あの後、僕らは連絡先を交換し、週末に会う約束をしてその日は別れた。
別になにかの少年漫画みたいに、あの日を境に何か急激に変化するわけじゃない。
変わらず僕には周りに敬遠され、友達が少ないままだし、それを鈴音さんも察してくれているのか学校で彼女から僕に話しかけてくることはなかった。
メッセージ上では、「この服どう思う?」と何枚か男物の服の写真が送られてくることが何度かあったけれど。
「おまたせ。待たせた?」
「ううん。『私』も今来たとこ」
僕らは週末、二人で駅前に『好きな格好』で集まる約束をした。
私はクリーム色のドレスシャツを、鈴音さんは白のTシャツの上にゆったりとした黒のシャツ、下は黒いルーズフィットのワイドレッグパンツで黒基調のかっこいい格好で来た。
「なら、行こうか」
鈴音さんはそう言って駅の中に入っていく。
「ねぇ、鈴音さん。連れていきたい場所があるって言ったけどどこに連れていってくれるの?」
声が周りに聞こえないように鈴音さんに近づいて小さな声で話す。
鈴音さんは今の『私』の姿と低い男の声のアンマッチさは気にしないでいてくれるようだ。
そんな私とは逆に鈴音さんの方は男装をしても一人称や声は特に変えてないみたいで本人曰く、強いて言うなら声を低くしようって意識してる時があるかな?っくらい。とのこと。
鈴音さんは歩きながら少し考える素振りを見せ、いたずらに笑みを浮かべた。
「内緒。その方が面白いでしょ」
「なにそれ」
鈴音さんの笑った顔は無邪気な子供みたいでこちらまでつられて笑ってしまう。
「あと、二人のときは鈴音さんじゃなくて結芽でいいよ」
「そっか、なら私のことも翼って呼んで」
「了解!」
夢はニコッとこちらを見て笑ったあと再び前を向いて歩いていった。
『二人のときは』というのも、おそらく結芽の私への計らいなのだろう。
もし、学校で『僕』が結芽のことをいきなり下の名前で呼ぼうものならどう思われるか分からないし、もしかしたら次はなにかされるかもしれない。
私は結芽のそういう気遣いができるところに尊敬した。
話す前から少し思っていたけど、結芽はやっぱり姉さんに似ている気がする。
全てが完璧で、僕が決して超えることができない壁のような人だと、そう思ったのだ。
電車に揺られて一時間ほど。
ついたのは東京ドーム十数個分の大きさを誇る公園だった。
今のシーズンは春の花たちが満開のようで私たちのような観光客が既に大勢いた。
結芽は「見せたい場所があるんだ」とだけ言って歩みを進めていく。
途中、満開の桜にチューリップ畑、大きなオブジェクトやらも通り過ぎ、これだけでも十分に満足できそうなのだけれど、結芽に案内され、ついた場所は視界を青色で覆い尽くすほどのネフェモラ畑だった。
小さな青色の花が見渡す限りの地面を覆っていて絶景とはこのような景色のことを言うんだろうなと感じることができた。
「すごい綺麗!結芽はよくこんなところ知ってたね?!」
「うん。昔、私が小さい頃に父さんと一度だけ来たことがあるんだ」
興奮している私とは反対に、結芽の顔は物憂げで、何故か寂しそうな顔をしていた。
「いっぱい歩かせてごめんね。もう少し行くとベンチがあるからそこで休憩を取ろう」
「……うん。そうだね!」
先程までの寂しそうな顔がまるで嘘だったかのように、結芽の顔はいつも通りの笑顔に戻っていた。
私たちは結芽の言っていたベンチに座り、お茶やら駅のコンビニで買った軽食やらを食べて休憩していた。
ただ、その雰囲気はどことなく重かった。
「ねぇ、なんで翼は女装を始めたの?」
最初に沈黙を破ったのは結芽。
私はサンドイッチを食べていた手を止め、仲間である結芽になら。と思い正直に話すことにした。
「この姿なら、自分が自分じゃない別人になれた気がして気が楽になるから。結芽は私の姉のこと、知ってる?」
「うん。噂程度だけどね。一年生の頃『去年の生徒会長の弟がこの学校に入ってきた。すごく優秀な子に違いない』って君のことを聞いたことがある」
