人は誰しも
この世に生を受けた意味があるのだという。


【私は慧に会うために産まれてきたの。
大袈裟じゃないよ。心から思ってる】

彼女からもらった最後の言葉。
この言葉と共に俺は生きていく。

そう…決めたんだ。
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「ねぇ。慧、私最近疲れやすいの。微熱もあるし」

みなみが俺に言う。

彼女は俺の妻。

大恋愛でもなく、ごく普通の社内結婚。
そしてみなみは仕事を辞め就職活動中。

「学生時代に戻ったみたいで楽しいよ」

と彼女は言うが、なかなかに苦戦しているようだ。

「疲れが出たのかもしれないな。最近就活も始めたし、その前は、結婚式とか新婚旅行に出かけたりしていたから」

「少し予定詰めすぎだったよな。せめて旅行はもっと落ち着いてから計画した方が良かったな。知らず知らずのうちに、負担がかかっていたんだろうな。ごめんな。南半球はこっちと季節も真逆だったし」

そう言うと、みなみは激しく首を横に振った。

「そんな事ないよ。すっごく楽しかったし。私、ニュージーランドで羊の大群見てみたかったの」

「願いがが…叶った」

「ちょっと止めろ。キスしてくんな」

「ありがとうのしるし」

新婚旅行の行き先にニュージーランドを強く推したのはみなみだ。

その理由が羊…
もう少しロマンチックな理由はなかったのだろうか?

例えば、綺麗な湖が見たいとか、教会で再び愛を誓うとか…

「それなら北海道でも良かったんじゃ…」

「分からないかなぁ。私は本場の羊が良かったの!」

「本場の羊…お前なに言ってんの?」

「実は自分でもよく分かんない…」

「そういえば、熱あるんだろ。後は俺がやっておくからもう寝た方がいいぞ」

「ありがとう。そうさせてもらうね」

「みなみお前…」

寝室に行こうとしている彼女の顔が、やけに青ざめているのが気になり思わず声をかけた。

「大丈夫。過保護だなぁ慧は。じゃあおやすみ」

しかしそれは、この後起こる出来事の、ほんの序盤でしかないことを、その時の俺は知る由もなかった。


みなみの体調は、回復しなかった。それどころか、悪化の一途を辿っているようにさえ見えた。
絶え間なく続く吐き気、下がらない熱。食欲もなく、ベッドから起き上がれない日も増えた。

(もしかしたら…妊娠…)

結婚したら、最低1年は夫婦でゆっくり過ごそうと話し合っていた俺たちだが、賑やかな生活も悪くない。
そう思った俺は、彼女に病院への受診を提案した。

「みなみ。一回病院で診てもらわないか」

「大丈夫だから。だいたいこの程度で病院行ったら笑われるよ。なんで来たんですか?って」

「それなら、それで良くない?」

「それに…」

「それに?」

「お前、妊娠してるんじゃないのか?」

俺がそう言うと、みなみは飛び起きた。

「そう…そうなのかな」

期待で目が輝いている。さっきまで、ぼんやり天井を眺めていた人物とは別人のように生き生きしている。

「でも、そうなると約束が…」

口ごもる俺にキッパリとみなみは言った。

「もし私たちの所にコウノトリが来てくれたなら、すっごく嬉しい」

「大変!忙しくなりそう」

「ベビー用品揃えなきゃ」

「何色がいいんだろ?クリーム色系ならどちらでも大丈夫かな?」

「ねぇ、慧は男の子だと思う?それとも女の子?」

「まだ決まったわけじゃなないから」

「とにかく、明日病院行こう。俺も付き添うから」

「ねぇ。おめでとうございます!ご懐妊です。とか本当にあるのかな?」

夜から夜までしゃべり倒しそうな勢いだ。

「もう、横になってくれ。頼む」

「楽しみ。楽しみだね。慧」

今にして思えば俺が余計な事を言ったせいで、みなみをより一層、傷つけてしまった。
一度口から出てしまった言葉は取り消せないから。

しかし、そんな事さえ気づかないほど俺は愚かだった。




「お出かけ!お出かけ!」

助手席でみなみが子供のようにはしゃいでいる。

「嬉しそうだな。お前」

「嬉しいよ。普通に嬉しい」

体調不良が続いた事もあり、みなみは、ほとんど外出しなくなっていた。
たとえ行けたとしても、近所のコンビニが精一杯。
それでも帰ってくると疲れて眠ってしまう。

「危ないから大人しくしててくれ」

「慧ってお父さんみたい。あっ!?もうパパなのかな?」

「だから、何度も言ってるだろ。まだ決まったわけじゃないから」

「でも99パーセント決まり!だよね」

「もしそうなら立ち会ってくれるよね」

「へその緒、慧に切ってもらいたいな」

「お前そんなこと考えてたの?」

そう言うと、みなみは少し眉を下げた。

「不安もあるでしょ。こちらも命かかってるんだから」

病院で、問診票を記入し、呼ばれるのを待つ。
緊張で固くなっている俺に対し、みなみは楽しそうだ。
待合室にいる赤ちゃんに手を振って怖がられたりしている。

晴れやかな彼女の顔を見ながら、俺は、今後増えるであろう家族との未来を想像してみたが、その時はなぜか、頭の中に霧がかかったようになり、結局何も見ることは出来なかった。





