「結構お腹いっぱいになったね」
「食べ歩きした後だからかな」
私たちは喫茶店を出て、もう一度観光地の方向へ戻ってきていた。
今日は早めに集合したおかげでいつもより遊べる時間が長く、既に結構な時間二人で過ごしたけど帰る時間まではまだしばらく時間がある。
「さっきまでは食べ物重視だったから今度は色んなところに行ってみよ」
「写真とか撮るのもいいかもね。私撮るよ」
「ありがと!私も翼のこと撮ってあげる」
「私は別にいいよ〜」
お昼時だからか、まだ観光地までは少し歩くというのに私たちのいる周辺にはカップルや親子、大学生なんかで溢れていた。
今の私達もカップルに見られてるのかな。
外見と中身が男女逆のカップルなんて誰も想像してないだろうけど。
ふと、そんなことを考えているとまたあの言葉が頭の中に蘇ってきた。
「これ以上鈴音さんには近づかないで……」
ここのところずっとこうだ。
井上さんの言葉が頭から染み付いて離れない。
『私』のことをバラされることを恐れているくせに、それと同じくらい結芽と離ればなれになることを恐れている。
中原翼の中で、既に結芽は必要不可欠な存在になっている。同時に井上さんの言う通り、この中原翼の現状を他の人に知られることは他でもないあの完璧である存在の姉さんの顔に泥を塗ることと同義だ。これまで姉さんが築き上げてきた完璧を出来損ないの私が、僕が壊すなんて、そんなこと考えられなかった。
それでも、自分がいくら悩んだところで解決策が思いつくわけでもなく、徐々にストレスと恐怖が溜まる日が続いている。
「ねぇ、翼。顔色悪いけど大丈夫?」
「え?……あ、うん。大丈夫だよ」
今、顔に出てたんだ。
私は急いで、笑顔を作った。
今まで何千、何万回と繰り返し繰り返し行ってきた行為だ。
結芽はやっぱり心配なのか、偽の笑顔を向けられたことに気づいたのか少し不貞腐れていた。
「結芽と一緒に過ごせて楽しいよ。それに間違いなんて絶対にない」
「……そっか。翼の問題だもんね」
「ごめん、巻き込んで」
「ううん。またそのことが無事解決できて、心の整理ができた時にでも話してくれたらそれでいいよ」
「ごめん、ありがとう」
結芽は仲間としてそう言うのが当然と思っているかもしれないけど、その言葉がどれだけ今の私の助けになってることか。
やっぱり、結芽と離れることなんて考えられなかった。
「疲れたら遠慮なく言ってね」
「うん。ありが……」
結芽のショルダーバッグから電話の着信が鳴った。
さっき、結芽は私に「顔色が悪い」と言ったけど、多分、その時の私とは比にならないくらい結芽の顔が一瞬にして真っ青になった。
まさに血の気が引くとはこういう状況を言うんだろう。
私は唇に人差し指を当てて、結芽に「私は黙ってるから出ていいよ」とジェスチャーを送った。
こういう時、絶対に「ありがとう」「ごめん」と一言入れる結芽がそれを声に出せなくなっているくらい今の彼女は追い詰められているようだった。
バッグからスマホを出し、結芽は大きく息を吸い込み深呼吸をしてから電話に出た。
「もしもし。お父さんこんな時間にどうしたの?お仕事は……」
結芽は努めていつも通りの明るい声音を出そうとしていたけど、その声はいつもよりどこかぎこちなくて震えていた。
「結芽、今どこにいるんだ?」
スマホから音が私の方まで聞こえてきた。
「え、どこって……。いつも通り部屋で勉強を……」
「それはいったいどこの部屋を言っているんだ」
その声から私にも電話越しに怒りの感情が伝わってきた。
「え、それってどういう……」
「仕事を早めに上がれたから帰ったのだが……。お前はいつからそんな子になったんだ」
「それは……」
「いいから今すぐ帰ってきなさい」
結芽は声が出さずに口をパクパクとしているだけだった。