「姉さんは何もかもが完璧だった。勉強も運動も生活も。私がどれだけ頑張っても姉に勝っているところなんてひとつも無かった。だから、姉さんと比べられる私は今まで褒められたことが無いんだ。いつも私は『姉さん以下』だったから。だから、『あの姉の弟』ではない今の姿でいることで私は自分を保ってるんだと思う。……私自身もよく分かってないんだけどね」
「そうだったんだ」
最後まで黙って話を聞いてくれていた結芽は静かに頷いた。
「結芽はなんで男装を始めたの?」
「翼が話してくれたんだから、私も話さないといけないよね」
今度は僕が聞いてみると、結芽はそう言ってポツポツと話し始め、それを結芽と同じように私も黙って話を聞いた。
「私のお母さんは私を産んだ時に亡くなって、今はお父さんと二人で暮らしてるの。お父さんはいつも完璧を求める人で、それを私にも強要してくる人だった。中学校の頃は部活にも入れず、学校が終わってら部屋に閉じ込められてずっと勉強。今も部活に入ることは許されていないし、本当はこうやって休日に遊びに行くことすら私には許されていない。そんな日々が嫌で、お父さんに逆らえるくらい強くなりたくて、この手段を取ったの。翼と同じように、この姿でいれば少し強くなった気がするから」
「……大変だったね」
その話を聞いて、結芽の成績に嫉妬していたかつての自分が情けなく思えた。
『仲間』になったあの時からはそんなことはなかったけど、一年生の頃は私がどれだけ頑張っても取れなかった一位を取り続け、彼女がいなければ自分はあんなことを言われなくても済むのに。と何度も思ったことがあった。
でも、今思えば少し考えればそれほどの実力は結果に見合った努力をしなければ得られないというのが分かるはずというのが分かるはずなのに。
それを昔の私は自分だけが頑張っていると狭い視野でしか考えることができていなかった。
「やっぱり、『普通』じゃない私たちはお互い抱えてるのが何かしらあるってことだね」
結芽は先程までの重苦しい空気を破るように背を伸ばし、席を立った。
「暗い気分にさせちゃってごめんね。今からは楽しい時間にしよう!」
「うん!」
続けて私も立ち、結芽の隣を歩いた。
背負っているものが重くても、こうやって彼女の隣をこの姿で歩いている時はその重さも感じないような気がして足が軽かったような気がした。
それからは二人でただ楽しい時間を過ごした。
公園の各種の花畑をもう一度巡って、ソフトクリームを買って食べたり、スマホでプチ写真撮影会なんてのもした。
同じような趣味の人といるのって、なんて気が楽で楽しいのだろうかと、今までそのような人が私にはいなかったからかしみじみと感じた。
そんな楽しい時間は過ぎるのが早いようで時計は既に16時半を指しており、僕らは帰路に着くため公園を出た。
まだ日も傾いていないこの時間に帰るのは、結芽が父親よりも早く家に着いておかないといけないからだ。
結芽は本来だったら休日は家から出ることを許されていない。だから、バレないよう、休日も働いている彼女の父よりも早く家に帰り、平然を装う必要がある。
でも、それは私も同じで、仕事に行った母よりもはやく帰って着替え、家事を一通り終わらせとかないといけなかったからかえってありがたかった。
つい先週、夕飯が遅くなって怒られたところだったから今晩は作り終えた状況で待っておかないと。
そんなことを考えながら電車に揺られていると僕らの学校の最寄り駅に停車した時、電車にうちの学校の陸上部の10人くらいの集団が入ってきた。
私たちの一番近くの扉からもう一つ離れた扉付近に居るとはいえ、電車内が少し騒がしくなったのがここからでもわかった。
「あの陸上部に知り合いでもいた?」
陸上部の方ばかりを見ている私に気がついたのか、結芽は窓際に座っている私の方に近づき、小声で言った。
「別に。なんでもないよ」
まさか、あの陸上部の人たちもすぐ近くに座っている男女が鈴音結芽と中原翼だとは夢にも思わないだろう。
私があの人達ばかりを眺めてしまう理由はあるにはある。
「ねぇ、私は部活とか入れて貰えなかったけどさ、翼は部活入ってないの?」
「今はどこにも入ってないよ」
今『は』入っていない。
