この国が同性婚を認めないのは「男性の相手は女性、女性の相手は男性」そんな当たり前・常識を作って、国民を定型にしっかり嵌めこんでおかないと、誰も男性を選ばないからじゃないだろうか。

 そんなことを思ってしまうほど、私は男をグロテスクだと思うし、恨んでいる。

 ・・

 満員電車に揺られながら、首元に生ぬるい息があたるのを感じる。揺れに合わせてスカートを抑えてくる何かがある。
 息を潜めてジッとしていれば、あと一駅の我慢なのだから。唇を噛んでやり過ごすつもりだった。
 だけどスカートのプリーツをかき分けて、じっとりとした指が入り込んでくるから、全身の毛穴から汗が吹き出した。
 人間の屑がここにいる。脳がチカチカと光った感覚と同時に、私の手はがっしりと汗ばんだ手首を掴んでいた。

「痴漢です!」

 声を張り上げて後ろを見ると、五十代くらいの男が慌てふためいた表情に変わる。誤解だとか、違うだとか、もごもごぶつぶつと口ごもる。それがまたあいつと重なって私はもう一度「痴漢です」と叫んだ。隣にいたサラリーマンが男の肩をがっちりと掴み「次の駅で降りましょう」と促した。
 私が起こした波が車内に広がって、ざわめきが大きくなる。それらすべてに苛つきながらも、なんとか被害者の顔を続けた。

 ・・

「今朝は大変だったね」

 帰りの電車は朝と違って空いている。ぽつぽつとしか座っていない車内で、一人の男子高校生が話しかけてきた。明るい栗色の髪の毛にピアス、着崩した制服がお洒落に見えるのは華やかな顔立ちのせいだろうか。人懐こい笑顔は好感が持てるが、男は男だ。私は返事をしないまま目をそらす。

「大人しそうに見えるのに、ちゃんと声あげられてすごいなと思ったんだ」
「……だから私が傷ついていないとでも?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「デリカシーないって言われません? 今朝のことを思い出したくない、とか考えませんでしたか」

 無視を決め込もうと思っていたのに、苛立ちが勝って冷たい言葉を返す。これだけ返せば去ってくれるだろうとも考えて。
 
「俺デリカシーないってよく言われるんだ、ごめんね。でも本当に君ってすごいな。初対面でも言いたいことを言えて」
「初対面で、二度と会うことがないからこそ言えるんですよ」
「えー? でも俺すごい君に興味あるんだけど」

 もしかしてこれはナンパなのだろうか。ニコニコと笑う彼の表情に害はなさそうにも見えるが、胡散臭いともいえる。

「俺、B高校二年の古平拓実。君は?」
「…………」
「その制服はC女学園だよね?」
「初対面の人に名乗る必要もありません」
「時々俺たち、帰り同じ電車に乗ってたよ。俺的には初対面じゃない」
「私、あなたと話すつもりないんですが」

 あまりのしつこさに冷たく返すと、

「俺は親しくなりたいな。そうだ、じゃあ俺と付き合う? 友達からスタートでもいいから」
「付き合いませんし、男の人が苦手なので友達以上になることも絶対ありません。そもそも友達にだって――」
「えっ、友達以上になることはない……!?」

 なぜか嬉しそうな声が聞こえてきて、見上げると本当に嬉しそうな顔をしてこちらを見ている。

「それって俺と一緒にいても好きにならないってこと? ずっと友達でいてくれるってこと?」
「え……はあ」
「本当!? じゃあそれでお願いしたい。俺の友達になってほしい!」
「あなた頭おかしいんですか。私男性が嫌いなんですけど」

 意味がわからないことをつらつらと並べられて、怒りよりも戸惑いが前に出てくる。
 だけどこういう人間は遠回しに言っても仕方ないと、ストレートに怒りをぶつけてみたが、彼の人懐こい笑顔は変わらなかった。

「ごめん。俺、本当は君に彼女になってほしくないんだけど、他に親しくなる方法がわからなくて。だから彼女じゃなくて、友達になってくれるなら最高」
「いや別に友達にもなりたくはないんですが」
「実は俺、君の名前知ってるんだ、木ノ原志乃さん。俺と同い年の高校二年生」

 彼はそう言うとポケットの中から学生証を取り出した。それはうちの学園の物で私の顔写真が現れた。

「これ今朝拾ったんだ。返してほしいなら一緒に今からお茶でも――」
「結構です。紛失したとして再発行してもらうので」
「ああごめん、返す、返すよ。でも本当、君なら俺の友達になってくれそうで嬉しくて」
「あなたの化け物のようなコミュ力があるなら、誰でも友達になってくれるんじゃないですか」

 まだ自分の最寄り駅ではないが、あまりにもしつこいので降車することに決めた。一度乗りなおすのは面倒だが、このしつこい男に最寄り駅を知られるよりはいいと思ったのだ。
 チャラそうな見た目だし女には困ってなさそうなのに。見境がないんだろうか。本当に男って気持ち悪いな。