一通りの検査を終えると、俺たちは医師に呼ばれた。
(予定日は?性別は?)聞きたいことはたくさんあった。

しかし誰よりも早く、医師が口を開いた。

「上田さん。大きな病院で検査を受けて下さい。紹介状を書きますから」

「それはどういう…」

「詳しい事は私からはお話し出来ません。ただ妊娠はしていません。今申し上げられるのはそれだけです」

妊娠はしていない。しかも検査。

「フライングだったね〜」

帰り道やっと南が口を開いた。

「なんかごめん。期待させるようなこと言って」

「慧、私どうなるのかな?」

「ま、何とかなるよね」

そして最後まで、彼女は強い生命力をみせる。それが、みなみ自身を苦しめたかもしれない。最近ふとそう思う。

みんなのために、生きながらえてれたんだよな。きっと。


俺は昼休みと会社帰り、入院中のみなみの元に向かうことが日課になった。

面会時間は10分。会社での出来事を話す日もあれば、ただ静かに抱き合っているだけの日もあった。

「あのね。お願いがあるの」

いつものように、面会を終え帰ろうとした俺をみなみが呼び止める。

「私、お姫様になりたくなっちゃった」

「お姫様って…あのお姫様だよな」

「慧は男の子だから分からないかな。あっ!今こんな発言はしちゃいけないんだった」

内緒ね。とでも言うように人差し指を俺の唇に当てる。

みなみはきっとやつれていく姿を俺に見せたくなかったんだろう。
病院着を着て、点滴を打ち日に日に痩せていく身体。
だからきっと、物語に出てくるような、華やかな世界に思いを馳せていたんだと思う。

病院でずっと過ごす事が、どれだけ不安で心細いか。まだ健康な俺には察するに余りある。

だから彼女はせめて、本来の自分でいるために。壊れないようにするために、少しだけ何かの手を借りたかったのかもしれない。

その証拠に、頼まれたアイテムは、ナイトキャップ、ドレス(ネグリジェでも可)、モコモコスリッパ、リボン、レースなど、いかにもなアイテムが満載だったからだ。

「みなみは、もう俺のお姫様だろ。だから大丈夫」

そう伝えると、はにかむような笑顔を見せた。

しかしそのリストの中にはメモ用紙(大量)と、4Bの鉛筆など、お姫様には不釣り合いなも混ざっていたのだが。
あえては聞かなかった。

お姫様はお姫様らしく扱われるべき。そう思っていたのと、せっかくの彼女の気分に水を差したくなかったためだ。

どこまで続くか分からないこの劇に、最後まで付き合おうと決めたからだ。

しかしそれは、あっけないほど早く終焉を迎えることとになる。


「お望み通り買ってきました。お姫様」

俺が必死にかき集めたアイテムを持っていくとようやく身体を起こしたみなみが、すました声で言う。

「ご苦労さま。セバスチャン」

「セバスチャン!?」

「有能な執事っぽくない?」

「みなみ、他に言うことないのか」

「なんで今日は午前中に来てくれたの?」

とかさ。

俺がそう告げると、おかしくてたまらない。という顔でみなみが言う。

「ご苦労さま」

「お喜びいただいたようで何よりです」

「それより、早く見せてちょうだいセバスチャン」

改名するか上田セバスチャンに…

頼まれたアイテムをベッドの上に広げる。
その瞬間、みなみの顔がパッと明るくなった。

「試着なさいますか?」

と尋ねてみたのだが、

「今日はまだその日じゃないの」

と袖を通すことはなかった。

それから、俺は3日間みなみの所には行かなかった。
正確には行けなかった。泊まりがけの出張が入ってしまったんだ。
普段なら、絶対に泊まりの予定は入れないのだが、先方の強い意向もあり赴くことにした。

