久美子さんが帰ると私は自室で美月に電話をかけた。

 ずっとそばで支えてくれた美月に、ずっと待ってくれている美月に、決意を伝えなければならない。

「もしもし、詩織? どうしたの?」

「美月、私決めたよ。ちゃんと真人君に気持ちを伝える」

 電話の向こうで美月が息をのむ音が聞こえた。

「良かった……」

 優しい美月の声。もう表情まで想像できるくらい何度も聞いている。

「待たせちゃってごめんね」

「なんてことないよ。詩織のためならいつまでも待てる」

「ありがとう。それでちょっと相談があるんだけど……」

「うん、何?」

 相談したのは私が気持ちを伝える場に美月にも立ち会ってもらうこと。上手くいったら伊織を呼び出してその場で告白し直させるためだ。

 そして三月十八日の終業式の日に真人君を離れ桜の下に呼び出すということ。離れ桜の下で結ばれたカップルは永遠に添い遂げるという伝説には続きがあって、桜が咲いているとより効果が高いらしい、ということを美月が白雪先生から聞いていたからだ。

 今年は桜の開花が早いという予想が出ていて、この日ならもしかしたら咲いているかもしれない。そもそもが眉唾物の伝説ではあるがより効果が高いと言われればそっちにしたくなるのが人間の心理というものだ。しかも終業式が終わると春休みになり、バスケ部は翌日から合宿が始まるとのことだったのでこの日しかない。

 それに私たちの関係は終業式から再開したので、また終業式を一区切りとするのも趣がある。私も美月も結構そういうのが好きなのだ。

「桜、咲いてくれると良いな……」

「咲くよ。もう、春だもん」

 美月が言うならきっと咲く。今度こそ私たちに幸せが訪れると信じている。

 その日の夜に日夏さんに報告すると喜びと同時に安心してくれて、来週中はおとなしくしておくようにと真人君にそれとなく伝えてくれることになった。

 伊織には「もうすぐちゃんとできるから」とだけ言って真人君への話が終わるまではこれまで通りあまり話をしないようにした。想定外の励ましなどをされて今心に決めていることを揺らがせたくなかったからだ。

 土日が明けて月曜日になる。

 少しの緊張感と高揚感、ドキドキするけれどどこか楽しみでもある、そんな一週間をさらに過ごした。スポーツ経験者の蘭々が言うには試合前とかこんな感じだったらしい。


 そして運命の三月十八日を迎える。

 私は少し遅めに登校すると真人君の下駄箱を確認した。外履きがあって上履きがない。もう朝練を終えて校舎に入っている。

 隣で見守る美月と無言で頷き合って、意を決してA4のルーズリーフを折りたたんだだけの手紙を真人君の下駄箱に入れた。

【桜真人君へ 話があるので今日の帰り離れ桜の下で待っています。】

 準備はできた。放課後は万が一のためしばらく美月が周りを見張っていてくれることになっている。

 終業式が終わると少し長めのホームルールがあって、様々な連絡の後解散となった。

 蘭々と大石さんのエールを受けて大急ぎで離れ桜に向かう。一組が一番解散になるのが速かったようでこれなら呼び出しておいて遅れることにはならなそうだ。

 美月と合流して昇降口に向かい下駄箱についている小さな扉を開ける。

 私は息を呑んで固まった。

 A4のルーズリーフを折りたたんだだけの手紙。でも今回は差出人がしっかりと書かれていて、開く前に見えるようになっている。丁寧な字で【桜真人】と書かれていたそれを広げる。

【春咲詩織さんへ 話があるので今日の帰り離れ桜の下で待っています。】

 残念だったね真人君。待っているのは私の方だよ。

 念のため真人君の下駄箱も確認すると今朝私が入れた手紙がそのままの状態で入っていた。

 真人君も私と話がしたいと思っている。先々週の金曜日に来週、つまり先週はおとなしくしているように日夏さんから言われたから今日さっそく動いたんだ。

「同じこと考えていたんだね、二人とも」

「うん……ってことは美月、伊織も来るかもしれないね」

「そうだね」

 美月も落ち着いている。少し前までなら「どうしよう、心の準備ができてないよう」とか、全然嫌じゃなさそうに嫌がるはずだったのに。もう恥ずかしがっているだけの時期は越えたということだ。

「美月のことも幸せにするよ」

「うん、頑張って」

 念のため昇降口近辺で待機する美月と別れて離れ桜の下へ向かう。

 友達がいないときにお昼を食べるために歩いたとき、手紙で呼び出されて歩いたとき、いじめられているときに歩いたとき、美月と伊織が上手くいかなかったことを知って歩いたとき、そんなときよりも今は希望を持って歩けている。

 離れ桜の周りには誰もいない。暖かく穏やかな春風に当てられる桜の枝にはもうすぐ咲こうかと準備をしているつぼみがついている。残念ながら咲いているものはなさそうだ。

 よく見たら咲いているものはないかと目を凝らして見ていると、スマホに美月からメッセージが届いた。

【今から向かうよ 伊織君も一緒!】

 大きく深呼吸をして、とっくにできていた覚悟を念入りに入れ直す。

 やがて校舎の影から真人君がゆっくりと歩いてくるのが見えた。そのまま私の目の前まで来て立ち止まり、持っていた鞄を地面に置いた。美月と伊織が校舎の影から見守ってくれている。

 用件はお互いに分かっている。ただ気持ちを伝えるだけ。

 私は理性とか常識とか気遣いとか、そういうものを全部放り投げて真人君と向き合った。