「違う、誰も友達にはなってくれないんだ。みんな俺のことを恋愛として好きになっちゃうから」

 まるで自慢のような言葉が背中から聞こえる。なんの自慢なんだか。
 ……だけど、なぜかとても寂しい響きだった。

 ・・

「志乃、お疲れ!」

 翌日も車内に彼はいた。げんなりとした表情が出てしまったのだろう。彼は慌てた様子で近づいてくると

「ストーカーとかじゃないから。言っただろ、俺たち元々同じ電車によく乗ってたって」
「……そうですか」
「はい、これ。返すよ。ごめん」

 眉を下げた彼は、私に学生証を差し出した。学生証と引き換えに身体でも引き寄せられるかと身構えたが、すんなりと返してくれる。

「大丈夫だよ。俺、ほんとに下心ないから」
「……昨日私に付き合おうとか言ってきたくせに」
「あはは、ごめん。でも下心がないのは本当。付き合おうって言うのは、その……それしか俺、方法がわからなくて。親しくなるための」
「はあ」

 彼はそう言いながら私の隣に座った。やっぱり言葉が寂し気で気になるが、小さく頭を振る。人間は見かけによらないのだから。表面上ならいくらでも取り繕える。

「俺、人間が好きなんだよね」

 そうして彼は脈略もない話を始める。本当に変な人だ。
 
「だから興味を持った人とは出来るだけ喋ろうって人生のテーマを掲げてる」
「へえ、そうなんだ」

 私にはまるで理解できない考えで気の抜けた返事しかできない。だけどほんのわずかに興味も出てくる。私とは正反対の人間に思えたから。

「それで少しでも引っかかりがあったら喋ろうって思ってる。ほら昨日志乃に話しかけたみたいに。あ、でも学生証を拾ったからってのもあるけどね」
「普通に返してくれたらよかったんじゃないですか」
「あーそしたらもう少し警戒されなかったかなあ」
「あんまり誰彼構わず話しかけない方がいいと思いますよ。通報とかされますよ、そのうち」
「いや、それは大丈夫! 俺、見た目いいから!」

 彼はニカッと笑う。大きな瞳が見えなくなるほど細められて白い歯がこぼれ、えくぼができる。……確かにこの笑顔は人を安心させる力があるかもしれない。自覚がありそれを利用しているのはむかつくけど。
 
「そうですか」
「それに俺、なんとなくわかるんだよな。この人は話しかけても大丈夫って」
「まさか私もそう思われたんですか」
「うん。だって今も話してくれてるだろ」

 そう言われてみると彼のペースにはめられてなんだかんだ会話を続けてしまっている。

「最初は志乃もちょっと気になるなってくらいだったんだ。大人しそうに見えるのにはっきり叫ぶことができる女の子ってどんな子なんだろうって」
「それやめた方がいいですよ。私はともかく、本当に傷ついて話題を出されるだけでもフラッシュバックしちゃう人もいるから」
「……それは気を付ける。ごめんなさい」

 素直に彼は謝る。大型犬がしゅんとしている様子が浮かんだ。

「それで、志乃も最初はちょっとした興味だったんだけど。今は本当に友達になりたいと思ってる」
「いや、なんで」

 私とのやり取りの中でどうしたらその考えに至るのだろうか。
 
「話してて俺と違って面白いから。やっぱり人生って有限だから、なるべく俺と違う考えを持つ人と仲良くなりたいんだ」
「……まあ、それは少しわからんでもない」
「だろ? それに志乃は俺を恋愛として好きにならないって言ってくれたから。友達でいてくれるって」
「友達になるとも言ってないけど」
「え、もうだいぶ友達になってるよね?」
「……なってないね」

 えーっと大げさに驚いたふりをしてからからと笑う。本当にこいつは宇宙人だ。

「女の子と親しくなるには恋人にならないといけないから」
「そうでもないでしょ」
「でも女の子はみんな俺のことを好きになるし、友達になろうっていうより付き合ってっていう方が親しくなれる打率が高いから」
  
 なんの自慢だと嫌味を返してやろうと一瞬思ったが、彼はひどく寂しい瞳をしていて口をつぐむ。

「男とは友達になろうって言ったらなれるけど。女の子とは友達になれない」

 女子校だから普段男女が共にいる光景を目にすることはほとんどないが、男女がペアでいるのを見れば、まずは恋人だとは思うかもしれない。同性同士であれば普通に友達だと思うのに。

「だけど男女の友情もあるんじゃないの?」
「世の中にはね。でも俺に限ってはない」
「たまたまじゃなくて?」
「うん。俺はたくさんの女の子と親しくなってきた」
「見境なく声を掛けていればね」
「だけど誰とも友達にはなれなかった。みんな俺のことを好きになっちゃうんだ」

