「なぜ娘が謹慎を言い渡されたのですか!」
宰相の執務室に招かれた伯蓮は、円卓に腰掛けていた。傍にはもちろん関韋が備えている。
そして正面に座る尚華の父、豪子に詰め寄られている最中だった。
豪子の背後には数名の従者が控えていて、正面からの圧が凄まじい。
しかし謹慎処分はそれ相応の理由があったわけで、伯蓮は緊張しながらも毅然な態度で説明した。
「尚華妃は“ある薬”を茶に混ぜて私に飲ませた。それが謹慎の理由だ」
すると豪子は首を傾げて、全て初耳というような素振りで答える。
「薬? 後宮の妃がそんなものどうやって手に入れるのですか」
「後宮の記録には残っていないが、豪子殿が手引きしたと尚華妃から聞いている」
「そんなこと私がするはずありません。薬の話が真実ならば娘が勝手にやったことです」
謹慎中の尚華に尋問した宦官の話によれば、催淫薬は豪子の指示だと答えてくれた。
しかし、今の豪子はそれを否定した。その瞬間、実の娘である尚華は切り捨てたも同然となる。
尚華はあくまで駒。常日頃からそう考えている豪子の返答として、伯蓮は意外とは思わなかった。
そして今回の薬が毒であったら、伯蓮は死んでいたかもしれない。
今後の危険性を考えると、そのような行為を躊躇なく実行する者に政は任せられない。
「……ところで、豪子殿は異国商人に知り合いが多いようだな」
まずは豪子の交友関係を調べた結果を、間違いないか伯蓮が問う。
「え、ええ。異国の品に興味があるので、個人的にも仲良くさせてもらっていますが」
「異国の商品は管理が必須。しかし豪子殿が国に提出した報告書を確認すると、不可解なところが多い」
事前に集めた豪子と商人との取引報告書の紙束を、伯蓮が机に向かってドサっと置いた。
一冊の教本ができるほどの厚さの紙束が、三つもある。
「ここに書かれた商人の名は全て実在しない。追跡を防ぐための偽装ではないのか?」
実在しない商人との取引履歴がずらりと記載され、実際に取引した商品は全てが“陶磁器”だった。
「濡れ衣でございます。私は商人と会って取引しましたが、おそらく偽名を使われたのでしょう」
「取引商品の全てが“陶磁器”と記載していたのは?」
「本当に取引したものにございます」
余裕の笑みで対応する豪子は、執務室を見渡すように視線を動かした。
それにつられて伯蓮が周囲に視線を向ける。
壁沿いの棚に、たくさんの瓶や壺、茶碗が展示されていた。全て“陶磁器”に当てはまる。
豪子は金持ちであるから、趣味で集めているとなれば数が多いのも納得せざるを得ない。
しかし、ここにはない分の行方も伯蓮はすでに見当がついていた。
「商人から購入した異国の商品を、高値で市場に転売しているという噂もある」
「っ……噂は噂。皇太子ともあろうお方が惑わされないでください」
ここで初めて、豪子が少し焦ったように声を震わせた。
それを逃さない伯蓮は、さらに畳み掛ける。
「何もないところに噂は立たない」
「私に恨みを持つ者のでっち上げにございます。断じてそのような悪どいことは致しません」
善人を匂わす笑顔を作る豪子だが、伯蓮と関韋は一切信用しない。
尚華に罪をなすりつけ、取引した違法商品は隠す。異国の商品を高値で転売し、噂は噂と言い逃れをする。
これでは正直に話した尚華も浮かばれないなと思っていると、豪子の反撃がはじまった。
「しかし伯蓮様。そこまでおっしゃるほどの証拠があるのでしょうか?」
「この取引報告書の捏造が――」
「ははは。それだけでは証拠になりません。私が異国の違法商品を仕入れたり、高値で転売しているなどの記載はございませんよ?」
確かに伯蓮が用意したのは、豪子が国に提出した報告書。
しかし、記録にない取引の証拠は伯蓮の手元にはなかった。
あれこれと言い逃れをしてくる豪子に苛々が積もるも、ここで引き下がるわけにはいかないと更に指摘した。
「では記載されている“陶磁器”の数と実物する陶磁器の数を比べて――」
「壊れて捨ててしまったものもありますから、数は合致致しません」
数え切れないほどの陶磁器と報告書を照合することは、現実的ではないことは伯蓮もわかっていた。
ただ、あれこれ責めても決定的な証拠がない限り、豪子も折れない。
睨み合いが続いていたその時、執務室の窓から顔を覗かせている黄色いあやかしに伯蓮が気づいた。
(貂々! やっときてくれたか)
救世主を見るように、伯蓮の表情が明るくなった。
もちろん貂々の姿は関韋や豪子、その他の人間には視えていない。
すると貂々は、窓を叩く素振りを見せてきた。“窓を開けろ”という心の声を拾った伯蓮は、一芝居打ってみた。
「な、なんだか室内が暑いな。窓を開けてくれないか」
「こんな寒い時期に窓を……?」
「一瞬でいい、新鮮な空気を吸いたい」
不審に思う豪子に構わず、伯蓮は暑い暑いと芝居を続ける。
その甲斐あって、豪子が自分の従者に指示を出し窓を開けさせた。
執務室への侵入に成功した貂々は、伯蓮の方には向かわずに従者の近くをウロウロする。
そして一番若輩の、気弱そうな顔の従者の前でぴたり止まり、貂々は伯蓮に目配せしてきた。
何かを察した伯蓮は、若輩の従者に声をかける。
「……其の方は、この取引の管理を任されていた者か?」
「い、いいえ! わ、私は何も……知りません。申し訳ありません……」