もちろん彼女には事前に伝えた。いつも見舞いに来ていた夫が突然来なくなったら心配するのは目に見えている。

「分かった。でも少し寂しくなっちゃうな」

と呟いた。

「お土産何がいい?」

「無事に帰ってきてくれたらそれだけで嬉しいよ」

「欲ないんだな」

「好きな人の気持ちが私に向いてるだけで満足」

「そういうもの?」

「相変わらず女心が分かってないなぁ。こんなだと再婚できないよ」

「何言ってんだよ」

「ごめん。少し疲れているのかも。それに出張の支度もあるんでしょ。今日はもう帰っていいよ」

「そんな事言うならしばらく来ない」

「えっ!?」

「私…慧の事を思って…」

そういった後、みなみは毅然とした表情で俺に告げた。

「私は慧に会うために産まれてきたの。
大袈裟じゃないよ。心から思ってる」

あの細い身体のどこにこんな力があったのだろう。
張りもあり、普段のみなみの声だ。

「慧の事、誰かに渡したいわけじゃない。でもそれが最善の方法だったら?」

「怖いの!身体は日に日に変わっていくし、良くなってないことくらい私が一番感じてる」

「だって本人なんだよ。誰より分かってる!」

「ごめんなさい。なんだか疲れちゃった少し休むね。ただ慧に愛される人がもう一人増えたら、嫉妬はするけど嬉しいかも」


そう言うとみなみは、曖昧な空間に沈んでいった。
眠りも明らかに浅くなっている。

そして結果的にこれが、みなみと交わした最後の会話となった。




俺が次にみなみに会ったのは、メモリアルホールだった。

白いレースが身体を包み、紙でできたティアラを付け、メイクも完璧だった。
どうやら、俺が買ってきた服は、やせ細ってしまったみなみには、大きすぎたらしく、今の彼女に合うよう義母が直してくれていた。

みなみは、一目見て分かったんだろう。服のサイズが合わないことに。だから、その服を俺の前で着たくはなかった。

それは、楽しい時間にに水を差すことになるから。
彼女なりの気遣いだったのだ。

棺に横たわるみなみは、白雪姫にも勝る美しさだった。しかし、俺の姫は、これから先二度と目覚めることはない。

よく、また動き出しそうでした。とか言う人がいるが、俺は、みなみの死を彼女の姿を見てはっきりと認識した。

彼女が、あまりにも神々しく、この世のものではないんだという思いが、心を支配する。

もう、起き上がることも、話すことも、喧嘩をすることも、新しく家族が増えることも、ない。

あまりにも短すぎる歳月だった。

棺には、小さな帽子、服、それから靴下も入れられた。みなみが、万が一の時のために俺には内緒で作っていたらしい。
それから俺が買った、メモと鉛筆も。

彼女は、入院中このメモをフル活用し、医師や看護師さんの名前、嬉しかった出来事などを綴っていたらしい。

義母に許可を取り読ませてもらうと、そこには、窓からみえた雲が、犬みたいだった。とか、気分が良かったから少し散歩ができた。とか

病院での生活が書いてあった。
最後の方は、文字も弱々しく読むのが大変だったがありがとう。ありがとう。ありがとう。と書かれているようだった。

そしてこの時俺は、みなみの死後、初めて涙を流した。
病室で一人、彼女はありがとうという言葉をどんな気持ちで記したのだろう。

俺は、自分の命が明日をもしれない時に感謝する気持ちにはなれない。

もしも書くとしたら、なんで俺なんだよ。まだまだやりたい事あるし。誰か代わってくれ。死にたくない。死にたくないんだよ。

自分でも呆れるくらいスラスラと言葉が出てくる。

俺は、彼女を傷つけたまま逝かせてしまった。
夫、失格だ。

どうして、もっと時間を作らなかったんだろう?
どうして、もっと愛してる。と伝えなかったんだろう?

感謝や愛のことばに、多すぎるというのはないのだから。

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みなみ、俺まだ、未来はあると信じていたんだ。
楽しい時間は永遠に続く。
なんなら、明日は今日よりもっと楽しい。
そう思っていたんだ。
バカみたいだろ。

だけど、現実は甘くなかった。
正直、めちゃめちゃ後悔してる。
だから、今度巡り会ったら、
うるさいくらいに伝えから。

好き、愛してる、ありがとう。って。

だから、みなさんもどうか大事な人に愛してるって伝えてください。
君の代わりはいないんだって。

僕は過去を振り返るのは嫌いです。失った時はどんなに悔やんでも二度と戻っては来ないから。
そう分かっているから。

でも、今はもう一度みなみに会って溢れるほどの愛を惜しみなく捧げたいと思っています。

きっと、彼女は驚くでしょう。
目を見開いて(どうしたの?熱でもある?)
そう言って笑うかもしれません。

でも、思いを伝えないで後悔するより、伝えて笑われた方が、ずっと素敵だと僕は思います。

本日は、ありがとうございました。
故人いえ、みなみもきっと喜んでいます。
そう信じてもいいですか?


喪主 上田慧