何分たっただろうか。抱きしめるときに体が同時に動いたのと同じように離れるときも同時に動いた。
「あ」
ふと空を見上げた真人君が何かに気がついたようだ。
「桜、咲いてる」
真人君の視線は離れ桜の随分と高い位置に向けられている。私の目の高さでは捉えられていない。
「ど、どこ?」
「ほら、あそこ、上の方」
真人君が指差す方を見ると確かにほんの少しだけど一輪だけ咲いているようにも見えるがはっきりと見えるわけではない。
「私の高さじゃ見えない……」
「じゃあ……ど、どうぞ」
真人君は私に背中を見せてしゃがんだ。早速恋人みたいなことができて嬉しい。
「じゃあ、失礼して……」
真人君の肩に足をかける。制服のスカートだからちょっと恥ずかしいけれど伊織はこっちを見ていなかったし、あとは美月しかいないので大丈夫だろう。
「え? ちょ、そっち?」
「え?」
「あ、いや、おんぶのつもりで……」
しまった。美月から借りた漫画ではそうしていたし、小さい頃お父さんにやってもらうのが好きだったからつい肩車かと思ってしまった。このままでは大事な真人君の体に大きな負担がかかってしまう。
「ご、ごめん。すぐ降りるね」
「いや、大丈夫。詩織さん軽そうだからいけるよ。俺の頭掴んでてね。あと……足、掴むよ」
大丈夫だろうか。私は太ってはいないはずだけれど平均的な身長に平均的な体重はある。
それでもさすがの真人君は軽々と立ち上がる。
私の目線が真人君よりも一気に高くなって、世界はこんなに広かったのかと感動を覚える。そして桜の花もしっかりと見えた。
咲いてくれた。大事な瞬間につぼみから開いてくれた。離れ桜が私たちが結ばれたことを祝福してくれているみたいで、毎年至るところ見ることができるはずなのに、この一輪は特別なもののように見えて愛おしい。
「どう? 見えた?」
「うん、はっきりと見える。見慣れているはずなのにすごく綺麗」
「良かった」
足音が聞こえた。あんまり動くとさすがに危ないので見えないが、伊織と美月だろう。
「ねえ、美月。鞄から私のスマホ取ってくれる? 写真撮りたい」
「良いけど、詩織……」
「何?」
「パンツ見えそうだよ」
「え? や、やだ。伊織も近くにいるんでしょ? 絶対見ないでよ?」
「見ねえよ。お前のパンツなんか興味ないし」
「詩織さん、降りる?」
「ま、待って。美月、早くちょうだい」
「うん、あれ? 詩織どこにしまったの?」
「えっと、内側のお守り入ってるところ」
「桜色だな」
「え? なるほど、桜色か……」
「ちょっと伊織、何言ってるの⁉ そんなんじゃないから。あ、真人君も想像したでしょ⁉ だめ!」
「ご、ごめん。でも暴れたら危ないよ」
「あ、あったよ詩織。はい」
みんなでわちゃわちゃしながら撮った一輪の桜の花の写真は、私たちが結ばれた記念のものになる。
当然、真人君にもこの写真は送った。どんなに離れていても、この写真を見れば今日のこの瞬間のことを思い出せるはずだ。
「そうだ、詩織さんに渡すものがあったんだ。降ろすよ」
ゆっくりとしゃがんで私を地面に降り立たせた真人君は、ベンチに置いた鞄から何かを取り出して私に差し出した。平べったい箱が包装紙やリボンで可愛くラッピングされている。
「遅れちゃってごめん。これ、お返し」
「お返し? なんの?」
「え? バレンタインだけど……?」
バレンタインにチョコをもらったらお返しするのは当たり前でしょ? みたいな顔をする真人君だが、私が渡すはずだったチョコはお父さんの手に渡ったはずだ。いったいなんのことだろうか。
「ごめんね、真人君。私渡せてなかったと思うんだけど、いったいどこの誰が……?」