眉を下げて畏まる従者は、怯えるような青ざめた顔で謝った。
何か隠している。それを貂々が教えてくれているのだと悟った伯蓮は、彼を注意して見ることにした。
一方、これ以上の証拠は持っていないと判断した豪子が、長い髭を触りながら微笑んでいる。
「伯蓮様。娘の処分はお任せいたします」
「重い罰でも受け入れるのか」
「はい。胡一族の恥ですから」
父親のために悪事を働いてしまった尚華を、いとも簡単に裏切った。
最後に見た尚華の涙を思い出しながら、伯蓮は喉を熱くしながら豪子に訴える
「尚華妃は父に認められたくて、その身を捧げてきた。その娘を簡単に切り捨てられるのだな」
皇太子に薬を盛ったことは決して許されることではないが、同情の余地はあった。
少しでも軽い罰で済ませてやりたかったが、豪子が罪を認めなければそれも叶わない。
悔しさが込み上げる伯蓮は、机の下で拳を握りしめた。
すると、貂々が小さな四肢で再び歩き出す。それを伯蓮は、沈黙したまま目で追った。
執務室の角で止まった貂々は、再び伯蓮をじっと見つめてくる。
そこには腰の高さほどの棚があり、西瓜ほどの大きい壺が置かれていた。
色柄が派手できめ細かいため、かなりの高級品であることが窺える。
「……その壺を見せてもらってもよいか?」
「え? ええ、それも異国から仕入れたものですが……ご興味ありますか」
「ああ、少し……」
先ほどから何度も会話が脱線する伯蓮に、豪子も戸惑いを覚えはじめた。
しかし貂々の正体は第十代皇帝の鮑泉であるから、子孫である伯蓮は指示通りに動くしかない。
席を立った伯蓮は、全く興味のない異国の壺の前に立った。
外見は特に変わった様子はなく、伯蓮が腕を組んでまじまじと観察していた。
すると突然、貂々が壺に飛びかかる。
(……貂々、何を……⁉︎)
そして前足で壺を押し出すと、ぐらりと傾いたそれは当然、床へと真っ逆さまに落下した。
ガシャァァン!!
大きな音と共に、無惨に割れた異国の壷。
先ほどまで美しい曲線を描いていたのに、大小の破片となって床にばら撒かれてしまった。
伯蓮も、そして持ち主の豪子も唖然と立ち尽くしたまま、しばし静寂に包まれる。
「伯蓮様! お怪我はありませんか⁉︎」
「ああ、問題ない……」
関韋はすぐに伯蓮の元に駆けつけて、破片から遠ざけようと誘導する。
あやかしが視える伯蓮には、貂々の手によってわざと壷が倒されたことを知っていた。
しかし、あやかしが視えない他の者たちは、伯蓮が触れていないのに壺が勝手に均衡を崩して倒れたと思い驚愕している。
「お手に触れず、どうやって倒されたのですか……!」
「あ、いや私は……」
「その壺は世界に数点しかない高級品でしたのに!」
豪子の嘆きを聞いて、伯蓮は少し申し訳ないことをしたと弱気になる。
ふと視線を落とした先に、伯蓮は何かを発見した。
破片でできた山に埋もれている、折り畳まれた一枚の紙。
その不自然なものに手を伸ばそうとした時、指を切る危険性を察した関韋に止められた。
「私が拾います」
「……頼む」
破片を払って無事に紙切れを手にした関韋が、伯蓮に手渡す。
丁寧に開いた紙に目を通す伯蓮に、豪子は不審に思いながら尋ねてきた。
「なんですかそれは、なぜ壺の中に……?」
「……もしかすると、善良なあやかしの仕業かもな」
「……は? あやかし?」
伯蓮の意味不明な返答に、あやかしの存在を確認できない豪子は首を傾げた。
すると、伯蓮はその一枚の紙を豪子の目の前に差し出す。
豪子はゆっくりと目を通していき、徐々に顔色を悪くしていった。
「こ、これは……」
「豪子殿、これが本物の取引の履歴だな?」
そこには、国に提出された報告書とは別の、豪子の極秘取引一覧のような内容が記載されていた。
最近の日付と取引した商品名、転売の際の倍額もしっかりと記している。
商人の本名や、その者からどんな商品を買い取ったのかまで、事細かくわかりやすく。
その中の一つに、怪しげな“樹皮茶葉”の買取も記録に残っていた。
「この樹皮茶葉は転売の記録がないが、どうしたのだ……?」
「そ、それは私用で購入を……」
「どんな茶だ?」
「……ただの、よく眠れるという茶で、ございます」
額に大量の汗をかきはじめた豪子。
明らかに動揺している様子を確認した伯蓮は、貂々がわざわざ壺を割った理由を理解した。
なぜそんな重要な紙が折り畳まれて壺の中に隠されていたのか。
その詳細はあとで尋ねるとして、このまま豪子の悪事を暴きたい伯蓮が関韋に指示を出す。
「今すぐここに記載されている名前の商人を探し出せ。聴取する」
「かしこまりました」
「他の商人、転売先も把握して聞き取りを頼む」
突然の重要証拠出現に、豪子も対処が追いつかず沈黙したまま動かない。
そこまでの根回しはしていなかったようで、商人らの証言が集まれば豪子の罪も明確になるはず。
それと、もう一つ。
「この樹皮茶葉に、万が一催淫効果の成分が含まれるとしたら……豪子殿」
「……は、はい……」
「わかっているな?」
伯蓮の圧に観念した豪子は、膝から崩れるように床に座り込んでしまった。
一連の事件で、宰相の任を解かれることになる豪子。
その野心は、第十代皇帝で今はあやかしとなった貂々と、現皇太子の伯蓮によって打ち砕かれた。