朝食後、予定通りふたりはある場所に向かった。

 (ここに来るのも、久しぶりね)

 都のはずれにある廃村。腐敗が進んだ家屋がぽつぽつとあるだけで人気は一切ない。

 暮らしていた頃はなんとも思わなかった景色だが、いまになってとても寂しい場所だったのだと、深月はあらためて感じた。

 「この道をまっすぐ進むと、養父(とう)さまのお墓があります」

 軽く腕を上げ、目的地を示す。

 動作に合わせて揺れるのは、髪に挿した鈴蘭の簪。淡い縮緬地の華やかな着物に花籠を彫刻した帯留め、肩には洋物のショールが掛けられている。

 「あの林の先だな」

 深月の隣を歩く暁はゆっくりとうなずいた。今朝の軍服から様変わりし、灰みを帯びた着流しに羽織姿の彼は、どこを取って見ても風情ある美丈夫であった。

 村や里規模の集落ではあきらかに注目を浴びてしまう整った風貌だが、数年前からこの近辺に住人がほとんどいないことを深月は知っている。

 だからこそ養父――貴一は、この場所で深月を育てることを選んだに違いない。

 「つきました」

 「ここが貴一殿の墓か」

 墓に到着し、両者は墓石の前に佇む。辺りは雑草と枯れた枝葉がある程度で、思いのほか荒れていない。しかしそれは墓と言うには些か粗末な、小さな石で囲われただけの墳墓だった。

 (暁さまも驚いているでしょうね)

 無理もない。火葬すらおこなえなかったのだ。

 埋葬だけはなんとか当時この近辺に暮らしていた老夫婦の手を借りてできはしたが、それでも華族の出である暁からすればぞんざいに思われる出来だろう。

 「手を合わせても構わないか?」

 「え……あ、もちろんです」

 深月の想像に反し、暁は墓の作りに関しては特に気を留めていなかった。

 墓周りと墓石を掃除し、持参した供花と、石製の水呑、キャラメルの包みと饅頭を備える。菓子は甘味好きだった養父のために暁が墓に向かう途中で買ってくれたものである。

 ある程度墓を整えたあと、深月はしゃがんで線香を置き、胸の位置に両手を添えて合掌した。

 (養父さま、顔を出すのが遅くなってごめんなさい。この数年、そしてこの数ヶ月で色々なことがありました)

 ときおり線香の薫りが鼻腔に伝う。こうして墓を訪れることができたのは、女中奉公として庵楽堂に務めるより前なので五年ぶりになる。没頭するままに自分の近況を報告し終える頃には、すっかり線香は燃えきっていた。

 「お待たせしました」

 「もういいのか?」

 「はい、十分です。連れてきてくださってありがとうございます」

 深月は保護される立場にあるため、ひとりで外出することができない。

 敷地外を出歩くには、深月の素性を詳しく知る腕が立つ者の付き添いが必須であるため、自然と暁が同行者になるのだ。こうした観点から深月が暁の花嫁候補であるのは都合がいい。

 「驚きましたよね。こんな辺鄙な場所で、お墓も手作りですし」

 華族の立派な墓と比べるのもおかしな話だが、つい情けない声を出してしまった深月を暁は不思議そうに見返した。

 「生前の貴一殿から、極力人の目を避けるように言われていたんだろう? 君はその意に応えて墓まで用意した。出来得ることをしたのだから、恥じる必要はない」

 相変わらず暁の言葉は真っ直ぐである。

 思ったことを言っているだけに過ぎないのだろうが、取り繕わずに発せられる彼の言葉は、いつも深月の心持ちを前に向かせてくれる。

 「それに……いくら墓石が立派だとしても、故人が安らかに眠れているとは限らない」

 無意識に呟かれた独り言に、深月はそっと横顔を覗き見た。

 (暁さま?)

 どこが浮かない顔の暁に一抹の不安が過る。けれど些細な表情の変化であるため、口に出していいものか躊躇われた。

 そうこうしているうちに帰路につく頃合いとなり、深月は供え物を片付け、その場をあとにする。

 来た道を引き返している途中で、暁が後ろを一瞥しながら言った。

 「時間を作ってまた来よう」

 「いいのですか?」

 「ああ、君がよければ」

 来ようと思えばいつでも来られる距離だが、自由の身とは言いがたい深月にはありがたい提案だった。

 「はい、ありがとうございます」

 深月はうなずき感謝を伝え、遠くに見え始めた帝都の街並みを眺める。

 穏やかな陽気に照らされ、薄紅色の花が広い都を囲むように風景に溶け込んでいた。

 「桜もいよいよ見頃ですね」

 「……そうだな、満開も近い」

 都に近づけば近づくほどに桜の気配は色濃くなっていく。

 散った花びらが風に乗り、宙を舞ってひらひらと可憐なまま地面に落ちるのが目に入った。春の嵐でいくら散ろうが、帝都に植えられた桜の本数を考えると、しばらくはこの情景が日常の一部になるのだろう。それは帝都の民には馴染み深い季節の風物詩でもある。

 「桜――」

 綺麗ですね、と言おうとして、深月は唇をそっと閉じた。

 確認できた暁の横顔が、あきらかに心此処にあらずになっていたからだ。

 (やっぱり、気のせいではなかった……?)

 墓石の前で杞憂かもしれないと結論付けた思いが少しずつ潰えていく。

 はっきりと断言することはできないけれど、彼はいつも通りにしているようでいて、その横顔からはうら悲しさのような感情がにじみでていた。

 「暁さま、あの」

 どう言っていいかわからず、結局名前を呼ぶしかできなかった深月に、暁の視線がそっと降りる。

 「どうかしたか?」

 ふ、と緩んだ優しい笑みが、このときばかりは遠くに感じた。勝手に手が、彼に向かって伸びそうになる。

 「いえ……」

 その手をぎゅっと握りしめ、深月は言葉を切った。

 暁には自覚がないのかもしれない。それでもやはり桜を瞳に映すたび、彼の目の奥に仄暗い影が落ちているのは確かである。

 その理由を暁から聞かされるのは、数日後のことであった。