 魔性の男発言だけど。……彼の自惚れでもなく、自慢でもなく、本心から困っているように見えた。

「志乃、俺のはじめての女友達になってほしい」
「……私は男が嫌いなんだよ、恋愛とか関係なく。男が無理なの」
「でも俺のことは嫌いじゃないんじゃない?」

 この男、まさかこの世の全てが自分を愛しているとでもおもっているのだろうか。先程まで自信なさげで物憂げな表情をしていたというのに、これに関しては自信満々な顔をしている。

「特別なことをしてくれなくていいよ。何度もいうけど俺たち帰りの電車が同じなんだ。だからこうして時々話してくれたらいいから」

 そう言うと立ち上がり「俺、ここで降りるから!」とさっさと降りていってしまった。一体なんなんだろうか、あの男は。
 言い返すこともできず消化不良の私を乗せて、電車は動いた。

・・

「おーい、志乃! ここ、ここ!」

 翌日もやはり彼はいて、私が隣に座るのが当たり前のように座席をトントン叩いている。それを無視して別の席に座れば、移動してくる。この男、メンタルどうなってんだ?

「人気者のくせに帰りはいつも一人なの?」
「俺だけ方向違うからな。ま、彼女ができれば送っていったりするよ」
「あれ、彼女は作りたくないんじゃなかったの」
「んー……彼女を作るのが嫌なわけじゃないんだよ。その子のこと好きだなと思うし、好かれるのも嬉しいし」
「女の子みんなだいすきだから束縛されたくないとか? 女は面倒とか?」

 質問してしまった。まあどうせ毎日こうやって話すことになるのなら、宇宙人インタビューも悪くないかもしれない。

「そういうわけじゃないんだけど」
「なに」

 珍しく言葉に詰まって、うーんと唸り、躊躇っているようだ。

「この話して、セクハラとか言うなよ」
「え、話によるけど。なんの話するつもり」
「俺、その、嫌いなんだよ。するのが……」
「セッ――」
「言わんでいい」

 どうやら彼は思いのほか純情なようで、私の発言を遮り顔をほんの少し赤くした。

「へえ。どうして? 何かコンプレックスでもあるの?」
「志乃ってズケズケと聞いてくるな」
「あなたに言われたくないけど」
「あなたじゃなくて、拓実」
「はいはい。で?」

 促すと彼は俯いて逡巡したのちに、重い口を開く。

「生々しいのが気持ち悪いんだ。初めてした時からその行為をいいと思ったことは一度もない。初めての女の子の血液を見て恐怖しかなかったし、汗や唾液も触れたくない。ずっと気持ち悪くて吐き気がする」

 想像もしていなかった言葉に目を瞬かせた。この数日では想像できない神経質さと潔癖が彼の中にあったというのか。それよりも――。

「……男でもそう思う人がいるんだ」
「な? そう思うだろ。男は好きだから求めて当たり前。別に俺だってハグくらいならいいんだよ。でもキス以上はもうダメなんだ、吐き気が勝っちゃう」
「それなら彼女と続くのは厳しいのかもね」
「そうそう、愛されてないと思うみたいだ。気持ちで伝えてるし、ほら俺こんな正直なのに」

 こんな話、きっと出会って数日の人間にする話ではない。
 客観的に見てみれば、拓実は素直で感情全部吐露してくれるタイプだから不安になることはない。だけど彼女という枠に入れば、心だけでなく身体も結ばれたいと思うのだろうか。

「私も男とそういうことになったら吐いちゃうかも、その場で」

 私も出会って数日の人間にする話ではないんだろう。
 だけど、この宇宙人にどこか共感してしまって口を開いてしまった。

「だからまああんたとそういうことすることは今後も五億%ないから安心して。それは約束してあげる」

 まるで永遠を誓うみたいな約束をしてしまった。拓実は喜んで、指切りするか!と言い出したのでそれは普通に断った。

 ・・

 自分のことを性的に見ない男というのは、正直安心出来た。男というものは全員が下半身で出来ていてどうしようもなく醜いと思っていた私にとって拓実は男の中ではまあまあ信用できる人間に分類される。拓実も私のことをそう思っているのかもしれない。

 それにこの男と喋る時間は嫌いじゃない。
 私の学校はお嬢様学校と言われていて、一応社会に所属する人間として外ではほんわかしたお嬢様をやらせてもらっているので。
 この電車で過ごす十五分。何かを頭で考えることなく、口から直接言葉を吐けるくらいには気が抜ける場所になっているのも……悔しいけど事実だった。

「志乃って、レズなの?」

 こんなセンシティブな話題をぶっこんでくるのもこいつくらいだ。繊細な内面を持つくせに表面的には雑すぎる。

「それあんまり聞かないほうがいいよ」
「俺も相手は選んでるし」
「そうですか。で、答えだけど、そうかもしれないね。知らんけど」
「知らんのか」
「恋したことないから、まだ」

