壺を割ってから、二週間が経過した。
宮殿の琉璃瓦には新雪がうっすらと残り、王宮全体を優しく覆う。
久々に玉座へと姿を現した現帝の父に、謁見を許された伯蓮は淡々と報告書を述べていく。
「宰相、胡豪子は異国の商人から違法な商品を秘密裡に入手し、闇市場に転売しておりました」
豪子が個人的に取引していた商人との品の中に、催淫効果のある樹皮茶葉が含まれていたことも確認された。
尚華の部屋に残された茶葉と同一であることが、医官によって証明される。
つまり豪子が薬を入手し、娘の尚華を唆して伯蓮に薬を飲ませるよう指示をした。
入手経路が立証された豪子は、罪人として処罰されることが決定した。
しかし後宮内の妃に、記録をつけることなくどのようにして樹皮茶葉が渡ったのか。
調べを進めて判明したのは、豪子の息が掛かった宦官がいたこと。
そして尚華付きの初老の侍女に、内密に届けられていたことも発覚する。
「その宦官と尚華妃の侍女も、処罰対象といたしました」
今回の調査で、宮廷内には二人以外にも、豪子の手の内の者が数人存在していたことがわかった。
豪子の野心と策略のため、もしくはそれを知らないまま不正に加担していた者もいた。
そこまでして豪子は、一族の血を引く皇帝を生み出したかったようだ。
のちに伯蓮率いる鄧一族から政権を奪って、己の野心を実現させるために。
しかしそんな未来を夢見た豪子はここで潰えた。
「他にも、異国商人を入国させるにあたって賄賂を受け取り、違法商品は倍額で転売し荒稼ぎもしておりました」
「私の知らぬところで、なんと……」
信頼していた豪子の悪行を知って、父の現帝も衝撃を隠せない様子。
ただ体調不良を理由に、政を全て任せきりにしていた己にも責任があると痛感していた。
優秀な宰相として、二代の皇帝を補佐してきた胡豪子の歴史はここで幕を下ろす。
「以上。宰相、胡豪子の罪状をご報告申し上げさせていただきます」
「それにしても、全て伯蓮が調べたのか?」
報告を終えた伯蓮に、現帝は思わず尋ねてしまう。
今まで言われるがままの伯蓮が、少し見ない間に逞しくなったように感じた。
「いいえ……私の他にも協力してくれた者が」
「そうか。このまま気づかず放置していたら、四百年続いた国を失っていたかもしれぬな」
そうなれば歴代の皇帝たちに顔向けできないと考えて、現帝は眉を下げて反省の色をみせた。
「伯蓮もよくやってくれた。その協力者にも礼をいう」
言いながら頭を下げた現帝の先にいた伯蓮。その隣に、実は貂々もおとなしく座っていた。
自分の子孫である皇帝も、そして伯蓮も。
この国を守ろうという考えは一緒であると、誇らしげな表情をしていた。
***
謁見を終えた伯蓮は、その敷地内をかつての皇帝、貂々と並んで歩いていた。
寒空の夕日に照らされ、毛並みの美しい貂々の体を黄金に輝かせる。
「貂々が調査を開始したきっかけは、豪子の野心をたまたま立ち聞きしたから?」
豪子を疑いはじめたきっかけを聞いて、伯蓮が驚いていた。
「そうだ。あいつは私が築いた国を乗っ取る気でいたから許せなかった」
「それにしても、樹皮茶葉の入手経路の証拠はどうやって……」
「豪子は若輩の従者に書類の処分を任せていた。そこから一枚抜き取って、壺の中に隠しておいた」
貂々の知り得る情報を聞いた伯蓮は、その全てはあやかしだから出来た働きだという感想を抱いた。
貂々がいなかったら豪子の不正も暴けず、物的証拠も揃わなかった。
酒と女に溺れたという暗君、第十代皇帝の鮑泉は――時を経てあやかしと姿を変え、今でもこの国を守ろうと奮闘していた。
そんな貂々に出会っていなければ、こうして協力し合うこともなかったはず。
(私と貂々を繋ぎ合わせたのは、朱璃……)
朱璃に出会ってから、様々なことが動きはじめたと実感している伯蓮がそっと微笑んだ。
すると、不服そうな表情の貂々が伯蓮に真意を尋ねる。
「朱璃を監禁した尚華の侍女らにも罰を下したのは真っ当なのだが……」
「どうした?」
「胡一族は財産を没収。最北の郷への追放とは。なぜ国外追放にしなかったのだ?」
豪子と尚華を含めた胡一族の処分について、貂々は“甘い”と思っていた。
未遂とはいえ、野心を持っていた者はまたいつ牙を向けるかわからないというのに。
胡一族を国内に留めた理由を、貂々は知りたかった。
「最北の郷は監視も行き届いている。それに二代の皇帝に仕え宰相を務めた豪子への、敬意もわずかにあった」
「はあ……そんなことではいつか寝首を掻かれるぞ」
意地悪なことを言われたが、その通りだと思う伯蓮は苦笑いを浮かべた。
