深月が雛を見つけたのは、旧祈祷殿という、本殿からかなり離れた場所にある建物だった。

 複数の男と、異形な姿をした黒い鴉に囲まれるようにしている雛に向かって、深月は声を張り上げた。

 「雛さんっ!」

 「おい、また人間かよ」

 面倒な表情を浮かべる男を警戒しながら、深月は雛を庇うように前に出た。

 青白い肌の男たちを見据えた深月は、あっと息をつく。

 (この人、わたしのことを人間っていった)

 ということは、この男たちは人間ではない。

 (……野良、禾月?)

 そして、バサバサと羽音を立てて周囲を飛び回っているこの黒い鴉のような不気味な生き物。姿はまったく違うけれど、以前悪鬼に取り憑かれた誠太郎と似たような空気を感じた。

 「雛さん、大丈夫ですか?」

 「あ、あなた……どうしてここに」

 「運良く、見つけて」

 震える雛を安心させようも深月はただ優しく笑う。

 思い切り突っ走ってここまできてしまった深月だが、正直なところとても怖い。足はいまにも震えそうだし、呼吸も浅くなっている。

 けれど、自分よりも雛のほうが怖いはずだ。

 たぶん彼女は、生まれて初めてあやかしものを目にしている。この独特な雰囲気、ぞわりと肌が粟立つ嫌悪感。普通の空気ではない。

 『ガァ!』

 状況を整理する深月に容赦なく鴉の鉤爪は伸びる。

 着物の袖で壁を作り、一撃からは逃れられたが、囲まれたままでは傷を負うのも時間の問題だ。

 璃莉とはここに来る途中ではぐれてしまった。人混みを掻き分けるのに苦労しているのだろう。

 『ガアガア!』

 上空をぐるぐると飛び回る鴉が、ふたたび深月と雛に襲いかかろうとする。数箇所から速度をつけて降下する鴉に、深月も避けきれないと悟る。

 このままでは、雛も、自分もただでは済まない。

 (だめ――とまって!)

 襲いかかる鴉に、深月は無意識に睨みを送った。

 すると鴉は空中で不自然に止まり、ばたばたと音を上げて地面に叩きつけられたのだった。

 しん、と威嚇の鳴き声はやみ、代わりな沈黙が流れる。

 「な、なんだ、いまのは」

 「悪鬼どもか気を失った……だがなぜだ?」

 「まさか、この女が」

 男のうちひとりが怖々と深月に指を向けたとき、その背後で、黒い影が揺れ動いた。

 刀身が入り妖艶な赤い輝きをまとい、その一振で光が残像のように残る。

 「ぎゃあああ」

 「ぐあっ!」

 「お、おまえは、鬼使い――ぐっ!」

 またたく間に禾月らしき男たちは、音もなく颯爽と現れた暁によってあっという間に討伐された。

 「うそっ、出遅れた!? あたし、深月さまの護衛失格っ」

 続いて現れたのは、璃莉である。

 すでに終わった惨状に失望感を浮かべ、いまだに雛を抱えたように守っていた深月に駆け寄った。

 「深月さま、大丈夫だった!? あれ、深月?」

 心がぽろりと抜けてしまったように、深月は呆然と前だけを見ていた。

 深月の様子も戻らないまま、足を挫いた雛は璃莉の誘導で近くの石段へと誘導され、駆けつけた特命部隊員によって悪鬼に憑かれた鴉と野良禾月は、固く縄で縛られそのまま連行された。

 それすら目に入らず、深月は呆然と立ち尽くす。

 (わたし、いまなにをして……)

 雛を守らなければと動いて、それでも囲まれてはどうしようもなく、もうだめだと思った瞬間。

 (わたしが、あの鴉を失神させた? それも、傷がついていた。引っ掻き傷のような細かい痕がたくさん……あれもわたしが一瞬で起こしてしまったの?)

 人間離れした現象に、いまさらながら手が震える。

 手に触れていないのに、生々しい感触があった気がした。肉を裂くような音と、鳴き声がプツンと短く消え激しく響いた落下音。

 (治癒だけじゃないのはわかっていたじゃない。わたしは稀血で、だからもっと恐ろしい力を無意識な振舞ってしまうかも――)

 呼吸を何度も繰り返す。大丈夫、あのときのような暴走は起こらない。 それはあの瞬間に打ち勝ったはずだから。

 でもらこの不安定に揺れる気持ちはなんだろう。

 あのときは胸の真ん中に強くあったものが、いまは頼りなく、焦燥感に見舞われていく。

 (落ち着いて、落ち着いて。暴走はしない、しない、絶対にしない)

 そのとき、ぎゅっと握りしめていた深月の拳に、温かい手のひらが覆った。

 「深月、聞こえるか?」

 まぶたをそっと持ち上げると、深月の拳を包み込むように暁が両手を添えてくれていた。

 強く目をつむりすぎたのか、ぼんやりと視界を正そうとまたたきを落とせば、暁の姿がより鮮明に映る。

 「わたし、いま力が……」

 「ああ、驚いたな」

 慰めのような声音で囁く暁に、深月は尋ねた。

 「あの、鴉。大丈夫でしょうか」

 「それは、安否を聞いているのか?」

 「最初はわたしや雛さんに襲いかかろうとして、そのときの目が本当に恐ろしかった。でも、地面に落ちたあとの目は違いました。丸くて、優しそうで、取り憑かれていたから凶暴になっていただけなのに、わたしは……」

 あの丸くて可愛らしいつぶらな瞳を見てしまい、深月は自分の力に対する戸惑いのほかに、ひどい罪悪感に襲われたのだ。

 「大丈夫だ。鴉の命は無事で、妖刀で悪鬼を取り払えば通常の鳥に戻る。驚いただろうが、心配はいらない」

 そう言われて、深月は自分の手の温度が戻っていることに気づいた。暁がこちらに言葉をかけながら、ずっと添えていてくれたのだろう。

 「雛を守ってくれてありがとう。君のおかげで、居場所もすぐに見つけられた。君の力は、誰かを救うためにある力だった」

 (……あ)

 真っ直ぐにこちらを見つめる黄淡の瞳を、深月は久しぶりにじっくりと見たような気がした。

 これまではいろいろと自分のなかにある感情を意識して、避けていたのかもしれない。

 暁の瞳には、やはり精神を安定させる力でもあるのだろうか。

 たったいままで震えていた震えが、もう完全になくなっていた。