 だけど男か女か選べと言われたら、間違いなく女を選ぶんじゃないだろうか。とにかく男は無理なのだから。

「拓実って、するのダメな理由ってあったりするの? なんかがトラウマとかで」
「それあんまり聞かないほうがいいよ」
「私も相手は選んでるし」
「吐いちゃうくらいだからありそうだろ、トラウマ。でもそれがないんだよな〜!」

 明るい口調で笑いながら拓実は言った。

「普通に興味もあったし彼女が出来て、その時はまだキスくらいなら不快さもなかったし。初めてを迎えるとき興奮もしてたよ。でもダメだった。思いっきり吐いちゃって、その場で恋も終わった」
「あらら。女の子に同情するね」

 
「……なんでダメなのかはわからないけど。なんか、死んじゃいそうって思うんだよ。生物ぽくなって、野性に近くなるからかな。死を感じるんだ。それが怖いというか気味悪い」
「それは私にはわからない感覚だ」
 
 何か過去にトラウマでもあるのかと思った。……たとえばそういう暴力を受けたとか。そういうのではないんだ。へえ。ふーん、そっかあ。


 ・・

 女子校は、女性同士で付き合う。というのは共学よりは多いんじゃないだろうか、多分。知らんけども。
 少なくともうちの高校では、何組かそういう話を聞いたことがあるし、恋愛対象が女性という人同士を紹介して結びつけてくれる三年生がいると聞いた。

 その三年生とは、今目の前で女生徒とキスをしている山瀬先輩。

 別に山瀬先輩を探していたわけじゃない。購買に行った帰りに通りかかった階段でたまたま目撃してしまっただけに過ぎない。うっとりと身を預けている女生徒越しに先輩とばっちり目があってしまった。瞳しか見えないけれど、微笑んだように見える。女生徒の髪の毛を梳かす細くて白い指にどきりとする。少し離れた場所にいるのに、彼女から香るマンダリンとローズが頭まで到達する。

 たった一瞬、瞳に捕らえられただけだ。だけど心臓はどきどきと音を立てる。

 なぜか焦りが浮かんだ私があわてて教室に戻ると、グループ内では彼氏の話で盛り上がっていて「志乃にも誰か紹介しようか?」と言われる。
 私は普段は清く正しく優しい女の子をやっているのだ。男と付き合うくらいなら死んだ方がマシだなんて言えない。

 拓実は私に聞いた、同性が好きなのかと。私は山瀬先輩を思い出しながら目を閉じる。そうだなあ、拓実と山瀬先輩。どちらがいいかと言われたら山瀬先輩を選ぶかな。
 私だって別に恋愛に興味がないわけじゃないのだ。ただ好きな人が出来ないだけで。


 ・・


「拓実はどうして付き合うの? その先にあることが無理なら付き合う必要もないんじゃない」

 むせ香るようなローズが未だに私を包んでいる気がする帰り道。恋人とは何かと拓実に質問してみる。この珍妙な男と語るのは悪い時間だと思えなくなっていた。

「付き合うしか道がないから。告白されて断ったらそこで終わっちゃうだろ。俺はその子のことをもっと知りたいと思うし、それなら恋人になるしかない」
「だいぶ失礼だね」
「そう? 俺だって毎回この子とならうまくいくかもしれないとは思ってるよ本気で。知りたいってのはいいことだろ」

 呆れを込めた目線を向ければ、不思議そうに返される。そんなんだから軽薄だと思われるんじゃないだろうか。

「だけど付き合っても終わっちゃうんでしょ、すぐに」
「まあそうだね。キスすらうまく出来ないから」
「ふーん。じゃあ遅かれ早かれ同じじゃない? その子との関係は終わるじゃん」
「でもその子のことを知ることは出来たから付き合った意味はあるよ」

 爽やかに微笑む拓実は、その言葉の残酷さに気づいていないんだろうか。

「あんたって人間のこと大好きって言うけど、それって好きって言えるの?」
「好きだから知りたいと思うんだよ」
「でも知って満足して終わることができるんでしょ。それって昆虫が大好きっていう子供と同じみたい」

 無邪気にダンゴムシを丸めて、好奇心に駆られて潰してしまう。無邪気な残酷さが。

「人生は有限だから、たくさんの人の考えを知りたいだけだよ」
「人間はスタンプラリーじゃないんだけど」
「あはは、面白い考え方だね」

 澄んだガラス玉のような瞳が私を向く。

「彼女の気持ちに応えることができないから別れる、これが仕方ないと思っているだけ。別に俺だって別れたいわけじゃないよ。だから友情なら続くんじゃないかな、俺と志乃みたいに」
「どうだろうね」

 先日自分が放った「あんたとそういうことすることは今後も五億%ないから安心して」という言葉を思い出して、心の中で浅く笑った。

 たとえ私たちが恋愛以上にならなかったとしても、きっとこの男は去っていくのだ、私のことを理解したと思ったら。そう思うと腹が立って、呑気に笑う顔をもう見たくなかった。


