殺せ。
 殺せ。
 これは、大切なものを傷つけた。
 これは、大切なものを傷付ける。
 それは、罰を受けるに値する。
 それは、この世界から消えるに値する。
 
「――その命をもって、我に牙を向いた罪を赦さん」

 ヴィクトリアは、ルーファスの目を手で隠し、目を瞑って手を上げた。 
 頭の中に望むものを思い浮べ、そして大きく息を吸い込む。

「星をうつすはその瞳。煌めきは爆撃となりて、視界を封ず」

 一瞬。
 昼の空に星が煌めいたと思うと、流星となって古龍の体に直撃した。
 そして、とびきり巨大な星の礫が、古龍の瞳の前で閃光を放って弾けた。

 グオオオオオオオオ!!!

 古龍の咆哮は風を起こし、ヴィクトリアの髪は風にたなびく。
 これでもう、古龍は目を使えない。ヴィクトリアは目を開けると、少しも怯むことなく次の魔法を繰り出した。

「糸を通すはその鱗。薄氷は鋼鉄より柔い」

 すると、龍の逆鱗がぴききっという音ともに罅を作った。
 ヴィクトリアはその隙を逃さず、頭の中で、逆鱗が壊れる姿を想像し魔法を創った。

「薄紅《うすべに》、桜花《さくらばな》。花散るように、逆鱗《げきりん》は砕け散れ」

 薄桃色の鱗は、はらはらと、まるで桜のように砕けて宙に舞う。古龍は逆鱗の下の、柔い肉を晒していた。

「糸は捻じれ紡がれる。糸よ。矢となり、強弓を以て敵をつらぬけ」

 ヴィクトリアの言葉により、カーライルの糸が空中に浮かぶ魔法陣から出現する。
 糸はくるくると絡まり合い太さを増して、大きな弓と矢となった。
 宙に浮かんだ弓は、大きくしなり、勢いよく晒された肉を貫く。

 ギィイイイイイイイイイイイイイ!!!
 
 古龍は声を上げ、その尾で地面を抉ると、木々をなぎ倒しながら倒れ込んだ。

「は……っ。はっ。は……っ」
 
 ヴィクトリアは、浅く息を吐いて手を下ろした。
 危険が去ったことに対し、安堵で体から力が抜ける。

(もう大丈夫。大丈夫だ。古龍によって、誰かが死ぬことはない。私は。私は大切なものを守れたのだ)

 ――……本当に?

 けれど頭の中で、誰かが自分にそう尋ねた。
 ヴィクトリアは頭をおさえ――そして、自分を濡らす血溜まりに気がついた。

(何故私は、こんなに大切なことを頭から消してしまっていたの?!)

「ルーファス!!」
「へい、か……」

 血だらけのルーファスは、とぎれとぎれにヴィクトリアを呼んだ。
 声に覇気はなく、瞳は見えていないのか、ヴィクトリアを捉えていない。
 ヴィクトリアに伸ばされた手は宙を彷徨う。その手を、ヴィクトリアは震える両手で強く包み込んだ。

「陛下は……ご無事、なのですね……?」
「……っ!」

 血だらけで、死にかけているのに、それでもなお自分を思う彼の言葉に、ヴィクトリアは嘘をつくことはできなかった。

 ヴィンセントの――かつての自分のように、ヴィクトリアは、ヴィンセント・グレイスとして彼に返事をした。

「ああ。――ああ。……私は、ここにいる」
「……よかった」

 その声を聞いて、ルーファスは微笑むと瞳を閉じた。

「……ルーファス? ……ルーファス、ルーファス!!!」

 ヴィクトリアは彼の名を叫んだ。けれどもう、彼が瞳を開けることはなかった。

「嫌」
 ヴィクトリアの瞳から、涙が一滴こぼれ落ちる。

「嫌。嫌なの」

 その涙は、ヴィクトリアの手の甲におちる。
 赤く濡れた手のひらは、涙を含んで薄く広がる。
 ヴィクトリアは短剣を取り出すと、自分の手のひらに傷をつけた。
 その手を、赤い血溜まりの中にひたす。

「傷を。傷を癒せ。糧として、彼にこの身を捧げん」

 すると、ルーファスの体の下に巨大な赤い魔法陣が浮かび上がった。
 それはヴィクトリアとルーファスの体を包みこみ、青ざめていたルーファスの顔には生気が戻っていく。
 ヴィクトリアは、それを見て安堵した。

(よかった。魔法は成功だ)

「……ああ……っ」

 しかしその時、立っているのもままならないほどのだるさと目眩が彼女を襲って、ヴィクトリアはルーファスの体の上に倒れ込んだ。

 深く冷たい水の底に、落ちていくような感じがした。
 魔法陣は光り続けている。ルーファスの回復は済んだというのに、魔法が消えてくれない。
 体から、力が抜けていく。

「あ……う……」

 呼吸が上手くできない。
 遠い日の、あの日と同じ。
 『ヴィンセント』が死んだあの日のように――命が、体から失われていく感覚があった。

(誰か、助けて)

 しかし声は、言葉にならない。

「……ぇい、もん……」
 
 それは――魔力欠乏症の症状だった。