「え? 次の日に伊織が詩織さんがどうしても受け取って欲しいって言ってたって言いながらよこしてくれたんだ。正直詩織さんのことはもう諦めるつもりだったけど、これのおかげでやっぱりもう一回ちゃんと考えて答えを出そうって思えたんだよ。ほら、写真もあるよ」
真人君が見せてくれた写真には確かに私が作った中で一番出来が良く、真人君用にラッピングしたチョコレートが写っている。
私も真人君も美月も伊織を見る。
「父さんがさ、これは詩織が大切な人に渡すつもりだったものだから受け取れない、どうにかしてその人に渡してやってくれって俺に預けたんだ」
「お父さんが……」
「父さんは全部知ってたよ。全部って言うと語弊があるかもしれないけど、詩織が母さんに話していたことは全部知ってた。絶対に余計なことをしない約束で母さんが教えていたんだ。真人のことそれはもう詳細に聞かれたけど、良い奴だって言っておいたから認めてくれると思う」
あのお父さんが静かに見守ってくれていたなんて思いもしなかった。それにお父さんがチョコを伊織に預けていなければ今の私たちがなかったかもしれないなんて。
「帰ったら肩でも揉んでやれよ。詩織にやられたら嬉し泣きするぞ、きっと」
「うん、そうだね」
ちょっとうっとうしく思っていたことも反省しないといけない。
これからはお父さんにも色々と相談しよう。男性が好きな女性の仕草とか言われて嬉しい言葉とか教えてくれるだろうか。
「よし、一件落着したことだし部活に行こうぜ、真人」
「え? ああ、うん、そうだね、でも」
「待って伊織」
どさくさに紛れてこの場を去ろうとする伊織の腕をつかみ、立ち止まらせた。このまま行かせてはならない。真人君もそう思っているから曖昧な返事になっている。
私と真人君がうまくいったということは次は伊織と美月のターンだ。伊織をちらちら見ながら可愛くドキドキおろおろしている美月のことを放っておくなんて許してはならない。
照れ屋な伊織のことだからあとでこっそり電話などで済ませようと思っているのだろうけれど、美月大好きクラブの部長である私がそんなことはさせない。
「私、真人君のことは全部許したよ」
「そっか、良かったな」
「でも伊織のことはまだ許してない」
「え? パンツなら見てないって、適当に言っただけ……」
「それは別に良く……はないけどそうじゃなくて」
「じゃあなんだよ。真人が俺は悪くないって言わなかった? そういう打ち合わせだったんだけど」
「……」
「どうしたら許してくれるんだ?」
「美月のこと、幸せにしてくれたら許してあげる」
「ちゃんとあとで言うつもりだったよ」
「駄目、今言って。美月が待ってるよ、ほら」
「……分かったよ」
私の後ろでそわそわしている美月と場所を入れ替わり、美月と伊織を向き合わせた。美月の後ろで私と真人君が見守る形になる。結果は分かり切っているが伊織がどんな言葉で最後の一撃を決めるのか楽しみだ。
「お、お前らどっか行けよ」
「やだよ。私も聞きたい。ね、真人君」
「うん。伊織のカッコいいところ俺も見たいな」
「俺はお前らの告白聞いてないんだけど。しょうがない、美月さん、あいつらがいないところに行こう」
それは駄目だ。離れ桜の下だからこそ意味があるのに移動されてはならない。やむを得ないか。
「分かったよ。遠くから見てるだけにするから」
私と真人君は渋々と校舎の影に移動する。伊織の後ろに回って告白を受けた瞬間の美月の顔を目に焼き付けるつもりだったが諦めて二人の様子を遠くからスマホで撮影することにした。
伊織が何か話している。美月はそんな伊織のことをじっと見つめていて、横顔もとても可愛らしい。
伊織が話し終えると次は美月が何かを話しているようだ。二人とも少し照れくさそうに笑顔を見せている。
やがて二人は握手をした。
「カップル成立ってことかな?」