 ・・

「あ」

 先日と同じ場所で山瀬先輩と目が合った。思わず声が漏れてしまうと、彼女は薄く微笑んだ。

「私のことを探してくれたの?」
「いえ……偶然です」
 
 山瀬先輩が一歩私に近づくと、ローズの香りが優雅に揺れて、白い剥き出しの喉が私の前に現れる。清潔な白のセーラーが日に当たり眩しい。

「私はあなたのこと、気になってたの。瞳が暗くて」
「……そうですか」

 見透かされたような気がして、一歩後ずさる。
 だけどすぐに距離は詰められて、彼女の細い指が私の頬にかかり、私は蛇に睨まれた蛙のようにピクリとも動けなくなる。

「興味があるなら、私と付き合ってみる?」
「でも先輩は彼女が……」
「ちょうど別れたところだったの。どう? もしよければ連絡して」

 彼女は胸ポケットから小さなカードを取り出した。彼女の美しい文字が彩るのは連絡先。スマホひとつで完結する連絡先の交換を、ご丁寧にカードを渡してくる古典的な方法が彼女にはよく似合う。

 私は「考えさせてください」と答えると、逃げるようにその場を後にした。

 心臓が早いのは、走ったからだろうか……。
 いつか私も恋はしてみたいと思ってみる。男が嫌いなら、相手は女の人になるのだろうか。漠然とそんなことを思っていた。だけどそれを考えるのはもう少し先だと思っていた。
 山瀬先輩のことはきれいだと思う。目が合うと、少しどきどきする。これが恋なんだろうか。わからないまま、走った。

 ・・

「告白された」
「え、まじで」

 こういうときに相談する相手が宇宙人になってしまっていること、自分でもどうかと思う。だけどクラスの友達には話せない。
 そのうち私とこいつは他人になるんだから……そうそう、だからどんな話をしてもいいんだよ。

「告白はされてないのかな。でも付き合うか、って言われた」
「なに。まさか悩んでるの」
「うん」
「男アレルギー治ったわけ?」
「相手、女の人だから」

 私が言うと拓実は、あらーっといいながら、口を手で覆ってみせた。

「わ、さすが女子高。女の花園ってやつ」
「偏見やめろ」
「ごめんごめん。で、どうするの?」
「悩んでる。相手のこと、まだ好きではないから。でも興味はある」
「なら付き合う一択しかないじゃん」

 自称人間大好き男は顔を輝かせて当たり前のように言った。私のこの興味は、人間スタンプラリーと同じなんだろうか。

「あんたみたいに、無理だったからポイって簡単に出来ないんだよ」
「俺だって別に捨ててるわけじゃない。なんなら捨てられてる」
「それはあんたの愛情を信じられなくなったからでしょ」
「でも向こうだって最初から信じてたわけじゃないから」
「なんだか難しい話になってきたね。愛とは何か、みたいな」

 拓実はニカッと笑うと「だろ? だから最初は緩く考えればいいんだって」と言う。

「だけど女の人と付き合ってしまったら、線を越えてしまいそうな気がする」
「なんだそれ」
「もう戻れなくなっちゃうような」
「ふーん。ラベリング的な?」
 
 そうだ。周りにどういう風にみられるか、それが変わる気がする。普通の女の子から、女の子が好きな女の子に変わってしまいそうで。
 
「志乃、男が嫌いで吐いちゃうんだろ」
「うん。だからもう女の人しかないでしょ。私も恋人には興味があるお年頃なんだから」
「へえ」

 拓実はなんだか冷めた目をして私を見た。男が無理だとわかっているくせに、線を超えるのも怖い私。いや、そもそもそちら側にいきたいのかもわからなかった。

「じゃ、また」
 
 何か言い返そうと思ううちに拓実の降りる駅になった。去っていく後ろ姿を睨む。
 私がつまんない女だと思ったら、こいつはもう私に飽きて、次の興味の対象にうつるんだろうか。
 ……私はカードを取り出すと、山瀬先輩に連絡をした。


 ・・

「へえ、付き合うことになったんだ」

 翌日も拓実は私の隣に座った。暑いようでパタパタと首筋を手で仰ぐ。山瀬先輩とは違う喉。汗が浮かぶ喉仏は岩のようで、女の柔らかさはない。

「やっぱり拓実の言う通り、私女性が好きなんだと思う。それなら付き合うのもいいかなって」
「俺、そんなこと言ったっけ」
「うん。それに男がこんなに無理なんだから。=女が好きってことでしょ」
「言ってないし、極端じゃない?」

 同性と付き合う、それはこの日本ではまだまだ珍しいことのはずだ。拓実は食いつくかと思ったのに、たいして興味はなさそうだった。

「志乃、なんか焦ってない?」

 透き通った瞳の中に私がうつる。私はどんな顔をしているんだろう。

「焦ってない」
「無理に自分の枠決める必要ある? 別にその人自身に惹かれてるわけじゃないなら、無理に付き合ってみなくてもいいと思うけど」

 胸の奥の何かが燃える音がする、パチパチと。

「無理してない! 先輩を見るとドキドキするし、素敵だなって思うし……! それに同性が好きな人ってあんまりいない。みんな彼氏がいて、当たり前のように男を紹介しようとする。それなら同じく男が嫌いで女が好きって人と一緒にいようと思うのはおかしくないよ」

