理由 は、元凶の稀血が久我家に侵入してしまった原因が、暁にあったからだった。
当時、暁の許嫁・鶴子は、暁の兄と想いを通じ合わせていた。しかし、兄は体が弱く跡継ぎとしては不安要素が尽きず、それらを考慮して許嫁になったのは暁だった。
久我家は代々日照り石の加工を請け負う歴史深い重要な家系。後継者問題が絡んだ決定はそう簡単に覆せるものではなく、鶴子と兄が両想いだと知っていた暁は、こ の枝垂れ桜の下だけ許されていた密やかな逢瀬にも目を瞑っていた。
その晩も、ふたりは枝垂れ桜の丘に向かった。
いつもは暁が日照り石が組み込まれた門の施錠を閉め、ふたりが帰ってくる頃に開けていたのだが、この日は開けたままで暁も夜の散歩に出かけてしまった。
本当に、たんなる気分だった。なんとなく夜道を歩きたかっただけ。
けれど、それが原因で稀血や禾月、悪鬼の侵入を許す事態になったのだった。
日照り石を扱う久我家は、元凶の稀血に狙われており、その日が好機だと襲撃を起こされたのである。
そうして、帰ってきた頃にはすべてが終わったあとだった。無惨な屍の上には、無数の花びらが散っていた。
柔らかな薄紅色ではなく、真っ赤に染まった花びらが、暁の脳裏から消えることはなかった。
……君に聞かせるには、あまりにも粗末な話だったろう?」
いつかの己の言葉と重ね、無様だと嘲笑うような暁の面差しが、ひどく悲しくて、鮮明に焼きつく。
目尻が熱くなり、涙が出そうになるのを深月は必死に堪えた。
「わたしは、それでもそのようには思ってほしくありません。自分が憎まれ続けて、自分を憎む誰かの手によって命を終わらせてもいいだなんて」
深月は一歩、また一歩と歩み寄る。
体が震えているのは、これからすべてを伝えることが怖いからじゃない。
いつかこの世に未練がなくなったとき、いなくなってもいいと本気で思っている彼の決意が堪らなく痛々しかった。
どうすれば覆せるのだろう、どうすれば未練が増えてくれるだろうと、考えても確実に止められる方法が見つからないことが、悔しかった。
必死に思えば思うほど、感情が濁流のように押し寄せてくる。
「暁さまにとって責務はなによりも優先されるべき大切なことで、わたしをそばに置いてくれることも、気遣ってくれることも、すべては参謀総長さまからの命令があって見せてくれていたものだとしても」
「……参謀総長?」
「それでも暁さまは、やっぱり真っ直ぐな人だと思うから。そんな人だから、務めの一環でも戸惑ってしまうほど優しくて、不安になるぐらい温かくて、そんな暁さまだから、わたしは恋をしたんだと気づけて、それで」
途中から取り留めない子どものような言葉で溢れてしまった。
なぜこうも感極まっているのか自分でもわからない。うまく自分を制御できず、これまで隠していた思いの丈が溢れてきてしまう。
「好き、です」
「……深月」
「胸が苦しくなるのも、暖かくなるのも、これは恋なのだと教えてもらいました。だから、好きになって、すみません。でも、このまま言わずにいるのは嫌だと、思いました。暁さまのそばを離れるとき、冷静に向き合っていられるように心の準備だけは」
「深月」
桜とともに深月を包みこんだのは、暁の香りだった。
「さきに言わせてしまってすまない。俺から言うべきことを、君ばかりに言わせてしまった」
「……っ」
「気づかせてくれてありがとう。君が俺の、未練になったんだ」
そう言った暁は、ふたたび深月を優しく抱き寄せた。
抱きしめられていると、そのとき深月はようやく気づく。
「俺はずっと誰かを特別に思うことを避けていた。君が俺に言った特別になりたいという理由も、どこかで聞かずにいることを望んでいた。だが、君に関してはそういった望みがすべて反対になる」