「多分そうだけど……伊織、何やってんの。抱きしめろ」
二人は手を握り合ったまま見つめ合い、動かない。しばらくして美月がうつむいた。
「萩原さん、どうしたんだろ?」
伊織が心配そうに頭ごと下げて美月の顔を覗き込んだときだった。
私は美月の意図に感づく。
確か美月から貸してもらった漫画に似たようなシチュエーションがあった。
「いけ、美月。そこだ」
「え? 何、その格闘技の応援みたいな……あっ」
「よし」
美月は覗き込んできた伊織の顔に自分の顔を近づけた。ここからでは角度が悪くてはっきりとは見えないが、美月と伊織の唇が触れ合っているのは間違いない。その様子は私のスマホにしっかりと保存されている。
「やったよ、美月」
一分ほどたって二人は離れた。真っ赤な顔をした伊織は美月に何か一言かけると走り去って行ってしまった。照れ屋な奴め。
「わ、すげえ……」
私の隣で真人君が口を開けっ放しにして呆然としている。こんな間抜けな表情は初めて見た。
「真人君?」
「わ! あ、いや、すごいね萩原さん……」
私の顔を見る真人君の視線は私の目ではなく唇に注がれている。
そりゃあんな場面を見れば誰だって意識する。私だってそうだ。
「お、俺も、部活行かなきゃ。詩織さん、俺たち明日から合宿だけど毎日連絡するし、その、いっぱい思い出作ろうね」
「うん、頑張ってね。伊織に良くやったって伝えておいて」
「うん、それじゃ」
私の顔を見られなくなるくらい照れてしまった真人君は顔を真っ赤にしたまま伊織を追いかけて行った。
せっかく恋人になったのだから私だってキスとかしてみたい。今求められたら受け入れていただろうし、先に一歩進んでしまった美月を羨ましく思う気持ちもある。
でも構わない。私たちにはあと四ヶ月以上の時間が残されているし、もっとその先も約束しているのだから、焦る必要なんてない。
もう見えなくなったであろう伊織の後ろ姿を見つめている美月のそばに寄って声をかけた。
「美月」
「詩織」
美月は頬を赤らめ、少しだけ恥ずかしそうにしていて、未だキスの余韻に浸っているようだ。本当は感触とか温かみとか色々感想を聞きたいところだけれど、それは美月だけの思い出なので聞かないでおこう。
「行こう。私、蘭々に報告しなきゃ。白雪先生と日夏さんにも」
あと、秋山君にも。
「うん」
保健室に向かう途中で蘭々に電話で報告をした。
蘭々は自分のことのように喜んでくれて、少し泣いているようだった。嬉しくて泣いていると言っていた。
高校生で真人君以上の人間は見つけられないだろうから卒業まで恋はしないという宣言は、爽やかで清々しい声によるものだった。
保健室で二人そろって白雪先生に報告をすると破門されてしまった。卒業ではないのかと尋ねると、弟子に先を越されて悔しいから、と正直に言われた。
そのあとは二人一緒に頭を撫でられて、よく頑張ったね、と、とても優しい声と表情で言ってもらえた。
日夏さんに電話をかけてみるとどうやら学校に来ているらしくすぐに会うことができた。
なんでも四月からバスケ部に新しいコーチが来るらしくその人に天海さんが会っておきたいと言ったので付き添いだそうだ。今年大学を卒業する若いコーチで新しい体育の先生でもあるらしい。監督さんの甥っ子だとか。
昇降口付近で私たちを見つけた日夏さんは駆け寄ってくる勢いそのままに私たちをまとめて抱きしめた。言葉もなくただ私たちをギュッと抱きしめてくれて、それだけでどれほど心配してくれていたのかが伝わってきた。
日夏さんがバスケ部の体育館に戻ったあとグラウンドを眺めると、サッカー部が練習をしている中に秋山君の姿を見つけた。さすがに声をかけることはできないのであとで蘭々に連絡先を教えてもらって報告しておこうと思う。これで未練を断ち切れるだろうか。
