放課後、私は図書室へ向かった。バスケ部の練習が終わるまで読書か自習をするつもりだし、美月の結果報告もここで受けることになっている。桜高校の図書室はいつも利用者が少ないので多少は会話をしても許される雰囲気がある。

「詩織」

 壁際のカウンター席のような机で以前真人君と見た映画の原作小説を読もうとしていた私に声をかけたのは美月ではなく、蘭々だった。若干の憂いを帯びながらもさわやかさを感じさせる表情をしていて、やっぱり絵になるなと思う。

 蘭々は私の隣の席に腰をおろして「ふー」と大きく息を吐いた。そのまま私の顔を見ることなく正面を向いたまま話し始めるので、私も正面を向いたまま蘭々の顔は見ないようにして話を聞いた。

「フラれてきたよ。これで本当に最後」

「うん」

「真人君には好きな人がいて、私とは付き合えないって」

「うん」

「本命チョコは受け取らない主義だって噂は聞いてたけど、どうしてもってお願いしたら受け取ってもらえた。本命を受け取ってもらえなかった人たちと比べたら特別に思ってくれてるってことだよね」

「うん」

「でも一番特別に思ってるのは詩織。真人君が好きになったのが詩織で良かった。他の人だったら嫉妬しちゃうし、諦めきれなかった」 

「うん」

 謙遜も慰めもこの場には不要だ。謙遜は蘭々に失礼だし、慰めは蘭々に必要ない。蘭々の声にはしっかりとした芯があって、物理的にだけではなく心もすでに前を向いているのが分かる。

「約束、忘れないでね」

「うん」

 真人君とお付き合いすることになったら誰よりも先に蘭々に報告する。約束をして以来、片時も忘れたことはない。それがたくさん助けてくれていた蘭々への恩返し。

 蘭々が体の向きを変えた気配がしたので私も蘭々の方を向くと正面から向き合うことになった。この件に関してはもうお終わりという合図だろう。蘭々の表情には憂いはなく、さわやかな印象の清楚な美人が目の前にいるだけだ。

「美月はまだ来てないの?」

「うん、白雪先生としゃべってるんじゃないかな。あの二人仲良しだから」

「ちょっと嫉妬してる?」

「そんなことないよ」

「怪しいなー?」

 確かに白雪先生は学校の中で美月ともっとも近くで長い時間を過ごしている人だから羨ましくはある。でもちょっと仲良く話をして私のところに来るのが遅くなるくらいのことで嫉妬なんかしない。

 放課後という約束をしているだけで、時間は決めていなかったし、そのうち私のところに来てくれるはずだし。

「そんなことより、蘭々に聞きたいことがあったんだ。良いかな?」

「うん、何?」

「蘭々って少し前から髪とか服装とかきっちりするようになったよね。昔は髪染めてたり、スカートも危ないくらい短かったりしたのに。先生たちも何があったのか気になってるみたいだし、私も気になるんだけど……何か理由とかあるの?」

「あーそれね。ちなみに詩織はどっちが好き?」

 蘭々は少し照れくさそうに笑いながら尋ねた。

「私はどっちの蘭々も綺麗だなって思ってたけど、どちらかと言うと今の方が好き。私の主観だけど、一緒にいて安心する」

「そっか、それなら私は間違ってなかったね」

「どういうこと?」

「理由はいくつかあるんだけどね、一つは真人君と詩織が初詣に行ったことがはっきりしたとき、真人君は真面目な子の方が好きなのかなって思ったから。もう一つは詩織と話すようになって学校のルールを守らない自分が恥ずかしくなったから。ちゃんとルールを守ってても詩織はこんなに可愛いのにって思ったら、ルールを破ってる自分が嫌になったんだよね。最初はなんか恥ずかしかったし結局真人君にはフラれちゃったけど、詩織が今の私の方が好きって言ってくれたからこんな風にして良かったって思う」

「蘭々は髪も染めてない、メイクもしてない今の自分をどう思うの? 好き?」

「んー悪くないって思うよ。でもやっぱり私はメイクとかにすごい興味あるからやって良いって言われたらやりたい。ていうか休みの日はしてる。ねえ詩織、私の夢聞いてくれる?」

「夢? うん、教えて欲しい」

真海(まりん)たちには言ったことあるんだけど、私、将来は女優とかアイドルのメイクさんになりたかったんだ。そのために専門学校に行こうと思ってる」

「へえ、おしゃれな蘭々に似合ってると思う。あれ? でもなりたかったって……?」

「今はちょっと迷ってるんだよね。メイク系なのは変わらないけど、都会に出て芸能人みたいなキラキラした世界で活躍する人を輝かせるか、それとも地元に残って詩織みたいなあんまりおしゃれに興味ないけど磨けばもっと光りそうな原石を輝かせるか。どっちが良いかなって」

「私、光るかなぁ……でもメイク系は決まってるんだ。羨ましい。私は何がやりたいか決まってないから」

「詩織は勉強できるんだから良い大学入ったら選択肢いっぱいあるんじゃない? なんでもできるよ」

「できるって言っても全国平均のほんの少し上くらいだし、そこまでなんでもってことは……でもそうだね、決まってないからこそなんでも目指せるように勉強頑張らないとね」

「私も勉強ちゃんとやらないとなー。今まで心愛に教えてもらって何とか赤点回避してきたけど進度も内容も変わっちゃうからやばいかも」

「蘭々なら大丈夫だよ」

「いやいや、詩織は私の頭の悪さを舐めてるでしょ?」

「蘭々は勉強は苦手かもだけど、頭は悪くないと思うよ。偉そうなこと言っちゃうけど、思いやりもあるしちゃんと考えて行動してるし、なんて言うか人間としてちゃんとしてる。だからしっかり勉強すれば必ず成績も伸びるよ。一年生のうちは私も手伝えるし」

「詩織」

 蘭々は両手で私の両手を握った。目は潤んでいるけれど悲しみのせいではなさそうだ。

「詩織に褒められるとめちゃくちゃやる気出てきた。早速帰ったら学年末テストの勉強始める。分かんないところは今度聞くからね?」

「うん、まかせて」

「それと、クラス別々になっても仲良くしてね?」

「もちろん」

「真人君とイチャイチャするのに忙しくて私のこと忘れたりしたら駄目だよ?」

「……もちろん」

「気になる間だけど……まあいいや。今日は帰るね、報告、楽しみにしてる。ばいばい」

「うん、ばいばい」

 図書室の出入り口に向かって歩きながらこちらを振り返り、手を振る蘭々の姿はやっぱり絵になる。

 意外と控えめに振られた手も、はにかんだ顔も、歩くたびに揺れる髪もすべてが魅力的で、もしも芸能人のメイクさんになったら下手な芸能人よりも美人だと話題になりそうなほどだ。

 そんな蘭々でさえフラれてしまうのが真人君だと思うと、真人君の気持ちをすでに聞いているはずなのに緊張してしまう。早く美月に惚気話を聞かせてもらうと同時に、励ましてもらいたい。