その夜。深月は寝支度を整え、就寝に入るまでの時間を部屋で過ごしていた。

 寝床で丸まった鈴の背中を撫でながら雛との会話のやりとりを思い出していたとき、扉が控えめに叩かれる。

 「こんな時間にすまない。起きているか」

 「暁さま?」

 取っ手を回して扉の隙間から廊下を確認すると、やはりそこには暁の姿があった。

 「昼間、街に出かけたと羽鳥から聞いた。雛のことも。少し、話はできるか?」

 夜も深まり始める時間帯だからなのか、暁の声は囁くように静かで、いつもより低く聞こえる。

 「はい、大丈夫です。どうぞなかにお入りください」

 扉の隙間をさらに広げて暁をなかに招くと、戸惑う息遣いが聞こえた。

 「失礼する」

 暁が部屋のなかに入り、ようやく深月はひと足遅れて気がついた。

 夜分に異性を部屋に招くのは、普通ならば褒められたものではないのかもしれない。

 だが、相手は暁だ。目的があって訪ねてきただけなのだから、こちらが変に意識しなければ特段問題はない。

 深月はそっと胸を撫で、その場でくるりと向きを変えた。

 部屋に通された暁が、少し気まずそうにして立っている。

 「疲れているだろうに、時間を取らせてすまない」

 「目が冴えていたので大丈夫です。暁さまのほうこそ、お疲れではありませんか?」

 「大丈夫だ、ありがとう」

 まず他愛ない会話を挟み、それから本題になった。

 「雛に永桜祭の舞人を引き受けるように迫られたと聞いた。ほかにもいろいろと探りを入れられたと。本当にすまない、君に迷惑をかけて」

 「わたしは大丈夫です。ただ、あまり雛さんが納得していなかったようなので。それが少し心配で、黎明舞のことも……」

 「舞人の話は雛も本気ではないだろう。おそらく俺と関わりのある君を困らせたいんだ」

 暁もある程度は雛の言動の意図を理解しているようだった。ゆえに巻き込まれた深月には、気にしなくていいと言ってくれる。のだが。

 「暁さま、聞いてもいいでしょうか」

 「……ああ」

 暁は悟ったようにうなずく。深月は両手を胸に当てきゅっと握りしめた。

 「朱凰家に養子縁組する前、暁さまの旧姓は久我。そして同じく、その頃の雛さんは間宮。おふたりのお家は交流があって、間宮 鶴子さんという方が暁さまの許嫁だったと。ここまでは間違っていないですか?」

 「君の言う通りだ」

 暁はうなずき、すぐに口を閉じた。

 まだ深月の聞きたいことが終わっていないとわかっているからだろう。

 「稀血に……殺されてしまったのが、暁さまの家族と、親しかった方々だと、言っていましたね。その親しい方々に、間宮 鶴子さんや、そのご両親がいらっしゃった」

 「ああ」

 「それで……あの」

 ここまで言葉にできたのに、その先を聞くのが一瞬躊躇われる。でも、もう曖昧に把握している状態でいるのは嫌だ。

 「どうして、見殺しにしただなんて、言われているんですか?」

 どきどきと、痛いほど心臓の動きが早くなるのを感じる。浅い呼吸を繰り返し、暁をじっと見つめる。

 暁は、難しい顔をふっと緩めると、それから弱々しく眉を下げた。

 「どんな理由であれ、俺の至らなさが招いたことには変わりない。雛がああなっているのも、すべて自分のせいだ」

 「それは、どういう……」

 「いや、君に聞かせるにはあまりにも粗末な話だ。気にしないでくれ」

 そう言われてしまって、ああやっぱり、とじわじわ切なさが込み上げた。

 どうして彼が自分を責めているのか、その理由を語る気はないのだということが嫌というほどわかってしまったから。

 (なのにこんなこと、暁さまは望んでいないのに。どうしても考えしまう)

 雛が現れた日から、ずっと思っていたこと。それはあまりにも傲慢で、自分本意で、欲深いものだった。

 暁の抱えるもの全部を共に背負えたら、と。そんなことを思ってしまうのだ。

 (教えたほしいと言ったら、どうかひとりで抱え込まないでと言ったら、暁さまはわたしを遠ざけてしまうかもしれない)

 踏み出すことはできるけれど、その先を考えるのが恐ろしい。自分の立場では、暁の前に堂々と出ていけない。

 普通の人のように幸せになんかできない。

 自覚すればするほど、胸が痛くて、息が止まりそうだった。