私がかつて陸上部の部員だったのはもう、すでに半年も前の話だから。
別になにかの少年漫画みたいに、あの日を境に何か急激に変化するわけじゃない。
変わらず僕には周りに敬遠され、友達が少ないままだし、それを鈴音さんも察してくれているのか学校で彼女から僕に話しかけてくることはなかった。
メッセージ上では、「この服どう思う?」と何枚か男物の服の写真が送られてくることが何度かあったけれど。
「おまたせ。待たせた?」
「ううん。『私』も今来たとこ」
僕らは週末、二人で駅前に『好きな格好』で集まる約束をした。
私はクリーム色のドレスシャツを、鈴音さんは白のTシャツの上にゆったりとした黒のシャツ、下は黒いルーズフィットのワイドレッグパンツで黒基調のかっこいい格好で来た。
「なら、行こうか」
鈴音さんはそう言って駅の中に入っていく。
「ねぇ、鈴音さん。連れていきたい場所があるって言ったけどどこに連れていってくれるの?」
声が周りに聞こえないように鈴音さんに近づいて小さな声で話す。
鈴音さんは今の『私』の姿と低い男の声のアンマッチさは気にしないでいてくれるようだ。
そんな私とは逆に鈴音さんの方は男装をしても一人称や声は特に変えてないみたいで本人曰く、強いて言うなら声を低くしようって意識してる時があるかな?っくらい。とのこと。
鈴音さんは歩きながら少し考える素振りを見せ、いたずらに笑みを浮かべた。
「内緒。その方が面白いでしょ」
「なにそれ」
鈴音さんの笑った顔は無邪気な子供みたいでこちらまでつられて笑ってしまう。
「あと、二人のときは鈴音さんじゃなくて結芽でいいよ」
「そっか、なら私のことも翼って呼んで」
「了解!」
夢はニコッとこちらを見て笑ったあと再び前を向いて歩いていった。
『二人のときは』というのも、おそらく結芽の私への計らいなのだろう。
もし、学校で『僕』が結芽のことをいきなり下の名前で呼ぼうものならどう思われるか分からないし、もしかしたら次はなにかされるかもしれない。
私は結芽のそういう気遣いができるところに尊敬した。
話す前から少し思っていたけど、結芽はやっぱり姉さんに似ている気がする。
全てが完璧で、僕が決して超えることができない壁のような人だと、そう思ったのだ。
電車に揺られて一時間ほど。
ついたのは東京ドーム十数個分の大きさを誇る公園だった。
今のシーズンは春の花たちが満開のようで私たちのような観光客が既に大勢いた。
結芽は「見せたい場所があるんだ」とだけ言って歩みを進めていく。
途中、満開の桜にチューリップ畑、大きなオブジェクトやらも通り過ぎ、これだけでも十分に満足できそうなのだけれど、結芽に案内され、ついた場所は視界を青色で覆い尽くすほどのネフェモラ畑だった。
小さな青色の花が見渡す限りの地面を覆っていて絶景とはこのような景色のことを言うんだろうなと感じることができた。
「すごい綺麗!結芽はよくこんなところ知ってたね?!」
「うん。昔、私が小さい頃に父さんと一度だけ来たことがあるんだ」
興奮している私とは反対に、結芽の顔は物憂げで、何故か寂しそうな顔をしていた。
「いっぱい歩かせてごめんね。もう少し行くとベンチがあるからそこで休憩を取ろう」
「……うん。そうだね!」
先程までの寂しそうな顔がまるで嘘だったかのように、結芽の顔はいつも通りの笑顔に戻っていた。
私たちは結芽の言っていたベンチに座り、お茶やら駅のコンビニで買った軽食やらを食べて休憩していた。
ただ、その雰囲気はどことなく重かった。
「ねぇ、なんで翼は女装を始めたの?」
最初に沈黙を破ったのは結芽。
私はサンドイッチを食べていた手を止め、仲間である結芽になら。と思い正直に話すことにした。
「この姿なら、自分が自分じゃない別人になれた気がして気が楽になるから。結芽は私の姉のこと、知ってる?」
「うん。噂程度だけどね。一年生の頃『去年の生徒会長の弟がこの学校に入ってきた。すごく優秀な子に違いない』って君のことを聞いたことがある」
