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 その日の昼過ぎに密かな報告を受けたジョナス大尉は、急に仕事の書類(土木工事)を放擲して、コーヒーを飲みに向かった。
 認可のサイン業務については、権限がある代理で信用できる同僚に任せた。同僚どころか上役の少佐殿は、ものの五分の会話で愕然とした表情を浮かべたものの、「私がやっておこう。どうせ暇だから、二三時間ほど残業して心を無にすることにするよ」とやるせない微笑だった。
 とても、やるせない表情で頷き合う。

「大丈夫かね?」

 気遣う少佐殿に、ジョナス大尉は「お心遣いに痛み入ります」と一礼し、沈痛な面持ちでその場をあとにしたようだ。
 目指すコーヒー店は、退役した特殊部隊戦士のサワラ曹長のところ。いわゆる、仲間内のたまり場である。暗い政治圧力や権限の問題があるために表立ってできない、反魔族レジスタンスの連絡事務所を兼ねていた。
 二階の会議室になっているラウンジに上がるなり、ジョナス大尉は獰猛な唸り声を噛み殺しながら手近な椅子を蹴り飛ばす。椅子の脚が折れて、バウンドしながら床を転がった。
 そして旧友のサワラ曹長、もとい店長に吐き捨てるように告げた。

「全滅だ」

「? は? 全滅?」

 浅黒いサワラ店長は、目を白黒させて頭を搔いている。理解が追いつかないらしい。

「まさか、あいつらのことか? わざわざ表向きには退役させて二十人くらい送ったって」

「そのまさか、だよ!」

 押し殺しつつも、怒気と剣幕は凄まじい。
 サワラはそれでも理解しかねたようだ。

「待ってくれ。戦闘があったなんて、聞いてない」

「戦闘じゃない。炭鉱労働だよ!」

「何があった?」

 数秒間の重苦しい間を置いてから、ジョナス大尉はやや早口で簡潔に応えた。

「奴らが裏切ったか、騙しやがったのさ。「対魔族で防衛や牽制してレジスタンス参加したいから、指揮や指導も出来る戦闘員を送ってくれ」とかほざいていたが。炭鉱労働とやらに送られて、ほとんど全員が殺されやがった」

 呆気にとられたサワラは、己の額を手でペチッと叩いて「あちゃ!」と、どうしようもないときに笑うしかないときの軽々しい悲鳴を上げた。
 政治家などで、魔族がらみの利権ギャングとつながっている者は少なくない。理解者を装って人員の派遣を依頼しておいて、虎の子の信頼できる実力者たちを送らせておいて、彼らを騙し討ちや売りとばしたのだろう。
 貴重な人員を失った打撃もさることながら(魔法の素質なしに魔族や魔法使いと戦える達人クラスの戦士は多くない)、人間相互の信頼関係を破壊して、対魔族ギャングでの連携協力を阻害してくる。そういう卑怯な策略は敵方の十八番だった。
 しかも、しばしば以上に人間側の腐敗した有力者が絡んでいて、潜伏している魔族やギャングを庇護したり便宜供与している。建前上には身内であったり見せかけの合法性やグレーゾーンで体裁を装っていることもあるし、気にくわない・裏切り者だからと勝手に独断で殺してしまうわけにもいかない事情がある。
 たとえ正しい目的でも越権行為で暴走すれば自分たち自身が犯罪者として訴追や弾劾されかねず、そうなるとまた腐った連中に政治的策略でつけ込まれ、あべこべに裏での勢力を拡大されかねない。政治家や指導層の大部分は妥協するか腐りきっており、どうにか背後からの牽制と監視で現状維持して一進一退。

「協定さえなかったら、さっさと皆殺ししてやるっていうのに」

 今や「協定」と呼ばれる裏ガイドラインになっている合意が成立しており、魔族や配下のギャングを一定の範囲や条件で野放しするしかなくなってしまっている。場合によっては明らかな違法行為や犯罪ですら目を瞑るしかない。
 良い警官や軍人が(口実から政治圧力で)クビにされれば防衛力や治安維持力がかえって低下してしまい、しかも腐敗側のスパイが空いた席に入り込んでくることすらある。脅迫されたり家族にまで累が及ぶことを恐れてしまい、どうしても及び腰になりがちだった。
 ジョナス大尉はビールを二口三口ラッパ飲みしてから、歎息するように言った。

