正直これまでが優しすぎたぐらいで、深月には今の状態でもまだ余裕があると思っている。なんならもっと仕事を与えてくれても、とぼんやり考えていれば。

 「……あなた方は揃いも揃って」

 無自覚な深月の様子に、羽鳥はうんざりとため息を落とす。

 深月がなんのことかと首をかしげれば、足音が近づいてきてふたりに声をかけた。

 「あれ、深月さま。おはよう〜」

 「なっ⁉」

 赤面する羽鳥の横で、深月も目を見開いた。

 「……璃莉さん?」

 見慣れない衣を着て現れたのは、ついこのあいだ深月の護衛に決まった白夜璃莉である。

 護衛とはいえ深月は頻繁に街に出向くことがないため、璃莉もそれに合わせて本拠地内に待機していることが多い。そんな彼女の主な仕事は夜半であり、敷地外に現れた悪鬼の一掃を請け負っていた。暴走から立ち直った深月の精神力と、暁の結界によって稀血の気配がほぼ消えているとはいえ、それでも無条件に引き寄せられる悪鬼を消す必要があるからだ。

 とくに本拠地が手薄になりがちな日には、必ず璃莉が見張り役としてやってきて深月の近辺を警戒し、あやかしものの活動が鈍くなる昼間のあいだに別邸の一室を借りて体を休めるという流れがいまのところ多かった。

 そして昨夜の見張り番を終え、すでに就寝に入っていたはずの彼女だが、その寝間着らしき衣服の過激さにふたりは揃って驚愕していた。

 「な、ななななな、なんなんですか、あなたのその格好は!」

 「え、なに? 副隊長さん、うるさい」

 通常時より覇気がないのは、眠くて仕方がないからだろうか。羽鳥がなぜ狼狽えているのかもまったく理解していないようである。
 「あの、璃莉さん。その格好はもしかして西洋のものですか?」

 いまだ口をぱくぱくとさせて冷静さに欠ける羽鳥の代わりに、深月が言葉を添える。

 少しだけ目が冴えた様子の璃莉は、くるりとその場で回ってみせた。

 「そうそう、寝間着(ネグリジェ)だよ。手触りがつるつるしていて寝心地がいいの。和製ともまた違って可愛いでしょ」

 璃莉は西欧諸国から帰ってきたばかりなので、持ち物や私物に向こうのものが多くあるのもうなずけるが。透けたような生地や、脚が丸出しの作りの寝間着は、さすがに同性の深月が見ても驚く代物であった。

 ほどかれた髪が妙にみだらで、躍然たる印象が強い璃莉がこの瞬間は艷やかに見えた。

 隣の羽鳥は、耳まで真っ赤に染まっている。

 「そのような破廉恥な真似はよしてください‼」

 「あ、羽鳥さんっ」

 羽鳥は言い残して逃げるように階段を駆け上がっていった。まだ話の途中だったのだが、それどころではなかったようである。

 「深月さま、はれんちってどういう意味だったっけ」

 「は、恥ずかしいこと、というか、なんというか」

 羽鳥を不憫に思いながらやんわりと説明すると、ようやく言葉の意味を思い出した璃莉は納得してうなずいた。

 「そうだ、乃蒼兄さんにも言われていたの忘れてた。こんな格好で平然と出歩くなって。あっちの屋敷では女の人しかいなかったから、このまま出てきちゃったよ」

 あっち、というのは英国で生活していたときのことなのだろう。すっかり頭から抜けていた様子の璃莉に、深月は苦笑した。

 「それにしても副隊長さんはさすがだね。疲れてはいるんだろうけど、ほかの隊員さんたちと違って見ただけじゃわからないよ」
 「……皆さん、日増しに忙しくなっていますよね」

 「本当に大変そうだよ。あたしが外で見張りしているときも、怪我して帰ってくる隊員さんたちが結構いてね。悪鬼と野良禾月が増えてきてるみたい。って、だからあたしが深月さまの護衛になるよう言われていたんだけど」

 永桜祭によって増えるのは、なにも人だけではない。あやかしものも例外ではなかった。

 帝都神宮に植えられた永桜が最も狂い咲く季節が春。また、永桜の妖気に触発されたあやかしものが、意気盛んに動き回る時期でもあった。

 「乃蒼兄さんから話は聞いていたけど、今年はとくに妖気が濃いらしいの。だから隊長さんもやることがたくさんだって」

 「そ、そうですよね」

 会話に暁の話題が出て、どきりとする。

 口ごもった深月をどのように解釈したのか、璃莉はにんまりとした。

 「隊長さん、自分が動きにくくなるってわかっていたから、白夜家のあたしを護衛にすることにもすんなり許可してくれたのかな。深月さまが心配だから。それってつまり、大切ってことっ⁉」

 璃莉は話を色恋に絡めると、こうして盛り上がってひとり暴走することがある。

 「暁さまは、きっとご自分の役割を果たされているだけです」

 きっと、ではなく。

 じつのところそうだとわかっているから、深月は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

 「深月さま、なにかあったの?」

   どこか冷静な様子の深月にふと違和を感じ、璃莉はにやけ顔をやめて聞いてくる。

 「い、いえ。なにもないです。それより璃莉さん、ずっとその格好でいると、また羽鳥さんに怒られてしまいますよ」

 深月は悟られないようにしながら、話題を大胆な夜着に戻した。

 「そうだった。ちょっと喉が渇いたから水をもらいたくて。あ、いま血じゃないんだって思った?」

 「思ってはいなかったですけど。そういえば普通のお水でもいいんですね」

 「血は禾月にとって重要な糧だけど、体に必要な摂取量さえ計算していれば、あとは人と同じような食事も楽しめちゃうし」

 「そういえば璃莉さん、甘いものがお好きだと言っていましたよね」

 深月はそのような話をしながら、璃莉を連れて別邸の炊事場に向かった。喉が渇いた彼女に水を用意するためだ。

 一瞬、態度に出てしまったことにヒヤリとしながら、深月は胸を撫で下ろす。……さすがに、璃莉にあの話をすることはできなかった。