「あの、それは……わたしも、特別だと思う気持ちが、恋だと気づいたのがまだ最近で……あの暁さま、どうしてわたしを抱きしめて?」
まだ混乱している深月に、暁は少し自信がなさそうに尋ねた。
「突然気持ち悪くなかったら、不快であれば 」
「い、嫌じゃないです! そういうのではなくて!」
そう言って深月がそっと胸元に寄ると、安堵のため息が降ってくる。
心臓は破裂しそうなほど動いているのに、それでも心地よく感じているのは、暁が好きな人だからだろうか。
「あ、あの。暁さまにとって、わたしが未練で、ということは……?」
ここ最近、ひとりで悶々と拗らせてしまった深月は、この温もりを受け入れていても、いまいち現実味がなく疑問ばかりを口にしてしまう。
そんな彼女の姿に、暁はこの上なく愛おしげな笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな。相手に伝えるには、はっきりと言わなければ」
口元を楽しげに動かし、ふたりの距離はさらに近づく。
「君が好きだ。これは俺の意思で、誰にも譲れそうにない」
「暁さまが、わたしを……好き?」
「参謀総長との話で君には大きな誤解を与えてしまったようだ。俺が君を気遣うのは、もう義務じゃない。俺が君にそうしたいと思うからする。変わっていく君の一番そばにいたいと思う」
「……暁、さま」
「だから君を好きでいることを、これからはどうかゆるしてくれないか」
「あの、ではわたしも暁さま好きでいて、いいということでしょうか」
無垢な瞳に見つめられ、暁は堪らず深月の頭に手を回し、耳元で囁いた。
枝垂れ桜の下で、薄紅色の花びらが舞う。
ふたりにだけ聞こえる声で、はっきりと。
「ああ、好きでいてほしい。それと、どうかその顔は俺の前でだけにしてくれないか」
桜を見つめて憂いを浮かべていたあの日が嘘のように、彼は愛おしい存在を見つけて幸せそうに笑った。
当時、暁の許嫁・鶴子は、暁の兄と想いを通じ合わせていた。しかし、兄は体が弱く跡継ぎとしては不安要素が尽きず、それらを考慮して許嫁になったのは暁だった。
久我家は代々日照り石の加工を請け負う歴史深い重要な家系。後継者問題が絡んだ決定はそう簡単に覆せるものではなく、鶴子と兄が両想いだと知っていた暁は、こ の枝垂れ桜の下だけ許されていた密やかな逢瀬にも目を瞑っていた。
その晩も、ふたりは枝垂れ桜の丘に向かった。
いつもは暁が日照り石が組み込まれた門の施錠を閉め、ふたりが帰ってくる頃に開けていたのだが、この日は開けたままで暁も夜の散歩に出かけてしまった。
本当に、たんなる気分だった。なんとなく夜道を歩きたかっただけ。
けれど、それが原因で稀血や禾月、悪鬼の侵入を許す事態になったのだった。
日照り石を扱う久我家は、元凶の稀血に狙われており、その日が好機だと襲撃を起こされたのである。
そうして、帰ってきた頃にはすべてが終わったあとだった。無惨な屍の上には、無数の花びらが散っていた。
柔らかな薄紅色ではなく、真っ赤に染まった花びらが、暁の脳裏から消えることはなかった。
……君に聞かせるには、あまりにも粗末な話だったろう?」
いつかの己の言葉と重ね、無様だと嘲笑うような暁の面差しが、ひどく悲しくて、鮮明に焼きつく。
目尻が熱くなり、涙が出そうになるのを深月は必死に堪えた。
「わたしは、それでもそのようには思ってほしくありません。自分が憎まれ続けて、自分を憎む誰かの手によって命を終わらせてもいいだなんて」
深月は一歩、また一歩と歩み寄る。
体が震えているのは、これからすべてを伝えることが怖いからじゃない。
いつかこの世に未練がなくなったとき、いなくなってもいいと本気で思っている彼の決意が堪らなく痛々しかった。