ただ悪事を働いた宰相も、国を支えてくれていた人間に変わりはない。
娘の尚華も、今後は父親と仲良く生きていけたら良いという願いを込めた。
すると、大事なことに気がついた貂々が、何やらいやらしい顔をする。
「ということは、伯蓮と尚華の婚姻は解消されたのだな?」
「そういうことになる」
「では伯蓮の思惑通り、着々と朱璃を妃として迎える下準備が整ってきたわけだ」
全て見透かしてように話す貂々に、伯蓮は何も言い返せず鼻先を掻いて誤魔化した。
どこか満足げに微笑む貂々は、ひょいと塀の上に乗る。
貂々の黄金の毛並みに皇帝の神々しさを感じて、伯蓮が思わず呼び止めた。
「鮑泉様っ」
「な、いきなりその名を呼ぶな……」
二百年前の人間だった頃の名前を呼ばれて、貂々が塀から落ちそうになる。
急に神妙な面持ちになった伯蓮は、今抱えている悩みを打ち明けた。
「私は今、鮑泉様と同じ道を選択しようとしています……」
かつて皇太子だった鮑泉が、侍女の姚羌を妃にしたことで始まった悲恋。
現在、侍女の朱璃を妃にしたいと思っている伯蓮は、同じことが繰り返されないかという不安も抱えていた。
豪子、尚華という不安要素は排除したものの、王宮という場所は様々な私利私欲がうごめく場所。
「いつか、この選択が朱璃を傷つけてしまわないか……失う結果とならないか不安なのです」
姚羌を失った鮑泉の悲しみが理解できるからこそ、率直な意見が聞きたかった。
自分の思うまま進むべきか、朱璃のために妃にすることを諦めるべきか。
すると貂々は、夕日に照らされた黄金色の長い尾をゆらゆらと動かした。
「私は愚かな皇帝だったが、お前がそうなるとは思わない」
「え……」
「故に朱璃も姚羌ではないから、結末が同じになるとは思っていない」
別々の人間同士の関係を、過去の出来事と照らし合わせても無意味。
そう話す貂々は、鮑泉としても一人の男としても、本当に伝えたかったことを伯蓮に話す。
「どんな選択をしようと、どんな結末を迎えようと。それはお前たちの物語であって私たちとは違う」
「……鮑泉様」
「むしろ私のような前例を知っているなら、どんな障害が待ち受けていようと事前回避ができるだろう?」
貂々は期待を込めたようにニヤリと微笑んで、伯蓮の背中を押してくれた。
そして颯爽と、塀の向こう側へと消えていった。
悲恋を経験した第十代皇帝鮑泉の言葉は心に深く刻まれ、いずれ皇帝となる伯蓮にとって心強い教訓となる。
*
宮城外の門前で待たせていた関韋と合流した伯蓮は、本日の業務を全て終えた。
あとは蒼山宮に戻るのみ。そう思っていると、自然と頬が緩んでくる。
「嬉しいことでもあったのですか?」
「……え?」
「口角が上がっておりましたので」
ちょっとした変化も逃さない関韋の質問は、伯蓮の気を引き締めるには充分だった。
関韋に胸の内を知られるくらい、どうということはない。
ただ、一人でニヤけていたと思うと少し恥ずかしくて、伯蓮が一つ咳払いをした。
「皇帝陛下と何か?」
「いや、皇帝では……いや、一応皇帝か……」
「はい?」
「ふ、なんでもない」
伯蓮の言っていることがよくわからなかった関韋が、珍しく困惑した表情を浮かべた。
第十代皇帝、鮑泉との会話が嬉しかった。なんて言えば、まともな関韋は医官を連れてくるかもしれない。
何せ相手は二百年前に生きていた人間で、現在は貂々というあやかし。
暗君と呼ばれたその皇帝は、今こうして王宮に棲みつき国を陰から守る明君へ。
そんなふうに考えていた伯蓮は、一つ願いを口にした。
「近々、後宮に行きたい」
「それは、何用でしょうか?」
後宮に行ったところで、尚華はもういない。
伯蓮が後宮に行く理由がどこにも見当たらなくて、関韋は首を傾げた。
「後宮の北に、古い廟がある話は前にしただろう?」
「ええ、朱璃殿が監禁されていた場所ですね」
「そこで第十代皇帝、鮑泉様の塑像を見つけた」
暗君と呼ばれていたせいで、まるで封印するかのように忘れ去られていた現在。
しかし、これまでの貂々の活躍と鮑泉の真実を知っている伯蓮は、誤った歴史も変えていきたいと考えた。
「その廟を、修繕して綺麗にしたい」
「かしこまりました、手筈を整えておきます」
伯蓮の気持ちを察した関韋は、すぐに拱手する。
「……それと、もう一つ」
今度は少し言いづらそうに声が小さくなった伯蓮に、すぐに“朱璃関連”であることを関韋が悟る。
伯蓮は関韋の耳元で、もう一つの“何か”を頼んだ。
すると関韋は少し悩むような顔を空に向けたあと、苦悩の表情を浮かべながらも拱手した。
鄧北国に、もうすぐ本格的な冬がやってくる。