校門を出て、美月と並んで歩く。
「ねえ美月。今どんな気持ち?」
「幸せだよ。幸せすぎてどうにかなっちゃいそうなくらい幸せ」
美月はまだ興奮が収まっていないようで頬を紅潮させている。誰がどう見ても幸せだと分かるその顔は、世界から争いをなくしてくれそうなくらい美しくて神々しくて可愛らしい。
こんな顔をさせた伊織は美月大好きクラブの部長に昇格させてやろうと思う。無論、トップは二人もいらないし譲るつもりもないので私は会長に昇格だ。
「詩織はどう?」
そんなの決まっている。美月も分かって聞いている。
「幸せだよ。今、私が世界で一番幸せ」
「えー? 私の方が幸せだから詩織は二番だよ」
「いや、こればっかりはいくら美月でも譲れない。私が一番」
「私だって詩織相手でも負けないよ」
「私は結婚の約束したし」
「私はキスしたし」
「む」
「むむ」
「むむむ」
「私はホワイトデーのお返しにキャンディをもらったんだから。あなたが好きですって意味なんだよ」
「私だって……」
真人君からもらったばかりのお返しの品の包装紙やリボンを丁寧に取り外し、中から出てきたおしゃれなで高級感あふれる平べったい箱を開けると、色とりどりで小さくて丸っこい宝石みたいなお菓子が十個ほど。
「これは、マカロン?」
「マカロンか、さすが桜君」
「ど、どういう意味なの? お返しにマカロンって」
「……あなたは特別な人」
「……」
「……」
「まあ、別に一番が二人いてもいっか」
「そうだね。二人とも世界一幸せってことで」
なんの憂いもなく美月と一緒に帰るのはいつぶりだろうか。それくらいこの三ヶ月弱の間に色々なことがあった。たくさんの人と出会い、助けてもらった。私ももしかしたら誰かのことを助けることができていたかもしれない。
美人で明るくて自分の気持ちに正直でおしゃれでカッコいい蘭々。
鋭くて些細なことにも気づけて普段は穏やかでふわふわしていて可愛い心愛。
いつも元気いっぱいで活動的、一緒にいて楽しい大石さん。
実家の理髪店を継いでもっと大きくするべく、今から色々と調べたり手伝ったりしていて一番大人っぽく、蘭々が変なことをすると真っ先に突っ込みを入れてくれる小畑さん。
テキパキとなんでもこなしてカッコ良くて彼氏の天海さんとラブラブで私の憧れの日夏さん。
透き通るような白い肌の美人でなんでも話を聞いてくれて不要な誤魔化しとかをしないで意見を言ってくれる白雪先生。
なんだかんだ言って優しくて律儀で一途で私に遠慮せずに接してくれる秋山君。
そして真人君と伊織と美月。
かけがいのない人達がいつの間にかたくさんできていた。
「美月、私決めたよ」
私と美月が別れるいつもの分かれ道。離れ離れになる直前に私の決意を美月に聞いてもらいたかった。
「私もアメリカに行く。私の学力とかうちの経済力だとアメリカの大学に入るなんて現実的じゃないけど、留学できるような大学に入る。アメリカに行って真人君のこと間近で応援するんだ」
「彼氏のために大学を選ぶ……素敵だね」
「大学卒業したらアメリカで働けるように頑張るよ。そして真人君とずっと一緒にいる」
「そっか、たまには日本に帰ってきてね」
「うん」
「結婚式はハワイが良いな」
「美月が言うならそうする」
「何十年後かに桜君が引退したら日本で暮らして欲しいな」
「うん、お茶友達になろうね」
「私も詩織のお姉ちゃんになれるように頑張るからね」
「楽しみにしてるよ。美月お姉ちゃん」
「へへ……」
「これからも一緒に頑張ろうね。約束」
「うん、約束」
約束の指切りは私に勇気をくれる。
きっとこれからも困難はたくさんある。でも私はもう大丈夫。何が起きても乗り越えていける勇気と仲間がいるから。
暖かい春風が私たちの周りを包み込む。