「姉さんは何もかもが完璧だった。勉強も運動も生活も。私がどれだけ頑張っても姉に勝っているところなんてひとつも無かった。だから、姉さんと比べられる私は今まで褒められたことが無いんだ。いつも私は『姉さん以下』だったから。だから、『あの姉の弟』ではない今の姿でいることで私は自分を保ってるんだと思う。……私自身もよく分かってないんだけどね」
「そうだったんだ」
最後まで黙って話を聞いてくれていた結芽は静かに頷いた。
「結芽はなんで男装を始めたの?」
「翼が話してくれたんだから、私も話さないといけないよね」
今度は僕が聞いてみると、結芽はそう言ってポツポツと話し始め、それを結芽と同じように私も黙って話を聞いた。
「私のお母さんは私を産んだ時に亡くなって、今はお父さんと二人で暮らしてるの。お父さんはいつも完璧を求める人で、それを私にも強要してくる人だった。中学校の頃は部活にも入れず、学校が終わってら部屋に閉じ込められてずっと勉強。今も部活に入ることは許されていないし、本当はこうやって休日に遊びに行くことすら私には許されていない。そんな日々が嫌で、お父さんに逆らえるくらい強くなりたくて、この手段を取ったの。翼と同じように、この姿でいれば少し強くなった気がするから」
「……大変だったね」
その話を聞いて、結芽の成績に嫉妬していたかつての自分が情けなく思えた。
『仲間』になったあの時からはそんなことはなかったけど、一年生の頃は私がどれだけ頑張っても取れなかった一位を取り続け、彼女がいなければ自分はあんなことを言われなくても済むのに。と何度も思ったことがあった。
でも、今思えば少し考えればそれほどの実力は結果に見合った努力をしなければ得られないというのが分かるはずというのが分かるはずなのに。
それを昔の私は自分だけが頑張っていると狭い視野でしか考えることができていなかった。
「やっぱり、『普通』じゃない私たちはお互い抱えてるのが何かしらあるってことだね」
結芽は先程までの重苦しい空気を破るように背を伸ばし、席を立った。
「暗い気分にさせちゃってごめんね。今からは楽しい時間にしよう!」
「うん!」
続けて私も立ち、結芽の隣を歩いた。
背負っているものが重くても、こうやって彼女の隣をこの姿で歩いている時はその重さも感じないような気がして足が軽かったような気がした。
それからは二人でただ楽しい時間を過ごした。
公園の各種の花畑をもう一度巡って、ソフトクリームを買って食べたり、スマホでプチ写真撮影会なんてのもした。
同じような趣味の人といるのって、なんて気が楽で楽しいのだろうかと、今までそのような人が私にはいなかったからかしみじみと感じた。
そんな楽しい時間は過ぎるのが早いようで時計は既に16時半を指しており、僕らは帰路に着くため公園を出た。
まだ日も傾いていないこの時間に帰るのは、結芽が父親よりも早く家に着いておかないといけないからだ。
結芽は本来だったら休日は家から出ることを許されていない。だから、バレないよう、休日も働いている彼女の父よりも早く家に帰り、平然を装う必要がある。
でも、それは私も同じで、仕事に行った母よりもはやく帰って着替え、家事を一通り終わらせとかないといけなかったからかえってありがたかった。
つい先週、夕飯が遅くなって怒られたところだったから今晩は作り終えた状況で待っておかないと。
そんなことを考えながら電車に揺られていると僕らの学校の最寄り駅に停車した時、電車にうちの学校の陸上部の10人くらいの集団が入ってきた。
私たちの一番近くの扉からもう一つ離れた扉付近に居るとはいえ、電車内が少し騒がしくなったのがここからでもわかった。
「あの陸上部に知り合いでもいた?」
陸上部の方ばかりを見ている私に気がついたのか、結芽は窓際に座っている私の方に近づき、小声で言った。
「別に。なんでもないよ」
まさか、あの陸上部の人たちもすぐ近くに座っている男女が鈴音結芽と中原翼だとは夢にも思わないだろう。
私があの人達ばかりを眺めてしまう理由はあるにはある。
「ねぇ、私は部活とか入れて貰えなかったけどさ、翼は部活入ってないの?」
「今はどこにも入ってないよ」
今『は』入っていない。
私がかつて陸上部の部員だったのはもう、すでに半年も前の話だから。