場内のそこかしこから聞こえてくる奇妙な音域の声。これらはすべて妖刀に宿るあやかしものの意思だ。

 (あんなに会話が飛び交っていたなんて思わなかったわ)

 特命部隊の隊員は、刀にあやかしものを宿した妖刀を所持し、これを使い禾月や悪鬼に応戦する。入隊時には『あやかし降ろし』が通過儀礼とされ、その妖刀の主は、宿したあやかしものの声を聞くことができるのだ。

 『キャッ、アタクシとても光栄ですワ! 刀越しとはいえ、天サマと手合わせができるなんて~‼』

 一段と気が高ぶった声のするほうに深月が目をやると、手合わせ中の暁と羽鳥の俊敏な動きが視界に飛び込んできた。

 『面倒くせぇ、俺様は眠いんだよ』

 『エンッ、つれない! 雪梅(ゆきめ)は悲しい! この愛をぶつけるまで気がすまないワ!』

 「こら雪梅、主導権を握ろうとするな!」

 頬に汗を浮かべた羽鳥は、握った妖刀に向かって言い放つ。

 『ヤンッ、アタクシったら。ゆるして羽鳥~!』

 羽鳥の妖刀・雪梅は、この訓練場にいるどの妖刀よりも個性的な口調と性格をしている。暁の妖刀・童天丸とは知った仲のようで、手合わせのたびに好意的に話しかけていた。

 奇妙なこの現状も、何度か経験するたびに深月は徐々に受け入れられるようになった。

 「羽鳥、また右からの振りに反応が遅れている」

 「はい!」

 隊長と副隊長の打ち合いは、一般隊員たちにとっても刺激になる。

 羽鳥の実力は同時期入隊の者と比較しても群を抜いているという話だが、そんな彼との手合わせで逐一指導し、弱点を指摘する暁は別格と言えた。

 「暁隊長、どうしてあんな動きができるんだ?」

 「いまの身のこなし、妖刀が手にあるんじゃ物理的に不可能だろ」

 「それをやってのけるんだからさすが隊長だよ」

 「上位種の鬼を従わせているってんだから、精神力も常人の域を超えてるよ。そもそも俺たちとはなにもかもが別格なんだ」

 一般隊員たちはいつのまにか手を止めてふたりに見入っている。

 耳に入る声色から暁に対する深い畏敬の念が伝わってきた。

 (もちろん生まれついた体格や素質はあるのだろうけれど、いつも人知れず鍛錬に励んでいるわ)

 自主鍛錬について暁は隠しているつもりはないのだろうが、だからといってわざわざ周囲に知られることを望んでいないのも理解している。

 ただ、生まれつきの差だとすんなり納得して、暁の影の努力をなにも知らない彼らの声が耳に入るたびに、深月は複雑な心地になっていた。

 (わたしったら、知ったかぶりもいいところよ)

 自分だってその事実を知れたのは最近のことなのに。

 深月は内側に湧き出てしまっていた身勝手な気持ちを恥じた。

 こんなことで少しでもムキになるのはよそうと、意識をもう一度暁に移したところで、手合わせが終わりこちらに近づいてくる彼と目が合った。

 「暁さま、どうぞ」

 深月は用意していた手ぬぐいを差し出した。

 「ありがとう」

 手合中の研ぎ澄まされた表情が、深月を前にして柔らかくなる。

 ほっとする温和しやかな微笑みに、胸の奥がさわりと落ち着かなくなった。

 「どうかしたのか?」

 おかしな違和感に気を取られていれば、暁がもう一歩近寄って深月の様子を確かめた。

 「ここ、少し赤くなっているようだが」

 「赤……あっ」

 暁の眼差しが、深月の口端に注がれる。

 とっさに脳裏を横切ったのは、紅をはみ出して塗ってしまったのではという可能性だった。

 (鏡で確認はしたはずなのに)

 そうかもせれないと思うと一気に恥ずかしさが頭に募り、動揺から深月は反射的に足を後ろに引く。

 と同時に、もう片方の足首につま先が引っかかり運悪く体勢が崩れた。

 「大丈夫か?」

 ぐらりと高い天井に投げ出されそうになった視界が、力強い腕に引き戻される。深月の口から音にもならない息がこぼれた。

 まばたきの間に距離を詰め、抱きとめてくれた暁の顔が近い距離にあったからだ。

 「大丈夫です。ありがとう、ございます」

 なんとか声に出す。仰向けなので少し吃ってしまった。

 「そうか、よかった」

 多少驚いていた暁もそれを聞いて安堵をみせる。

 腰には手が回されたまま、しっかり立たせるまで彼は恭しく深月を支えてくれた。

 『ステキッ! 天さま、アタクシも倒れそうになったら支えて~‼』

 『いまのおまえのどこに支える腰があんだよ』

 『キャッ、それってつまり生身のカラダのときならもたれかかっていいってこと⁉』

 『言ってねえ』

 童天丸と雪梅の軽快なかけ合いに、立ち直した深月ははたと気づいた。

 場内の注目を浴びてしまっていたということに。

 「……っ」

 血の気がさっと引いたあと、すぐに沸騰するような感覚に変わる。

 いくら隊員たちに暁と親しい間柄として把握されているとはいえ、訓練稽古の最中に見せていい場面ではなかっただろう。それに不慮の事態とはいえ、抱き合っているように見えてしまったこともあり、これでは暁も隊長として示しがつかなくなってしまうと深月は思った。

 「おかげで転ばずに済みました。訓練稽古も終わる時間ですし、手ぬぐいはわたしが洗わせていただきます。皆さま、お先に失礼します」

 なるべく語頭で声を張り、暁はただ抱きとめてくれたのだということを明白に証明しながら、会釈を済ませた深月は手ぬぐいを持って訓練場を出ていった。