「おやすみシャルロッテ」

 月明かりだけが頼りの薄暗い部屋の中、スワードはシャルロッテの額に優しくキスをした。

 シャルロッテは訓練の疲労が原因で人生初の風邪を引いてしまった。
 メイド曰くかなりの発熱だったらしいが、今は幾ばくか熱も下がったようで、スワードはホッと胸を撫で下ろした。

(次のスケジュールはシャルロッテの体調も加味しよう…)

 スワードはシャルロッテの寝顔をうっとりと眺め、あくる日のことを思い返した。


◇◇◇


「今日は王宮が騒がしいな」
「あぁ、きっと『怪力令嬢』のせいでしょう。なんでも怪力体質を治すために宮廷医師と学者に見せにきたとか」
「怪力令嬢?」
「おや、ご存知ありませんか?シルト侯爵のご息女です」

 この時、スワードは初めて「怪力令嬢」の存在を知った。

 聞くところによると、巷で有名なその「怪力令嬢」は兎にも角にも馬鹿力らしい。どれほどかと言えば物を壊すのは当然で呼吸をするに等しく、その気になれば指一本で100万の兵を制圧できるのだとか。

 まぁ噂とは常に尾びれがつく生き物だし、その令嬢も苦労が尽きないだろうとスワードは思った。

(私が「王国の麗星」などと名付けられたのと同じだな)

 幼い時分から未来の王太子という肩書きを理解していたスワードは、その地位や権力を誰にも奪わせず、自分の手綱は自分で握ると決めていた。
 ゆえに他者に隙を与えず、常に冷静で完璧に王子然としてきたわけだが、その結果付いてきたのが「王国の麗星」という大それた異名だった。

 一時は嫌悪した異名だったが、なかなかどうしてその異名にホイホイ釣られる者も多くいたもので。スワードは人心掌握のために「王国の麗星」を喜んで自らの仮面とした。腹の中を隠すのにぴったりだった。

 そうしてスワードはその「怪力令嬢」を空想してみた。

「どんな令嬢なんだ?」
「私も詳しくは存じません。社交界には顔を出さないそうですよ。殿下には一生縁のない、物騒な令嬢かと」
「物騒…か」

 どのような容貌をしているのだろう。怪力に相応しく筋骨隆々としているのだろうか、もしやゴリラのような姿をしているやもしれない。
 しかもこれだけ有名になるくらいだ、きっと相当の荒くれ者で一癖も二癖も難のある性格に違いない。

 スワードは想像上の「怪力令嬢」にクツクツ笑った。
 しかしそれも日々の政務に忙殺されて忘れ去り、数ヶ月が経った頃に王宮で舞踏会が開かれた。

「王太子殿下、うちの娘が成人を迎えまして実に美しく」
「いやいやうちの娘こそ王都で最高の器量好しで」
「才色兼備とはうちの娘の──」

 スワードは肯定も否定もせず、縁を結びたがる者達にただ美しく微笑んだ。

 令嬢はどれも同じだ。幾度となく顔を合わせて語り合えど、1つも感情は動かない。
 そればかりか顔を合わす度に頬を赤らめて「何か」を期待する令嬢達に辟易した。

(それでもいつかはこの中の誰かと結婚するのだろう。夫婦になれば少しは情も湧くだろうか…)

 そう思いながらもスワードは令嬢達に声をかけられるほど冷めていき、感情が死んでいくのを感じた。そうしてスワードが頭の回路を切断しかけた時だった。

「美しいレディ、どうか貴女のお名前を!」
「いいえ!名乗る程の者ではございませんので!!」

 スワードが声の方へ視線を逸らすと、向こうで令息達が塊になっていた。興奮した彼らは1人の令嬢を取り囲んでいる。

 その令嬢を見やればミルクティー色の髪の毛がとろりと揺れて、肌はミルク色が際立ち、大きくて透き通るエメラルド色の瞳を持つ美しい娘だった。

(あれは誰だ?どこの令嬢だろう)