今にも泣き出しそうになっている結芽の手を思わず握った。
今の私にはこれくらいしかできないけど、少しでも結芽の力になりたかった。
「うん、わかった。すぐに帰ります」
手を握られたことでハッとした結芽はその後、落ち着きを取り戻して電話を切った。
「ごめん……帰らないといけない。お父さんが家に帰ってきてたみたい」
「結芽……大丈夫?」
大丈夫。
そう喉まで出かけた言葉が出てこない。といった様子だったのが見るだけでわかった。
「私……帰りたくないよ」
ついに結芽の我慢していた涙がポロポロと流れ落ちた。
これから怒られるのが分かってるのに帰りたがる人なんているわけが無い。
ましてや、今の結芽の姿で帰るのなら尚更だ。
人に否定されるということは何よりも耐え難い痛みなのは身をもって知っている。
今は結芽の手を握ってあげることしかできなかった。
だけど、私は結芽を救って上げられるかもしれない方法は一つだけ。たった一つだけの方法を知っている。
けれど、一方でそれは茨の道であり、つらい選択であり、もしかしたらそれがきっかけで自ら命を立つことだって有り得る選択だということも分かっていた。
現に私がその方法を試していないのも、私が怖かったからだ。
だからこそ、私の唯一の仲間である結芽にそんなことを無責任に言うのは気が引けた。
けど、このままじゃ結芽がつらいだけだ。
このことを言うべきなのか。そんな葛藤が私の中で渦巻いていた。
「ねぇ、翼。私はどうすればいいの……」
後半が消えかけている結芽の声を聞いて私は決意した。
「結芽。今の私たちの現状を素直に話そう」
それが私たちがとれる唯一の方法。
メリットは十分にある。もし、結芽の父親が結芽に理解を示してくれたら。結芽の置かれている環境に配慮してくれるようになったら。きっとそれだけで結芽は救われる。
だけど、もちろんリスクもある。結芽の父親が結芽を拒絶した場合だ。
その場合、結芽は自分の父親に異常者扱いを受けることになるかもしれないし、環境は今より悪化するかもしれない。それがきっかけで死を考えることも繋がるかもしれない。
「それは……できないよ」
「怖い?」
「うん」
それが怖いことなのは私にだって痛いほど分かる。
とてもじゃないけど、こんなことを中途半端な気持ちで結芽に言うことはできなかった。
だから、私も覚悟を決めた。
「私も私の家族にこのことを話す。もちろんこの姿で」
今の私が結芽にできること。
それは同じ場所に立って話してあげることだ。
それができるのは唯一、仲間である私だけだから。
だから、もし結芽が父親の理解を得られずに屋上に立って飛び降りようものなら、私も隣に立って一緒に落ちてやる。
その覚悟を持って私は結芽に提案した。
「これで怖くないでしょ?」
結芽は驚いた顔をして少し固まったあと、もう一度溢れた涙を拭いた。
「手、震えてるよ」
「……結芽もね」
二人で目を合わせてから小さく笑い合った。
「私、決めたよ。翼がここまでしてくれるてるんだ。私も頑張らなくちゃね」
結芽の目は真っ直ぐと前を見据えていた。
もう大丈夫だ。と思った。
今の結芽ならきっと、父親の前でもきちんと話し合うことができるだろう。
「そうと決まれば行かなくちゃ。私、先行くね」
「うん。行ってらっしゃい」
結芽は駆け足で私の前をかけて行った。
しばらく行ったところで結芽は足を止め、こちらを振り返り大きく手を振った。
「翼!ありがとー!!」
その後、結芽は返事も聞かずにまた前を向き走り出してしまった。
結芽は前に向いているんだ。
今度は私の番だろう。
私もまだ震える足を駅の方面へと向かわせようとしたその時、背後からつぶやくような声が聞こえた。
その声は聞き慣れた声で、間違えようが無かった。
「翼……なの?」