「その先輩は男が嫌いなの?」

 拓実の声は冷たくて、私の燃えていた何かが瞬時に冷える。
 こんな意見をこいつにぶつけてどうなるんだろう。私と拓実は違う人間なのに。

「明日学校帰りにデートするから」
「あ、そ」

 別に一緒に帰ることを約束しているわけでもないのに言い訳っぽかっただろうか。この男に気を遣う必要なんていのに。

「じゃあ連絡先教えてよ」
「なんで」
「なんとなく」

 そう言われて手を差し出されるとなぜかスマホを差し出してしまう。なんでだろう。
 もう怒りに似た何かは落ち着いていて、私は電車の外の流れていく景色をぼんやり見ていた。

・・

 放課後。私は山瀬先輩と学校に残っていた。少しお話しようよ、そんなことを言われて彼女が私を誘ったのは、いつもの階段だった。
 階段に腰かけると、先輩は隣に座った。先輩の白い膝が私の膝とぶつかる。

「あ、ごめんなさい」

 思いのほか近い距離に私が少し身体を離そうとすると、彼女の手がそっと私の太ももに置かれた。スカートから飛び出ている生身の肌に先輩のさらりとした指がかかる。
 ……じっとりと汗ばんだ太い指とは違う。男のものとは違う。

「そんな緊張しなくてもいいのよ、取って食べるわけじゃないんだから」

 大きな瞳は笑うと猫のようにスッと細くなる。先輩がクスクス笑って髪の毛が揺れるたびにローズの香りが私を囲む。

「今日は自己紹介でもしようよ。そうだ、お互い質問しあいっこしない? 簡単なものから、好きな食べ物とか」
「好きな食べ物ですか……うどんですかね」
「うどん、美味しいもんね。私はいちごかな。じゃあ次の質問。得意な教科は?」
 
 それからも山瀬先輩は質問を続けた。私が答えて、山瀬先輩も自分のことを話す。どれも表面をなぞるもので、お見合いってこんな感じなのかもしれないと思った。

「じゃあ次は木ノ原さんから。何か質問はない?」

 定番の質問はあらかた出尽くしたところで、先輩はそう言った。すんなり出てこないせいで、私はずっと聞いてみたかったことを口にしてしまった。

「えっと…………先輩は男の人が嫌いなんですか?」

 私の質問に山瀬先輩は少しだけ目を見開いた。

「私は女の子が好きなだけ」

 初めて喋った時と同じように、先輩の指が私の頬に触れた。しっとりとした柔らかい指先が優しく撫でる。

「そうか、木ノ原さんは男が嫌いなんだ」

 こくりと頷くと、山瀬先輩はニコと笑いかけた。

「それで私のところに来てくれたんだね」

 先輩の手が私の背中に回る。優しい手が私の背中を這う。耳の中に血液が溢れているんじゃないかと思うほど、どくどくと音が聞こえる。

「試してみる?」

 私の頬に触れた指先が、ツツ……と唇に移動して。頂きまで来て、動きを止める。
 先輩の熱い瞳が私を捕らえるから、逃げるように目をそらす。

「志乃ちゃん」

 耳元で甘い声が聞こえる。どくどくと波打っていた耳の中が静かになり、そこから何かが広がっていく。寒くないのに身体中が鳥肌が立つから、慌てて両手で自分を抱いた。

「大丈夫だよ、怖くないよ」

 先輩は私の顎を掴むと小さくキスを落とす。彼女の指が移動して――、全身の毛が逆立った。そして、その毛穴からじっとりとした汗が噴き出した。
 
「はあっ、はあ」

 息が荒く、寒いのに汗が出て、身体に力が入らない。

「志乃ちゃん?」

 早く彼女から距離を取らなくては。そう思うのに、身体は重く先輩の身体にのしかかったまま。私は何度も息を吸い続けた。

「志乃ちゃん、息をちゃんと吸って吐いて」
 
 先輩の声が水の中から聞こえるみたいだ。息が吸えない。息を吐いて、吐いて、吐き続けて。ただ息を吐き続けた。


 ・・
 
「お疲れ」
「……なによ、ばかにしてんの」
「そんなことないよ。いや、どうだろう。バカだと思ったかも」
「思ったんじゃん」

 拓実がペットボトルを渡してくれて、一気にそれを飲み、喉が渇いていたのだと知る。
 あの後、保健室で少し休んだ私は、あろうことかこの男にメッセージを送ってしまったのだ。『失敗した』と。
 拓実は意味を理解したのか、なんなのか、私の学校の最寄り駅のホームの椅子に座っていた。私は少しだけ悩んでから彼の隣に座った。
 