春、もうすぐ桜は満開になる。
「あ」
ふと空を見上げた真人君が何かに気がついたようだ。
「桜、咲いてる」
真人君の視線は離れ桜の随分と高い位置に向けられている。私の目の高さでは捉えられていない。
「ど、どこ?」
「ほら、あそこ、上の方」
真人君が指差す方を見ると確かにほんの少しだけど一輪だけ咲いているようにも見えるがはっきりと見えるわけではない。
「私の高さじゃ見えない……」
「じゃあ……ど、どうぞ」
真人君は私に背中を見せてしゃがんだ。早速恋人みたいなことができて嬉しい。
「じゃあ、失礼して……」
真人君の肩に足をかける。制服のスカートだからちょっと恥ずかしいけれど伊織はこっちを見ていなかったし、あとは美月しかいないので大丈夫だろう。
「え? ちょ、そっち?」
「え?」
「あ、いや、おんぶのつもりで……」
しまった。美月から借りた漫画ではそうしていたし、小さい頃お父さんにやってもらうのが好きだったからつい肩車かと思ってしまった。このままでは大事な真人君の体に大きな負担がかかってしまう。
「ご、ごめん。すぐ降りるね」
「いや、大丈夫。詩織さん軽そうだからいけるよ。俺の頭掴んでてね。あと……足、掴むよ」
大丈夫だろうか。私は太ってはいないはずだけれど平均的な身長に平均的な体重はある。
それでもさすがの真人君は軽々と立ち上がる。
私の目線が真人君よりも一気に高くなって、世界はこんなに広かったのかと感動を覚える。そして桜の花もしっかりと見えた。
咲いてくれた。大事な瞬間につぼみから開いてくれた。離れ桜が私たちが結ばれたことを祝福してくれているみたいで、毎年至るところ見ることができるはずなのに、この一輪は特別なもののように見えて愛おしい。
「どう? 見えた?」
「うん、はっきりと見える。見慣れているはずなのにすごく綺麗」
「良かった」
足音が聞こえた。あんまり動くとさすがに危ないので見えないが、伊織と美月だろう。
「ねえ、美月。鞄から私のスマホ取ってくれる? 写真撮りたい」
「良いけど、詩織……」
「何?」
「パンツ見えそうだよ」
「え? や、やだ。伊織も近くにいるんでしょ? 絶対見ないでよ?」
「見ねえよ。お前のパンツなんか興味ないし」
「詩織さん、降りる?」
「ま、待って。美月、早くちょうだい」
「うん、あれ? 詩織どこにしまったの?」
「えっと、内側のお守り入ってるところ」
「桜色だな」
「え? なるほど、桜色か……」
「ちょっと伊織、何言ってるの⁉ そんなんじゃないから。あ、真人君も想像したでしょ⁉ だめ!」
「ご、ごめん。でも暴れたら危ないよ」
「あ、あったよ詩織。はい」
みんなでわちゃわちゃしながら撮った一輪の桜の花の写真は、私たちが結ばれた記念のものになる。
当然、真人君にもこの写真は送った。どんなに離れていても、この写真を見れば今日のこの瞬間のことを思い出せるはずだ。
「そうだ、詩織さんに渡すものがあったんだ。降ろすよ」
ゆっくりとしゃがんで私を地面に降り立たせた真人君は、ベンチに置いた鞄から何かを取り出して私に差し出した。平べったい箱が包装紙やリボンで可愛くラッピングされている。
「遅れちゃってごめん。これ、お返し」
「お返し? なんの?」
「え? バレンタインだけど……?」
バレンタインにチョコをもらったらお返しするのは当たり前でしょ? みたいな顔をする真人君だが、私が渡すはずだったチョコはお父さんの手に渡ったはずだ。いったいなんのことだろうか。
「ごめんね、真人君。私渡せてなかったと思うんだけど、いったいどこの誰が……?」
「え? 次の日に伊織が詩織さんがどうしても受け取って欲しいって言ってたって言いながらよこしてくれたんだ。正直詩織さんのことはもう諦めるつもりだったけど、これのおかげでやっぱりもう一回ちゃんと考えて答えを出そうって思えたんだよ。ほら、写真もあるよ」