「……姉さん」
「食べ歩きした後だからかな」
私たちは喫茶店を出て、もう一度観光地の方向へ戻ってきていた。
今日は早めに集合したおかげでいつもより遊べる時間が長く、既に結構な時間二人で過ごしたけど帰る時間まではまだしばらく時間がある。
「さっきまでは食べ物重視だったから今度は色んなところに行ってみよ」
「写真とか撮るのもいいかもね。私撮るよ」
「ありがと!私も翼のこと撮ってあげる」
「私は別にいいよ〜」
お昼時だからか、まだ観光地までは少し歩くというのに私たちのいる周辺にはカップルや親子、大学生なんかで溢れていた。
今の私達もカップルに見られてるのかな。
外見と中身が男女逆のカップルなんて誰も想像してないだろうけど。
ふと、そんなことを考えているとまたあの言葉が頭の中に蘇ってきた。
「これ以上鈴音さんには近づかないで……」
ここのところずっとこうだ。
井上さんの言葉が頭から染み付いて離れない。
『私』のことをバラされることを恐れているくせに、それと同じくらい結芽と離ればなれになることを恐れている。
中原翼の中で、既に結芽は必要不可欠な存在になっている。同時に井上さんの言う通り、この中原翼の現状を他の人に知られることは他でもないあの完璧である存在の姉さんの顔に泥を塗ることと同義だ。これまで姉さんが築き上げてきた完璧を出来損ないの私が、僕が壊すなんて、そんなこと考えられなかった。
それでも、自分がいくら悩んだところで解決策が思いつくわけでもなく、徐々にストレスと恐怖が溜まる日が続いている。
「ねぇ、翼。顔色悪いけど大丈夫?」
「え?……あ、うん。大丈夫だよ」
今、顔に出てたんだ。
私は急いで、笑顔を作った。
今まで何千、何万回と繰り返し繰り返し行ってきた行為だ。
結芽はやっぱり心配なのか、偽の笑顔を向けられたことに気づいたのか少し不貞腐れていた。
「結芽と一緒に過ごせて楽しいよ。それに間違いなんて絶対にない」
「……そっか。翼の問題だもんね」
「ごめん、巻き込んで」
「ううん。またそのことが無事解決できて、心の整理ができた時にでも話してくれたらそれでいいよ」
「ごめん、ありがとう」
結芽は仲間としてそう言うのが当然と思っているかもしれないけど、その言葉がどれだけ今の私の助けになってることか。
やっぱり、結芽と離れることなんて考えられなかった。
「疲れたら遠慮なく言ってね」
「うん。ありが……」
結芽のショルダーバッグから電話の着信が鳴った。
さっき、結芽は私に「顔色が悪い」と言ったけど、多分、その時の私とは比にならないくらい結芽の顔が一瞬にして真っ青になった。
まさに血の気が引くとはこういう状況を言うんだろう。
私は唇に人差し指を当てて、結芽に「私は黙ってるから出ていいよ」とジェスチャーを送った。
こういう時、絶対に「ありがとう」「ごめん」と一言入れる結芽がそれを声に出せなくなっているくらい今の彼女は追い詰められているようだった。
バッグからスマホを出し、結芽は大きく息を吸い込み深呼吸をしてから電話に出た。
「もしもし。お父さんこんな時間にどうしたの?お仕事は……」
結芽は努めていつも通りの明るい声音を出そうとしていたけど、その声はいつもよりどこかぎこちなくて震えていた。
「結芽、今どこにいるんだ?」
スマホから音が私の方まで聞こえてきた。
「え、どこって……。いつも通り部屋で勉強を……」
「それはいったいどこの部屋を言っているんだ」
その声から私にも電話越しに怒りの感情が伝わってきた。
「え、それってどういう……」
「仕事を早めに上がれたから帰ったのだが……。お前はいつからそんな子になったんだ」
「それは……」
「いいから今すぐ帰ってきなさい」
結芽は声が出さずに口をパクパクとしているだけだった。