「失敗したって何があったの」
「先輩にキスされた。過呼吸になった。終わり」
「無理するからだよ、やっぱりバカだと思う。何の意地かは知らないけど」
「意地じゃないよ、あんただって言ったでしょ。知りたいって。私もそう思っただけ。失敗したけど」
 
 先輩のこと、可愛いって思う。女の人だ、男じゃないって思った。
 それでもだめだった。
 むせかえるベルガモットとローズ、なまめかしく覗く舌、こっくりと色づいた唇。
 思いだすと胃の中のものがせりあがってきそうだ。

「こうなること、わかってたの?」
「どうだろう。今日キスするとまでは思わなかったけど。連絡先交換しといて正解だっただろ」
「別にあんたに助けてほしかったわけじゃない。……拓実は私のこと、観察動物か何かと思ってんでしょ」
「あはは。ひねくれてんなぁ。でもまあ一理ある。青くて衝動的な志乃がどう突っ走るかは興味あった」
「最低」
 
 この男に焚きつけられて興味を持ってしまった。線を飛び越えて失敗した。最悪だ。
 
「でも嬉しいな。志乃は俺と同類なんじゃない?」
「そういうわけじゃない」
「だけど男だからダメだったわけじゃないんだ。志乃は言ってたよね、男が嫌いって。気持ち悪くて、グロテスクで、生々しくて。でもそれは女もそうだった、と。俺も女だからダメなわけじゃない。もしかして俺も志乃も人間が無理なのかな? 生きてるものって気持ち悪いよね。ああそうか、性行為ってその最たるものな気がするんだよ」

 拓実がべらべらと喋るのを、私はぼんやり聞いていた。嬉しそうに目を輝かせるこいつこそ気持ち悪いと思うのに、不思議と不快ではない。

「でもさ、志乃。志乃ってなんで男をそう思い込んでたの? 女が好きだとか思っちゃうくらいに。ほんとは人間全部が気持ち悪いくせに」
「…………」
「日々の痴漢のせい? あいつらは確かに気持ち悪いよね」
「…………」
「――志乃。志乃が思う男って何? いや、誰――?」


 ・・


 豆電球が照らす夜。クーラーの効いている部屋で、私は武装した長袖長ズボンと靴下を着込んで。すっぽりと頭からタオルケットを被っていた。
 甲虫のように、タオルケットが私の殻となって、守ってくれたらいいのに。こんな薄い生地に何を求めているのだろう。
 
 スマホで時間を確認する。二十三時。……今日はないかもしれない。どうだろう。早く、早く時が過ぎてくれればいい。
 こんな風に、今日はあるのか、ないのか、怯えながら待つくらいなら、最初から宣告された方がマシかもしれない。
 耳が敏感に音を拾う。小さな足音が遠ざかり、ほっと一息吐く。……今日はないかもしれない。
 
 だけど、そう思った次の瞬間にドアがノックされた。

「志乃? 寝てるか? 入るぞ」

 身じろぎひとつせずに、言葉を聞く。私が寝ていたからといって、どうせ関係ないのだから。
 足音が近づいてくるたびに、声をあげそうになるけれど。それをなんとかこらえると、熱い物体は私のベッドに入り込みタオルケットごと私を抱いた。
 
「今日は疲れただろ」

 そうしてタオルケットが剥ぎ取られる。
 ぴったりと身体がくっついて、お腹に手が回される。
 
 ――拓実は聞いた。志乃の思う男は何か、と。
 その答えはこいつだ。五年前に出来たお義父さん。一ヶ月に一、二度お母さんが夜勤の日はこうして私に身体をぴったりとくっつけて眠る。
 どこに訴えても、事件性はないと言われるかもしれない。ただこうして身体をくっつけて眠るだけなのだから。長袖を着込んでいれば生身の肌と肌が触れ合うわけでもなければ、何か特別なことをするわけではない。
 
