かつて、この領地邸には活気があった。まあ、あの頃はまだ王都邸がなく、主な居住地がここだったこともあるだろう。
 しかしシャルロッテが「怪力令嬢」となってしまったあの日から、客人はおろか、迷い猫すらこの屋敷に寄り付かなくなった。

 そして今日シルト家が暫くぶりに迎えた客人は、あろうことかこの国の王太子スワードであった。

「ウオッホン!ソード卿、お味はいかがでしょうっ…じゃなくて!いかがかね?」
「どれも絶品です、やはりシルト領のトマトは格別ですね。主君もさぞやお喜びでしょうね」
「こっ…光栄に存じます…ソード卿!」

 そう言ってスワードが微笑むと、緊張する侯爵の顔がようやく綻んだ。 

 午後6時ちょうど、晩餐のために皆がこのダイニングルームに集った。スワードを迎えたダイニングは侯爵家の名に恥じぬ立派な部屋だ。天井は薔薇をモチーフに塗りが施され、長テーブルや椅子は国で最高級のドラゴンウッドで作られた。

 しかし昨年ぶりに使われるこのダイニングは、シャンデリアの灯りが薄暗くなっていた。幸か不幸か、侯爵とシャルロッテは晩餐会前に気がついてしまったのだった。

「おっお父様?王太子のおもてなしでこの薄暗さはアリでしょうか?」
「ナシ一択だああ!ひいいいんっ!」

 そして照明の足しに沢山の蝋燭が灯された。侯爵とシャルロッテがスワードに粗相のないよう、屋敷中で大慌てで掻き集めた努力の賜物である。
 そんなこんなで、新品や使いかけ、大小様々な蝋燭が一堂に集うと、黒魔術でも始めるような光景が広がっていた。皿の上で赤い汁を垂らすレアステーキも、見ようによっては生贄そのものだ。
 しかし今回の生贄は他でもないシャルロッテだった。

「ほらシャルロッテ嬢。いざという時は貴女に食べさせるよう殿下から言伝っておりますので」
「へ!?でででも家族の前で恥ずかっ…んむ!?」
「訓練に恥も外聞もない、と殿下が仰っておりました」
「むんむーっ!」
「ん?何か?聞こえません」

 そう言ってスワードは意気揚々とステーキにナイフを入れた。
 晩餐会が始まって間もなくのこと、まだ前菜のターンだというのに、シャルロッテはカトラリーを10本ダメにした。
 家族の前で赤ん坊のように食べさせてもらうなどあってはならない、決して昂ってはいけない。いや昂るものか──と大いに緊張したことが原因だった。

 それを見た侯爵とベルナールは告別式のような空気を催したが、スワードはこれ幸いとシャルロッテを隣に座らせた。
 そこからは餌付けのように食べさせられるシャルロッテ、上機嫌のスワード、ドン引きの侯爵とベルナールの構図が生まれ…それはまさによく描き込まれた地獄絵図であった。

 そうして三者三様、いや四者四様で食事をしていると、耐えられなくなったベルナールが聞いた。

「姉上いつもこんなことやってんの?」
「ううっ…訓練の一貫なの。壊しすぎないように上限を決めて、それ以降は殿下が…」
「ぶっ!冗談でしょ?変態王太子がイチャつきたいだけじゃん。キモすぎ」

((その変態王太子が目の前にいるんですけどーーーーっ!?!?))

 シャルロッテと侯爵の心の叫びが見事にシンクロした。ベルナールは青ざめる2人を見ては鼻で笑い、スワードも負けじとベルナールに微笑んだ。

「ベルナール殿は胆力がお強いのですね。間接的にとはいえ、王太子に物申すとは」
「別に?変態男が嫌いなだけ」
「ここここらベルナール!あなたなんてこと…!」

 シャルロッテは弟ベルナールの無礼千万な言動に声を荒げた。侯爵は蒼白な顔でスワードの顔色を窺っている。

「僕は"一介の騎士"とお喋りしてるだけだよ。だよね?ソード卿」
「…ええ。ベルナール殿のお話はとても興味深いですね、もっとお話をしたいものです」

 ベルナールはそう言うと、眼光炯々とスワードを射すくめた。一方のスワードは片眉を上げ、敵意剥き出しのベルナールを鼻で笑った。シャルロッテと侯爵は一発触発の空気に、ただただ耐えるばかりだった。侯爵は天を仰いだ。

(神よ救いたまえ…)

 そして侯爵がスッと目を閉じると、冷製スープに涙が1粒落ちていくのだった。


◇◇◇


 殺伐とした晩餐会が終わり、皆が解散した。精疲力尽な侯爵はヨロヨロ自室へ戻り、ベルナールもまたどこかへ消えた。シャルロッテとスワードだけは談話室へ移動し、昂らずにお茶を嗜む訓練をしにきていた。

「ほら、カップを持たなければ訓練にならないだろう」

 スワードはシャルロッテの隣にピタリと貼り付くように腰掛けた。2人の体重でアンティークのソファがギシリと音を立てるので、のぼせ上がったシャルロッテがティーカップを持てるはずもない。シャルロッテはそんな密、且つ、蜜な空間に耐久していた。

 そうしてシャルロッテが動かなくなると、スワードがティーカップを手にした。そしてフーフーとお茶を冷ましてから彼女の口元に近づける。そして恭しく訊いた。

「私が飲ませて"差しあげましょうか"?」

「〜〜殿下っ!ベルナールが大変申し訳ございません!騎士と思ってたにせよ、あんな…」

「なんだそんなこと。ごっこ遊びもなかなか良いじゃないか。今度は君が王太子妃役をするのはどうだ?」

「はい!?そそそんな恐れ多いことしたら怪力が爆発して死にます!」

「ふっはは!死なないように特訓だな」

 赤面して慌てふためくシャルロッテ。スワードはそれを堪能すると笑いながら襟のタイを緩めた。シャルロッテは躊躇いながら話す。

「ベルナールは…わたしのせいでああなったのかもしれません」

「君のせい?」

「わたしがベルナールを社交場に極力出さないようにしたからです。だから世間知らずというか…人見知りというか…」

「なぜ行かせないんだ。彼も立派な侯爵令息だろう」

 シャルロッテは理由を語るべく、姉弟の記憶を掘り返した。

「あれは、『怪力令嬢』の名が貴族の間で広がり始めた頃のことです──」