「サワラ。俺は辞めるぜ。フリーのハンターになってあいつらを殺しまくってやる。そうでもしなけりゃ、あいつらはつけあがってやりたい放題するばっかりだ!
このままだったら、わけがわからないうちにこの町もこの国も、イカレた素晴らしい魔族帝国のお目出度い植民地になる。誰かがあいつらに恐怖を与えてやるしかない!」

 カウンターテーブルに拳を叩きつける。
 彼の幼い息子と妻は、魔族犯罪テロの犠牲になっていた。たとえ軍の公の職務を離れたり、魔族側や付随するギャングから恨みを買っても、失うものは多くはないのかもしれない。いくら世の中が腐っていても、さすがに個人の経緯や正義感からすれば「自分もデタラメやって汚職してやれ」という気にはなれないらしい。
 ただし、「反魔族レジスタンス」は違法行為(存在そのものが私闘や私戦予備、裏協定にも違反)であって、いかに理解者や賛同者が少なくないとはいえ、刑法的には「犯罪者になる」のと変わらない。
 サワラ店長は困った顔で頭を搔いた。

「それは、まずいよ」

「何がまずいんだ? 他に方法があるか? 俺とお前で、若い奴何人かとであいつらをぶっ殺して「見せしめ」にしてやった方が世の中のためってもんだろう? お前だって、とっくに手を汚してるんだから止める筋合いか?
俺が今は事務仕事ばっかりしてるからって舐めてんのか? サワラ君よ、昔の戦友だったら俺が「やれる男」だってわかってるだろ?」

 酔いのせいというよりも、これまでと普段からの苦悩と葛藤が言葉になって溢れている。
 だがサワラは冷静だった。冷徹な怒りの瞳で友人を諭すことにした。

「貴様が辞めたら、今のポジションの仕事や権限はどうなるよ? 信用できる替わりでもいるっていうのか? おかしな奴らが替わりでお前の地位に就いてみろ、部署や部下ごと全員破滅だろうが」

「いや、それはそのとおりなんだが」

「あの代議士の先生だって、そんなやり方は反対すると思うぜ。とりあえず少佐殿が次の選挙に出て勝てれば議席も増えて、やっと法案提出の目処が立つだろ?
あいつらはそれを嫌がって、こっちがキレるように挑発してきてるのもあるだろうし。のせられて嵌め込まれるのが賢いとは思えんな」

「だが、このままでは」

 苦慮の表情のジョナス大尉に、サワラは落ち着くのを待って言った。

「資料だけ、回してくれ。新人のハンターが心当たりあるんだ」

 ハンター、狩人。レジスタンスの非合法戦闘員の隠語。

「そうなのか。ふんっ、水くさい。言ってくれたらちょっとくらいは手助けしてやれたのに。どんな奴なんだ?」

「魔法使い。変わり者のな、まだ若いけど魔法学院を出ている」

「魔法使い?」

 ジョナス大尉は考え込む仕草になる。てっきり軍や警察からの決起組やら、格闘選手崩れやヤクザものだと予想していたようだ。
 それに軍関係者からは、人間の魔法使いや魔法学院・協会の類は必ずしも信用されていない面もある。高度な魔法・魔術能力の資質や知識とノウハウの独占で、ある種の特権階級意識が強く、一般の人間や軍の戦士たちを見下しているところがあるからだ。
 更に言えば魔族に同調する者すら多いようで、魔法協会は魔族ギャング利権の迎合や首謀者たちの巣窟にすらなっているのは、知っている者には公然たる秘密事項(あまりにも絶望的であることや制裁を恐れてあまり口にできない)。

「なんで、そんな奴が?」

 普通だったら、わざわざそんな賢くないことはやらない。学院や協会に従って魔族利権と仲良くした方がはるかにお得だから。

「だから、変わり者ってのさ。いつぞやの原始人君もだけども、そういう奴もいないことはないのさ」