 そもそも彼を訴えて、彼が何か罰を受けて。困るのは、お母さんと私なのだ。

「志乃、今日学校はどうだった? 教えてごらん」

 耳元でもごもごととした低い声が鳴る。汗ばんだ手が私の手に重ねられる。
 
「やめてください」

 小さな声で言うと、彼は息を吞んだようだった。それもそうだ。私は二年は反抗していない。ただやり過ごすだけなんだから。早く朝が来ることを願いながら。

「親子のスキンシップだから」
「……嫌なんです、もう。十七歳になってもこんなこと、もう二年も続けられて限界なんです」

 今日はほんの少し勇気を出すと決めたのだ。震えた唇もなんとか機能してくれた。少し台詞っぽくなったけど。
 
「僕がこんなに志乃を大切に思っているのに?」

 私の背中を撫でる角ばった手の形がわかり、胃液がせりあがってくる。早く、早く。

「……まあ本人が嫌がることはやめたほうがいいでしょうね」

 澄んだ声が後ろから聞こえた。弾かれるように父が起き上がり、声の方を向く。

「だれだ、どこから入った!?」
「夕方からずっとここにいたんですよ。ちょっと寝ちゃってましたけど」

 開かれた扉の裏から出てきたのは、ふああとあくびをした拓実だ。その手にあるスマホはこちらをしっかり向いていた。 

「へえ、C商事なんだ、志乃パパ。あ、これさっきお部屋からいただいちゃいました」

 拓実は名刺を見せるとニコリと笑う。

「僕の父もC商事なんですよね。父に送ろうかな」
「はあ?」
「でも僕優しいので大丈夫です。次やったら、にしておきますよ」
「お前……」

 父はこんな機敏な動きが出来たのかと思うほど、拓実に向かってまっすぐに向かっていった。スマホを取り上げたいのだろう。
 拓実は餌をやるようにひらひらとスマホをかざして――そのまま思い切りスマホで顔面を殴りつけた。仰向けに父は倒れた。

「志乃、行こう」
「うんっ!」
「その前に一発殴っとけ!」
 
 殴るのか……それもやだな、手が痛そうだし。
 私は倒れた父の顔を思い切り踏むと、拓実の手を取った。

 二人でそのまま家を出て、夜を駆けていく。どこに向かうんだろう。
 はあはあと息が上がる。だけど、嫌な息の吐き方じゃなかった。

 しばらく進んだ道で、唐突に拓実は止まった。自販機があり、彼は水を買った。ごくごくと飲む姿が、自販機の光に照らされる。息は荒く、ゴクリと動く喉仏に汗が伝う。……生きている男だ。生々しく、生きている証だ。

「はあ、久しぶりにこんな走った」
「私も……」

 拓実はもう一度小銭を入れると、私の分の水も買って手渡した。友達だろうと、男でも女でも、きっと彼は口がついたものを共有しないのだろう。

「でも良かったの? 脅すだけで。これ世の中に公開したらあの男、社会的に抹殺できるよ。これから志乃の身に危険がないわけじゃないし」
「大丈夫だよ、あいつ本当はものすごく気が弱いから。もうこれ以上何もしないと思う。……そうわかっていたのに言えなかった私がバカだった」

 そうして、夏の夜の空気を思い切り吸い込む。それから水を飲んだ。冷たい水が喉を潤して、それが汗に変わっていく。

「今まで我慢してた意味もなくなるし。悔しいけど、あいつが金を出してくれるのは本当だから。やりたいことがあって、それを叶えるためにはまだ父親やってもらわないと困る」
「わかった。でも次やったら、俺が殺してあげるから」
「あはは、拓実が言うと本当に殺しそうでやだなあ」

 私が笑うと、つられて拓実も笑った。

「お父さん、C商事なの?」
「まさか。そんな偶然ないよ」
「ふーん。さっき、なんか男ってものを全部殴った気がする」

 男という枠を殴って、蹴り飛ばした気がする。枠も境界線もあいつもひっくるめて。
 
「殴るってか、思いっきり踏んでたな」
「ふふ。拓実の言う通りだった。男はあいつなんじゃないね。あいつが男だっただけだ」

 笑いすぎたせいか、次は涙が止まらなくなった。
 息はゆっくり吐くことができて、代わりに涙が止まらない。
 
「よし、今日は朝まであそぼうよ。俺は絶対志乃が嫌がることしないから」

 拓実が手を差し出した。今から私たちはどこにいくんだろうか。どこでもいいな。一晩を共にする相手は、手を繋ぐ以上のことはしないのだ。握手をするように、私は拓実の手を取った。

・・


「俺もしかしたら志乃となら付き合えるんじゃないかな」
「なんで」
「だって俺ら同類だろ。だから俺たちは付き合っても破局しないで済む」

 いつもと同じく電車の中。
 話の途中で拓実は突然そう言った。こないだ見た夜空に浮かぶ星のようにキラキラと瞳を輝かせているから、私は大げさにため息をつく。

「嫌だよ」
「なんで」
「今は誰とも付き合いたくないから。好きな人がこれから見つかるまでのんびりするよ。男も恋愛対象に含めることが出来るかもしれないし」
「あっそう。でも俺のことは嫌いじゃないでしょ」
「まあね」

 私が肯定したことに拓実は少しだけ驚いてから笑った。

「でも……別にそれなら友達でもいいでしょ」

 そう言って、拓実に向かって笑顔を向けた。「でも、私はあんたと同類じゃないと思うよ」それは言葉にしないでおく。

「ま、そだな」
「ほら駅ついたよ、ばいばい」
「じゃあまた明日」

 去っていく栗色の髪の毛を睨みつける。
 付き合うという線を超えたら、何もかも欲しくなるんだろうか。彼女という枠に入ってしまえば。
 それとも何の感情も抱かず、友達の延長線のままいられるんだろうか。
 彼の全てを欲しがった途端に、彼の標本の一部になって私は過去になるんだろうか。

 また明日、くらいでいい。
 私はあんたのスタンプラリーのひとつになんかなってやらない。