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「ですが僕は、ついにこの決定的な弱点を克服することができなかったとです」

 水面にたゆたう黒いレトリバー面は、どう見ても温厚で恭順なフレンドリーなオーラであった。たとえ「狼男」であったとしても、この見た目だけで親しまれたり舐められたりすることだろう。
 グリーンのローブを着ているが、背丈と身体はまだあまり大きくなく、彼がまだ少年であるとうかがわせる。流れる水鏡にしゃがんだ背中には大型の剣を背負っているが、きっと今のように「狼男に変身」した状態ならば振り回すのに不都合ない。
 レト(レトリバリクス)は獣エルフと呼ばれる、エルフ・ドワーフの一種なのである。彼らの氏族グループと血統には「獣や獣人に変身する」特殊能力があるのだった。

「大人になって獣の力に覚醒すれば、このドロップイヤー(垂れ耳)も直るかもとか、はかない願いを抱いていたのです。超絶コンプレックスで、めっさ嫌でした。他の人たちや姉のような、かっこいい立ち耳の方が良かったです」

「そんなに嫌か? 特徴的で良いんじゃねえの?」

「この耳、「可愛い」とか「お洒落」とかだけでなく、「耳たぶがあって密かに卑猥な形」だとか、さんざんに姉やその友達からオモチャにされました。それが仲間内で隠れた定評みたいになってからかわれるし。
しかも、獣に変身してもなおこの面構えと見た目でしょう? なんか狼男らしい威圧感とか強そうとかじゃなくって、「あんまり恐そうじゃない」とか「可愛い」とまで言われて、みんなして舐め腐りやがるとです。
おまけに、固定オプションの使える魔法も回復魔法系とか、「神様、いったいなんのつもりなんですか?」って。みんなして「やっぱりお前はそういう奴だよな」って笑われました」

「別に良いんじゃね? お前、姉ちゃんみたいなのが良かったわけか?」

「はい。姉のような「麗しの美獣」とか「誇り高き牝狼」とまでいかなくても、普通に大型狼タイプとかで良かったです。二足歩行のレトリバーとか、冗談きついっす」

 レトは後方で焚き火を起こしている義兄のトラに愚痴り続けた。
 トラという名前は通称で、その由来は「トラッパー(罠師)」と猛獣の「虎」。人間の冒険者で、少しは名がある魔族ハンターである。その顔と頭は、罠のトラバサミを流用した鉄仮面ヘルメット。得意技は設置系の攻撃魔法トラップ。
 そして姉の恋人で、レトには義兄である。
 かつて村が襲撃されて姉が魔族に捕まっていたときに救出してくれたのがきっかけで知り合ったのだそうだ。魔族(と手下の匪賊・盗賊)の遠征キャンプで「獣」の姿で檻に入れられていて(性暴行されるのが嫌でストライキで抵抗していたらしい)、棒で叩いたり蹴り飛ばされぶちのめされてもなお変身解除を拒否して「だったら食事も水も与えない」拷問にあって、餓死覚悟でハンストしていたところを、たまたまトラが襲撃してきた。解放されて「復讐タイム」となり、トラ一緒に暴れてその場の魔族・盗賊どもを殺戮し追い散らしたそうな。

(姉さん、自分だってすっかり「犬」になっているくせに。犬になって腹見せて甘え倒してた現場も見てるけど、「あの人は別腹だから」とか)

 それから「麗しの美獣」とか「誇り高き牝狼」とかを自他共に認めていた姉は、すっかりこの義兄のトラには「懐いた犬」のようになっている。変身して甘え倒す「愛情プレイ」が常習的。
 いつぞや、姉が机上に出しっぱなし・開きっぱなしにした日記。どうやらわざとノロケ目的で、弟のレトに見せるのに放置したらしい。観察していたらしく頃合いを見て現れ、非常にわざとらしく怒ったような困ったような顔をつくって、幸せそうに照れまくっていた。
 救出後に(狼に変身した状態のままで)「前脚と後脚の指の間まで手と指で洗われた」だの「耳にチューされた、キャー!」「撫でて抱き寄せられて脳みそ蕩けた」だの。翌朝、野宿したシェラフの隣で裸の美女が寝ていて、義兄のトラは(狼や犬と思っていたため)パニックに陥っていたそうだが。

「良いじゃないか。その剣もちゃんと扱えるみたいだし、そんなに不都合ないだろ?」

「ええ、おかげさまで」

 この両手持ちをメインにした大剣は、元々は義兄が決め手として所持・訓練していたものだ。ただし彼は対魔族の戦闘で使用するする前に片腕を失い、以後は「若枝の義手」で補って得意の魔術トラップを駆使した戦術で名を挙げた。義手は便利だけれども、両手剣を扱うにはパワーや保持力が不足しているそうで、泣く泣くお蔵入り。
 レトは接近戦・剣術の訓練に付き合ってもらって、その面では上達した。トラは案外に物事をよく知っており、知識や学習面でも世話になり。

「お前は回復もできるし、攻防の両方とも一人でできるんだし、気にするな」

「良いような、でも器用貧乏っぽいっす」

 水面に写る鏡は、獣エルフの少年の顔を映していた。血筋や家系のおかげでまあまあの美少年なのだが、姉のような凛々しさより温和でお人好しそうなのも、レト本人は密かにコンプレックス。