真人君が見せてくれた写真には確かに私が作った中で一番出来が良く、真人君用にラッピングしたチョコレートが写っている。
私も真人君も美月も伊織を見る。
「父さんがさ、これは詩織が大切な人に渡すつもりだったものだから受け取れない、どうにかしてその人に渡してやってくれって俺に預けたんだ」
「お父さんが……」
「父さんは全部知ってたよ。全部って言うと語弊があるかもしれないけど、詩織が母さんに話していたことは全部知ってた。絶対に余計なことをしない約束で母さんが教えていたんだ。真人のことそれはもう詳細に聞かれたけど、良い奴だって言っておいたから認めてくれると思う」
あのお父さんが静かに見守ってくれていたなんて思いもしなかった。それにお父さんがチョコを伊織に預けていなければ今の私たちがなかったかもしれないなんて。
「帰ったら肩でも揉んでやれよ。詩織にやられたら嬉し泣きするぞ、きっと」
「うん、そうだね」
ちょっとうっとうしく思っていたことも反省しないといけない。
これからはお父さんにも色々と相談しよう。男性が好きな女性の仕草とか言われて嬉しい言葉とか教えてくれるだろうか。
「よし、一件落着したことだし部活に行こうぜ、真人」
「え? ああ、うん、そうだね、でも」
「待って伊織」
どさくさに紛れてこの場を去ろうとする伊織の腕をつかみ、立ち止まらせた。このまま行かせてはならない。真人君もそう思っているから曖昧な返事になっている。
私と真人君がうまくいったということは次は伊織と美月のターンだ。伊織をちらちら見ながら可愛くドキドキおろおろしている美月のことを放っておくなんて許してはならない。
照れ屋な伊織のことだからあとでこっそり電話などで済ませようと思っているのだろうけれど、美月大好きクラブの部長である私がそんなことはさせない。
「私、真人君のことは全部許したよ」
「そっか、良かったな」
「でも伊織のことはまだ許してない」
「え? パンツなら見てないって、適当に言っただけ……」
「それは別に良く……はないけどそうじゃなくて」
「じゃあなんだよ。真人が俺は悪くないって言わなかった? そういう打ち合わせだったんだけど」
「……」
「どうしたら許してくれるんだ?」
「美月のこと、幸せにしてくれたら許してあげる」
「ちゃんとあとで言うつもりだったよ」
「駄目、今言って。美月が待ってるよ、ほら」
「……分かったよ」
私の後ろでそわそわしている美月と場所を入れ替わり、美月と伊織を向き合わせた。美月の後ろで私と真人君が見守る形になる。結果は分かり切っているが伊織がどんな言葉で最後の一撃を決めるのか楽しみだ。
「お、お前らどっか行けよ」
「やだよ。私も聞きたい。ね、真人君」
「うん。伊織のカッコいいところ俺も見たいな」
「俺はお前らの告白聞いてないんだけど。しょうがない、美月さん、あいつらがいないところに行こう」
それは駄目だ。離れ桜の下だからこそ意味があるのに移動されてはならない。やむを得ないか。
「分かったよ。遠くから見てるだけにするから」
私と真人君は渋々と校舎の影に移動する。伊織の後ろに回って告白を受けた瞬間の美月の顔を目に焼き付けるつもりだったが諦めて二人の様子を遠くからスマホで撮影することにした。
伊織が何か話している。美月はそんな伊織のことをじっと見つめていて、横顔もとても可愛らしい。
伊織が話し終えると次は美月が何かを話しているようだ。二人とも少し照れくさそうに笑顔を見せている。
やがて二人は握手をした。
「カップル成立ってことかな?」
「多分そうだけど……伊織、何やってんの。抱きしめろ」
