そうして無事染め糸を買い、そろそろ帰ろうかと羽鳥に提案しようとしたときだった。

 「ちょっと」

 舗装路の反対側にいた歩行人のひとりが、不自然にその場で立ち止まり声をかけてきた。

 腰上の黒髪をはらりと揺らした少女、雛が深月をじっと見つめていた。

 「あなた、朱凰暁の婚約者でしょ。名前は深月さんで間違いないかしら」

 「はい。あなたは、雛さんですよね……?」

 あの日、嵐のように去っていった雛が現れたことに深月は驚愕を隠せない。それでも言葉を返せば、雛は隣の羽鳥をじろりと見て嘲笑した。

 「ちょうどいいわ。まさか逢瀬の現場に鉢合わせることができるだなんてね。わたくしは運が良いわ」

 「なんですって?」

 横に控えていた羽鳥は、聞き捨てならないと前に出る。しかし雛は余裕そうな顔つきで深月に近づいた。

 「ねえ、深月さん。わたくし、あなたとずっと話したいと思っていたの。付き合ってくれないかしら」

 「……っ、あの⁉」

 返答も聞かず、深月の腕を掴んだ雛は、近くの喫茶店らしき場所に深月を引き込んだ。

 「ちょっとあなた、なにをしているんですか!」

 「そっちの浮気男もついてくればいいわ」

 「う、浮気男⁉」

 羽鳥は状況が理解できない様子だったが、往来の場でかなり目立っていることに気づき、ぐっと声を押し込んで店内の扉をくぐる。

 掲げられた店の看板には、横文字で『ぼんじゅーる』と書かれており、異国情緒漂うお洒落な喫茶店だった。