深月もやっと落ち着きを取り戻し、暁は近くの石段に座った雛のもとへ向かう。

 「雛、怪我を見せてくれ」

 暁はその場に片膝をつき、雛を見上げるように見た。

 「もう、いいわよ。この人が、診てくれたから」

 「あ、ははは、なんかごめんなさい。雛ちゃん、軽い捻挫と打撲だったよ」

 「そうか。適切な処置に感謝する」

 「いえいえ、お構いなく〜」

 気まずい空気が流れていることを察した璃莉は、ひょいと立ち上がって深月のほうへ避難した。

 すぐそばに深月と璃莉がいるとはいえ、まるで個室の空間に押し込められたような空気を醸し出すふたりに、深月まで緊張してしまった。

 「……あれは、なんなの」

 ようやく雛が口を開き、先ほどの説明を求めた。

 「悪鬼という、あやかしものだ。男のほうは、禾月。あちらもあやかしもの、人間の血を糧にする種族だ」

 「……」

 それを聞いて雛は黙り込ん。公には知られていない事実に、理解しきれないのかもしれない。

 通常ならば、悪鬼や禾月と遭遇した一般人は、等しく忘却剤を打って記憶を失くす処置を施すそうだが、雛のことはどうするつもりなのだろう。

 「……って」

 涙声混じりの雛の声が、言いきれずに途切れる。

 暁はそっと近寄り、嗚咽混じりな声を出す雛の唇を読み取った。

 「もし、かして、お父さま、お母さま。鶴子、姉さま。みんなを殺したのは、あれなの?」

 どこで確証を得たのかはわからない。けれど暁に問いかける雛の瞳から、彼の敵意が忽然と消えていて。

 彼女のなかでほとんど確信しているということが、その様子からはわかった。

 「ああ、そうだ。君の家族も、俺の家族も、屋敷の皆も、暴走したあやかしものに殺された」

 暁は、稀血とは言わなかった。

 事実を知ったばかりの雛に、これ以上混乱させてはいけないという彼なりの配慮だったのだろう。

 暁が肯定の意を見せると、雛は泣き出してしまった。

 「どうして、言ってくれなかったのよ。あんな恐ろしいもの、野盗とはまったく違うわ。子どものあなたが、勝てるわけないじゃない」

 禍々しく恐ろしい悪鬼を目のあたりにした雛は、まだ同じく子どもであった暁が助けられなくてもしょうがなかったと理解した。

 どうして教えてくれなかったのか、と訴える雛に、暁は複雑な表情を浮かべるばかりだった。

 「ごめんなさい、あなたのこと、ずっと恨んでばかりで。わたくし、本当は幼いときからあなたのことが好きだったの。だから新しい婚約者を迎えたと知って、鶴子姉さまがいたのにって腹が立って、同じぐらいどうしてわたくしを迎えにきてくれなかったのって、花嫁にするならつぎはわたくしでしょって、悔しかったの」

 「……」

 感情に任せた雛の告白に、暁はわずかに目を開き、そして子どもに向けるような優しい顔をしてみせた。

 「すまない、雛」

 「謝らないでよ。あなたはそうやって謝ってばかりで、それが誠実だとでも思ってるの⁉」

 「……!」

 涙を流し続ける雛に半ば怒鳴られ、暁は静かに瞠目した。

 「……そうだな、それでは誠実ではない」

 暁は居住まいを正して向き直り、雛に頭を下げた。

 「いままで本当のことを隠していてすまない。死の原因を誤魔化してしまってすまない。……君の気持ちには、応えることができない」

 「わたしの告白の答えは、おまけみたいね」

 不服そうにする雛だが、その顔には笑みがあった。

 「俺が花嫁として迎えたいと思うのは、深月だけだ」

 「えっ」

 そばで見守っていた深月は、まさか自分の名をここで聞くとは思わず、肩を跳ね上げる。

 隣に立つ璃莉は「どうして驚いてるの? 当たり前だよ!」と言わんばかりのきらきらした瞳を向けてくるが、彼女は知らないのだ。暁と参謀総長の会話を。

 そしてなぜか、暁からも物言いたげな目を向けられていることに気がつき、深月は動揺のまま口を動かした。

 「そ、そうだ。晋助さんが雛さんを探していたんです。もうすぐ黎明舞が始まるからと。だけど……」

 その場の全員が雛の足首に目をやる。これでは舞いどころか、歩くのもやっとだ。

 「じゃあ、やっぱ深月さまが舞うしかないね! 雛ちゃんの担当は大トリの部分だから長さは一番短いし、今こそ訓練した成果だよ!」

 「まさか、君」

 暁も察したような視線を向けられ、深月は返す言葉がなく押し黙った。

 璃莉は軽々と言ってのけるが、舞う長さは一番短いとはいえ、雛が担当する場所は、一番目立つ大トリである。

 「あなた、本当に舞えるのね。嫌がらせて言ったつもりだったんだけど。ちょうどいいわ、わたくしの代わりに頼めない? 舞衣裳ならいましているのを脱いで渡すから、お願い!」

 「早くしないと始まっちゃうよ深月さま!」

 「は、はい。わかりましたっ」

 ゆっくりと決めている暇はない。本当に代理として舞うことになってしまった深月は、雛の衣裳を借り、舞台に急いだのだった。