二人は手を握り合ったまま見つめ合い、動かない。しばらくして美月がうつむいた。
「萩原さん、どうしたんだろ?」
伊織が心配そうに頭ごと下げて美月の顔を覗き込んだときだった。
私は美月の意図に感づく。
確か美月から貸してもらった漫画に似たようなシチュエーションがあった。
「いけ、美月。そこだ」
「え? 何、その格闘技の応援みたいな……あっ」
「よし」
美月は覗き込んできた伊織の顔に自分の顔を近づけた。ここからでは角度が悪くてはっきりとは見えないが、美月と伊織の唇が触れ合っているのは間違いない。その様子は私のスマホにしっかりと保存されている。
「やったよ、美月」
一分ほどたって二人は離れた。真っ赤な顔をした伊織は美月に何か一言かけると走り去って行ってしまった。照れ屋な奴め。
「わ、すげえ……」
私の隣で真人君が口を開けっ放しにして呆然としている。こんな間抜けな表情は初めて見た。
「真人君?」
「わ! あ、いや、すごいね萩原さん……」
私の顔を見る真人君の視線は私の目ではなく唇に注がれている。
そりゃあんな場面を見れば誰だって意識する。私だってそうだ。
「お、俺も、部活行かなきゃ。詩織さん、俺たち明日から合宿だけど毎日連絡するし、その、いっぱい思い出作ろうね」
「うん、頑張ってね。伊織に良くやったって伝えておいて」
「うん、それじゃ」
私の顔を見られなくなるくらい照れてしまった真人君は顔を真っ赤にしたまま伊織を追いかけて行った。
せっかく恋人になったのだから私だってキスとかしてみたい。今求められたら受け入れていただろうし、先に一歩進んでしまった美月を羨ましく思う気持ちもある。
でも構わない。私たちにはあと四ヶ月以上の時間が残されているし、もっとその先も約束しているのだから、焦る必要なんてない。
もう見えなくなったであろう伊織の後ろ姿を見つめている美月のそばに寄って声をかけた。
「美月」
「詩織」
美月は頬を赤らめ、少しだけ恥ずかしそうにしていて、未だキスの余韻に浸っているようだ。本当は感触とか温かみとか色々感想を聞きたいところだけれど、それは美月だけの思い出なので聞かないでおこう。
「行こう。私、蘭々に報告しなきゃ。白雪先生と日夏さんにも」
あと、秋山君にも。
「うん」
保健室に向かう途中で蘭々に電話で報告をした。
蘭々は自分のことのように喜んでくれて、少し泣いているようだった。嬉しくて泣いていると言っていた。
高校生で真人君以上の人間は見つけられないだろうから卒業まで恋はしないという宣言は、爽やかで清々しい声によるものだった。
保健室で二人そろって白雪先生に報告をすると破門されてしまった。卒業ではないのかと尋ねると、弟子に先を越されて悔しいから、と正直に言われた。
そのあとは二人一緒に頭を撫でられて、よく頑張ったね、と、とても優しい声と表情で言ってもらえた。
日夏さんに電話をかけてみるとどうやら学校に来ているらしくすぐに会うことができた。
なんでも四月からバスケ部に新しいコーチが来るらしくその人に天海さんが会っておきたいと言ったので付き添いだそうだ。今年大学を卒業する若いコーチで新しい体育の先生でもあるらしい。監督さんの甥っ子だとか。
昇降口付近で私たちを見つけた日夏さんは駆け寄ってくる勢いそのままに私たちをまとめて抱きしめた。言葉もなくただ私たちをギュッと抱きしめてくれて、それだけでどれほど心配してくれていたのかが伝わってきた。
日夏さんがバスケ部の体育館に戻ったあとグラウンドを眺めると、サッカー部が練習をしている中に秋山君の姿を見つけた。さすがに声をかけることはできないのであとで蘭々に連絡先を教えてもらって報告しておこうと思う。これで未練を断ち切れるだろうか。
校門を出て、美月と並んで歩く。
