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「ふっははっ!最高の1泊2日だったな。怪力仕様も、特に威勢のいい弟が気に入った」
「もっ申し訳ございません。本当に何からお詫びすればいいのか……」
「なぜ謝る?感謝こそすれ、責める気なんかさらさらない」

 帰りの馬車は穏やかだった。スワードは上機嫌で満面の笑みを浮かべ、シャルロッテは恥じながら会話に応える。それの繰り返し。
 雨で道がぬかるんでいるので馬の歩みも緩やかだったが、弾む会話で何も苦ではなかった。

 スワードが隣に座っていること以外は。

「ででで殿下!?その……近いので!なんだかとっても近いので!!」
「ん?これか?適切な距離だろう。私には君を昂らせて怪力抑制訓練をさせる義務がある」
「でっ……!!」
(でもでも!!太腿が!二の腕が!ムニッてなるほどくっつく必要があるかしら!?)

 シャルロッテは常時赤面しながら、何も手にしていないことに安心していた。しかし怪力被害を出さないものの、シャルロッテの心臓が弾け飛びそうな程に鼓動しているのは事実で。

「無理です……死んでしまいます……心臓が痛いです……」
「死なれたら困るな。そうだ、手を貸せ」
「え?は、はい」

 シャルロッテはスワードに隣り合う右手を差し出した。
 するとスワードが彼女に触れて手の甲を上に向けさせ、徐に出した何かを薬指に巻きつけた。
 それは細い茎が指輪のように結ばれた1輪のシロツメクサで、上向きの丸くて白い花が高価な1粒石に扮しているようだった。
 シャルロッテは状況が飲み込めなかった。

「ええっとこれは……」
「見ての通り指輪だ。取り急ぎ手作りにした」
「あーなるほ……ど!?!?」

 シャルロッテは驚きで全身に力が入り、指輪が付けられた右手に関しては扇のように開かれていた。力みで白っぽく浮いた手の関節1本1本にスワードが緩々触れていく。

「ほら力を抜け。また怪力になってるぞ」
「ででで殿下っ!これはダメです……!」
「ん?なぜだ」
「だって、普通の令嬢ならこれに深い意味があるって勘違いします!!こんなっ薬指に指輪だなんて……!」
(まるで愛の告白ですよ!?!?)

 シャルロッテは前のめりになり、手の甲と花の指輪をスワードに見せしめた。
 こんなこと、例え冗談でも軽々しくするものではない。ましてや王太子がするなどもってのほかだ。下手をしたら国を揺るがす。

 しかしスワードは涼しい顔で、強張るシャルロッテの指の間に自身のそれを通して10本の指を絡ませた。

「だからこうしているが……何か問題でも?」
「…………へ?」
「本当に大切なものは目に見えないとよく言うだろう?だがそれは相手に想いが伝わらないことの言い訳かもしれない。君の家族を見て、何かの形にすることも大切だと思ってな」
「あの…えっと……?」
(じゃあこの指輪が示す大切な想いって……)

 そうしてシャルロッテが思考停止すると、
スワードは彼女の手の甲に優しくキスを落とした。その唇の湿度と温度の余韻がシャルロッテの血行を急激に促進する。あまりの刺激で発汗してシャルロッテは手のひらに汗が滲むのを感じた。

 それでもスワードの手はシャルロッテのそれを離さず、抵抗するほど力を込められる。「逃がさない」、まるでそう言っているように。
 スワードは烟る長い睫毛の間からシャルロッテをじっと見つめた。物理的な接触がない視線でさえ熱くて焼けるようだ。
 シャルロッテが堪らず視線を逸らすと、スワードはシャルロッテの額を指で弾いて意地悪く微笑んだ。

「痛ぁっ!?」
「『王国の麗星』からのプレゼントだ。大切にするんだぞ」
「えっ…?あっ!もちろんです!墓場まで持って行きます!」
「ふっはは!光栄だ」

 そこでようやく手指が解かれて。
 汗で湿ったシャルロッテの手のひらが、空気に触れて冷ついた。まるでドレスを脱ぎ、肌着だけになったような心許ない感覚。

 シャルロッテは花の指輪にそっと触れて「深い意味」の正体を思案した。しかし浮上する答えがあまりにも都合が良くて、何度も自惚れだと自制する。

 ふと視線を上げるとやはりスワードがこちらを見ていて、2人きりの空間で甘い笑みをたたえた。

(殿下ダメです。勘違いして欲張りそうになりますわ)

 馬車の中まで夕陽が差す。瞳の潤みも紅潮した頬も全て空の茜色が誤魔化してくれますように。
 シャルロッテはそう願いながら、言葉少なに王宮へ帰っていくのであった。