シャルロッテは馬車に揺られながら景色を眺めていた。王都から遠のくにつれて視界は濃い緑で溢れ、木漏れ日がチラチラ輝いている。
シャルロッテは日差しの眩しさに目を細め、スワードはうつける彼女の横顔に語りかけた。
「薔薇、気に入らないか?」
「えっ?そんなこと…」
──あるかも。
スワードが手に持つ赤い薔薇を見るたび、あの店員がスワードに頬を染める姿が、シャルロッテの脳内にありありと浮かんだ。
そうするとが謎の感情が昂って、何を食べ過ぎたわけでもないムカムカと胸焼けがするので、シャルロッテはしばらく胸をさすっていた。
(もしかしてこれは──毒?)
ブルームは多種多様な花々を取り揃えた花屋だ、毒花が混入しても不思議はない。
この胸焼けはこの薔薇の毒による中毒症状かもしれない。シャルロッテは思い切ってそれを口にした。
「その薔薇は…何か毒があるのではないでしょうか?」
「は?毒?」
「その薔薇を見ると何故かあの店員を思い出してしまうんです…」
「それで?」
「それで…謎の感情が昂って、みぞおちの辺りが熱くなるような…胸焼けというか…吐き気がするというか……うーん…」
シャルロッテは歯切れの悪い返事をして俯き、何度も指を結んでは解く。そうしてまごつくシャルロッテが遂に黙りこくるとスワードは呟いた。
「なるほど」
それだけ言うとスワードは窓を開け、涼しい顔で薔薇を投げ捨てた。
「ええーーーーっ!?!?」
(薔薇ぁーーーーっ!!!!)
シャルロッテはスワードの突飛な行動に驚きで飛び上がり、目玉が飛び出そうなくらい目を見開いた。一方のスワードはお構いなしに、座席や膝に残った花びらまで1つ残らず捨てていった。
シャルロッテは窓から顔を出した。薔薇は馬車の後輪に轢かれて無惨にひしゃげ、後追いする花びらも泥水に消えた。それからシャルロッテ達の馬車はどんどん前進し、あの薔薇は遠くへ消えていった。
「私を見ろシャルロッテ」
シャルロッテは急いで顔を向けた。スワードはすかさずシャルロッテの手を引いて隣に座らせ、片手で彼女の頬をムギュッと挟んだ。シャルロッテの美しい顔も今に限っては大層おかしな顔で、突き出た唇がひよこのようだ。シャルロッテはその口ばしでピヨピヨ問うた。
「でっ殿下あの薔薇は?」
「必要ない。隣の街でもっといい店を知っているからそこで買おう」
「でもどうして捨てて…」
シャルロッテは困惑で眉を寄せ、スワードも眉間に谷を作り、大きくため息をついた。それからスワードはシャルロッテを挟む手を緩め、エメラルドの瞳に刻みつけるよう強く見つめた。
「あの薔薇を介して君の頭に店員が居座るのだろう?そんな図々しい輩を私が許すと思うか?」
「……へ?」
シャルロッテは返事の代わりにパチパチと瞬きを2回した。スワードはシャルロッテの曇りのない緑眼とポケーッと抜けた顔を見た。
それを見たスワードは自然と眉間の皺が解かれ、シャルロッテの額と自分のそれをコツンと合わせ、静かに言った。
「ここにいていいのは私だけだ」
スワードは互いの額で交わる熱と銀髪で香る爽やかな香油や、すれ違う吐息の1つ1つで、シャルロッテに自分の存在を証明してみせた。
シャルロッテは目と鼻の先のスワードの全てに魅了されてあまりの美しさに息を呑む。
(これって何かしら?心臓が熱くて昂っているのに、とろけるように体の力が抜けるような…)
シャルロッテの感情は当然昂ったが、「緊張」や「恥ずかしさ」とは違う、別の何かを感じていた。しかしシャルロッテは初めての感情の名を知らなかったが、1つだけ確かなことがあった。
「…胸焼けが治ってます」
スワードに対する「柔らかい謎の感情」が昂ると、あの店員に覚えた「尖った謎の感情」が鎮まる。「胸焼け」が治る。これだけは確かだった。
「君は私のことだけ考えろ。私みたいに」
シャルロッテが謎の感情を解明するべく思考に没入しかけたところで、スワードが彼女の額にキスをした。その瞬間、シャルロッテの知覚が緊急警報を発令して正気に戻った。
──距離!!
シャルロッテはスワードから勢いよくのけ反って離れた。彼女の体温が突沸して手にはすでに大汗を握っている。
「ででで殿下っ!?いっ今のってキ──!?」
「ははっ!顔を見てみろ。薔薇より真っ赤だぞ」
シャルロッテはスワードに促されるまま窓ガラスを見た。そこには過ぎゆく並木を背景に、赤々と上気した自分の顔がはっきり映されていた。
シャルロッテは己をじっくり見つめた。母親譲りのミルクティー色の髪、ミルク色の肌。あの人もこんな風に染まったのだろうかと、シャルロッテは遠い母をおもった。
「夫人似だな、君は」
スワードは優しい声で一言紡ぎ、振り向いたシャルロッテに微笑んだ。
◇◇◇
そうして街を越え、時が過ぎ、2人はいよいよシルト領の邸宅に到着した。
新調した薔薇の花束を持つシャルロッテは、さながらプロポーズ前の紳士のようである。その隣には2人分の荷物を持つ騎士、もとい王太子スワードの姿があった。
シャルロッテは一国の王太子を引き連れ、いよいよ領地の屋敷へ帰省した。
「シャルロッテ、ただいま戻りました!」