「ねえ美月。今どんな気持ち?」
「幸せだよ。幸せすぎてどうにかなっちゃいそうなくらい幸せ」
美月はまだ興奮が収まっていないようで頬を紅潮させている。誰がどう見ても幸せだと分かるその顔は、世界から争いをなくしてくれそうなくらい美しくて神々しくて可愛らしい。
こんな顔をさせた伊織は美月大好きクラブの部長に昇格させてやろうと思う。無論、トップは二人もいらないし譲るつもりもないので私は会長に昇格だ。
「詩織はどう?」
そんなの決まっている。美月も分かって聞いている。
「幸せだよ。今、私が世界で一番幸せ」
「えー? 私の方が幸せだから詩織は二番だよ」
「いや、こればっかりはいくら美月でも譲れない。私が一番」
「私だって詩織相手でも負けないよ」
「私は結婚の約束したし」
「私はキスしたし」
「む」
「むむ」
「むむむ」
「私はホワイトデーのお返しにキャンディをもらったんだから。あなたが好きですって意味なんだよ」
「私だって……」
真人君からもらったばかりのお返しの品の包装紙やリボンを丁寧に取り外し、中から出てきたおしゃれなで高級感あふれる平べったい箱を開けると、色とりどりで小さくて丸っこい宝石みたいなお菓子が十個ほど。
「これは、マカロン?」
「マカロンか、さすが桜君」
「ど、どういう意味なの? お返しにマカロンって」
「……あなたは特別な人」
「……」
「……」
「まあ、別に一番が二人いてもいっか」
「そうだね。二人とも世界一幸せってことで」
なんの憂いもなく美月と一緒に帰るのはいつぶりだろうか。それくらいこの三ヶ月弱の間に色々なことがあった。たくさんの人と出会い、助けてもらった。私ももしかしたら誰かのことを助けることができていたかもしれない。
美人で明るくて自分の気持ちに正直でおしゃれでカッコいい蘭々。
鋭くて些細なことにも気づけて普段は穏やかでふわふわしていて可愛い心愛。
いつも元気いっぱいで活動的、一緒にいて楽しい大石さん。
実家の理髪店を継いでもっと大きくするべく、今から色々と調べたり手伝ったりしていて一番大人っぽく、蘭々が変なことをすると真っ先に突っ込みを入れてくれる小畑さん。
テキパキとなんでもこなしてカッコ良くて彼氏の天海さんとラブラブで私の憧れの日夏さん。
透き通るような白い肌の美人でなんでも話を聞いてくれて不要な誤魔化しとかをしないで意見を言ってくれる白雪先生。
なんだかんだ言って優しくて律儀で一途で私に遠慮せずに接してくれる秋山君。
そして真人君と伊織と美月。
かけがいのない人達がいつの間にかたくさんできていた。
「美月、私決めたよ」
私と美月が別れるいつもの分かれ道。離れ離れになる直前に私の決意を美月に聞いてもらいたかった。
「私もアメリカに行く。私の学力とかうちの経済力だとアメリカの大学に入るなんて現実的じゃないけど、留学できるような大学に入る。アメリカに行って真人君のこと間近で応援するんだ」
「彼氏のために大学を選ぶ……素敵だね」
「大学卒業したらアメリカで働けるように頑張るよ。そして真人君とずっと一緒にいる」
「そっか、たまには日本に帰ってきてね」
「うん」
「結婚式はハワイが良いな」
「美月が言うならそうする」
「何十年後かに桜君が引退したら日本で暮らして欲しいな」
「うん、お茶友達になろうね」
「私も詩織のお姉ちゃんになれるように頑張るからね」
「楽しみにしてるよ。美月お姉ちゃん」
「へへ……」
「これからも一緒に頑張ろうね。約束」
「うん、約束」
約束の指切りは私に勇気をくれる。
きっとこれからも困難はたくさんある。でも私はもう大丈夫。何が起きても乗り越えていける勇気と仲間がいるから。
暖かい春風が私たちの周りを包み込む。
春、もうすぐ桜は満開になる。