どうすれば覆せるのだろう、どうすれば未練が増えてくれるだろうと、考えても確実に止められる方法が見つからないことが、悔しかった。
必死に思えば思うほど、感情が濁流のように押し寄せてくる。
「暁さまにとって責務はなによりも優先されるべき大切なことで、わたしをそばに置いてくれることも、気遣ってくれることも、すべては参謀総長さまからの命令があって見せてくれていたものだとしても」
「……参謀総長?」
「それでも暁さまは、やっぱり真っ直ぐな人だと思うから。そんな人だから、務めの一環でも戸惑ってしまうほど優しくて、不安になるぐらい温かくて、そんな暁さまだから、わたしは恋をしたんだと気づけて、それで」
途中から取り留めない子どものような言葉で溢れてしまった。
なぜこうも感極まっているのか自分でもわからない。うまく自分を制御できず、これまで隠していた思いの丈が溢れてきてしまう。
「好き、です」
「……深月」
「胸が苦しくなるのも、暖かくなるのも、これは恋なのだと教えてもらいました。だから、好きになって、すみません。でも、このまま言わずにいるのは嫌だと、思いました。暁さまのそばを離れるとき、冷静に向き合っていられるように心の準備だけは」
「深月」
桜とともに深月を包みこんだのは、暁の香りだった。
「さきに言わせてしまってすまない。俺から言うべきことを、君ばかりに言わせてしまった」
「……っ」
「気づかせてくれてありがとう。君が俺の、未練になったんだ」
そう言った暁は、ふたたび深月を優しく抱き寄せた。
抱きしめられていると、そのとき深月はようやく気づく。
「俺はずっと誰かを特別に思うことを避けていた。君が俺に言った特別になりたいという理由も、どこかで聞かずにいることを望んでいた。だが、君に関してはそういった望みがすべて反対になる」
「あの、それは……わたしも、特別だと思う気持ちが、恋だと気づいたのがまだ最近で……あの暁さま、どうしてわたしを抱きしめて?」
まだ混乱している深月に、暁は少し自信がなさそうに尋ねた。
「突然気持ち悪くなかったら、不快であれば 」
「い、嫌じゃないです! そういうのではなくて!」
そう言って深月がそっと胸元に寄ると、安堵のため息が降ってくる。
心臓は破裂しそうなほど動いているのに、それでも心地よく感じているのは、暁が好きな人だからだろうか。
「あ、あの。暁さまにとって、わたしが未練で、ということは……?」
ここ最近、ひとりで悶々と拗らせてしまった深月は、この温もりを受け入れていても、いまいち現実味がなく疑問ばかりを口にしてしまう。
そんな彼女の姿に、暁はこの上なく愛おしげな笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな。相手に伝えるには、はっきりと言わなければ」
口元を楽しげに動かし、ふたりの距離はさらに近づく。
「君が好きだ。これは俺の意思で、誰にも譲れそうにない」
「暁さまが、わたしを……好き?」
「参謀総長との話で君には大きな誤解を与えてしまったようだ。俺が君を気遣うのは、もう義務じゃない。俺が君にそうしたいと思うからする。変わっていく君の一番そばにいたいと思う」
「……暁、さま」
「だから君を好きでいることを、これからはどうかゆるしてくれないか」
「あの、ではわたしも暁さま好きでいて、いいということでしょうか」
無垢な瞳に見つめられ、暁は堪らず深月の頭に手を回し、耳元で囁いた。
枝垂れ桜の下で、薄紅色の花びらが舞う。
ふたりにだけ聞こえる声で、はっきりと。
「ああ、好きでいてほしい。それと、どうかその顔は俺の前でだけにしてくれないか」
桜を見つめて憂いを浮かべていたあの日が嘘のように、彼は愛おしい存在を見つけて幸せそうに笑った。