今にも泣き出しそうになっている結芽の手を思わず握った。
今の私にはこれくらいしかできないけど、少しでも結芽の力になりたかった。
「うん、わかった。すぐに帰ります」
手を握られたことでハッとした結芽はその後、落ち着きを取り戻して電話を切った。
「ごめん……帰らないといけない。お父さんが家に帰ってきてたみたい」
「結芽……大丈夫?」
大丈夫。
そう喉まで出かけた言葉が出てこない。といった様子だったのが見るだけでわかった。
「私……帰りたくないよ」
ついに結芽の我慢していた涙がポロポロと流れ落ちた。
これから怒られるのが分かってるのに帰りたがる人なんているわけが無い。
ましてや、今の結芽の姿で帰るのなら尚更だ。
人に否定されるということは何よりも耐え難い痛みなのは身をもって知っている。
今は結芽の手を握ってあげることしかできなかった。
だけど、私は結芽を救って上げられるかもしれない方法は一つだけ。たった一つだけの方法を知っている。
けれど、一方でそれは茨の道であり、つらい選択であり、もしかしたらそれがきっかけで自ら命を立つことだって有り得る選択だということも分かっていた。
現に私がその方法を試していないのも、私が怖かったからだ。
だからこそ、私の唯一の仲間である結芽にそんなことを無責任に言うのは気が引けた。
けど、このままじゃ結芽がつらいだけだ。
このことを言うべきなのか。そんな葛藤が私の中で渦巻いていた。
「ねぇ、翼。私はどうすればいいの……」
後半が消えかけている結芽の声を聞いて私は決意した。
「結芽。今の私たちの現状を素直に話そう」
それが私たちがとれる唯一の方法。
メリットは十分にある。もし、結芽の父親が結芽に理解を示してくれたら。結芽の置かれている環境に配慮してくれるようになったら。きっとそれだけで結芽は救われる。
だけど、もちろんリスクもある。結芽の父親が結芽を拒絶した場合だ。
その場合、結芽は自分の父親に異常者扱いを受けることになるかもしれないし、環境は今より悪化するかもしれない。それがきっかけで死を考えることも繋がるかもしれない。
「それは……できないよ」
「怖い?」
「うん」
それが怖いことなのは私にだって痛いほど分かる。
とてもじゃないけど、こんなことを中途半端な気持ちで結芽に言うことはできなかった。
だから、私も覚悟を決めた。
「私も私の家族にこのことを話す。もちろんこの姿で」
今の私が結芽にできること。
それは同じ場所に立って話してあげることだ。
それができるのは唯一、仲間である私だけだから。
だから、もし結芽が父親の理解を得られずに屋上に立って飛び降りようものなら、私も隣に立って一緒に落ちてやる。
その覚悟を持って私は結芽に提案した。
「これで怖くないでしょ?」
結芽は驚いた顔をして少し固まったあと、もう一度溢れた涙を拭いた。
「手、震えてるよ」
「……結芽もね」
二人で目を合わせてから小さく笑い合った。
「私、決めたよ。翼がここまでしてくれるてるんだ。私も頑張らなくちゃね」
結芽の目は真っ直ぐと前を見据えていた。
もう大丈夫だ。と思った。
今の結芽ならきっと、父親の前でもきちんと話し合うことができるだろう。
「そうと決まれば行かなくちゃ。私、先行くね」
「うん。行ってらっしゃい」
結芽は駆け足で私の前をかけて行った。
しばらく行ったところで結芽は足を止め、こちらを振り返り大きく手を振った。
「翼!ありがとー!!」
その後、結芽は返事も聞かずにまた前を向き走り出してしまった。
結芽は前に向いているんだ。
今度は私の番だろう。
私もまだ震える足を駅の方面へと向かわせようとしたその時、背後からつぶやくような声が聞こえた。
その声は聞き慣れた声で、間違えようが無かった。
「翼……なの?」
「……姉さん」