日曜日の朝。胸元にある手のひらほどの大きさの黒のリボンがチャームポイントな青のフリル付きのハイラインの長袖ブラウスに黒の膝下スカートを着て、僕は『私』となり、町を歩いた。
おそらく、大勢には理解されないけど、私はこの時間が好きだった。
この時間だけは自分は胸を張って歩けているような気がして、好きだった。
この時間だけはまるで自分が無敵であるように感じることができて、楽だった。
家を出て、夏服を服を見て、ゲームセンターでUFOキャッチャーをした。ちなみに、UFOキャッチャーで取れた小さいキモカワなハムスターのぬいぐるみは台のそばで取れなくて残念がっていた小学生の女の子にあげた。
「ありがとうお姉さん!」
と、礼儀正しくお辞儀してくれたあの子はとてもいい子でなんだか胸が打たれた。可愛いとはあういうのを言うんだろうなって感じると同時に、本当はお兄さんなんだけどねと少し騙しているような気分になってごめんと思った。
今は、カフェでお昼ご飯を食べたとこ。
今までだったら喫茶店やファミレス、この前はスープカレー専門店なんてのも行ったっけ。いつも色んなところで食べているけどここのオムライスが美味しくてこのカフェには月一は来ている気がする。
一、二ヶ月前に一目惚れして買った淡い緑色をしたショートウォレットの財布を取り出して会計をした。
お昼時で後ろも案内も混んでいたのでレシートやお釣りを財布には仕舞わずに急いで店を出る。
十分な満足感と春のポカポカのした陽気な日差しに浸り、財布の中にもらったレシートやら小銭やらを入れながら歩いていると前から来ている人に気づかず、ぶつかってしまい、その拍子に小銭が全部地面に転がった。
「すみません!」
「いえ、私の方も不注意でしたから」
屈んで小銭を拾いながら、チラッと前に目をやった。
ぶつかった相手は私と同い年くらいのイケメンだった。
その見た目に反して一人称が私だったからどことなく丁寧な印象を受け、怖い人じゃなくて良かったとホッとした。
それも束の間、すぐに私はしまったと思った。
今の私は、顔はメイクで、体は服のおかげで外見は完全に女の子に見える。
でも、声は違う。
声は男の声のままだ。
女声の練習はしたことあるけど裏声がどうとかの感覚が私には掴むことができず、諦めていたのだ。
だから、私は普段はあまり喋らないようにしてるし、喋る時は小声で高い声を意識して出すようにして話している。
けれど、今。ぶつかってしまい咄嗟に出た声はそんなことなど意識していない『僕』の声だった。
親切な彼と散らばった小銭を拾っているとおそらくさっきの私の声を聞いた人達が私の方を見て、小声で一緒にいた人たちと話している。
隣を歩いている、制服のスカートをミニスカ程折った女子高生の耳に入った。
「ねぇ、今のこの声聞いた?」
「うん。声低くて男かと思っちゃった」
「だよね!でも、男がこんな格好してたら普通に引くけどね」
大きな声で笑いながら行く彼女らは、まるで、それがありえないことのように話していたけど、真実はその通りだ。
私は胸が締めつけられた。
やっぱり私は『普通』ではないよね。
思わず下を向いてしまう。
「女の子で、あの男みたいな声は可哀想だよね」
「あの子、パッと見は可愛いんだけどさ、声男なの。ちょっと笑えるよな」
「私、もし男友達があんな感じで女装とかしてたらさすがに絶交するわ」
意識を逸らそうとしても四方八方から入ってくる通行人たちの声に耳を塞ぎたくなる。
もう、小銭とかいいからこの場から逃げ出してしまおうかな。
そう考えている時だった。
「あの、服汚れてませんか?」
「え?服?」
「コーヒーがかかってたらいけないと思いまして」
そう言う彼の右手にはコンビニで買ったのだろうアイスコーヒーのカップが握られていた。
私は服にシミがないか見渡した。
スカートは濡れてないし、青色のブラウスにはシミはついていない。
「大丈夫です」
「それは良かった。その可愛い服にかかっていたらどうしようかと思いましたよ」
彼は安堵のため息をつき、私の声について言及はしなかった。
全部小銭を拾い終わった後、彼はもう一度謝ってから去っていった。
イケメンの彼は謙虚だし、親切だし、なんだか声も聞いていて落ち着くような声でやっぱり天は二物も三物も与えるものなんだなと思った。
それから後は、何事もなく、いつもと同じ日常を過ごし、夕方に帰宅して、私は『僕』に戻った。
家に帰ってから急いで化粧を落として、服をすぐに洗濯して、自室に吊るして乾かす。
そうしている内に家の扉が開く音がして僕は急いで階段を降りた。
「おかえり。母さん」
「ただいま」
こちらも見ずにぶっきらぼうに母は言い、リビングのソファーへととぼとぼと歩いていく。
この家にはもう僕と母さんしかいない。
父さんは母さんと僕が生まれてすぐくらいの時に離婚して出ていったらしく、姉さんも大学進学を機に家を出てしまった。
僕も休日の片方はバイトをしているとはいえ、母さんは今もなお、この家計を一人で支えてくれているのだ。
「ねぇ、翼。ご飯は?」
「ごめん、すぐ作るね」
僕も母さんに続いてリビングに入り、キッチンに立ったところで「えっ?」という声がソファーから聞こえた。
「まだ、作ってなかったの?しっかりしてよ。お姉ちゃんならこれくらい当然のようにできてたんだから」
姉さんは優秀な人だった。
僕からしたら優秀という言葉では収まらない程度には。
中学頃から高校までテストは一位以外取ったことはなかったし、部活だって、高校生陸上100m女子で、最後の大会で大会新記録を達成。家事だってなんだってできて。いつでもクールで頼れる姉。それが僕の姉、中原(なかはら)美優(みゆう)だ。
そのおかげで僕は誰からも姉と比較される。
それから、姉と比べて君はなんだか見劣りするねと言われるまでがセットだ。
「うん。ごめんね」
笑顔を作り、それだけ言って僕は晩御飯を作り始めた。
母さんが僕を呼ぶ時はいつも、枕詞に「姉さんさんだったら」とつく。
僕はこれがたまらなく辛かった。