この日、深月は非番の暁と街に出向いていた。
外出の目的はふたつ。契約花嫁を装うための定期的なお出かけと、乃蒼から招待を受け、白夜本家の屋敷に訪問するためだ。
(会わせたい人と、話したいことがある……って言われたけど)
諸々の用件は当日にという話だったので、招待を受けた日からずっと気になっていた。とはいえ予定の訪問時刻は午後。契約花嫁の体裁を保つことも兼ねて午前中は暁と帝都を散策することになったのである。
「さあお立会い! 新脚本〝永桜の君〟満席御礼! 午前の部、いよいよ開演だ!」
少し遠くから聞こえる謳い文句。呼び込みの男がこれでもかと声を張り、道行く人は吸い寄せられるように声のほうへ進んでいく。
東西南北、中央の五区画で随一の芸所、遊宴場として栄えるのが、この西区画。通称、花街。
夜間は細い通りが赤や橙の提灯で艶やかに照らされ、昼間は至るところから歌舞音曲の稽古音が流れている。
西区画の中心地である劇場『西岡座』では、様々な演目が上演され、日夜ひっきりなしに客が集まり活気ある賑わいをもたらしていた。
中央が最先端、東が旧時代ならば、西はその両方をうまいこと残し、区画全体がひとつの伝統工芸のように雅やかだ。
「中央や東とも、雰囲気がまったく違いますね」
「来るのは初めてか?」
露天が点在する通りを眺めていた深月は、隣を歩く暁に問われ深くうなずいた。
「はい、有名な劇場があるという話は耳にしていましたが」
西区画は娯楽施設が集中する区域。働き詰めだった深月には一番縁遠い場所だった。
「ならもう少し見て回ろう。この道を真っ直ぐ進むと劇場だ」
「いいのですか? 西公園広場とは反対ですけど……」
乃蒼の招待で白夜本家の屋敷に向かう予定のふたりだが、屋敷までの案内役が西公園広場に来る手筈となっている。
「時間にはまだ余裕がある。君が目を輝かせて留めたところを立ち寄りながら目的地に向かおう」
「そんなに顔に出ていましたか?」
暁が少し可笑しそうに言うので、深月は自分がどんな顔をしていたのか気になった。
「ああ、それなりに巡回で見慣れてはいたが、君の隣を歩いていると、俺まで新鮮な心地で見て回れる気がする」
楽しげな横顔に、きゅ、と喉の奥が鳴った。
頬の力が抜けるような感覚がして、暁にだらしない顔は見せられないと、深月は地面に目を落とす。やっぱり以前にも増して暁を前にするとこうなってしまうことが増えてしまった。
「深月?」
「はいっ」
気もそぞろなまま名前を呼ばれ、深月は慌ててぱっと見上げる。
視界に捉えたのは、暁がこちらに向かって伸ばしかけていた手を引いている瞬間だった。
「…………。ああ、いや。その、大丈夫か?」
長い沈黙のあと、暁からは取って付けたような伺いをされる。
ぎこちない口調の彼は珍しいので、深月はその様子にすっかり意識が向いていた。
「すみません、少しぼうっとしてしまいました」
「……そうか」
「あの?」
先ほどまではとくに問題なかったはずなのに、ぎくしゃくとした暁の素振りが目についてしまう。
(あれ、でも。そういえば)
思えば数日前に乃蒼が別邸を訪れた日も、彼が帰ったあとの暁は様子が妙だった。具体的な指摘をするのは難しいけれど、ときおり深月と話していると動きを止めるようになったのである。ただ、深月も自分の体の不調に気を取られていたので、暁の些細な素振りを今日まで見逃してしまっていた。
「……通行の邪魔になる前に、そろそろ移動しよう」
「そ、そうですね」
どちらも思うところがあるような様子で、しかし言葉にするまでにはいかず、いつものように隣並んで歩き出した。
外出の目的はふたつ。契約花嫁を装うための定期的なお出かけと、乃蒼から招待を受け、白夜本家の屋敷に訪問するためだ。
(会わせたい人と、話したいことがある……って言われたけど)
諸々の用件は当日にという話だったので、招待を受けた日からずっと気になっていた。とはいえ予定の訪問時刻は午後。契約花嫁の体裁を保つことも兼ねて午前中は暁と帝都を散策することになったのである。
「さあお立会い! 新脚本〝永桜の君〟満席御礼! 午前の部、いよいよ開演だ!」
少し遠くから聞こえる謳い文句。呼び込みの男がこれでもかと声を張り、道行く人は吸い寄せられるように声のほうへ進んでいく。
東西南北、中央の五区画で随一の芸所、遊宴場として栄えるのが、この西区画。通称、花街。
夜間は細い通りが赤や橙の提灯で艶やかに照らされ、昼間は至るところから歌舞音曲の稽古音が流れている。
西区画の中心地である劇場『西岡座』では、様々な演目が上演され、日夜ひっきりなしに客が集まり活気ある賑わいをもたらしていた。
中央が最先端、東が旧時代ならば、西はその両方をうまいこと残し、区画全体がひとつの伝統工芸のように雅やかだ。
「中央や東とも、雰囲気がまったく違いますね」
「来るのは初めてか?」
露天が点在する通りを眺めていた深月は、隣を歩く暁に問われ深くうなずいた。
「はい、有名な劇場があるという話は耳にしていましたが」
西区画は娯楽施設が集中する区域。働き詰めだった深月には一番縁遠い場所だった。
「ならもう少し見て回ろう。この道を真っ直ぐ進むと劇場だ」
「いいのですか? 西公園広場とは反対ですけど……」
乃蒼の招待で白夜本家の屋敷に向かう予定のふたりだが、屋敷までの案内役が西公園広場に来る手筈となっている。
「時間にはまだ余裕がある。君が目を輝かせて留めたところを立ち寄りながら目的地に向かおう」
「そんなに顔に出ていましたか?」
暁が少し可笑しそうに言うので、深月は自分がどんな顔をしていたのか気になった。
「ああ、それなりに巡回で見慣れてはいたが、君の隣を歩いていると、俺まで新鮮な心地で見て回れる気がする」
楽しげな横顔に、きゅ、と喉の奥が鳴った。
頬の力が抜けるような感覚がして、暁にだらしない顔は見せられないと、深月は地面に目を落とす。やっぱり以前にも増して暁を前にするとこうなってしまうことが増えてしまった。
「深月?」
「はいっ」
気もそぞろなまま名前を呼ばれ、深月は慌ててぱっと見上げる。
視界に捉えたのは、暁がこちらに向かって伸ばしかけていた手を引いている瞬間だった。
「…………。ああ、いや。その、大丈夫か?」
長い沈黙のあと、暁からは取って付けたような伺いをされる。
ぎこちない口調の彼は珍しいので、深月はその様子にすっかり意識が向いていた。
「すみません、少しぼうっとしてしまいました」
「……そうか」
「あの?」
先ほどまではとくに問題なかったはずなのに、ぎくしゃくとした暁の素振りが目についてしまう。
(あれ、でも。そういえば)
思えば数日前に乃蒼が別邸を訪れた日も、彼が帰ったあとの暁は様子が妙だった。具体的な指摘をするのは難しいけれど、ときおり深月と話していると動きを止めるようになったのである。ただ、深月も自分の体の不調に気を取られていたので、暁の些細な素振りを今日まで見逃してしまっていた。
「……通行の邪魔になる前に、そろそろ移動しよう」
「そ、そうですね」
どちらも思うところがあるような様子で、しかし言葉にするまでにはいかず、いつものように隣並んで歩き出した。